チベットにおける叛乱事件についての新華社の広報

1959年3月28日


 チベット地方政府と上層の反動一味は、チベット人民の意思に反して、祖国にそむき、帝国主義と結託し、叛逆匪賊をかきあつめ、3月19日の夜、ラサで、同地にいる人民解放軍部隊にたいして武力攻撃をおこなった。チベットにいるわが英雄的な人民解放軍部隊は、命を奉じて叛乱の平定にあたり、すでに23日には、ラサ市地区の叛逆匪賊を徹底的に粉砕した。現在、わが軍は、チベットの僧俗人民の愛国者の協力をえて、ひきつづきチベットの他の一部の地区の叛逆匪賊を掃討中である。

 祖国の統一の民族の団結をまもるため、周恩来国務員総理は、3月28日、命令を発し、チベット軍区に叛乱を徹底的に平定するように指示したほか、叛乱を策動したチベット地方政府を即日解散し、チベット自治区準備委員会にチベット地方政府の職権を行使させることを決定した。

 チベット地方政府と上層の反動一味のラサにおける武装叛乱は、すでに3月10日からはじまった。ダライ・ラマは、3月10日に、人民解放軍チベット軍区の講堂に行って観劇することになっていた。軍区の講堂に行って観劇することは、ダライ・ラマ自身が1月以上まえから申し出ていたことであり、3月10日というこの日取りもかれ自身のきめたものである。チベットの叛徒一味は、この日になると、チベット軍区の部隊がダライ・ラマを抑留しようとしているという流言をさかんにひろめ、これを口実にして武装叛乱をおこし、ダライ・ラマを拉致し、「漢人の駆逐」、「チベットの独立」など反動的なスローガンをかかげるとともに、叛乱に反対したチベット自治区準備委員会のチベット族官吏カンチュンソナンヂャンツォをその場で射殺し、チベット軍区のチベット族副指令サンポオ・ツェワンレエンツェン等を負傷させた。武装した叛徒は、これと同時に、人民解放軍チベット軍区司令部とラサに駐在する中央の機関を包囲した。

 チベットの叛逆分子の叛乱活動は、はやくからおこなわれていた。これらの叛逆分子は、帝国主義とチベットのもっとも反動的な大農奴主を代表するものである。1951年に、中国人民解放軍がチベットにはいり、中央人民政府とチベット地方政府が、チベットの平和解放についての協定(すなわち17ヵ条の協定)に調印したそのときから、かれらは、計画的にこの協定を破壊し、武装叛乱の準備をたくらんだ。祖国が日ましに繁栄にむかっていること、中央人民政府のチベットに対する政策が正しいこと、チベットにいる人民解放軍部隊の軍規が厳正であって、チベットの各階層の人民から熱烈に愛され、尊敬されていることなどから、これらひとにぎりの反動分子の叛乱の陰謀は、チベット族人民のあいだで支持をうることができなかった。中央人民政府は、憲法のさだめるところにもとづいて、一貫して国内各民族間の団結とチベット人民自身の団結を堅持し、チベットで民族の地方自治を実施したが、これは、チベット人民の熱烈に歓迎しているところである。チベット自治区準備委員会は、はやくも1956年4月に成立している。しかし、チベット地方政府のなかの反動分子による妨害のため、自治区の準備活動は遅々としてすすまなかった。17ヵ条の協定には、チベット軍の改編と、チベットの社会制度、すなわち、農奴制度を人民の願望にもとづいて改革することを規定しているが、この2つの重要任務は、いずれも反動分子の妨害によって実現できなかった。中央は、これら反動分子が自覚するのを待つため、更に1956年末に、6年以内、つまり第2次5ヵ年計画のあいだは改革をおこなわなくてよいし、チベット軍の改編をおこなわなくてよいとかれらに通告したのであった。

 チベット地方政府はチベット語でガシャといい、委員が6名いて、これをガロンと呼んでいる。6名のガロンのうち2名は愛国者であり、アペイ・グァワンヂメと、3月10日に叛徒のために傷を負わされたサンポオ・ツェワンレェンツェンがそれである。他の4名のうち、ユト・ザアシトンズウはすでに1957年に祖国にそむき、叛乱分子の国外における活動の中心地であるカリンポンに逃亡した。他の3名、すなわちソルウカン・ワンチェンゲレエ、ニュウシヤ・トテンタバ、シェンカ・ヂメドオジェ(シャソルウ)もこんど公然と叛逆した。これよりさき、これらの叛逆分子は、かれらのガシャにおける合法的な地位を利用して上層反動勢力をかきあつめて、外敵と結託し、西康、チベット両地方のもっとも反動的な一部の大農奴主を実際に指揮して、ヤルサンポ河以東、以北、以南のいくつかの地方で叛乱軍を組織し、中央に反対し、祖国にそむいた。かれらの叛乱は、帝国主義、蒋介石匪賊一味および外国の反動派の策動によるものであり、叛乱指揮の中心はカリンポンであって、その指揮者は、罷免されたもとのチベット王(チベット語デはセツオトイウ)ロカンワー・ツェワンロテンである。かれらの武器は、外国から輸入されたものが少なくない。ヤルサンポ河以南の叛乱の根拠地では、蒋介石匪賊一味からたびたび物資の空中投下を受けており、また、帝国主義と蒋介石から派遣された特務工作員の無電発受信所が数多く設けられ、陰謀活動がおこなわれていた。

