ブルジョア階級の反革命的戦略と戦術――中国のフルシチョフの「中国革命の戦略と戦術問題」を評す

閻長貴


 われわれの偉大な指導者毛主席は、中国革命を指導する過程で、マルクス・レーニン主義の世界観によって中国の運命を観察し、中国人民に真の解放をめざすための明るい道をさし示した。

 毛主席は一連の輝かしい著作のなかで、中国社会の状況について科学的で、深く掘りさげた、系統的な分析をおこなって、中国革命の対象、任務、原動力、性質、方法、展望を明らかにし、中国革命・戦略と戦術の問題を天才的、創造的に解決した。

 ところが、中国のフルシチョフは中国革命の隊列こまぎれこんでから、終始一貫ブルジョア階級の反動的立場に立って、蒋介石国民党反動派の必要にこたえ、陣独秀、王明らの日和見主義分子と結託してベルンシュタイン、カウツキーらの手合の修正主義の謬論をさかんに売りさばき、狂気のように中国革命についてのわれわれの偉大な指導者毛主席の理論と戦術に反対し、中国人民の革命連動を破壊してきた。

 一九四二年、中国人民の抗日戦争はひじょうに困難で苦しい時期をむかえた。中国人民は共産党と毛主席の指導のもとに、毛主席のうち出した中国革命の戦略と戦術にもとずいて、勇敢にたたかい、一方では日本帝国主義の侵略に抵抗し、他方では国民党反動派の反共・投降活動に反対した。ほかならぬこの時に、中国のフルシチョフは『中国革命の戦略と戦術の問題』を発表したのである。これは民主主義軍命の時期における中国のフルシチョフの代表作である。

 かれはこの大毒草のなかで、やっきになって、毛主席をはじめとする党中央に反対し、プロレタリア革命路線に反対し、毛沢東思想に反対した。

中国の民主主義革命を指導するのはプロレタリア階級か、それともブルジョア階級か、共産党かそれとも国民党か

 中国の民主主義革命はだれが指導するのか。プロレタリア階級かそれともブルジョア階級か。共産党か、それとも国民党か。この革命の指導権の問題で、毛主席に代表されるマルクス・レーニン主義路線と、陣独秀、王明、中国のフルシチョフに代表される日和見主義、修正主義の路線のあいだには、根本的な相違とするどい闘争が存在していた。

 毛主席はこう指摘している。「中国はブルジョア民主主義革命をさしせまって必要としているが、この革命はプロレタリア階級の指導がなければ達成できない」そしてさらに「プロレタリア階級をブルジョア階級に追随させるか、それともブルジョア階級をプロレタリア階級に追随させるか。中国革命を指導する責任というこの問題は革命の勝敗を決する鍵である」と指摘している。毛主席は中国革命を指導する過程で、一貫して、革命にとって鍵となるこの問題をしっかりととらえて、中国革命の指導権がプロレタリア階級と共産党の手にかたく握られるようにし、そうすることによって中国革命の勝利を保証した。

 しかし、中国のフルシチョフは革命の勝敗にかかわるこの鍵となる問題をめぐって、やっきになって偉大な毛沢東思想に反対した。かれは百方手をつくして中国革命にたいするプロレタリア階級と共産党の指導権を否定し、解消して、中国革命の指導権をブルジョア階級と国民党に引さ渡すよう主張した。

 はやくも第一次国内革命戦争の時期に、中国のフルシチョフは党内の右翼目和見主義の頭目陳独秀とまったく同様に、プワレタリア階級が革命を指導することに極力反対した。かれは中国の労働者階級を「幼稚だ」といって中傷し、中国の労働者階級は「本来から公徳心に欠けており」、「社会革命をおこなう実力をまだそなえていない」などとののしり、「中国の国民革命をにないうる政党」は、「中国国民党」以外にないとわめきたてた。

 抗日戦争の時期に、陳独秀の追随者であるこの中国のフルシチョフは、またも右翼日和見主義分子王明の相棒となった。かれは抗日民族統一戦線についての毛主席の輝かしい思想に気違いのように反対し、階級投降主義をさかんに実行して、共産党が統一戦線にたいする指導権を放棄しそれを国民党反動派に譲り渡すよう公然と要求した。

