婦人の地位と役割


 婦人は「天の半分をささえる」ことができる!これはいま中国人民の間でよく口にされる言葉である。

 中国の広はんな婦人は、男子と同じように、半封建・半植民地だったふるい中国を、初歩的に繁栄する社会主義国にきずきあげるうえで、その役割をはたしている。

 中国では婦人が人口の半ばを占めている。中国における民族民主革命と社会主義革命の各歴史的段階で、革命戦争とさまざまな形の間色のなかで、すぐれた婦人幹部が多数誕生した。一九三四年から一九三五年にかけておこなわれた、世界にその名を知られる中国労農赤軍の二万五千華里におよぶ長征の隊列の中にも、進歩的な婦人が多数くわわっていた。

 新中国が誕生してから、中国共産党と人民政府に養成され、その暖かい配慮のもとに、多くの婦人幹部がたくましく成長した。今日の社会主義革命と社会主義建設の各分野では、すぐれた活動能力と才能をもつ婦人が多数あらわれているが、こんな例はかってないことである。多くのすくれた婦人が中国共産党に入党している。一九七三年にひらかれた中国共産党第十回全国代表大会の代表の中には婦人が二○パーセントをしめ、第十期中央委員会の委員および委員候補の中には婦人が一一パーセントを占めている。

 いま、わが国の党と政府の中央指導機関から地方の機関、工場、人民公社、商店、学校のすべての部門で、多くのすぐれた婦人が指導的地位についている。プロレタリア文化大革命の中で、大衆を団結して勇敢に修正主義とたたかった紡績工場の婦人労働者呉桂賢さんは、いまでは中国共産党中央政治局委員候補である。中国共産党中央委員会の婦人委員の中には、プレス工から成長した労働者出の技師尉鳳英さん、もと食料品店の店員だった李素文さん、チベットの解放された農奴ハサンさん、牧畜区の先進的部門の蒙古族婦人幹部パォジレタィさん、農・山村におもむいて社会主義の新しい村づくりに逆進する女子知識青年呂玉繭さんと那燕子さんなどがいる。また、民用航空総局副政治委員・婦人飛行士の諸恵方さん、先進的な婦人紡績労働者楊披蘭さん、溶接工の高淑蘭さんたちはいずれも中国共産党中央委員会委員候補である。

 解放前の中国では、働く婦人はひどい苦しみをなめていた。かの女たちは、男子と同じように、帝国主義と国内反動派の支配のもとで、抑圧され、搾取されていただけでなく、二千年あまりにおよぴ、「男尊女卑」という孔孟の思想によって迫害されてきた。かの女たちは、政治活動と社会活動に参有する権利を剥奪されていたばかりでなく、生産労働にたずさわる権利さえも割亡奪されていた。家庭では族権、夫権の支配のもとでさげすまれ、婚姻は父母によってとりきめられ、婦人は商品のように売買されていた。

 働く婦人がこうむっていた抑圧は、まず階級的な抑圧であり、男女間の不平等は階級的な不平等によって生じたものであった。

 一九四九年に中華人民共和国が成立すると、毛主席は「団結して、生産と政治活動に参加し、婦人の経済的地位を改善しよう」と全国の婦人によびかけた。中国共産党と人民政府は、憲法、法律、一連の政策を定めて、婦人が政治、経済、文化、社会および家庭生活のいずれの面でも、男子と平等の権利をもつことを保証し、その実現をうながした。たとえば、一九五○年に婚姻法を公布して、父母によってとりきめられ、おしつけられていた婚姻制度を廃し、男女の結婚が自由におこなわれるようにした。一九五一年には『労働保険条例』を公布し、婦人と子供を保護するための特別な規定を設けた。一九五三年、中国共産党中央委員会は、農業協同組合を発展させることについての決議のなかで、「男と女の労働力にたいしては、仕事の質と量に応じて、同じ労働にたいしては厨し報酬をあたえるようにしなけれぱならない。……仕事をするにあたっては、婦人の生理上からくる困難にかならず留意し、よくこれを考慮しなければならない」と規定し、同年に公布された選挙法のなかでは、「婦人は、男子と平等の選挙権と被選挙権をもっている」ことを、とくにはっきりとしめした。