 昨年の5、6月から、 チベット地方政府と上層反動一味は、叛逆匪賊の一味に指令を発し、昌都、ティンチン、黒河、ロカアなどの各地をさかんに荒らさせ、交通の破壞、財物の略奪、強姦、殺人、放火をやらせて人民に危害をくわえ、また、その地にある中央の機関や部隊を襲撃させた。中央では、民族団結の精神にもとづき、一再ならずチベット地方政府にたいし叛乱分子の懲罰と壮会の治安維持に当るよう指示した。ところが、チベット地方政府と上層の反動一味は、中央のこうした至れり盡せりの態度を、弱い、侮ることのできるものと見なした。かれらは、漢人はおどしあげて追い出すことができるとか、9年らい、漢人はわれわれのもっともすばらしい、もっとも神聖な農奴制度にいささがかも手出しができなかったとが、われわれがかれらと一戦を交えれば、かれらは防ぐ力しかなく、反撃する力はもっていないとか、かれらは叛乱をたいらげる勇気がなく、われわれに叛乱をたいらげさせるだけだとか、われわれが他所から大量の叛乱軍をラサに動かして一撃をくわえさえすれば、漢人は逃げるにきまっているとか、もし逃げなければ、 われわれはダライ生き仏を人質にしてロカアにつれ出し、力をあつめて反撃をくわえ、ラサをとりもどすとか、最後にどうしてもだめなら、インドに逃げてゆく、インドはわれわれに同情しているから、われわれを助けてくれるかもしれないとか、また、強大なアメリカも助けてくれるだろうとか、台湾の蒋総統はすでに積極的に援助をあたえてくれているとか、ダライは神だからこれに従わないものがいるものか? とか、アメリカ人は、中国では人民公社の件で人民が怒って叛乱をおこそうとしているといっているから、今こそ漢人を駆逐して自立する絶好の機会であるとかいっていた。 こうした反動派の魂は、九重の天高くまいあがり、まるで全宇宙をその手中におさめようとしているかのようであった。このためかれらは、叛逆匪賊の騒擾を責任をもって阻止することをしなかったばかりか、かえってますますひどくなって祖国にそむく陰謀活動をさかんにすすめた。かれらは、ラサに相当数の反革命軍隊を集めたのち、ついに3月10日には公然と17ヵ条の協定をふみにじり、武装叛乱をおこしたのである。

 3月10日、ラサの叛乱が勃発して以後、ダライ・ラマは3度もチベット駐在の中央代表書簡をよせ、かれが反動分子によって拉致されたことを説明するとともに、いま反動一味の違法行為を処理するためにあらゆる手段をこうじていると表明してきた。中央の代表は、返信のなかで、ダライ・ラマのこうした行為を歓迎するとともに、チベット地方政府がそのあやまった態度をあらため、責任をもって叛乱を平定することを依然として希望している旨表明した。しかし、これらの反動分子は、まったく悔い改めようとしないばかりか、かえって叛乱を拡大する腹をきめたのであった。かれらは、3月17日には、粗暴にもダライ・ラマをラサから拉致し、3月19日の夜には、ラサにいる人民解放軍部隊にたいし全面的な攻撃をくわえてきた。平和解放の望みは失われてしまった。チベットの反動勢力は、ついにかれら自身を滅ぼす道をえらんだのである。

 3月20日午前10時、中国人民解放軍チベット軍区部隊は、命を奉じて極悪非道の叛逆匪賊一味にたいする討伐を開始した。人民解放軍は、チベット族の愛国的な僧俗人民の協力のもとに、2日あまりにわたる戦闘により、ラサ市地区の叛乱を完全に平定してしまった。一応の統計によると、23日までに叛乱軍の捕虜は4000余名にたっし、鹵獲した兵器は各種小銃十8000余挺、軽機関銃、重機関銃81挺、81ミリ迫撃砲27門、山砲6門、弾丸1000万発にのぼっている。多くの叛乱軍部隊は、わが軍に包囲されるや、集団的に投降した。