 中国共産党の指導がなければ、抗日民族統一戦線は存在しない。一九三七年五月、われわれの偉大な指導者毛主席は抗日民族統一戦線がまだ形成されていなかった時に、すでに「プロレタリア階級とその政党の政治的指導をはなれては、抗日民族統一戦線を樹立することも、平和と民主と抗戦の目的を実現することも、祖国を防衛することも、統一的な民主共和国を実現することもできない」と指摘している。国民党が中国共産党のうち出した抗日民族統一戦線の主張をやむなくうけいれたのち、一九三七年十一月、われわれの偉大な指導者毛主席は、党内にあらわれた投降主義の傾向にたいして、ふたたび全党の同志につぎのようにするどく指摘した。

 「統一戦線では、プロレタリア階級がブルジョア階級を指導するのか、それともブルジョア階級がプロレタリア階級を指導するのか。国民党が共産党をひきつけてゆくのか、それとも共産党が国民党をひきつけてゆくのか」、「一九二七年、陳独秀の投降主義は、当時の革命を失敗にみちびいた。共産党員はだれも、この歴史上の血の教訓をわすれてはならない」、「かならず『統一戦線における独立自主』の原則を実行し、投降主義または迎合主義を克服しなければならない。

 毛主席がここで批判している党内における段降主義の代表者は、悪名高い右翼目和見主義分子王明だけではなく、古株の右翼日和見主義分子である中国のフルシチョフをもさしている。

 一九四二年十月、つまり中国共産党第六期中央委員会第六回総会で王明の投降主義路線が清算されてから四年たったのちにも、中国のフルシチョフはあいかわらず投降主義路線を固持した。

 かれは『中国革命の戦略と戦術の問題』という報告のなかで、「三民主義の国民党は、大きな役割をはたす旗じるしである」とか、「蒋介石は抗戦・建国の指導者である」とか、国民党は、「抗日民族続一戦線のもっとも通俗的で、合法的な組織形態であり、もっとも望ましい、出来あいの形態である」とか、共産党は「大ブルジョア階級に指導される抗日統一戦線に参加する以外にない」とか、中国のすべての武装力は「いっそうかたく中央政府の統一的指導のもとに結集し」なければならないなどとさかんに宣伝した。

 共産党員のべールをまとったこの中国のフルシチョフからみれば、共産党は、国民党の付属品にすぎなかったのである。

 中国のフルシチョフは、革命の指導権を売り渡すその投降主義路線の「理論」的根拠をさがしもとめるために、歴史をねじまげることさえやってのけ、苦心さんたんして蒋介石の国民党を美化し、もちあげ、偉大な中国共産党を中傷した。

 かれは「大地主、大ブルジョア階級は革命を裏切ったが、国民党が革命を裏切るとはかぎらない」と考えていた。これは歴史への歪曲である。一九二七年の「四・一二」大虐殺を、革命にたいする国民党の裏切りといわないで、いったいなんというのか。蒋介石の国民党が共産党にたいして十年間も反革命的な「包囲・討伐」をおこなってきたというのに、きみはまだ裏切りが足りないとでもいうのか。

 中国のフルシチョフはまた、国民党は「ひじょうに大きな勢力をもっている。世界のいかなる政党もこれほど大きな権力をもっていない、とさえいえる。かれらは広範な政治権力をもち、数百万の武装力を擁し、中国人民のあいだにも、国際的にも合法的な地位にある」とがなりたてた。

 国民党が「数百万の軍隊を擁している」――これは事実である。しかし、毛主席がのべているように「三百万の兵力があると称しているが、実際には、ずでに士気が狙喪しきって、それをぶつかるとすぐこわれてしまう卵の山になぞらえる人もいる」のである。中国のフルシチョフは国民党の数百万にのぼる反革命武装力をまえにして、すっかり度肝を抜かれてしまった。

 国民党は「中国人民のあいだにも、国際的にも合法的な地位にある」――これはまぎれもなく国民党の召使のことばであり、偉大な中国人民にたいする侮辱である。国民党の支配下にいた中国人民は、国民党反動派の凶悪で残忍な本質をとっくのむかしから見ぬいていた。国民党が「合法」的な地位にあるということは、永遠に国民党支配下の奴隷になれと中国人民に要求するのにひとしいではないか。

