西蔵の工作方針についての中国共産党中央の指示

毛沢東

1952・4・6


 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草して、西南局、西蔵工作委員会にあて、かつ西南局、新疆分局にも通告した党内指示である。

 中央は、西南局、西南軍区が4月2日西蔵(チベット)工作委員会と西蔵軍区に当てた指示の電報に、基本的に同意し、この電報のとっている基本方針(西蔵軍の改編という点は除く)と多くの具体的な措置を正しいものと認める。この通りに実行してこそ、わが軍を西蔵で不敗の地に立たせることができる。

 西蔵の状況は新疆(シンチャン)とは異なり、政治面でも経済面でも新疆にくらべて相当劣っている。わが王震舞台が、新疆にはいったときでさえ、まず、経費の節約、自力更生、生産自給に最大の注意をはらった。いまでは、かれらはすでに足場をかため、少数民族の心からの支持をかちとっている。現在、小作料と利子の引き下げがすすめられており、ことしの冬には土地改革がおこなわれるが、大衆はいっそうわれわれを支持するだろう。新疆は嘉峪関(チアーユイコワン)以東の地と自動車が通じて、物資、福祉の面で少数民族に大きな利点がもたらされている。西蔵では、すくなくともここ2、3年は、小作料の引き下げも土地改革も、実施は無理である。新疆には数10万の漢族がいるのにたいし、西蔵にはほとんど漢族がおらず、わが軍は、まったく異なった民族区域に身をおいている。われわれが大衆をかちとり、自分を不敗の地に立たせるには、2つの基本政策に依拠するほかはない。第1は、経費を節約し、生産自給をはかり、これによって大衆に影響をあたえていくこと、これがもっとも基本的な環である。自動車道路が開通したとしても、 これに食糧の大量輸送をたよることはできない。インドは、交換による西蔵への食糧および他の物資の輸出におうじるだろうが、将来、インドが万一食糧および他の物資をよこさなくなってもわが軍は生きていけるという転移、われわれな立脚点をおくべきである。われわれは、あらゆる努力をはらい、適切な方法によって、ダライおよびその上層集団の大多数をかちとり、少数の悪質分子を孤立させ、血を流すことなく、相当の年月をかけて西蔵の経済、政治を一歩一歩改革するという目的をとげなければならない。だが同時に、悪質分子が西蔵軍をひきいて反乱をおこし、わが方に襲撃をかけてくるような事態に対処する用意もなくてはならず、このような時にもわが軍は依然として西蔵で生きつづけ、もちこたえていけるようにしなければならない。これらすべては、経費の節約と生産自給に依拠しなければならない。このもっとも基本的な政策を基礎にしてこそ、目的を達することができる。第2に、実行でき、また実行しなければならないことは、インドとの貿易関係、および国内のその他の地域との交易関係をひらき、西蔵の輸出入および移出入の均衡をはかり、わが軍の西蔵入りによって西蔵族人民 の生活水準が少しでも下がるようなことがないようにし、しかも、かれらの生活がいくらかでも改善されるよう努力することである。生産と貿易・交易という2つの問題を解決しないかぎり、われわれは、存在の物的基礎を失い、悪質分子は、立ちおくれた大衆と西蔵軍を扇動してわれわれに反対させる資本をいつでも手中に握ることになる。そして、多数を結集し少数を孤立させるというわれわれの政策は、軟弱無力のものとなり、実現のすべがなくなってしまうであろう。

