『矛盾論』を学んだ積みおろし労働者

天津交通局トラック運輸二場積みおろし隊


 わたしらの積みおろし隊では去年の十一月から哲学を学びはじめた。はじめは十数人しかいなかったが、いまでは八百人あまりの隊員がのこらず学習している。みんな毛主席の哲学思想を学ぶ喜びを知って、ますます熱心に学ぶようになっている。

 わたしら哲学学習小組のものは平均年齢が五十歳前後で、ほとんどが古い社会の苦しみをなめつくした生えぬきの労働者だ。だから、字の読めないものが七割をしめ、まともに学校へいったのは、中学にいった青年が一人いるだけだ。毎日シャベルが相手の、手も足もごつごつした積みおろし労働者のわたしらは、いぜんは哲学の学習はおろか、哲学という言葉さえ間いたこともなかった。

 そうしたわたしたちがどうして哲学を学ぼうと思いたったのか。

 わたしたちは毎日、たくさんの矛盾にぶつかる。指導するものと指導される者との矛盾、あの人とこの人との矛盾、学習と生産との矛盾等々。矛盾はいつでもどこにでもあるが、ときにはその処理がどうしてもうまくいかない。とりわけ班長や組長、指導的な中核などは、処理の方法がなかなかみつからず、活動を大胆にやれないことを痛感していた。ちょうどそうしたとき、指導小組の周漢岐さんは、上海の労働者と天津の李長茂さんが書いた毛主席の哲学著作の活字活用についての論文が、雑誌『紅旗』に発表されたのを読んで、ひじょうに啓発された。そこで周さんは、労働者の哲学学習を組織するように指導小組に提案した。うちの隊の指導小組のものもみんな労働者で、同じように読み書きの素養がない。労働者の哲学学習を組織しようと言われて、「哲学とはどんなもんかさえわしらにはわからんのに、どうやって学習を組織するのかね!」と言うものもあれば、「あんなものは文化水準の高い幹部がやるもんだよ」と言うものもいた。周漢岐さんは『紅旗』の論文を紹介して、この論文をかいた人たちは労働者でもちやんと学習できたのに、わたしらはどうしてやれないのかね、と言った。それ もそうだとみんなが思った。だがどんな風に組織してどう学習すれば良いのか、誰も見当がつかなかった。

 翌日、指導小組の同志たちが古参の労働者数人をたずねて話してみたところ、みんなひじょうに熱心なのだ。毛主席の書物はみんなおれたち労働者のために書かれたものだ。李長茂さんは文化水準が低くてもりっぱに哲学を学び活用できたのに、おれたち積みおろし労勤者だってやれないわけはない、と言う。指導小組では、みんなが哲学を学ぼうとする強い意欲をもっているのを見て、すぐさまやることにした。さっそく手筈をととのえ、まず『矛盾論』を学習した。ところが、はじめてみるとみんなはわからない言葉を山ほど出す。哲学とは何か、形而上学、宇宙観、法則等々、誰も解釈できない。「にっちもさっちもいかなくなるより、早く打ち出し太鼓をならしたほうがましだよ」と言い出す者もあった。

 どうするか。みんなでいっしょに研究した結果、最大の問題は、実際をはなれて言葉にだけこだわって、邪道にふみこんでいることだと気がついた。理論は実践のなかからくるものだから、実践とはなれては、学びとることも、運用することもできるわけがない。われわれは、言葉だけにとらわれ概念をひねくる方法をうち破って、実際に結びつけて学び、哲学の重要な観点を一つでも二つでも学びとって、われわれの活動と思想のなかにある問題を解決しなければならないのだ。「あやまりはしばしば正しいものの先達となる」。研究してみて、われわれは、いぜんよりしっかりした見通しがもてるようになった。

 こうして去年のはじめ、第一回目の学習をおこなった。第一に学んだのは、矛盾の普遍性であった。

 毛主席は、「矛盾をふくまない事物は一つもなく、矛盾がなければ世界はない」と、教えている。

 毛主席の教えをわれわれの実際に結びつけてみると、われわれの仕事には多くの矛盾があることに気がついた。積みおろしの質と量との矛盾、積みおろし労働者と運転手との矛盾等々、そしてまた、先進的なものとおくれたものとの矛盾、指導するものと指導されるものとの矛盾などがある。家庭生活のなかにもやはり矛盾がある。こうしてみんな目がひらけてきた。おれたちは一日じゅう矛盾とつき合っているわけだな、毛主席はまるでおれたちの積みおろし隊に来たことがあるようだ、毛主席の哲学にのべてあるのはおれたち労働者のことだ、こんな哲学ならおれたちにもよくわかると、みんなが言った。