 中国のフルシチョフは、共産党は「日本侵略者に反撃する勢力全体のなかでは、なんといってももっとも小さな部分にすぎず」、「決定的な勢力ではない」などと中傷しているが、これは歴史的事実にたいする悪どい歪曲であり、抗日戦争の支柱――中国非産党が指導する人民武装勢力にたいする恥知らずな中傷である。

 毛主席は、こう指摘している。一九三九年から一九四三年までの「数年間、国民党戦場では、実際上、はげしい戦争はなかった。日本侵略者の矛先は、主として、解放区にむけられた。一九四三年までは、解放区の軍民が中国侵略の日本軍の六四パーセントおよびかいらい軍の九五パー セントを迎えうち、国民党戦場がうけもっていたのは日本軍の三六バーセントおよびかいらい軍の五パーセントにすぎなかった。」中国のフルシチョフはすべての修正主義分子と同様に、革命勢力を一文の値うちもないものにえがき、反革命勢力をこのうえなく神秘的なものとしてもちあげている。

 中国のフルシチョフはいう。「現時点(一九四二年を指す)では、蒋一派はおそらく投降することはないだろう」、「多勢がそろって投降する危険はおそらくないであろう」、「蒋は最後まで抗戦を堅持するであろう」、「中国の全民族が最後の勝利をかちとるまで抗戦を堅持するうえで、蒋は手柄をたてた。」中国のフルシチョフからみれば、中国人民はまったく蒋介石に「記念碑」をたててやり、かれに「民族英雄」の称号を授けるべきだというのである!

 蒋介石はどんな「手柄」をたてたというのか。特介石は抗日には消極的で、日本の「平和使者」と気脈を通じあったが、共産党に反対し、共産堂を規制し、共産党を溶化させることには積極的で、その反共の声は全国土にあまねき、流血の惨事が続発し、多くの血が流された。いったい、これを投降といわずに「抗戦に功労があった」などとでもいうのか。蒋介石はファッショ的な一党独裁をおこない、内戦をもって抗戦に、投稿をもって独立に、分裂をもって団結に、暗黒をもって光明にすりかえた。いったい、蒋介石が投降・売国の張本人でなくて、反対に「最後まで抗戦を堅持した」「功臣」だとでもいうのか。まったく厚顔無恥もはなはだしい!

 中国のフルシチョフがさかんにまくしたてている戦略と戦術は、まったく共産党の指導を解消する戦略と戦術であり、国民覚の戦略と戦術であり、ブルジョア階級の反革命的な戦略と戦術である!

中国民主主義革命の指導思想は共産主義か、それともブルジョア民主主義か

 中国の新民主主義革命の指導思想はなにか?共産主義か、それともブルジョア民主主義か。

 これは党内における二つの路線の闘争の重要な内容である。この問題のうえでも、中国革命の指導権の問題と同様に、中国のフルシチョフは革命を裏切り、毛沢東思想に反対するかれの本質をすっかりさらけだした。

 われわれの偉大な指導者毛主席はつぎのように、明確に、きっぱりと指摘している。「中国の民主主義革命も、共産主義の指導がなければ、けっして成功できるものではないし、革命のつぎの段階についてはなおさらいうまでもない。

 ところが、中国のフルシチョフは『中国革命の戦略と戦術の問題』のなかで「わたしは、中国革命は国民党の三民主義という旗のもとでおこなうことができる。少なくとも民主主義革命の段階では、こうした方が他の旗をもちいるよりいっそう順調にいくと考える」といっている。

 「他の旗」とはなにか。それは共産主義の旗のことである。「三民主義の旗」とはなにか。それはブルジョア階級の旗のことである。中国のフルシチョフは、ブルジョア的性格をおびた民主主義革命はブルジョア思想の指導のもとにおこなうほかはないと考えているのである。

 ブルジョア民主主義は、一再ならず中国民主主義革命の指導思想とみなされてきたが、ことごとく失敗に終わった。

 「帝国主義の侵略は、西方から学ぼうとする中国人の夢をうちやぷった」、「現在の世界は共産主義を救いの星としている。現在の中国もまさにそうである」、「十月革命の砲声がわれわれにマルクス・レーニン主義をおくりとどけてくれた。」中国人民がマルクス・レーニン主義というどこにでもあてはまる普遍的真理をさがしあてたことによって、はじめて中国の姿は一新したのである。

