『塑像群《農奴の怒り》』[北京 外文出版社(1977年)]


まえがき

 チベットは、中国西南部高原の美しく豊かな地方である。ここには、160万にのぼる勤勉で勇敢なチベット族とその他の民族が住んでいる。

 旧チベットは、「政教合一」(政治・宗教の一体化)、僧侶、貴族の専制による封建農奴制社会であった。ダライ・ラマをかしらとする三大領主、すなわちチベットの地方政府、寺院、貴族がすべての土地と山林および家畜のほとんどを占有していた。それとは反対に、チベット人口の95パーセント以上を占める農奴と奴隷は、生産手段を所有していなかっただけでなく、いかなる権利、いかなる自由さえも持っていなかった。数えきれないほどの「ウーラー労役」(三大領主による強制無償労役。主として遠くへの運搬作業、工事など)、過酷な税金、返済しきれない高利の借金が、毒蛇のようにかれらにしっかりとからみついていた。三大領主は、広はんな農奴をむごい目にあわせたり、惨殺したり、言語に絶する罪悪行為をはたらいてきた。旧チベットの地方政府は、三大領主の罪悪的な支配を維持するために、帝国主義者とぐるになって、広はんな農奴に残酷な鎮圧をくわえた。

 「抑圧のあるところには、抵抗がある」。百万の農奴が、農奴主階級の剣や銃、過酷な刑罰に屈したことは、かつて一度もなかった。歴史の記録には、1818年、チベットの北部尺牘県の農奴が、むしろ旗を押したてて蜂起したと記されている。かれらは女農奴ホラームの指導のもとに、「官吏打倒! 一切のウーラー労役の廃止!」というスローガンをかかげて、反動的な県政府を攻撃し、県長を絞殺した。それ以来、各地でおこった農奴の大規模な闘争は、50年のたたぬ間に、すでに百回をこえた。解放を目指す不とう不屈の闘争は、次々とたえることなくくりひろげられ、農奴主階級の反動勢力に手痛い打撃をあたえた。

 長い歴史の中で、きわめて反動的な農奴主階級の専制が実行されていたために、チベット全体は長期にわたって、貧しく立ちおくれた、衰退の状態におかれていた。1951年、チベットの平和解放後、チベットの歴史には新たなページがひらかれたのである。ところが、1959年、ダライ・ラマをかしらとする裏切り者集団が、大胆不敵にも反革命的武装反乱をひきおこした。百万の農奴の要求と協力のもとに、中国人民解放軍は、この反乱を平定し、ただちに勢いさかんな民主改革運動をくりひろげ、三大領主の反動的支配をくつがえして、もっとも反動的で暗黒な、もっとも残酷で野蛮な封建農奴制度を根底からくつがえした。こうして、百万の農奴が解放され、1965年には、チベット自治区の成立が宣言されたのである。それ以来、チベットの各民族人民は、毛主席と中国共産党の指導のもとに、わずか十数年のうちに、猛スピードで幾世紀もとびこえ、社会主義のかがやかしい道にそって前進している。

 悪に満ちた旧チベットを徹底的に暴露し、感動的な農奴たちの闘争を愛情込めてたたえるために、中央五・七芸術大学美術学院の彫塑部の教師、瀋陽魯迅美術学院の教師ならびにチベットの芸術家たちは、共同でこの大型塑像群《農奴の怒り》の制作にあたった。かれらはさまざまの困難をのりこえ、ついにこの群像を完成したのである。この塑像群は、封建領主の荘園、寺院、反動的な旧チベット地方政府および解放をめざして戦う農奴の四つの部分にわかれ、等身大の人物像106体、動物像6点、四面のレリーフから構成されている。その規模は大きく、形象はいきいきと真に迫っている。作者たちは、丸彫り、浮き彫り、壁画などの芸術的手法をたくみに用いて、さまざまな性格の人物を創造し、見る人に強烈な芸術的感動をあたえている。

 《農奴の怒り》を制作するにあたって、彫塑家たちが調査、訪問のために、チベット地区を歩きまわった道のりは5000キロにおよんだ。かれらは、解放された100人近い農奴の、怒りをこめた訴えを聞き、同時に、かつての貧しい牧畜民をまねいて塑像郡のスケッチについていっしょに討論し、意見をきかせてもらった。これらの活動を通じて、作者たちは、《農奴の怒り》を制作することの重大な意義についての認識をいっそう深め、百万農奴の忠実な代弁者になろうと誓ったのである。制作の過程で、作者たちは、毛主席の著作『延安の文学・芸術座談会における講話』を学習し、革命的リアリズムと革命的ロマンチズムを結びつけた創作方法を用いて、深い内容をもつ中心思想と強烈な階級的感情を、典型的な、いきいきとした芸術形象の中にとけこませ、封建農奴制度の種々さまざまな罪悪を力強く暴露し、百万農奴の勇ましい闘争を熱情こめてたたえ、解放を渇望するかれらの切実な叫びを通して、チベット人民の過去の苦しみと闘争をいっそう深く理解することができるであろう。


口絵

旧チベットの反動的な支配者ダライ・ラマによって虐殺された、
農奴の手骨と少女の大腿骨でつくられたラッパ形の縦笛。
ダライ・ラマとその家族は人を食う鬼である。
農奴を殺害しただけでなく、農奴の頭蓋骨で器物をつくった。


旧チベットの農奴主は、かって気ままに農奴を殺害した。
写真は生きたままはぎとられた農奴の皮。
切りおとされた農奴の手および農奴の頭蓋骨と生皮でつくられた太鼓。
これらは、旧チベットの寺院で読経するときに用いた法器である。



目次

  1. 悲惨な人間の生き地獄――封建領主の荘園 1.1 1.2 1.3 1.4
  2. 暗黒な人食い鬼の巣くつ――寺院 2.1 2.2 2.3
  3. 反動的な支配機構――「ガシャ」 3.1 3.2
  4. 解放をめざして戦う農奴 4.1



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