 われわれ労働者は、わかったとなるとすぐに応用し、たちまち効果をあげることができる。十五班の王福来小組は、いぜん銅屑をはこぶ仕事のあと、後しまつをやろうとしなかった。のちに銅が重要な物資であることを知って、自発的に地面やトラックの上にこぼれている銅屑をはき集めて梱包し、荷主に送りとどけた。そして表賞された。いぜんであれば、ほめ言葉を聞けばそれでおわりだった。ところがこんどは違っていた。王福来は、何事にも矛盾がある、ほめられはしたが矛盾はないだろうかと考えた。そこでみんなの先頭にたって不備な点はないか、矛盾はないか調べ、今後は荷の積みおろしには必ず「地面をきれいに車も清掃」をやり通すことを提案した。

 第二に学んだのは、主要な矛盾をつかむことである。

 毛主席はこう教えている。「どのような過程を研究するにも、それがニつ以上の矛盾の存在する複雑な過程であるならば、全力をあげてその主要な矛盾をみいださなければならない。その主要な矛盾をつかめぱ、すべての問題はたやすく解決できる」。

 こんどの学習では、思想的な面や学習の面、闘争・批判・改革の連動や生産のなかにあらわれた矛盾をみんなでならべあげた。矛盾をならべあげるのは、矛盾を解決するためである。矛盾の解決は、十把ひとからげというわけにはいかず、主要なもの、要となるものを見つけ出さなければならない。主要な矛盾をつかむのは、そう簡単なことではなく、表にあらわれた雑多な現象にかくれてすぐには見いだせないこともある。わが隊の当面の生産にとって、主要な矛盾は何だろうか。表面から見れば積みおろしの質と量の問題だが、その裏にあるものは、「公」と「私」との矛盾である。この問題を解決するには、根本をつかまなければならず、毛沢東思想の活字活用に力を人れなければならない。

 わたしたちは主要な矛盾をつかむことを学んで、多くの問題を解決した。古参労働者の宋志江は、学習して帰るとさっそく班の人たちと、矛盾をならべあげてみた。この班はわりに年かさのものが多く、若いものが少ない。若い者は、年かさの者があまり力仕事をしないといって不満をもち、年かさの者は、若いものがあらさがしばかりすると言う。みんな心のなかにわだかまりがあるので、仕事へのとりくみにも熱がはいらなかった。こんなに多い矛盾をどうやって解決するのか、どこから手をつければ良いのか。彼は、班の全員が固結して革命と生産をりっぱにやるようにするには、根本をつかみ、毛沢東思想によってみんなの自覚を高めるほかはないと思った。これこそ主要な矛盾であり、この問題が解決すれば、ほかのことはうまくゆくと考えたのだ。そこで、まず自分が手本を示そうと思って、積極的に学習に参加し、昔の苦しみを思い今日の幸福を語り合うとともに、みんなで腹の底をうちあげて語り合うことをすすめ、すすんで私心とたたかい修正主義を批判した。こうして、正しい気風が生まれ、班ぜんたいの面目が一新した。

 三番目に、われわれは矛盾の主要な側面について学んだ。

 毛主席はつぎのように教えている。「矛盾する二つの側面のうち、かならずその一方が主要な側面で、他方が副次的な側面である。主要な側面とは、矛盾のなかで主導的な作用をおこす側面のことである。事物の性質は、主として支配的地位をしめる矛盾の主要な側面によって規定される」。

 矛盾の主要な側面を見つけ出そうと思うならば、具体的な分析をすすめなければならない。運送の仕事にあらわれた積載量超過の問題では、運転手と積みおろし労働者とのどちらが矛盾の主要な側面なのか。多くの小組で討議した結果、おもなものはわれわれ積みおろしの側にあるとみんなが言った。積載量をオーバーするのは、早く退勤したいために、七トン積みと知っていながら無理に十一トンもつみこみ、トラックに大きな損害をあたえていたことがある。この問題を解決するには、わたしたちは私心とたたかわなければならない。

