10. 国際的な反革命分子、トロツキストと結びついた毛沢東一派


 日本の革命運動にたいする毛沢東一派のもっともあくどい攻撃と破壊活動は、トロツキストにたいする支持です。

 トロツキストとは、トロツキーという反革命の人物が主張した反革命的な分裂、挑発の理論にもとづいて、社会主義と共産党を破壊しようとする反革命挑発者集団です。

 もともとトロツキーは、ロシアの革命運動にくわわっていた当時から、レーニンの指導に反対し、労農同盟や民主主義革命を否定する極左的な「永続革命論」を主張していましたが、ロシア革命が勝利したあとでは、ソ連1国の力で社会主義を建設する可能徃を否定し、外国の革命の激発をはかる極左的「世界革命」論を主張しました。

 かれはあやまった自分の理論をソ連の党とコミンテルンにおしつけるために、卑劣な破壊活動をおこない、社会主義国家と国際共産主義運動から永久に追放されました。それ以後かれは、かれに同調するひとにぎりのものをかきあつめ、社会主義国家の転覆と各国共産党の破壊をめざす国際的反革命組織である「第4インタナショナル」なるものをつくり、破壊活動に狂奔しました。

 日本では、1956年の「スターリン批判」、「ハンガリー事件」をきっかけに、少数のトロツキストがあつまりはじめ、1957年1月に「日本トロツキスト連盟」をつくりましたが、この名前では大衆化しにくいという理由で、同年12月に「日本革命的共産主義者同盟」と政称しました。かれらは全学連の活動家をねらってはたらきかけました。その影響をうけた当時の全学連指導部のおおくのものは、1958年、トロツキストに転落し、「共産主義者同盟」と名のる組織をつくり、当時の学生運動を一時期支配することとなりました。

 1960年の安保反対闘争のとき、「共産主義者同盟」は、いろいろな極左的、挑発的な闘争方法をとり、民主勢力の統一を破壊し、敵の弾圧をひきだそうとしました。 しかもかれらは、自民党や財界と結びつき、右翼反共の田中清玄から数百万円もの「活動資金」をもらい、ひそかに警視総監らとはなしあって、安保闘争を失敗させるために、つぎつぎと挑発的な行動をとったのです。

 この「共産主義者同盟」は、その綱領にはっきりと日本共産党の打倒をかかげ、ソ連、中国、朝鮮など社会主義国の転覆をうたっていまレた。.またすでにおおくの人びとにしられているように、1967年10月8日、トロツキストの各派は、佐藤首相が南ベトナムをふくむ東南アジア訪問にとびたったあと、羽田で武装警言とのあいだで「衝突」をひきおこしました。さらに11月12日、佐藤首相のアメリカ訪問の日、羽田付近で警官隊と乱闘をくりかえし、近くの商店や一般民家にまでおおくの被害をあたえるという、ゴロツキのケンカそこのけの行動をくりかえしました。

 このようなトロツキストの行動は、かれらが「真の革命家」であるどころか、佐藤首相の南べトナム、アメリカ訪問に断固反対してたたかった日本共産党と民主勢力の共同闘争の発展を破壊し、反動勢力の弾圧体制の強化に手をかす役割をはたすものであることははっきりしています。

盲従分子の扇動で日中友好協会襲撃におしかけてきたトロツキスト

 さらに本年1月、アメリカ原子力空母エンタープライズ号の「寄港」に反対する佐世保での民主勢力の統一行動にあたっては、トロツキストは「社共の反動ブロックを打破する」とさけんで、中央・全国両実行委員会の統一抗議集会に暴力的に侵入し、これを破壊しようとしました。そのうえかれらは、基地を包囲する抗議デモの進路にある橋の上で警察と「衝突」をくりかえし、警察がデモコースを遮断し基地包囲を妨害することに手をかすという、許すことのできない重大な裏切り行為をおこないました。

 トロツキストの挑発策動は、これだけではありません。5月28日、わが党をふくむ自覚的民主勢力がおこなった立川基地拡張阻止の砂川大集会にたいし、トロツキストはなぐりこみをかけて、これを破壊しようとしました。大集会に結集した人びとのかたい団結と決然とした防衛体制によって、それに失敗すると、トロツキストは警官ともみあって、畑をあらし、商店街をあばれまわりました。つづいて、7月9日の砂川集会でもまた同様の暴行をくりかえしました。7月の東京都議会では、公営企業委員会に乱入して審議を妨害し、共産党を攻撃して自民党などの立場を有利にしようとしました。さらに法政大字でも、6月、学生大会への暴力乱入、9月、学長、教授の不法監禁などの騒動をひきおこし、警察権力が大学自治に介入することを手引きする役割をしました。

 これらの事実は、トロツキストが正真正銘の反革命挑発者集団であることをはっきりとしめしています。

 ところが、毛沢東一派は今日理諭的、政治的にトロツキズムと共通点をもちはじめたばかりではなく、わが党とわが国の民主運動を破壊するために、行動のうえでもトロツキストとのむすびつきをつよめています。

 67年の2月以来、華僑学生や毛沢東に盲従した一部の日本人が日中友好協会本部を襲撃したさいには、トロツキストも参加し、両者のむすびつきをはっきりとしめしました。

 また毛沢東一派は、安保闘争のとき死んだ樺美智子をあらためて「民族的英雄」とほめたたえ、10月8日の羽田空港事件についても、「これは革命的学生のベトナム人民を支援するやむにやまれぬ行動」であり、「毛沢東思想の活学活用」で「真に革命的な壮挙」だと称賛しました。

 このように毛沢東一派は、今日トロツキストを「真の革命家」とほめたたえ、かれらの行動をはげましています。

 では、「羽田空港事件」をひきおこしたトロツキストは、ベトナム人民を支援するやむにやまれぬ気持ちだったのでしようか。とんでもありません。たとえば、トロツキストの一派「革マル全学連」は「ぺトコンは民族主義者」であり、「北ベトナムはスターリン主義官僚の支配する国家」だと中傷しています。最近のトロツキストの集会やビラでは、ベトナム人民のたたかいを「帝国主義とスターリン官僚主義との激突」だとののしったり、「ベトナム問題を解決するためにはまずホーチミン政権を打倒しなくてはならない」とさえ公言しています。このようなトロツキストの行動が、どうしてベトナム人民を支援するやむにやまれぬ行動だといえるでしようか。かれらには、ベトナム人民支援の心など1かけらもなく、実際はベトナム人民を支援する日本の民主運動の前進と統一を破壊し、敵の攻撃に口実をつくってやっているのです。 ところが、こともあろうに毛沢東一派はこれを称賛し、「毛沢東思想の活学活用」だというのです。このことは、今日の毛沢東思想がトロツキズムに接近していることを具体的にばくろしているものです。

 わたしたちは、毛沢東一派をまったくの反革命分子であるトロツキストと同一視するものではありませんが、日本共産党打倒をよびかけ、トロツキストと手をくんて日本の革命運動を破壊する反革命的な行為をとっていることは、だんじて許すことができません。

 このような毛沢東一派の策動は、けっして日本共産党だけの問題でなく、わが国の民主運動全体にかかわる重大な問題です。


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