4.プロレタリア文化大革命の政策について


 上部構造の領域における革命をひきつづきおこなうには、毛主席のプロレタリア階級の諸政策を真剣に実行しなけれぱならない。

 はやくも一九六六年五月十六日の『通知』と八月の『十六ヵ条』のなかで、プロレタリア文化大革命の政策についての明確な規定がおこなわれた。「プロレタリア文化大革命の闘争・批判・改革の段階では、政策に真剣に注意しなければならない」ことなど、毛主席の一連の最新指示によって、諸政策はいっそう具体的なものとなった。

 当面のおもな問題は実行にうつすことである。

 知識分子についての政策、幹部政策、「教育によって立ちなおれる子女」についての政策、大衆組織に対処する政策、対敵闘争の政策、経済政策などをふくむ党の諸政策の眼目は、とりもなおさず、敵味方の矛盾と人民内部の矛盾という牲質の異なる二種類の矛盾を正しく処理する問題である。

 ふるい型の学校で養成された知識分子の多数あるいは大多数は、労働者、農民、兵士と結びつくことができるか、もしくはそうすることを願っている。毛主席の正しい路線のみちびきのもとで、労働者、農民、兵士がかれらに「再教育」をほどこすべきであり、りっぱに結ぴついているものや、積極的に農山村におもむいた紅衛兵や知識青年にたいしては、激励をあたえなけれぱならない。

 毛主席はわれわれに、「教育面を広くし、打撃面を小さくしなければならない」、また、「全人類を解放してのみ、プロレタリア階級は自己を最終的に解放することができる、というマルクスの教えを実行し」なければならない、とくりかえし教えている。あやまりを犯した人にたいしては、教育と再教育に重点をおき、しんぼう強くきめのこまかい思想・政治工作をおこない、真に、「思想の面かちもはっきりさせ、また同志とも団結するという二つの目的をたっするため、前のあやまりを後のいましめとし、病をなおして人を救うという方針を実行す」べきである。本質的にはよい人間だが、資本・主義の道をあゆむというあやまりを犯したものにたいしては、われわれは、かれらが自覚を高め、大衆の諒解をえたのちに、時をうつさずかれらを解放して、適当な仕事をあたえるとともに、労働者・農民大衆のなかにはいって世界観を改造するようはげまさなければならない。わずかながらも進歩をとげ、いくらか自覚をみせはじめた人びとにたいしては、団結の観点から出発して、ひきつづき援助をあたえなけれぱならない。毛主席は、さいきん、「プロレタリア階級は、人類 の露史においてもっとも偉大な階級である。この階級は、思想の面でも、政治の面でも、力の面でも、もっとも強大な革命的階級であり、圧倒的多数の人びとを自己のまわりに結集して、最大限にひとにぎりの敵を孤立させ、これに打撃をあたえることができるし、またそうしなければならない」と指摘している。

 対敵闘争のなかでは、毛主席が従来から主張している「矛盾を利用し、多数を獲得し、少数に反対し、各個に撃破する」という政策を実行しなければならない。「証拠をおもんじ、調査研究をおもんじるぺきであって、強迫して自供させ、それを信じるようなことはかたく禁じなければならない。」毛主席のうちだした、「自白したものは寛大に処理し、あくまで反抗するものは厳重に処分する」、「活路をあたえる」という政策を実行しなければならない。われわれは主として、広範な人民大衆に依拠して敵にたいする独裁を実行するのである。階級隊列の純潔化の運動のなかで調査判明した悪人、あるいはうたがわしいものにたいしては、確実な証拠のある殺人、放火、毒薬投入などをはたらいた現行反革命分子を法にてらして処分すべきほかは、すべて「一人も殺さず、大部分は逮捕しない」という政策をとるべきである。

 ブルジョア階級の反動的学術権威者にたいしては、一に批判し、二に観察する、あるいは一に批判し、二に使用する、あるいは一に批判し、二に養うという政策を実行する。要するに、思想を批判して、活路をあたえるのである。この部分の敵味方の矛盾を人民内部の矛盾として処理することは、プロレタリア階級独裁をうちかためるのに有利であり、敵を分化、瓦解させるのに有利である。

