少数民族の今昔


 中華人民共和国が誕生してからわずか四分の一世紀の間に、わが国の辺境地区に住む少数民族は、封建制社会、奴隷制社会、または原始共同体をしのばせるおくれた生活をしていたが、一世紀あるいは数世紀かかって達成できる歴史的過程を一足とぴにとび越えて、社会主義社会にすすんだ。少数民族の居住する地区は、漢族の居住する地区と同じように、繁栄をつづけている。

 中国は民族平等の政策を実行しており、全国の五五の民族(漢族をふくむ)は、その大小をとわず、平等であり、団結・協力してともに発展し、各民族の人民が帝国主義、国民党反動派、自民族の支配階級からむごい抑圧・搾取をうけていた解放前のあり方をすっかりあらためた。

 中国西南部の高黎貢山岳地帯の独竜渓で原始的な生活をおくっていた、中国では人口のもっとも少ない少数民族の一つである独竜族は、いまでは人民公社の中で社会主義の幸福な生活をおくっている。かつては原始的な耕作をおこなっていたが、いまは新しい農業を発展させている。いぜんは、木にしるしを刻んだり、ナワに結び目をつけたりして記録していたが、いまは小学校数校のほかに中学校一校をもち、独竜族出身の教師も養成されている。かつては医師がおらず、病気にかかると神に救いをもとめていただのだが、いまは生産大隊が合作医療ステーションを、人民公社は衛生院をもっている。国家は医師を派遣し、薬品をたえず供給している。そのため、病気にかかっても無料で治療がうけられるようになった。

 いぜん、国民党反動派はすべての少数民族を差別しており、独竜族にいたっては野蛮人扱いをうけていた。だが解放ご、すべての民族の人民は国家の主人公になり、平等な資格で国家の大事を管理している。党と国家の指導的地位にも少数民族の代表がついており、なかには中国共産党の中央政治局員、中央委員、省・自治区の党委員会書記、全国人民代表大会常務委員会副委員長をつとめる者もいる。全国人口の六パーセントをしめるにすぎない少数民族の代表が、各期の全国人民代表大会の代表の中で、一四パーセント以上をしめている。

 中国の少数民族人民は、その集まり住んでいる地区で国家の主人公として、民族内部の地域的事務を管理する権利をもつ。つまり、民族の地域的自治を実行する。建国いらい、省に相当する五つの自治区――内蒙古自治区、新疆維吾爾自治区、広西壮族自治区、寧夏回族自治区、西蔵自治区が、専区(いくつかの県からなる)に相当する二九の民族自治州(盟)、六九の自治県(旗)があい前後して新設された。各級の自治機構は、中央人民政府の集中・統一的指導のもとにあって、一定の自治権を行使する。つまり、法律の定める権限にもとづいて地方の財政を管理し、その地に住む民族の政治、経済、文化の特徴にもとづいて、若干の単独条例を制定するのである。奥地に分散して住んでいる各少数民族の人民は、その地に住む他の人民とおなじく、各種の民主的権利を享受するとともに、その生活、風俗・習慣は特に配慮され、尊重される。

 中国は少数民族出の幹部を養成し抜てきすることを重視している。いま、新疆ウィグル自治区は、ウィグル族その他の少数民族出の幹部を八万四○○○余名擁しているが、そのうち婦人幹部が一九パーセントをしめる。これら少数民族出の幹部の数は解放当初の二十数倍にあたる。内蒙古自治区は昨年、すでに二万余の民族幹部を擁し、そのうちの多くは盟、市、旗の労委員会、革命委員会の指導的地位についている。

 新中国が誕生してから、人民政府は、各少数民族人民を指導して、民主改革と社会主義的改造をすすめ、社会主義制度をうちたて、生産力を解放して、各民族の社会主義経済建設にひろびろとした道をきりぴらいた。各少数民族地区は、工業をもたず、農業、畜産業のいずれにも立ちおくれていた歴史に終止符をうった。いまは、工場・鉱山企業があまねく新設され、農業、畜産業も発展をとげている。かつての交通がきわめて不便だった状況も大いにあらためられた。人民の生活はたえず向上し、市場は繁栄している。