 二十世紀の四十年代に、中国のフルシチョフはなおも必死になって、マルクス・レーニン主義に反対し、声をかぎりに西方に学べとわめきたて、ブルジョア民主主義をふりまいたが、これこうそかれがかけ値なしの、ブルジョア反動分子であることを如実に物語るものでなくてなんであろうか。

武装闘争か、それとも「議会の道」か

 プロレタリア階級が国家権力を奪取するにあたって、暴力革命の道を歩むか、それとも「議会闘争」の道を歩むかは、従来からマルクス・レーニン主義が修正主義にたいし、プロレタリア革命家がプロレタリア階級のあらゆる裏切り者にたいして、するどい闘争をおこなってきた重要な問題である。

 暴力革命はプロレタリア階級が国家権力を奪取するうえでの唯一の正しい道であり、プロレタリア革命の普遍的法則である。毛主席は暴力革命についてのマルクス・レーニン主義の原理にもとずいて、国際プロレタリア革命と中国のプロレタリア階級が指導する人民民主主義革命の経験を総括して、「鉄砲から国家権力が生まれる」という有名な命題を提起し、マルクス・レーニン主義の暴力革命の学説を創造的に発展させた。

 一九三八年、毛主席は中国共産党第六期中央委員会第六回総会でのべた結論のなかで、「帝国主義時代の階級闘争の経験は、労働者階級と勤労大衆が武装したブルジョア階級ど地主にうち勝つには、鉄砲のカによるほかはないことをわれわれに教えている。この意味から、世界全体を改造するには鉄砲によるほかはない、ということができる」といっている。

 一九三九年、毛主席はその著作『「共産党人」発刊のことば』のなかで全党にこういましめている。「中国では、武装闘争を離れては、プロレタリア階級の地位はなく、人民の地位はなく、共産党の地位はなく、革命の勝利はない。十八年らい、わが党の発展、強化およびボルシェビキ化は、革命戦争のなかですすめられており、武装闘争なしには、こんにちの共産党もありえない。血をもってあがなわれたこの経験を、全党の同志はわすれてはならない。

 ところが、中国のフルシチョフは武装闘争の問題で、狂気のように毛沢東思想に反対した。かれは『中国革命の戦略と戦術の問題』という報告のなかで「われわれの隊列のなかには、鉄砲を何挺かもっていろということで、有頂天になり、『天下を取る』ことができる、と思いこんでいる同志が少なからずいる」といっている。

 鉄砲を握るということは、中国人民が血をもってあがなった経験である。革命的人民は、「天下を取る」には、鉄砲によるほかはないと考えている。いったいこれは客観的な真理ではなくて、罪悪だとでもいうのか。

 中国のフルシチョフは鉄砲で「天下を取る」ことに反対している。かれは二十世紀の四十年代に、レーニンによって完膚なきまでに批判された第二インターの古株の修正主義者のところからひろってきた「議会の道」を、「天下を取る」ための「宝器」とみなした。

 抗日戦争の勝利のあと、蒋介石国民党はアメリカ帝国主義の後押しのもとに、積極的に内戦の準備をすすめた。にもかかわらず、おりもおり、内戦勃発の前夜である一九四六年のはじめに中国のフルシチョフは「平和と民主主義の新しい段階」という体系だった謬論をうち出した。

 かれはいう。「もう内戦を経ずして民主主義革命を成功させることができるかも知れない。憲法を通じ、議会を成立させることによって基本的な成功をかちとるのである」、「中国革命の主な闘争形態はすでに平和的で、議会的なものに変わり、闘争は合法的な大衆闘争と議会闘争である」、「新しい情勢に適応するため、非武装闘争を主とするように、党のすべての活動を転換させなければならず、われわれのすべての組織を変えなければならない」、「すべての政治問題は平和的に解決しなければならず、これから党の発展は、われわれの党が合法的な大衆闘争連動をおこないうることに依拠しなければならない」、「われわれは鉄砲で北東、天津に攻め入ろことはできなかったが、もしも議会闘争をうまくやれば、選挙の票によってはいっていくことができる」と。

