新しい医療制度


 新中国成立いらいの二十五年間に、八億近くの人民の健康水準は全般的に高まってきた。

 社会主義建設がすすみ、人民公社の集団経済がたえず強化されるにつれて、大多数の人に奉仕する医療制度が設けられた。工場、鉱山、企業の労働保険医療、国家機間の幹部、職員、労働者、大学・専門学校の学生の公費医療、および農村の合作医療などの制度が実施され、広はんな人民大衆は、医療の点で、なんら心配の必要がなくなった。

 旧中国で流行をきわめていた天然痘、ペスト、コレラ、性病は、解放後すでにあとをたった。その他の伝染病、地方病、職業病の発生率と死亡率も大幅に低下し、あるものはほとんど発生をみない。人民の生活水準の向上と衛生事業の発展につれて、中国人民の平均寿命は普遍的にのび、死亡率は大いに減少した。

 半植民地・半封建社会の旧中国では、衛生状態はきわめて悪く、さまざまの病気が流行していたが、医療施設は少なく、しかもほとんどが都市に集中しており、ただ少数のものに奉仕するにすぎなかった。広はんな農民には、医者も薬も手のとどかない存在だった。

 新中国が誕生してのち、中国共産党と人民政府は、「労・農・兵に目をむけ、予防に重点をおき、漢方医・西方医を団結させ、衛生活動と大衆運動を結合する」という医療・衛生活動の方針を定め、まず、医療担当者にたいして、大多数の人に奉仕し、誠心誠意人民に奉仕する思想を身につけるように教育した。

 中国は、農村人口が総人口の八○パーセント以上をしめている。農民と切り離して、医療・衛生事業が大多数の人に奉仕することについてうんぬんするのは、空論にすぎない。一九六五年、毛主席は、「医療・街生活動の二点を農村におこう」という呼びかけをおこない、医療・衛生活動においては労・農・兵に目をむけ、大多数の人に奉仕する革命路線について、重ねて述べた。これは衛生革命の基本方針であり、重要な内容である。文化大革命と桃林批孔運動のなかで、広はんな医療担当者と人民大衆は、劉少奇、林彪一味の、都市を重んじ、農村を軽んじ、勤労人民のあいだでよくかかる病気や常に発生する病気の予防・治療、研究をおろそかにし、ただ少数の人にのみ奉仕する修正主義路線をこっぴどく批判した。こうして、労・農・兵に目をむけ、大多数の人に奉仕する方針が、だんことして実行にうつされた。その結果、農村における医療・衛生活動に大きな変化があらわれ、「はだしの医者」がぞくぞく成長し、合作医療の制度がすみやかに普及した。

 農村の合作医療は、農民が集団的な互助のカにたよってつくった新しい医療制度である。公社員は、大体、年に約一元(日本円で約一六五日)というわずかな合作医療費をおさめると、病気にかかっても無料で治療がうけられる。患者が、公社の衛生院またはそれ以上の医療機構にまわされて治療を受ける場合でも、その医療賀は無料か、または一部が合作医療基金のなかから支払われる。人民公社の社員や農村の知識青年のなかから養成された「はだしの医者」は、農民といっしょに野良仕事にでるので、農民のよくかかる病気やその予防・治療法にもひじょうにくわしい。「はだしの医者」はいま百万人をこえ、農村のいたるところにおり、生産から離れない三○○万以上の衛生員、助産婦とともに、農村の基層の治療・衛生隊列を形成している。人民公社衛生院、県立病院、衛生防疫ステーションおよび都市からまわってくる医療担当者は、つねに「はだしの医者」たちを訓練し、専門技術の指導をおこなっている。

 プロレタリア文化大革命いらい、都市の医療担当者がぞくぞく農村に行って、住みついたり、あるいは医療隊を組織して巡回医療をおこなったりしている。医大や医専の学生募集、卒業生の配分および現職医療担当者の研修は、おもに農村に目をむけておこなわれている。医学研究の重点も、つねに発生する病気やよくかかる病気の予防・治療とそのための基礎理論の研究におかれている。国家はまた、おびただしい物資、資金を投じて、農村の医療・衛生機構の建設を強化し、農村の必要とする薬品、生物製剤や医療器械を大量に生産し供給しており、しかもたえず大幅な値下げを断行している。現在、薬品の値段は、平均して解放初期の五分の一ぐらいである。解放前には、薬品、生物製剤および医療器械は、おもに輸入したものであったが、いまは、国産品で国内の需要を満たせるぱかりでなく、多種類の薬品、器械が輸出できるようになった。

