ソ連のデモ弾圧と中国人学生迫害に抗議の中国外交部覚書

(1965年3月17日付「人民日報」)


中国駐在ソ連大使館殿

 中華人民共和国外交部は、ソ連外交部がソ連駐在中国大使館に送った、三月十二日付の覚え書きをうけとった。ソ連外交部はその覚え書きの中でソ連政府が三月四日のモスクワ反米デモを弾圧したことはなく、学生とくに中国の学生がソ連の警官に乱暴を働いたこと、また流血の惨事全体とそれによって必然的に起こったソ連当局に対する人々の憤りの感情があたかも中国側の扇動によるものであることを極力裏づけようとしている。それは全く事実をまげ是非を転倒したもので、中国政府は断然ソ連外交部の覚え書きを拒絶する。

 三月四日モスクワで一体どんな度はずれの事件がおこったのてあろうか。こん回の学生反米デモは、人びとがほかでつねに見うける反米デモと同じように、アメリカ大使館に赴き、スローガンを叫ぴ、ビラをはりつけ、なん通かの抗議文を手渡すだけであった。たとえ学生が義憤の余り、アメリカ大使館に石をなげつけ、なん枚かの窓カラスをこわしたとしても、なにも驚くほとのことではない。このようなことは、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどアメリカの大使館や米対外情報文化宣伝機関(USIS)のあるところならどこでも、毎日とはいえないまても、ほとんど毎月のようにおこっていることで、あまりにも見なれたことである。どうしてモスクワに限って警察と軍隊によって、ベトナム、中国、インドネシア、キューバ、ソマリなどの各国留学生百三十余名を傷つけるという惨事がおこったのだろうか。

 事態はきわめてはっきりしている。それは学生たちの行動が「常軌を逸した」からでなく、ソ連政府のこんどのやり方が度はずれているからである。

 前回、二月九日学生大衆がモスクワで反米デモをおこない、アメリカ大使館の窓ガラスを数百枚もぶちこわした。アメリカ帝国主義の頭目、ジョンソンがおこって、アメリカ大使館を十分に「保護するよう」ソ連政府に強く要求した。これはたしかにあなたたちを困まらせたであろう。思いきってデモを禁止するとすれば、大衆を納得させることができない。デモを許すとすれば、これまたアメリカのご機げんをそこねることをおそれる。そこであなたたちは、一方では学生の反米デモをゆるしながら、他方ではさまざまな非常措置をとり、七百名以上の軍隊、警察、騎馬隊をくり出し、大量の除雪車や消防車を出動して、アメリカ大使館前に四重の厳重なバリケードを敷き、いくえにも封鎖し、大敵に立ち向かうかのようにデモ学生のアメリカ大使館への接近を全力をあげて阻止した。大衆がちかよろうとすると、すぐに軍隊や警察に命令して行動をとらせたのである。これが流血の惨事発生の根本原因であるのである。

 事件発生後、ソ連外交部は時を移さず、アメリカ大使館に礼をつくして陳謝した。翌日、大急ぎで人を派遣して、アメリカ大使館の壁をぬりかえ、ガラスをいれかえた。あなたたちはアメリカ帝国主義に反対する大衆にたいしては、かくも冷酷無情でありながら、アメリカ帝国主義にたいしてはかくも卑屈になってぺこぺこしている。

 北京でも帝国主義国の代表機構にデモをかけることを許さないだろうというあなたたちの言い分はまったく根拠のないものである。スエズ運河事件のとき、北京ではイギリス・フランスのエジプト侵略に反対するすさまじい大衆デモがおこなわれ、代表が北京駐在のイギリス代理大使の事務所にはいりこんで無数の抗議文をつぎつけたうえ、そこの塀にイギリス帝国主義反対のビラを一杯はりつけた。中国外交部は、人を派遣してイギリスの代理大使の事務所の壁を塗りかえさせたことは一度もなく、もちろん中国政府は陳謝するなどということはしなかった。

 北京の学生たちはソ連政府が自分たちの同窓を弾圧したニュースを聞いて、ひじょうに憤激し、デモ隊をくんで、ソ連大使館に赴いて抗議した。光栄ある偉大な十月革命の伝統をもつソ連人民が、もしこの事件の真相を知っていたら、かれらもかならずあなたがたに抗議するであろうことは疑う余地もない。

 これほど多くの外国人留学生を暴力で負傷させたことは、なんといっても名誉なことではない。それであなたたちは、そんなことはなかった、少なくとも入院して治療しなければならないほどの怪我はさせなかったと極力いいのがれようとしている。この目的をはたすために、ソ連政府は手段をえらばなかった。

 重傷をうけた九人の中国人留学生はボトーキン病院の医師の診断によって、入院する必要があると確認されて、入院したのである。だがそのうち七人は、翌日ソ連当局が、治療する必要はない、もともと入院すべきではなかった、といいはったために病院から追いだされてしまった。ひきつづきボトーキン病院にのこった中国人留学生黄照庚はソ連の私服を着たものに、ひどくなぐられ、七、八時間もしばられていた。暴力で人を負傷させておきながら、それを認めず、重傷者にも入院を許さない。入院したものは追いだし、出ていかないものはひどくなぐりつける。このようなことはアジア・アフリカ・ラテンアメリカとすべての革命的な帝国主義に反対する国家では、考えられないことである。ところがソ連では、こともあろうにそれが起ったのだ、

 中国政府はソ連政府の反米デモの弾圧と中国人留学生迫害の恥ずべき行為にたいして、断固抗議するものである。中国政府は、ソ連政府が誤りを認め、デモ行進に参加した各国の学生にたいし、礼をつくして陳謝することをかさねて要求する。

一九六五年三月十六日北京にて

中華人民共和国外交部


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