 鉄砲で「天下を取る」のか、それとも選挙の票で「天下を取る」のか――これは二つの根本的に対立する道である。前者はマルクス・レーニン主義の道、革命の道、勝利の道であり、これはわれわれの偉大な指導者毛主席が主張し、堅持してきた道である。それにたいし、後者は修正主義の道、投降の道、敗北の道であり、これは陳独秀、王明や中国のフルシチョフらの手合が主張し固持してきた道である。

 レーニンは、暴力革命に反対し、議会の道を主張する第二インターの修正主義者を批判して、「プロレタリア階級は、ブルジョア階級の圧制のもとで、賃金奴隷制の圧迫のもとでおこなわれる投票で、まずもって多数を獲得してから、はじめて権力を獲得するようにしなければならない、などと考えることは、ならす者か、ばか者でなければやれないことである。これは、愚鈍でなければ偽善の骨頂である。これは、階級闘争と革命を、旧制度のもとでの、旧権力のもとでの投票に代えることである」と指摘している。歴史が物語っているように、中国のフルシチョフは愚鈍の骨頂のばか者ではなくて、偽善の骨頂の「ならず者」である。

 中国のフルシチョフは「議会きちがい」であるばかりでなく、「役人きちがい」でもあった。

 かれは、したり顔で「わが党が政府委員会、各院、各部、省政府の各級機開にくわわれば、われわれは政府与党のひとつとなり、在野の党ではなく、在朝の党となる。一部の人びとは、官職につき、中央政府の役人になる」とのべ、さらに「われわれが政府に加われば、アメリカが貸してくれる二十万ドルもころがりこんでくる」とのべている。役人にもなれるし、ふところも暖かくなる――中国のフルシチョフの目には、これはまことに「もうけのある」商売だとうつったのである!

  共産党が国民党政府のもとで「合法」的な地位をかちとり、国民党政府内で、役人になるにはなにか条件がともなわないのか。ともなう! その案件とはほかでもなく蒋介石がいつもいっているように、「共産党は軍隊を引き渡して、はじめて合法的な地位がえられる」ということである。中国のフルシチョフは、特介石の命ずるところならなんでもきき、よろしい、よろしい!とたてつづけに答える。「われわれの軍隊は国軍、国防軍、保安隊、自衛隊となり、わが軍の支部、党委員会、政治委員は解消して、軍隊では党の組織を解消する」「それぞれの党は軍隊にたいする直接の指導と指揮をやめて、それを国防部に統一させる」――これがかれの答えだ。

 中国のフルシチョフは自分が国民党政府内でなんらかの官職にありつくため、当時中国共産党の指導する百二十万の軍隊と二百万の民兵武装力を、のこらず国民党に引き渡そうとした。中国人民の利益を大がかりにたたきうりするこうした行為は、なんと悪辣なことか!

 中国人民が二十余年にわたる残酷な闘争のなかで築きあげた軍隊と武装力は、革命的人民の命のつなである。

 われわれの偉大な指導者毛主席は、中国の広範な人民を代表して「人民の武装力は、たとえ一挺の銃、一発の弾丸でも保持しなければならずぜったいに引き渡すことはできない」とおごそかに宣言した。こうして、中国のフルシチョフの皮算用は破綻してしまった。

 人民の武装力をのこらず国民党に引き渡そうとした中国のフルシチョフの投降主義的行動は、けっして孤立した出来事ではなく、それは国際的投降主義思潮の中国の党内における反映である。第二次世界大戦の時から戦後にかけて、米英仏とソ連とのあいだに、いくつかの国際問題のうえで妥協がおこなわれた。それにともなって、プラウダー、トレース、トリアッチなど、プロレタリア階級の裏切り者どもは、国際共産主義運動のなかで、やっきになって投降主義の思潮をまきちらし、投降主義の路線をおしすすめた。