 西南局の4月2日の電報のすべての意見のうち、ただ1つ検討を要する点は、短期間のうちに西蔵軍を改編することと、軍政委員会を設立することが、果たして可能かどうか、得策かどうかという問題である。われわれの意見では、当面、西蔵軍の改編はおこなうべきでなく、形式のうえで軍政区を設けることも、また軍政委員会を設立すべきではない。しばらくは、すべてこれまでどおりとし、ひきのばしていく。そして1年あるいは2年後にわが軍がたしかに生産自給でき、また大衆の支持をかちとったときに、これらの問題を日程にのぼすればよい。この1年ないし2年内に、次の2つの状況が予想される。1つは、多数を結集し、少数を孤立させるという上層部に対するわれわれの統一戦線策が効果をあげ、また、西蔵の大衆もわれわれの側にだんだん接近してきて、悪質分子と西蔵軍があえて反乱をおこすことができなくなるという状況である。もう1つは、悪質分子がわれわれを軟弱であなどれるとみて、西蔵軍をひきいて反乱をおこし、わが軍が自衛の戦闘で反撃に出て、打撃を与えるという情況である。以上2つの状況は、どちらもわれわれの側に有利である。西蔵の上層集団から見れば、いまのところ 、協定の全面的実施と西蔵軍の改編の根拠は、まだ不十分なのである。あと何年かたてばいまと違って、かれらも協定の全面的実施と西蔵軍の改編をやるほかはないと考えるようになるだろう。もし西蔵軍が反乱をそれを1回ならず何回もおこして、みなわが軍の反撃によっておさえられた場合、われわれが西蔵軍の改編をおこなう根拠は、いよいよもって多くなる。どうやら、ふたりの司倫〔1〕だけでなく、ダライとその集団の多数も、協定は不承不承受けいれたものと考えており、実施するつもりはないようである。われわれにはいま、協定の全面的実施の物的基礎がないばかりか、協定の全面的実施の大衆基礎もなく、また協定の全面的実施の上層基礎もない。むりに実施しても、害多くして利少なしである。かれらが実施したくないなら、それでもよかろう。当面は実施せず、もう少しひきのばしてからにしよう。時間がのびればのびるほど、われわれのほうの根拠は多くなり、かれらのほうの根拠は少なくなる。ひきのばすことは、われわれにとってそんなに不利ではなく、かえって有利かもしれない。かれらには、民をそこない理にもとるさまざまの悪事を はたらかせておき、われわれはもっぱら、生産、貿易・交易、道路建設、医療、統一戦線(多数を結集し、根気よく教育する)などのよいことをおこなって、大衆をかちとり、時機が熟すのをまって協定の全面的実施の問題を考えればよい。かれらが小学校を開くべきでないと考えるならば、これもとりやめにしたらよい。

 最近、拉薩(ラサ)でおこったデモは、単にふたりの司倫などの悪人にやったことと見なすべきではなく、われわれにたいするダライ集団の大多数の意思表示と見なすべきである。その請願書の内容はすこぶる戦術的であり、決裂を表明してはおらず、われわれに譲歩を要求しているだけであるそのなかに、かつての清朝のやり方を復活させ、解放軍を駐屯させないことを暗示した1ヵ条があるが、これはかれらの真意ではない。かれらは、それが不可能なことを百も承知であり、この1ヵ条をその他の箇条との交換条件にしようとたくらんでいるのである。請願書では第14代ダライを批判しており、これによってダライがこんどのデモの政治責任を負わなくてもすむようにしている。かれらは、西蔵の民族的利益の保護を看板としてかかげており、軍事力の面ではわれわれに劣るが、社会的勢力の面ではわれわれに勝っていることを知っている。われわれは事実上(形式上ではなく)こんどの請願を受けいれ、協定の全面的実施をおくらせるべきである。かれらが、パンチャンのまだ到着していないときにデモをおこなったのは、考えがあってのことである。パンチェンが拉薩に着い てから、かれらは、パンチェンがその集団にはいるよう大いに抱きこみをはかるであろう。もし、われわれの工作がよくおこなわれ、パンチェンがかれらの手に乗らず、かつ無事日喀則(シガツェ)に着けば、情勢はわれわれに比較的優位に変わるだろう。しかし、物的基礎の欠乏という点では、まだすぐには変化はありえず、社会的勢力の面でかれらがわれわれに勝るという点でも、すぐには変化はありえない。したがって、ダライ集団が協定を全面的に実施する考えがないという点も、すぐには変わらない。われわれは、あさしあたり、形式的には攻勢に出て、こんどのデモと請願の不当(協定の破壊)を責め、しかし実際には譲歩するつもりであたり、条件が熟すのをまって、将来、攻撃(つまり、協定の実施)に出るようにしなければならない。

 これについての意見はどうか、検討のうえ電報で知らせてもらいたい。

(外文出版社「毛沢東選集」第5巻所収)

〔注〕

〔1〕 「司倫」とは、ダライの下にいる最高の行政官である。当時のふたりの司倫は、反動農奴主のルカンワとロサン・タシであった。


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