1969年3月16日付北京放送報道

(1969年3月16日)


 三月十五日早朝四時頃からソ修反徒集団は相前後して戦車、装甲車数十台と多数の武装部隊を出動させ、凍ったウスリー川の主要水路を越えて中国領土珍宝烏地区に侵入しはじめ、島の中部、南端およぴ西側の中国側水路まてやって来ると、島でパトロール住務についていた中国国境部隊に対し、きちがいじみた挑発を行なってきた。

 中国国境部隊は侵入してきたソ修武装部隊に厳重警告を発し、中国領から直ちに撤退するよう要求した。ソ修武装部隊は中国国境部隊の厳重警告を無視して、八時頃先に中国国境部隊に銃砲を浴びせてきた。中国国境部隊は奮起して自衛に立ち上がり、侵入してきた挑発者に対し痛烈な反撃を加えた。

 ソ修武装部隊は中国側の手痛い打撃のもとに、午後一時頃、こともあろうにウスリー川東岸のソ連領内縦深地区から重砲で中国の珍宝島とウスリー川の中国側河岸に向かってきちがいじみた砲撃を加え、砲撃は中国領内上キロ以上の射程に及んだ。これと同時にソ修武装部隊は戦車、装甲車の援護のもとに、中国の珍宝島のパトロール部隊に何回も突撃してきた。中国国境部隊はだんこ反撃し、午後七時すぎまでに侵入者を全部追い払い、偉大な社会主義の祖国の神聖な領土を勝利のうちに守り抜いた。

 珍宝島は中国の領土である。三月十五日の重大な流血事件は完全にソ修反徒集団が一手に作り出したものである。中国外交部は、緊急な強い抗議を提出するため三月十五日午後四時半、中国駐在ソ連大使館臨時代理大使に緊急会見を申し入れたが、中国駐在ソ連大使館臨時代理大使はこともあろうに道理もなくこれを拒絶した。それから数時間後にソ連政府はあたふたといわゆる「抗議声明」なるものを発表した。そしていかにももっともらしく「ソ連政府はいま衝突を避けるためのあらゆる措置をとりつつある」という一方、また珍宝島は「ソ連領土の不可分の一部である」などといいはっている。

 ソ修反徒集団は珍宝島がソ連の領土であることを証明する根拠を何ひとつ提出することができない。ソ修反徒集団は一八六○年の「中露北京条約」がこの区間の中露国境はウスリー川を境界とすると明確に規定していること、そして公認の国際法の準則によると、航行できる河川を境界とする場合は、いずれも主要航路の中心線を境界とするとともに、これによって島の帰属をきめるということに触れるのをおそれている。珍宝島はウスリー州主要航路中心線の中国側に位置し、もとから中国の管轄に属し、中国の領土に属することは争う余地のないことである。

 ソ修反徒集団は全く道理を無視して、中国の領土をソ連の領土だなとと言い張り、平和を求めているかのような素振りをしている。これは見せかけの平和、真の侵略であり、ソ修社会帝国主義の強盗の論理であり米帝と結託し、きちがいじみた反中国を進め、あくまでも人民を敵とするソ修反徒集団のオオカミのような姿のいま一度の大暴露である。

 われわれの偉大な指導者毛主席は、のぼせあがっている反動のやからに早くから次のように警告している。「われわれはやはり火遊びをしている連中が、あまりのぼせあがらないよう希望する。われわれは彼らに正式に警告する。少しは慎んだほうがよかろう。このような火は面自半分に遊べるものではない。自身の首に気をつけたまえ」。ソ修反徒集団がこのように極めて悪らつな反中国活動を行なっている以上、中国人民は必ず真剣にこれに対処する。

 ソ修反徒集団はそのすべての隣国をあなどり、大っぴらに出兵してチェコスロバキアを占領し、いままたその侵略の魔の手を社会主義の中国に伸ばしている。彼らは米帝と結託して軍拡と戦争準備をすすめ、各国人民の革命運動を鎮圧して全世界を分割しようと夢みている。侵略に反対する全世界のすべての人民は団結して米帝を打倒し、ソ修を打倒し、新しいツアーを打倒するであろう。


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