1969年6月6日付中華人民共和国外交部覚書

(1969年3月10日「北京週報」)


ソ連駐中国大使館

 ことしの三月二日と十五日に、中国の領土珍宝島てつづけざまに流血事件をひきおこしたのち、ソ連政府は一方で「協議」の希望を表明しながら、他方では中国にたいする武力挑発に拍車をかけ、しかもその武力挑発活動を鳥蘇里江から黒竜江にまで拡大し、水上の境界から陸上の境界にまで拡大し、東部区間から西部区間にまで拡大し、一連の国境事件をひきおこしてきた。このような挑発事件は、いまなおたえず発生している。

 三月十五日いらい、ソ連政府はソ連軍にさし図して、ひきつづき重砲と軽、重機関銃で中国の珍宝島と中国領内の縦深地区に向かって射撃させた。ソ連軍はすでに八千発近くの砲弾を発射したが、いまでも射撃を停止していない。

 四月十六日、十七日、二十五日、ソ連軍は三回にわたって中国新彊塔城の加曼奇地区で境界の現状を破壊し、形跡検査地帯を中国領内におしやり、中国国境守備要員の正常なパトロールに、理不尽な干渉をくわえた。

 四月下句いらい、ソ連側は中国黒竜江省綏芬河以東の地区で、中国側のたびかさなる抗議を無視して、中ソ境界線を越えて中国領内に不法につくった木造家屋、アーチ、鉄条網などの施設を撤去することを拒否したばかりでなく、さらに一歩をすすめ中国領自に塹壕を掘って、計画的に武力挑発をおこなった。

 五月二日、ソ連政府は、数百台の戦車、装甲車、自動車をふくむ大量の軍隊をくりだして、中国新彊裕民県巴爾魯克山西部地区に侵入し、中国領内に七キロもはいりこみ、中国の牧畜民とその家畜の群れが中国の領土を通行するのに乱暴な干渉をくわえた。ソ速軍は砲口を同地区の守備にあたる中国国境守備要員の方にぴったりとむけ、もし中国人が同地から引き揚げないなら、ソ連は武力でかれらを全滅させる、と威かくした。中国側が自制ある態度をとったからこそ、流血事件の発生を避けることができたのである。

 五月十二日いらい、ソ連軍はソ連側の河岸から軽、重機関銃で、中国黒竜江省呼瑪県内にある、黒竜江主要航行水路中央線の中国側に位置する中国の領土呉八老島と中国側の河岸にむかって、たえまなく狂暴な射撃をくわえ、同鳥で生産労働にたずさわる中国公民にたいして妨害と挑発をおこなってさた。いっそう重大なのは、五月十五日午後二時ごろ、同島で正常なパトロールをわこなっていた中国国境守備要員に発砲し、その場で中国国境守備戦士一名を射殺したことである。

 五月十四日午前十一時ごろ、ソ連のパトロール艇、輪送舵、砲艦各一隻が中国の黒竜江省愛輝県内にある、黒竜江主要航行水路中央線の中国側に位する中国の領土女雅通島地区に侵入した。一名のソ連将校によってひきいられた完全武装の軍人十五名が同島に強行上陸し、同島で生産労働に従事中の中国公民九名を二手に分かれて包囲し、銃床でかれらをめった打ちにし、そのうちの二名に重揚を負わせ、四名をソ連領内に拉致していった。ソ連側はかれらに不法訊問をくわえ、無理矢理に八日間も拘留し、中国国境守備郡隊の代表が何回も抗議したのち、はじめて送還せざるをえなくなった。

 五月二十日九時三十分、一名の中佐によってひきいられたソ連の騎兵九名が、百名近いソ連軍人の支援のもとに、中国新彊の哈巴河県葉西蓋地区で中国領内に侵入し中国国境守備要員が同地をパトロールするのに乱暴にも干渉し、騎馬のまま中国国境守備要員のなかに暴れこんだ。

 五月二十日午後、大量のソ連軍が中国新彊塔城の加夏奇地区で中国領内に侵入し、同地て生産清動にたずさわっていた中国公民三名と、国境守備戦士二名を殴打し、かれらを強引に抗致していき、中国国境守備戦士の銃器、弾薬を強奪してこんにちになってもその送、返還を拒否しつづけている。

 五月二十五日二十一時四十五分、黒竜江の主要航行水路を航行中の中国の客船「東方紅十七号」が中国の黒河鎮付近にさしかかったさい、ソ連側は河岸から探照灯の強烈な光をあびせてほしいままに挑発をおこない、中国航海士の視線をみだして、この客船を浅瀬にのりあげさせた。中国の客船は救助を求めるため、ボートで三名の人を中国側の河岸におくった。ところが、ソ連軍はこともあろうに砲艦一隻、パトロール航三隻を出動させて、中国公民三名をかれらのボートもろとも、ソ連領内に拉致していき、こんにちにいたるまて送、返還しようとしない。

 五月二十八日十二時二十七分、ソ連軍はヘリコプター一機の協力のもとに、三隻の砲艦にのって、中国黒竜江省撫遠県内にある。黒竜江の主要航行水路中央線の中国側に位置する中国の領土撫遠大夾信子島地区に侵入した。完全武装のソ連軍人四十余名が、同島に強行上陸し、そこで生産に従事していた十名の中国漁民を不法に拉致していき、かれらの漁船四隻と発動機船一隻を強奪し、いまになってもその送、返還を拒んでいる。

 三月二十九日から五月三十一日までに、爆撃機、戦闘機、債察機をふくむソ連の革用機がほしいままに中国の領室を侵犯し、挽乱、偵察をおこなった機数はのべ五十七機にも達しており、なかにはあろうことか中国領内に約六十余キロもはいりこみ、その飛行距離が二百四十余キロに達しているものもある。

 さきにのべた、ソ連政府が計画的に中国領土を侵犯し、中国人民に狂暴な挑発をおこなった重大事件は、中ソ国境の緊張を激化させるためにソ連政府がとった重大な段取りであり、社会帝国主義の侵略政策をおしすすめているソ連政府の罪悪の新たな証拠である。中国政府は、このことに、このうえない憤りを示すとともに、ソ連政府に強硬な抗議を提出する。

 ソ連政府は四月二十五日、五月四日、五月二十四日に中国政府におくった覚書のなかで、泥捧が人を泥棒よばわりする常套手段を用いて自己の侵略の罪責をのがれようとしているが、それはまったくのむだ骨折りである。

 ソ連政府はこのような侵入・挑発の犯罪行為をただちに停止し、中国の領土にたいする射撃をただちに停止し、中国の領空にたいする侵犯をただちに停止し、拉致していった十六名の中国公民と二名の中国国境守備要員、および強奪していった銃器・弾薬・舟艇をただちに全部送、返還し、中国船舶の正常な航行にたいする妨害をただちに停止しなければならない。中国政府はまた、中国要員が死復し、拉致されたこと、中国の客船が浅瀬にのりあげたことによってこうむったすべての損害の賠償を請求する権利を留保する。中国政府はソ連政府に警告する。もしソ連政府が中国政府の厳正な要求を無視するなら、それによっで生じるすべての重大な結果にたいして、ソ連政府はその全責任を負わなければならないと。

中華人民共和国外交部

1969年6月6日 北京にて


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