 指導小組の唐士民同志は、矛盾の主要な側面をしっかりつかまなければならないという観点を学んでのち、自分の仕事と結びつけて、民兵に参加しないある青年の問題を解決した。もともとこの青年は熱心に民兵参加を申し込んだのだが、隊の不注意で彼の名前を名簿に書きもらした。この青年はこれをひどく不満に思っていた。のちに民兵の編成替えをすることになり、多くの労働者が参加を申し込んだが、こんどはこの青年は申し込まなかった。ある会の席上、唐さんは名前こそ出さなかったがこの青年のことを批判したので、この青年はますます反抗的になった。唐さんはこんど学習してよく考えてみた。自分とこの青年は、一対の矛盾だが、主要な側面となっているのは自分だ。彼がなぜ申し込まないのかその原因を調べもしないで、すぐに批判したのだから、うまくことが運ぶわけがない。唐さんはそう気がつくと、すぐにこの青年をたずねて膝つき合わせて話し合い、自分の欠点を反省した。この青年はそれを聞いてひじょうに感動し、すぐに民兵参加を申し込んだ。

 四番目に、わたしたちは人間の主観的能動性を発揮することについて学んだ。

 主要な矛盾と矛盾の主要な側面をみつけ出しても、問題を解決したことにはならない。矛盾を革命に有利な方へ転化させるには、人間の主観的能動性を十分に発揮させなければならない。毛主席はこう教えている。「マルクス主義の哲学が非常に重要だと考えている問題は、客観世界の法則性がわかることによって、世界を説明できるという点にあるのではなく、この客観的法則性にたいする認識をつかって、能動的に世界を改造する点にある」。革命は人間がやるものであり、労働者階級の天下は人間がたたかいとったものである。毛沢東思想の光にみちびかれて、われわれ労働者階級が革命の意気込みを発揮するならば、どのような敵にもうち勝つことができ、どのような困難も克服できるのである。

 去年の十二月、社会主義革命競争のさいちゅうに、二十四班の九人の同志と第四車両隊のトラック一台で、運送戦闘小組を組織した。任務はある精油工場から東郊外の化学工場に二十八トンの油を運ぶのだった。一台が一往復すれば良いので、おそくとも昼までには完成できるはずだった。ところが車が工場に着いて油をおろしおわったとき、この工場の変圧器が突然こわれて、このままだとタンクに十数はいの油がぜんぶだめになるという話を聞いた。この現場に直面して、みんな矢も楯もたまらなくなった。もどって二回日の油をはこび「自分」の任務を完成するか、それともこの工場の変圧器交換を手つだうか。「われわれはこの工場の労働者ではないが、国家の財産が損失をこうむるのを手をこまぬいて見すごすわけにはいかない」とみんなは日々に言った。そしてすぐさま化学工場の労働者とともに肌をさすような寒風をものともせず、緊急措置をとった。クレーンがなければ何人かでチェーンブロックをつかってまにあわせ、テコがなければショベルの柄をかわりに使った。人びとの能動性があますところなく発揮されたので、一時間あまりの奮闘によって、ついに変圧器をとりかえることができ 、化学工場の重要な任務を保証できた。化学工場側から感謝の言葉がのべられたとき、彼らは「革命のためだからみんな自分たちの仕事ですよ。わたしたちはみな毛主席に感謝すべきでしょう」と言った。

 いぜんブルジョア階級の且那がたは、文化的教養がなければ哲学を学ぶことはできないなどといった。これはまったくのおどかしで、われわれはけっしてこんなでたらめにはひっかからな。毛主席は、プロレタリア階級の哲学にはきわだった特徴が二つあり、その一つは階級性であり、もう一つは実践性であると指摘している。われわれ労働者、なかでも古参労働者は、解放前には搾取され圧迫されていた。そして解放後は国の主人公となった。われわれ労働者階級こそ毛主席に対し、共産党に対してもっとも深い感情をもっている。これこそわれわれが毛主席の哲学思想を学びとるうえでの、もっとも有利な条件である。またわれわれ労働者はいつでも、三大革命闘争の第一線にいるので、哲学を学ぶ資格をいちばんそなえており、哲学をりっぱに学びとることができる。あくまで理論と実際を結びつけ、問題をもって学び、活字活用しさえすれば、かならず毛主席の哲学思想を身につけることができるのである。

(「人民日報」1970年4月11日)

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