 われわれの偉大な指導者毛主席は確固として、洪水のように氾濫する反動的な逆流をくいとめ、こうした国際的投降主義思潮にするどい批判を浴びせた。毛主席は一九四六年四月にまとめあげた『当面の国際情勢についてのいくつかの評価』のなかで「米英仏とソ連とのあいだのこうした妥協は、全世界のすべての民主勢力が米英仏の反動勢力にたいして、だんことした効果的な闘争をおこなう結果としてのみ得られるものである。こうした妥協は、けっして、資本主義世界の各国人民に、これにならって国内でも妥協せよと要求するものではない。各国の人民はやはり、異なった状況に応じて異なった闘争をおこなうであろう。反動勢力が人民の民主勢力にたいしてとる原則は、消滅できるものはかならず消滅する、まだしばらくのあいだ消滅できないものは将来消滅するようにする、ということである。こうした状況に直面しては、人民の民主勢力も、反動勢カにたいして同様の原則をとらなければならない」と指摘している。これは各国人民の革命闘争を指導する、永遠にさんぜんと輝く根本原則である!

 フランス共産党とイタリア共産党の頭目は武装力を引き渡したが、その結果、ブルジョア階級に簡単に足蹴にされてしまった。軍隊を引き渡したために、「合法」的地位も解消されてしまった。プロレタリア階級とその他の勤労人民が反ファッショ戦争のなかでおさめた勝利の成果も、ブルジョア階級によってすっかりかすめとられてしまった。そして、このニつの共産党の指導部も、その時から修正主義グループに変わりはててしまったのである。

 中国のフルシチョフが鼓吹する「平和と民主主義の新しい段階」とやらは、まぎれもなく、党をほろぼし、人民を犠牲にする「新しい段階」へと中国革命を押しやるものであることは、火を見るよりあきらかである。

国民党のファッショ独裁に反対するのか、それとも抗日根拠地の民主政権に反対するのか

 革命の根本間題は、国家権力の問題である。民主主義革命の時期における中国共産党の戦略と戦術の焦点は、国民党のファッショ独裁をくつがえして、プロレタリア階級に指導され、労農同盟を基礎とする革命的諸階級の連合独裁を樹立することにほかならなかった。これはわれわれの偉大な指導者毛主席をはじめとする党中央の、中国における新民主主義革命についての基本綱領であった。中国のフルシチョフの反革命的な戦略と戦術の焦点は、国民党の大地主と大ブルジョア階級による独裁を守り、プロレタリア階級に指導され、労農同盟を基礎とする革命的諸階級の連合独裁の樹立に反対することにほかならなかった。

 民主主義革命の過程において、二つの政権が長期にわたって存在してきた。ひとつは蒋介石国民党のファッショ独裁であり、もうひとつは共産党の指導する根拠地における革命的諸階級の連合独裁である。特介石国民党の反動政権と根拠地の人民民主主義政権にどのように対処するかは、真の革命家か、それともニセの革命家、反革命家かを検証する試金石であった。

 抗日戦争の時期に、われわれの偉大な指導者毛主席は中国人民を指導して、抗日根拠地の民主主義政権を発展させ、うち固め、国民党の大地主、大ブルジョア階級の独裁に反対するため、ひじょうに困難で苦しい闘争をおこなった。毛主席は国民党のファッショ独裁に対決して「一党独裁を廃止し、民主主義の政治を実行する」という偉大な戦略的方針をうち出した。

 毛主席はさらに、陝西・廿粛・寧夏辺区を解消するという、蒋介石国民党の反革命的な叫び声をきびしく糾弾して「陝西・廿粛・寧夏辺区は全国でもっとも進歩した地方で、ここは民主的な抗日根拠地である」、「辺区を解消するのではなくて、全国が辺区に学ぶべきである」とのべている。

 ところが、中国のフルシチョフは、蒋介石国民党の「一党独裁」を熱狂的にあおりたて、それに声援をおくったばかりでなく、「根拠地内にある政権機構を徹底的に改革すべきだ」などとおおっぴらにわめきたてた。

 かれはいう。「根拠地内の政権機構の改造とは、何人かの人をいれかえるだけではなく、政権機構のさまざまな制度も改革することであり、国体や政体を改革することである」と。

 毛主席はその著書――『新民主主義論』のなかでこう指摘している。国体という問題は、とりもなおさず、「社会の諸階級が国家のなかでしめる地位」のことをさしている。「『政体』という問題があるが、それは政権構成の形態の問題をさし、一定の社会階級が、敵に反対して自分をまもるための政権機関を組織するのにどんな形態をとるかということをさしている。」国体と政体は、国家のさまざまな制度のなかでもっとも根本的な制度である。