 党の諸政策を実行にうつすぱあいには、所属単位の情況を具体的に研究しなければならない。およそ革命的大連合がまだ十分にうちかだめられていないところでは、われわれは、広範な革命的大衆が革命的原則のもとに系統別、業種別、クラス別の革命的大連合を実行し、団結してともに敵にあたるよう、援助すべきである。およそ階級隊列の純潔化の仕事がまだはじまっていないか、もしくはいまはじまったぱかりの単位は、党の政策にしたがって、これに力をいれ、これをりっぱにおこなうぺきである。純潔化の仕事がほぼ完了した単位では、毛主席が聞争・批判・改革の各段階についておこなった指示にもとづいて、その他の諸活動に力をいれるべきである。同時に、階級闘争の新しい動向によく注意をはらわなければならない。悪人がふたたびのさばりだしたらどうすればよいだろうか。毛主席のことばに、「徹底した唯物論者はなにものをもおそれない」という名言がある。階級敵がふたたびことをおこしたならば、大衆をたち上がらせて、いま一度かれらを闘争にかけ、うち倒すまでである。

 『十六ヵ条』が指摘しているように、「プロレタリア文化大革命は、わが日の社会的生産力を発展させる強大な推進力である。」わが国では、農業生産の面で連年豊作をあげており、工業生産、科学技術の面でも、活気にみちたすばらしい局面があらわれている。広範な勤労人民の革命と生産の積極性はかつてなく高まっており、多くの工場・鉱山・企業はたえず生産記録を更新し、史上最高の生産水準をうみだし、技術革命がだえず発展している。市場は活況を呈し、物価は安定している。一九六八年の年末までに、われわれは公債を全部返済した。わが国はすでに、国内の債務もなけれぱ国外の債務もない社会主義国となっている。

 「革命にカをいれて、生産をうながす」というこの方針は、まったく正しい。この方針は、革命と生産、精神と物質、上部構造と経済的土台、生産間係と生産力の関係に正しい回答をあたえた。毛主席はつねに、「政治工作はすぺての経済工作の生命線である」とわれわれに教えている。レーニンはかつて、政治の面から問題を見ることに反対する日和見主義者をきびしく糾弾して、「政治は経済にたいして優位を占めざるをえない。この点を肯定しないのは、マルクス主義のイロハを忘れたこどを意味する」とのべた。レーニンはさらに、もし政治と経済を同列におくなら、これまた「マルクス主義のイロハを忘れた」ものである、と指摘している。政沿は経済の集中的表現である。もし上部構造で革命をやらず、広範な労働者・農民大衆をたち上がらせず、修正主義路線を批判せず、ひとにぎりの裏切り者、特務、資本主義の道をあゆむ実権派、反革命分子をあばき出さず、プロレタリア階級の指導権をうちかためないなら、どうして社会主義の経済的土台をいっそううちかため、社会主義の生産力をいっそう発展させることができるだろうか。これはけっして革命を生産に とってかわらせるのではなく、革命をもって生産を統帥し、生産を促進し、生産を先導しなければならないということである。われわれは、毛主席の「大いに意気ごみ、つねに高い目標をめざし、多く、はやく、りっぱに、むだなく社会主義を建設する」という総路線にもとづき、また「戦争にそなえ、自然災害にそなえ、人民のために」という偉大な戦略思想、「農業を基礎とし、工業を導き手とする」などの一運の方針にもとづいて、調査研究をおこない、経済戦線における闘争・批判・改革の多くの政策問題を積極的かつ妥当に解決しなければならない。各民族の人民大衆の革命的積極性と創意性を十分に発揮させ、革命に思いきり力をいれて、生産を大いに促進し、国民経済発展計画を達成または超過達成しなければならない。プロレタリア文化大革命の偉大な勝利は、経済戦線とわれわれの社会主義建設事業全体に新たな躍進があらわれるのをひきつづきうながすにちがいない、と断定することができる。


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