1969年3月13日付北京放送

(1969年3月13日北京放送)


 ソ連修正主義を糾弾するすさまじい勢いの強大なデモ運動は、ここ二日ソ連修正主義裏切り者集団が恥知らずの反中国挑発行動に出たため新しい高まりに達した。ソ連修正主義集団のファッショ暴行を糾弾する何億もの軍民の燃えたざる怒りの炎は、祖国の広大な大地にいよいよ猛烈に燃えあがった。

 全国の都市、農村は至るところ新ツアーを糾弾する戦場となり、敵をすっぽり沈めてしまう果てしない大洋となった。一部の地方では夜となく昼となく革命大衆と解放軍のデモ行進がくりひろげられている。

 十一、十二の二日だけでまたも二億近くの軍民が町に出てデモ行進をし、抗議集会を開いた。それまでの数日分を加えれば、全国のデモに参加した軍民は統計給計延べ四億人以上で空前の大きな規模に達した。これは毛沢東思想で武装した中国人民が天下無敵で、いかなる力をもってしても打ち勝つことができないことを十分に明示したものである。

 国境の守り、海の守りの前哨についている人民解放軍は、毛主席の、「相手が犯して来ればこちらも犯す。相手が犯さなければこちらも犯さない」という偉大な教えにしたがって、戦備を強化し、革命の警戒心を高め、手中の銃を堅く握りしめて、いつかなるときてもソ連修正主義裏切り者集団の挑発、侵略に真向からの痛撃を加える用意をととのえている。または敵重警戒態勢をとっている全国何億もの軍民は、再びソ連修正主義裏切り者集団に「もしもきみたちがあえて侵犯を続けるなら、必ず七億中国人民の鉄拳にさんざんにたたきのめされ、骨も粉々に砕けるであろう」ときびしく警告している。

 十二日、首都北京の数十万の軍民は引き続き糾弾集会とデモを行なって、ソ連修正主義反徒集団が中国人民に犯した新しい大罪に強く抗議した。首都軍民は胸いっぱい怒りをこめて、ぞくぞくと街頭に出、反修路のソ連大使館付近に集まり、糾弾大会を開き、席上それぞれソ連修正主義の大罪に痛撃を与えた。

 ソ連修正主義を糾弾するすさまじい勢いの強大なデモ運動は、こここうした集会とデモは天津、虎林、内豪古、長春、湖南、南寧、旅大青島、合肥、鄭州、山西、寧夏などても行なわれた。


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