 ラサの叛乱がたちまち平定されたことは、 チベットの叛徒一味がかならず減亡し、チベット人民の前途が光明にみちていることを物語っている。これは、まず第1に、チベット人民が国を愛しており、かれらが中央政府を擁護し、人民解放軍をこころから愛し、帝国主義と叛逆分子に反対しているがためである。チベット (昌都、前蔵、後蔵の3つの地区をふくむ)の人口は合計120万人であるが、叛逆匪賊の数は2万人前後にすぎず、しかもその中の多数はあざむかれ、脅かされて加わったものであり、 しかも金沙江以東の、もとの西康省地区から逃亡して行った叛乱分子、つなわち、いわゆるカンパ人が一部分ふくまれている。チベット人民の絶対多数はきわめて貧しい農民と牧畜民であって、かれらは、世界でもっとも暗黒な封建的農奴制度からの解放を切実にのぞんでいる。チベットの上層と中層にも国を愛する進歩的な人びとが大勢おり、かれらは中央を擁護し、叛乱に反対するとともに、不合理な社会制度を民主的に政革して、しだいにチベットを開化した、進歩的な地方にかえてゆくことを主張している。このように、チベットは、だんことして解放を要求する勤労階級と、改革に賛成する上層、中層の、国を愛する進歩的な人びと、ならびに中間派の人びとを多数擁しているのである。当面の任務は、まず叛乱を平定して平和な秩序を確立することである。この過程において、叛乱分子にたいする中央の方針は、首謀者はかならず処罰し、おどかされて参加したものはその罪をとわず、功をたてたものには賞をあたえる、ということである。中央はすでに、チベットにいる人民解放軍部隊にたいして、叛乱にくわわらなかったチベット族のすべての同胞とひろく団結し、チベットの農業、畜産業、工商業、政治、宗教など各界の人びとの生命財産を責任をもって保護し、人民の風俗習慣と宗教信仰を尊重し、ラマ寺院、文化財、古跡を保護し、大衆の利益と社会の秩序をまもるよう指示した。捕虜ならびに武器を捨てたいっさいの敵にたいしては、おしなべて報復、傷害、侮辱をくわえることを許さない。

 中国政府がわは、中国と西南の隣国との関係、とりわけまずわが国と偉大な友好国であるインド共和国との関係では、平和共存の5原則を堅持することであると考える。平和共存の5原則は、1954年4月29日の、中印両国の、中国のチベット地方とインドとのあいだの通商および交通についての協定のなかではじめてうち出されたものであって、現在においても将来においても、両国の根本的な利益のために、双方がこの原則を堅持しないなんらの理由もありえないのである。中国の政府すじの人びとは、インドの首相ネール氏が3月23日におこなった、中国の内政に干渉しないという声明を歓迎し、この声明は友好的なものであると考えている。中国がわでは、これまでインドの内政に干渉したことはないし、また、友好的な国の内政についてそうした論議をおこなうことは礼儀に反し、適当でないと考えている。

 叛逆匪賊を徹底的に粛清するため、国務院ではすでに、チベットにいる人民解放軍部隊にたいし、チベットの各地で軍事管制を実施するよう命令した。軍事管制委員会の任務は、叛乱を鎮圧すること、人民を保護すること、中国の法律をまもる外国居留民を保護すること、チベット自治区準備委員会と人民解放軍チベット軍区の委託をうけて、チベット自治区の各級行政機構をつくり、国を愛するチベット人民の自衛隊を組織して腐敗の極にたっし、裏ぎって叛乱をおこした、まったく戦闘力のない、しかも数からいって3000余人しかない旧チベット軍にとってかわらせることである。ラサ市の軍事管制委員会は、3月23日に成立を宣言した。その他各地の軍管制委員会は、パンチェン・ゴルトニの指導する後蔵地区の首都シガツェには設置する必要はないが、それいがいのところには、つぎつぎにこれを設置する。ラサおよび各地の軍事管制委員会はすべて、人民解放軍の代表と地もとの愛国的な人民の代表が共同して構成する。現在、ラサ以西のアリ、ラサ西南のヂャンツェ、パリエ、亜東、ラサ以北のダンシュン、黒河、ラサ以南のツェタン、ラサ以東の太昭、リンツェ、ザアモ、ティンチン、昌都、ザァユイなどの重要都市と要地はすべて人民解放軍のゆるぎない支配下にあり、地もとの人民の絶対多数は人民解放軍と緊密に協力している。叛逆匪賊の活動の活動しているところは、きわめて辺ぴな一部の地区だけである。

 チベット自治区準備委員会主任委員ダライ・ラマがなお拉致されているのにがんがみ、国務院は、ダライ・ラマが拉致されているあいだ、自治区凖備委員会副主任委員のパンチェン・ゴルトニに、主任要員の職務を代行させることを決定した。国務院はまた、自治区準備委員会チベット族常務委員パパラ・ツォレナンヂェ活仏アペイ・グァワンヂメを副主任委員に任命し、アペイが秘書長を兼任することとした。チベットの各地では、秩序の回復をまって、つぎつぎにチベット自治区の各級地方行政機構を確立するとともに、 自治の職権行使をはじめる。当面、自治制度と人民解放軍による軍事管制制度を同時に並行して実旋する。叛乱がしずまり、平和な秩序が確立されるにつれて、自治制度はしだいに軍事管制制度に全面的にとってかわる。

 チベットにおける反動勢力の叛乱とその失敗で、チベットの歴史には新しい1頁がひらかれている。いまでは、帝国主義者とチベットの反動勢力は、チベットの情勢についてまったく見込みちがいをした、と結論することができる。かれらの願望とあい反して、かれらがチベットでひきおこした叛乱は、祖国の分裂とチベットの後退をひきおこしたのではなくて、かえって祖国の統一の強化をうながし、チベットの反動勢力の滅亡をうながし、チベットの民主化とチベット人民の新生をうながしているのである。


戻る

inserted by FC2 system