 社会主義経済と文化建設の急速な発展にともない、中国では社会的な生産労働、政治・文化活動に参加する婦人がますますふえており、その従事する職業の範囲も広くなっている6家庭婦人たちも意気高らかに家をあとにして集団の力を発揮し、いろいろなタイプの町工場をつくり、社会主義建設のなかで大きな役割をはたしている。かの女たちのなかには、比較的にすすんだ電子工業関係の製品をつくっているものもある。たとえば、北京市西城区トランジスター設備第一工場でつくっている温度自動制御拡散炉は、全国の二十余の省、直轄市、自治区に供給されている。かの女たちは、社会のために富を創造するとともに、経済面における自分たちの従属的地位をあらため、心構えをもあらためているのである。

 「時代は変わって、男女ともおなじになった。男の同志にできることは、女の同志にもできる」という毛主席の教えは、新中国の人民の間に大きな教育作用をはたし、婦人たちを大いに励ました。工業、農業、文化・教育、科学、衛生などの各分野で、体力的にいって婦人に適さない若干の仕事をのぞき、あらゆる仕事に多くの婦人が参加しており、各業種とも婦人のために門をひらいている。婦人だからといって差別視することは許されない。

 中国の工業戦線における模範である大慶油田にも、多くの婦人労働者、婦人幹部、婦人技術者が採油、精油、油田の建設に活躍している。かの女たちは、自力更生、刻苦奮闘の革命的精神を発揮して、男子とともに、大慶油田の開発に貢献してきた。一九七○年九月、大慶油田青年女子採油隊が結成された。かの女たちは、りっぱに油田を管理して、鉄のように画い意志をもつ娘たち――「鉄姑娘隊」の名をえた。

 解放前には婦人労働者がほとんどいなかった二・七機関車車両工場は、いまでは婦人労働者が従業員の二○パーセントをしめている。かの女たちは、どんな仕事でもこなし、工場の労委員会、職場、生産班、生産小組などのあらゆる指導グループにくわわっている。

 中国の農業戦線の模範である山西省の大寨生産大隊では、毎年農作業に従事する者の半数を婦人がしめている。一九六三年「鉄姑娘隊」が結成され、現在の党支部書記――郭鳳蓮さんがその隊長をつとめた。かの女たちは、男の社員とともに、虎頭山上で奮闘し、谷間と山坂のひどい自然条件を改造して、確実に高い収穫をあげるだんだん畑をつくった。そのため、一九七三年には十七カ月にわたって日照りがつづいたが、なおも大豊作をかちとり、社会主義の新しい村づくりに貢献した。

 有名な河南省林県にある紅旗用水路の建設にさいしても、婦人が、男子の社員と同様に出をきりひらき、トンネルを掘り、橋をかけ、用水路を掘って、そびえたつ太行山脈のふもとに「人造の河」をつくりあげた。

 全国の医療関係者の中では婦人が二○パーセント以上を占めている。プロレタリア文化大革命いらい、女性の「はだしの医者」が多数誕生した。農村、工場で保健活動にたずさわっているのはほとんどが婦人である。

 婦人の健康を保障し、家庭婦人がはげしい家事労働からはなれるのを助けるために、各地では食堂、託児所、幼稚園、婦人と幼児のための保健所などをたくさんつくり、家庭内では男子も家事を分担する新しいあり方を確立するように呼びかけて、婦人たちをいっそう政治活動と生産労働に参加できるようにしている。

 いま、都市と農村の億をもって数える働く婦人は積極的に桃林批孔運動に参加し、孔孟が鼓吹した、婦人をみさげる思想をふくむ搾取階級のイデオロギーにたいして猛烈な攻撃をくわえている。これは婦人の徹底的な解放に大きな意義をもつものである。


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