9. 「毛沢東思想」を絶対化するあやまりは、日本でもすでに証明ずみ


 「毛沢東思想」を世界革命の指導理諭として外国におしつけたり、毛沢東の言論を絶対化して、これに盲従したりすることのあやまりは、これまでの日本人民の解放闘争の経験のなかですでにあきらかになっています。

 1950年当時、不幸にして日本共産党が分裂していた時期に、中国共産党指導部は、わが党の内部問題に干渉し、中国共産党が農村に根拠地をつくって長期の武装闘争をおしすすめ、革命を勝利させた路線、「毛沢東の道」を、日本でも適用するよう主張しました。日本共産党の一部は、この主張にしたがって極左冒険主義の戦術をとりました。その結果、日本の運動に重大な損失をもたらし、日本共産党にたいする大衆の信頼はよわめられ、党の勢力も後退するという苦しい経験をへなければなりませんでした。この重大な犠牲は、アメリカ占領軍の弾圧、日本共産党の分裂にも大きな原因がありましたが、中国革命の経験を絶対化し、これを日本に適用させようとした大国主義的干渉をわが党の一部がうけいれ、極左冒険主義のあやまりをおかした結果にもよるものです。

 また1964年1月、毛沢東は日本人民のたたかいにたいする中国共産党と中国人民の連帯を表明した声明を発表し、日本人民をはげましましたが、そのなかでかれは、アメリカ帝国主義だけを日本人民の敵とする「反米愛国の闘争」を強調しました。

 毛沢東がこのように一面的なあやまった評価におちいったのは、けっして偶然ではありませんでした。当時毛沢東を中心とする中国共産党の指導部は、世界をアメリカ帝国主義と社会主義陣営とその他の「中間地帯」とにわけ、「中間地帯」の国ぐにの支配階級をもふくめて反米国際統一戦線に結集する可能性があるととなえていました。そのような考えかたから、毛沢東は、高度に発達した資本主義国である日本の独占資本の反動的本質を理解することができず、「反米勢力」と評価したのです。

 このような主張は、アメリカ帝国主義と日本独占資本との2つの敵とたたかう立場にたつ日本共産党の綱領の路線とはまったくことなるものです。ところが当時の日本共産党の一部の幹部は、この毛沢東の発言にしたがって、アメリカ帝国主義とのたたかいだけを強調し、そのような立場からたたかいを指導するあやまりをおかしました。

 このあやまりが、1964年4月17日のストライキにたいするあやまった指導として集中的にあらわれました。それは、労働者階級が経済的な要求にもとづいて、日本独占資本とたたかうことの意義を正しくみずに、ストライキを計画した労働組合幹部のなかに、国際自由労連とふかいむすびつきをもった人びとがいることを理由に、「アメリカ帝国主義のたくらむ挑発」とあやまって規定し、ストライキを忌避することを目的とするというあやまちにおちいったものです。

 このあやまりは、毛沢東の「反米愛国の闘争」という主張に無批判にしたがったことからうまれたものであって、日本共産党と労働組合のむすびつきに重大な打撃をあたえました。

 このように、「毛沢東思想」を絶対化することのあやまりは、すでに日本人民の解放闘争の歴史によってはっきりと証明されています。1959年に毛沢東は、1950年の時期に、日本共産党への干渉や極左冒険主義をおしつけたことのあやまりを率直にみとめました。それにもかかわらず、現在ふたたび「毛沢東思想」を最高のものとして絶対化し、以前よりもはげしい大国主義的干渉と攻撃をおこなっています。日本人民は、歴史の教訓に正しくまなんで、この干渉、攻撃をかならずうちやぶるでしょう。


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