8. 今日の「毛沢東思想」はマルクス・レーニン主義とは無縁


  いま、毛沢東一派は、マルクス・レーニン主義には3つの発展段階がある、マルクスが第1の段階、レーニンが第3の段階、そして、毛沢東は第3の段階であると主張し、「毛沢東思想」こそマルクス・レーニン主義をあたらしい段階に発展させた「最高峰」だといっています。はたしてそうでしょうか。

 第1に、かつての毛沢東の著作が基本的にはマルクス・レーニン主義にもとづいたものであり、中国人民の解放闘争のなかで積極的な役割をはたしてきたことはたしかです。だがこのことは、けっして毛沢東の著作が「世界革命の指導理論」ということにはなりません。もともと毛沢東の著作は、以前には毛沢東自身がくりかえし強調していたように、マルクス・レーニン主義を中国革命に適用したものであって、すべての国の革命運動にあてはまる普遍的真理として絶対化することはできません。

 毛沢東の著作をみても、世界資本主義の政治や経済を全面的に分析したものや中国以外の国の革命運動、とくに発達した資本主義国の革命運動を系統的に研究したものは1つもありません。マルクス・レーニン主義の重要な構成要素の1つである経済学についての体系だった研究もみられないし、社会主義建設のまとまった理論もありません。

林彪は、毛沢東の指示は「理解しなくても実行すべきである」としている

 このような理論をどうして現代の「世界革命の指導理論」といえるでしょうか。

 もともとマルクス・エンゲルス・レーニンの学説が世界革命の指導理論であるといわれるのは、それらの指導者が自国の情勢を分析し、自国の革命運動の経験を研究しただけでなく、世界の資本主義の政治と経済について全面的な科学的研究をおこない、すべての国の革命運動の経験を系統的に研究して革命理諭をうちたてたからです。そして「共産党宣言」いらい120年の国際共産主義運動の歴史によって、その正しさが実践的に証明されているからです。

 第2に、かつて基本的に正しかったときの毛沢東思想が「最高峰」といえないだけでなく、現代の「毛沢東思想」はまったく変質し、かつての正しささえ失ってしまっています。現在の中国の「文化大革命」と日本人民にたいする悪質な干渉攻撃の事実は、もはや今日の毛沢東思想がかつて中国革命を勝利にみちびいた当時の毛沢東思想ではなく、まったく変質してしまったことをはっきりとしめしています。

 では毛沢東主義はどのようにかわったでしようか。

(1) かつて毛沢東は、 おもな敵をうちたおすためには、結集できるすべての勢力を結集してたたかうという統一戦線の政策を中国革命に適用し、蒋介石をもふくめた抗日民族統一戦線を結成しました。統一戦線は、共産党、人民解放軍とともに中国革命の3つの宝とまでいわれ、重視されていました。フルシチョフの路線を批判した当初でも、社会主義陣営の団結を強調し、反帝統一戦線をつよめる立場をとっていました。ところがいまでは、ソ連共産党はアメリカ帝国主義の共犯者であるといって、ソ連を排除した「反米、反ソの統一戦線」を主張するばかりか、社会主義国ソ連の転覆すらいいだしています。このような態度はソ連にたいしてだけではありません。自分の意見とちがう外国の党はすべて「落伍者」、「修正主義」、「反革命」とののしり、はては敵とみなすというごうまんな独善的な態度にかわりました。

(2) 中国共産党は、農村を根拠他として長期に武装闘争をおこなう 「人民戦争」によって中国革命を勝利にみちびきましたが、このやり方について、かつて毛沢東は、これは中国革命の特株の条件のもとでの闘争方法であって、ほかの国、とくに発達した資本主義国にはあてはまらないといっていました。ところがいまでは、全世界のすべての国にあてはまる普遍的な真理だといっておしつけ、それぞれの国の革命的条件を無視した干渉を公然とおこなっています。

(3) かつて毛沢東は、党内の予盾や意見のちがいを解決するばあいに、敵とたたかうやり方を党内にもちこんで、「無慈悲な闘争」や「容赦のない攻撃」といった態度をとることをきつくいましめ、団結の願いから出発して批判し、あたらしい団結をかちとるという方法を主張していました。ところがいまでは、自分の気にいらない幹部を、もっとも野蛮で凶暴な手段で攻撃し、党の団結や各国共産党間の正しい関係を根本から破壊しています。

(4) かつて共産党の組織と規律を重視し強調してきた毛沢東が、いまでは規律に無条件にしたがうのは「奴隷主義」だといって、共産党の組織に反対させ、これを破壊し、党を毛沢東一派の私物にしようとしています。

  このように毛沢東の理論はかつてと今日とではまったくちがっています。しかも毛沢東一派は、このような変質した「毛沢東思想」を国内で絶対化するだけでなく、外国の党にもおしつけ、これにしたがわない共産党や民主勢力を敵視し、社会主義諸国の転覆や共産党の打倒をよびかけているのです。それによって、かれらはいまもっとも大切なアメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的な統一行動をよわめ、国際共産主義運動の団結を破壊し、世界の革命運動と民主運動に重大な打撃をあたえています。

 ところがいま、毛沢東一派は「毛沢東思想」 がマルクス・レーニン主義の「最高峰」であり、普遍的真理であると主張する根拠として、毛沢東こそマルクス・レーニンも気づかながったプロレタリア独裁下での「革命」をおこない、資本主義の復活をふせぎ、社会主義建設をおしすすめる新しい理諭をうちたてたと主張しています。

 そして、プロレタリア独裁の下でも資本家階級の手先となる「党内の実権派」がうまれて権力をにぎるから「奪権」が必要であり、「文化大革命」はこうした「実権派」をたおす「革命」である、このような「革命」は1回ではだめで、何回も何回もくりかえしやらなくてはならない、といいだしたのです。これは結局、中国の現状に不満をもった毛沢東一派が、気に入らない人びとを「資本家階級の手先」として「打倒」し、みずからの専制支配をうちたてるためのあやまった「理論」です。

 毛一派は、これこそマルクスやレーニンも気づかなかったことであり、毛沢東がはじめてうちたてた「理論」であると主張していますが、このようなあやまったことをマルクスもレーニンもいうはずはありません。

 しかし、このような「革命理論」は毛沢東がはじめていったのではありません。1927年にソ連共産党を除名されそれでも破壊活動をやめないために、1929年に国外に追放された反革命分子トロツキーは、社会主義国家ソ連を「スターリン官僚の支配する堕落した労働者国家」とののしり、社会主義を実現するためには、ソ連の党と人民政権をたおす「第2の捕足的革命」が必要だととなえました。

 このように毛沢東一派のとなえる「プロレタリア独裁のもとでの革命」の理論は、トロツキストのとなえる「第2の補足的革命」論ときわめてにかよったものです。

 このような毛沢東路線をマルクス・レーニン主義の「最高峰」などと称賛するのは、マルクス・レーニン主義をふみにじる、まったく堕落した連中だけができることです。


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