 チベット自治区は、一九五九年に民主改革をおこない、歴史上もっとも暗黒で、野蛮な封建的農奴制度をくつがえした。この改革によって、解放された百万の農奴は集団化の道をあゆみはじめた。いま、多くの農業区、牧畜区には人民公社ができている。解放された広はんな農奴は、刻苦奮闘、自力更生の精神を発揮して、自然条件を改善し、科学的な耕作法を採用し、農業を急速に発展させつつある。かつては冬小麦と水稲の栽培には適さないとされていた高原で、いまはそれらを広大な面積で栽培しているだけでなく、ひじょうによい収穫をあげている。昨年、チベット自治区における穀物の収穫高と家畜の頭数は民主改革前の一九五八年にくらべ、倍あまりの増加をみた。チベットはいま、石炭、水力発電、セメント、農具、皮革、毛織物、自動車修理、木材加工、製糖などの中、小の工場・鉱山企業二百あまりを擁する。この自治区では、もと農奴や奴隷だった者から産業労働者に転じる者がふえており、いまでは労働者・職員の中でチベット族の労働者・職員が四六パーセント以上をしめるまでになった。

 黒竜江省の東北部にある大、小興安嶺の密林に住む、人口のもっとも少ない民族のひとつであるオロチョン族は、いぜんは獣皮を身にまとい、白カバの樹皮で小屋の屋根をふき、かがり火をたいて暖をとり、原始的な狩猟生活をいとなんでいた。いまは、国家の援助のもとに、家を建て、村をつくって住みつき、農業を発展させている。その人口は二七○○余人、解放当初の倍になった。

 かつて、一部の少数民族は、ナワに結び目をつくって記録し、自民族の文字をもっていなかった。だが、解放ご、国家の援助のもとに、自己の文字をつくった。いま、蒙古語、チベット語などの少数民族の文字を用いて多くの書籍、新聞、雑誌が出版されている。少数民族が主として分布している地区には、民族学院、大学、専門学校がある。どの民族も、人数のもっとも少ない民族をもふくめて、大学に子弟を入学させている。チベット自治区には民族学院、師範学校が各一校、中学校が七校、小学校が二五○○余校ある。

 解放前、わが国の少数民族地区では伝染病がまんえんしており、一部の少数民族の人口は減る一方であった。いまは、各民族地区の県には病院、人民公社には衛生院がある。国家はつねに各大都市から巡回医療隊を少数民族地区へ派遣して、病気の予防・治療にあたらせている。チベット自治区は無料医療制度をあまねく実行した。各少数民族人民の健康は保障され、人口はふえる一方である。解放ご、蒙古族の人口は二・二七倍ふえ、新疆のウィグル族の人口は四一パーセント、チベット族の人目は二十余万とそれぞれふえた。

 かつて、国民党反動派は各少数民族を差別する政策をとり、帝国主義と結託して、少数民族人民にたいしてむごい搾取をおこなった。それは、少数民族地区の立ちおくれをもたらした。新中国が成立してから、人民政府は、建設への投資をふやし、財政的な補助をあたえ、税金を減らすか免除し、多くの物資をまわし、かれらの必要とする特種な商品をつくり、技術工、経験にとむ農民、医師、教師などを派遣し、かれらを援助する一連の政策・措置をとって、各民族地区の経済、文化の発展に他とはことなる援助をあたえ、配慮をくわえた。そうすることによって、漢族の住む地区をしのぐ速度でかれらを前進させた。二十数年らい、国家が内蒙古自治区へおこなった投資と財政補助は九二一億二○○○万元にたっする。一九六○年いらい、国家がチベットにあたえた財政補助はこの自治区の財政支出の大部分をしめている。

 中国の各少数民族地区にみられる大きな変化は、毛主席のプロレタリア革命路線にみちびかれて、各民族人民が団結し助けあい、主人公としての精神を発揮し、社会主義的意欲をもやして、刻苦奮闘したたまものである。


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