 われわれの抗日根拠地の政権は、抗日民族統一戦緯の政権であり、三三制の政権であった。一九四○年三月六日、毛主席は党中央のために書いた、党内指示のなかで「抗日民族統一戦線政権の原則にもとずいて、人員配分では、共産党員が三分の一をしめ、党外の左派の進歩的な人びとが三分の一をしめ、左でも右でもない中間派が三分の一をしめるようにきめるぺきである」と指摘した。当時毛主席はさらに「政権のなかで共産党員が指導的地位をしめるよう保障しなければならない」と強く指摘している。ここで、共産党員が人員配分で三分の一をしめ、政権のなかで指導的地位をしめるようにきめていることは、もっとも根本的で、もっとも重要なことであり、それは抗日根拠地における民主主義政権の目じるしであり、たましいである。

 中国のフルシチョフのいう、根誕地における政権の国体と政体の改革とは、とりもなおさず、革命的な「三三制」に反対し、それを解消することであり、また党の指導に反対し、それを解消することである。かれはきわめて悪意のある態度でこういっている――三三制は法的な規定ではない。したがって、いかなる法律にも、三三制について規定をもうけてはならない」、「われわれはいかなる政府機関においても、共産党員が三分の一をしめるようにきめるべきだ、と要求する権利をもっていない」、「それと同様に、法律的にも、政府内でのいかなる人の優位や、その指導的地位もきめることはできない」と。かれはさらに「政府内での共産党員の指導的地位は、合法的闘争によってそれを保ち、うち固めるほかはない」と主張している。

 これはまったく、共産党の指導を解消する裏切り者の論理である。

 自分の指導する政府のなかで合法闘争を習得せよと共産党員に要求する中国のフルシチョフの奇怪な論調は、われわれの抗日根拠地の民主主義政権をブルジョア議会制につくりかえようとするかれの罪悪な魂胆を、あらいざらいさらけだしたものである。中国のフルシチョフは、国民党政府のなかで議会闘争をおこなうよう共産党員に要求するだけではなく自分の指導する政府のなかでも議会闘争をおこなわなければならないというのである。これはなんとデタラメなことか!

 中国のフルシチョフがさかんに鼓吹している「根拠地内での攻椎機構の徹底的な改革」という謬論は、まったく蒋介石国民党の「一党独裁」の必要にもとずき、抗日民主主義政権の性質を根本から変えて、それを蒋介石のもとに、国民堂の大地主、大ブルジョア階級の独裁のもとに統一させるためのものであった。かれ自身がいっていることをみてみよう。

 かれはいう。「抗日民主主義政権は、地方政府にすぎない。それは中央政府に属し、中央政府の指導をうけ、また中央政府の法令を実施すべきである」と。中国のフルシチョフは国民党の中央政府を「大皇帝」とあおぎ、自分は「小皇帝」になることに甘んじているが、これこそ、中国のフルシチョフがわが党内にまぎれこんだ大地主、大ブルジョア階級の代理人であることを暴露するものにほかならない。

 「小皇帝」になることから「小臣民」になること――これこそ民主主義革命の時期における中国のフルシチョフの基本的思想であり、また、これこそ中国のフルシチョフの「中国革命の戦略と戦術」とやらの実質であり、核心なのである。

 共産党の指導を解消して、民主主義革命の指導権をブルジョア階級の国民党にうやうやしくささげ渡すことから、マルクス・レーニン主義と共産主義に反対し、時代おくれの反動的なブルジョア民主主義を宣伝すること、武装闘争に反対し、「議会の道」を鼓吹すること、そしてまた国民党の{覚独裁を守り、根拠地の民主主義政権に反対すること――これこそ、中国のフルシチョフの「中国革命の戦略と戦術」とやらにほかならない。これはわれわれの偉大な指導者毛主席がさだめた新民主主義革命の総路線と根本的に対立するものである。これこそまぎれもないブルジョア階級の反革命的戦略と戦術である! これこそかけ値なしの反革命修正主義路線である!

 中国のフルシチョフは、現代における世界最大の反革命修正主義分子である!

(『人民日報』1967年11月14日)

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