6. 社会主義社会の文化革命


 毛沢東一派の「文化大革命」は、まったく文化の名にあたいしないものです。もちろん、社会主義の建設のためには正しい文化革命はどうしても必要です。正しい文化革命ははたらく者の社会主義社会を本当に明るく、豊かな社会に建設するうえで欠くことのできないものです。それは、これまで文化から遠ざけられていた労働者階級や人民のなかに文化をひろめ、人びとの文化水準をたかめるとともに、思想、文化、風俗、習慣などにのこっている資本主義ののこりかすをとりのぞき、あたらしい社会主義的文化をつくりあげる重要なしごとてす。

 もともと資本主義社会で、どれほどおおくの文化がはんらんし、文化水準が高いようにみえても、結局は資本家階級の利益に奉仕する文化にすぎません。このような文化の面における状態を解決し、社会主義的な文化と思想を建設しなければ、豊かな社会主義社会をきずくことはできないのです。

全国各地での流血事件の惨状を告げる「紅衛兵」の新聞

 しかし、このような社会主義文化をうちたてる文化革命は、資本家階級の反動的な支配をうちたおし、労働者階級の国家権力をうちたて、生産手段の社会主義的所有をおこない社会主義経済を建設するなかではじめて可能になります。またレーニンは、ロシアの文化革命を指導するなかで、この分野での革命は人びとの思想や習慣にかかわる問題であるがら、けっして強制的におこなってはならず、時間をかけて、説得、教育という方法によっておこなわなけれぱならないことをあきらかにしました。また、人類が階級社会のもとでつくりあげてきた文化にたいしても、けっして機械的に否定するような態度をとってはならず、これらの文化のうちの価値あるものをうけつぎ、これにあたらしいものをつけくわえ、全体として社会主義文化をつくりあげるようおしえました。

 ところが、毛沢東一派がいまおこなっている「文化大革命」は、「紅衛兵」の集団的暴力で強制的に人ひとの風俗、習慣をかえ、旧文化の破壊の名のもとに人類が階級社会のもとでつくりあげてきた文化を片っぱしがら否定しているだけではありません。その真の内容は、党や国家のなかの毛沢東一派に盲従しない人びとを打倒する名目に利用している「文化革命」です。しかも党内の意見のちがいを党内の民主的討論と決定にしたがった実践の検証によって解決するのではなく、党員でもない「紅衛兵」を動員して大衆的なつるしあげによって「解決」するという、まったくあやまった方針をとっています。

 こうした「文化大革命」 が、マルクス・レーニン主義とまったく無縁のものであることはあきらかです。

 ではどうして中国でこのような事態がおこったのでしょうか。この社会主義と無縁のことが社会主義国でおこった問題をあきらかにするためには、さまざまな角度からのふかい研究を必要としますが、つぎのようなことは、いうことができるとおもいます。

 毛沢東をはじめ中国共産党の指導者は、基本的にはマルクス・レーニン主義にもとづいて中国革命を勝利にみちびいたし、現代修正主義に反対してたたかった時期の初期の方針もまた基本的には正しかったとといえます。しかし、毛沢東らは、中国革命の勝利と現代修正主義にたいするたたかいの初期の成果におごりかぶり、しだいに実際からはなれ、自分を神格化させ、自分の理論を絶対化してこれを国内国外におしつけるにいたったのです。

 レーニンは、資本主義の発展のおくれた国では、革命に勝利することは比較的容易だが、社会主義を建設する事業は、資本主義的に発達した国にくらべはるかに困難であると指摘しました。中国のばあいも、社会主義建設の物質的基礎となる工業の発展がひくく、人口の8割は小ブルジョア的な農民で、社会主義建設に必要な労働者階級とその思想の指導をつらぬくことが困難でした。このような状況のもとで社会主義建設にいろいろなあやまりがうまれることは、一定の範囲ではさけられないことですし、まして社会主義社会は、数千年にわたってつづいた階級社会を完全に消滅する大事業ですから、まちがいは部分的にでてきます。

 レーニンも指摘しているように、個人でも政党でも絶対にあやまりをおかさないなどということはありえません。しかし重要なことはマルクス・レーニン主義の立場を守り、すべての指導者をふくめて個人が党の一員として組織の決定にしたがって活動するとともに、共産党が正しく民主主義的中央集権制の原則にもとづいて運営され、集団指導が守られ、批判と自己批判がいきいきとおこなわれ、指導者が卒直にあやまりをただす鎌虚さがあるならば、あやまりを未然にふせぐこともでき、またあやまりがおかされてもそれを一時的、部分的なものにとどめ、すみやかにそのあやまりをあらためることができるのです。

 毛沢東の最大のあやまりは、共産党の集団指導を破壊し、党を私物化したことであり、自分を神格化して批判や意見をうけ入れる謙虚さを失い、意見のちがう人びとを敵視するという態度をとるようになったことです。つまり、あやまりを克服する条件が破壊されたのです。その結果、毛沢東のあやまりが克服されず、逆にますます拡大され、ついにマルクス・レーニン主義から転落し、中国の党と人民だけでなく、全世界の共産主義運動、民主運動にはかりしれない損害をあたえ、アメリカをはじめとする帝国主義と反動の陣営を大よろこびさせるにいたったのです。


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