 いま、広ぴろとした中国の農村には、それぞれの県に県立病院があり、人民公社に衛生院があり、生産大隊に衛生堂があって、基層の医療保健網がすでに形成され、しかも、たえず充実されつつある。

 一九七三年末現在で、全国の病院のベッド数は解放前にくらべて二十数倍ふえ、新中国誕生いらい、養成された技術水準の高い医療担当者は、解放前の二十年間に養成された医療担当者総数の二七倍に相当する。なお、県立病院や県以下の医療・衛生機構のベッド数と医療担当者の数は、それぞれ全国総数の半ば以上をしめている。

 工場、鉱山および都市の医療・衛生活動もたえず改善されてきている。工・鉱業の労働条件はますますよくなり、労働保護の措置もたえず強化されて、労働者・職員は、医療費の免除、労働保護、福祉を受け、家族は半額の公費医療を受けている。工・鉱業の集中している地区や大きな工場、鉱山には、労働者・職員専門の病院が設けられ、中・小の工場、鉱山にはそれぞれ医務所がある。いちぶの省、市には、専門的な職業病予防・治療研究機構や療養所が設置されている。都市の病院は、たえず医療技術の発展につとめ、区域の予防を強化して、広はんな労働者・職員や住民に奉仕している。

 社会主義の国民経済が、計画的に、一定の比例にしたがって発展していく必要から、国家は計画的出産に大いに力を入れ、一定の効果をあげている。人口の少ない少数民族地区では、人口増加のための適切な措置をとっている。たとえば、内蒙古自治区の蒙古族の人目は、解放前の倍に増加した。計画的出産の運動がくりひろげられると同時に、婦人、児童の保護がひじょうに重視されるようになった。中国解放後二十五年このかた、婦人の健康水準は大いに高まり、かの女たちは、工業、農業生産のなかで、重要な力になっており、児童の身長や体重も、解放前にくらぺてひじょうに増長している。

 毛主席がみずから提起した大衆的な愛国衛生運動は、衛生関係部門および各分野で働いている広はんな幹部と大衆にとって、経常的な共同の任務である。いく億という大衆が、この運動にくわわり、四害(蚊、ハエ、鼠、とこじらみ)を退治し、衛生を重んじ、病気や衛生を軽んずる習慣とたたかった。この運動は、人びとの革命精神をふるいおこし、社会のふるい気風・習慣を変え、世界を改造するという意義をもっている。建国いらい、大衆的な愛国衛生運動がつねにくりひろげられて、清潔を愛し、衛生を重んずることが社会的な新しい気風となり、病気を媒介する虫の害は大いに減少し、発病率も大いに低下した。解放前、長江以南の広大な地域に流行し、人民の健康をひどくおぴやかしていた住血吸虫病も、いまはすでにおさえられ、その流行地域は、日ましにせぱめられてきた。これは大衆に依拠し、総合的な予防・治療の措置をとり、農地の水利工事と結びつけて自然環境を改造し、中間宿主のマキガイを消滅し、水源と糞便の管理や個人の病気予防を強化し、医療担当者を動員して、治療活動を大いにおこなった結果である。愛国衛生運動が展開されたことによって、衛生・防疫、病気ぼく滅 の事業がいちじるしい成果をあげている。

 中国の医学・薬学の技術は、漢方医学と西洋医学との結合という道にそって前進をつづけている。漢方医学と西津医学の結合によって、いく千年という長い歴史をもつ中国の伝統的医学・薬学は、ひろく応用され、その効果を発揮した。ハリ麻酔は、現代の科学的方法をもちいて、伝統的医学を総括・研究しているなかで発展した麻酔法で、すでに、臨床に応用されている。これは、人体の一定のツボにハリを刺じ、刺激をあたえることによって鎮痛の効果をあげるのであって、手術は患者の意識がはっきりしている状態のもとで効果的にすすめられる。この方法は、安全で、適応範囲が広く、薬物麻酔のような副作用がない。肝、腎、肺の機能のよくない者、危篤におちいった者、体の弱い者、ショック状態にある者、または薬物麻酔に過敏で異常反応を示す者などにハリ麻酔を用いれば、安全に手術をすすめることができる。漢方医学と西洋医学とを結びつけた治療方法は、骨折の癒着期間を短縮し、手術をせずに急性腺症を治療することもできる。このほか、火傷面積が九八パーセント(そのうち第三度火傷面積は八八パーセント)の重傷者の救急治療、切断肢の接合、同体移植などの難しい手術にも成功した。以上すべては、中国の医学・薬学技術の創造と発展に、広びろとした遠景を示すものである。


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