街頭募金野郎の謎

 葉寺 覚明

0.謎の募金集団「日本ボランティア会」

 皆さんは、繁華街や駅前などで、署名用紙を手にした、あやしげな募金集団を見たことがありませんか?

 今日もどこかの街には、「赤い羽根」などとは明らかに異なり、募金箱を持つわけでもなく、街頭で演説するわけでもなく、ゼッケンやピケを用いることもなく、道行く人々一人ひとりに近づき、妙になれなれしい口調で近づき、

「すいませぇん。募金お願いしたいんですがぁ」

などと言って、通行人の前に立ちはだかり、ひどい場合には肩に手をかけてきたりする連中がいるのです。

 そう、彼等は人々を物色する余り、この種の行為が法的に禁止されているはずの駅の構内にまで立ち入って、通行人にしつこくつきまとうという、見るからに怪しい集団。

 男女問わずファッションセンスの無さと惨めったらしい卑屈さとが全身からにじみ出していながら、さながら歌舞伎町や池袋などによくいるポン引きの如く、妙に親しげにしつこくつきまとう気色悪い連中。

 脈が無いと分かると、挨拶もしないでさっさと去って行くという、文字どおり礼儀の欠片もないような腹立たしい非常識集団。

 その怪しさとマナーの悪さとの故に、案の定殆どの人は無視して去って行くのではありますが、一時間に一度くらいはお人好しな人が引っかかっているのを見ると、この人の善意は果たしてきちんと届いているのだろうかという気分になること必至。

 世間の事情に疎い人でも、ニセ托鉢、インチキ募金などという話は聞いたことがあるはず。彼等の余りの品の悪さを身をもって知っている私ならずとも、その存在を不快に思っている人々は多いはず。

 そんな不快な連中がしている募金など、誰が見ても怪しい!

 更に言 えば、街頭インチキ募金で悪名高い統一協会の存在は誰でも知っていることと存じます。自明ではありますが、統一協会の募金は、自身の出自を隠すところにそ の本質がありますので、或いはそれが、かの悪名高い統一協会のインチキ募金ではないかと思っている人々は、案外多いのではないでしょうか?

 結論か ら申しますと、件の募金集団は、実は統一協会ではなく、「日本ボランティア会」という、ものすごい安直な名前の団体です。事実、殆どの人はその気持ち悪さ の故か、無視して立ち去りますし、彼等はゼッケンのようなもので自身が「日本ボランティア会」であることを誇示してはいません。往々にして、何故か彼等は 団体名も名乗らずに募金をせびることを常としています。それ故に、恐らく彼等が出没する地点に毎日足を運ぶような人々さえ、その殆どは彼等の会の名称さえ も知らないでしょう。

 物好きな人がときどき、会の名称を尋ねると、彼等は「日本ボランティア会」と名乗ります。だが、日本赤十字じゃあるまいし、その名称の知名度は恐ろしく低いものです。

 第一、「日本ボランティア会」などという名前、いかにも取って付けてきたような名前ではないか。先程述べたように、もしかしたら、これがあの悪名高い統一協会のインチキ募金なのではないか。そう考える人がいても、確かにおかしくはないでしょう。

 そして、彼等が手にしている署名用紙の存在がある。

 そもそも、署名用紙なるものは、社会運動団体などが、権力などに対し、集めた署名の数をもって自身の正当さを示す為の代物であるわけです。そうであればこそ、彼等が街頭演説しながら、人々にカンパと署名とを要求する必然性があるのであります。

 私は彼等に遭遇するたび、彼等が手にしている署名用紙を覗き見るのですが、そこには、特に署名を必要とするような、例えば「神戸の仮設住宅の充実を!」などといった具体的なスローガンなどは何も書いてありません。

 まして や、実際に私は彼等に署名用紙を見せてもらった(というより連中に「署名してくださ〜い」と言われて見せつけられた)彼等は「署名は国に提出する」などと ほざきながら、通常の署名用紙にあるはずの例えば「内閣総理大臣」の宛名も見あたりません。むしろ、そこに書かれているのは、おおよそ社会運動などとは方 向性が異なる「戦争反対!世界から難民をなくそう」などといったまるで「24時間テレビ」のキャッチフレーズみたいな、抽象的で、単なる美辞麗句に属する ものでしかないものに過ぎません。

 果たして彼等は、誰に対してこのような箸にも棒にもかからないようなスローガンならぬスローガンなるものをぶつけるのか?

 そもそも、この怪しい募金集団は、何故に署名などをかき集めなければならないのであろうか?

 考えれば考えるほど謎めいた、しかし異常に格好悪い怪しい募金集団。

 繁華街に一度でも足を運んだことのある方ならば、彼等との遭遇経験のないという人は、恐らく絶無でありましょう。

 私がこれから述べますのは、この奇怪な集団を、私が体を張って観察、調査した事実に他なりません。ただし、所詮は素人なので、限界があることはあらかじめ指摘しておきます。先ずは、私の力量不足を、自己批判しておきます。

 そもそも、これから私が語ること以上のことは、連中の性格から考えれば、公安のするべきことです。

 我々市民は、折角税金を払っているのですから、公僕としての彼等の働きに期待することにしましょう。

1.謎の政治団体「緑の党」

 妙に長ったらしい前置きにお付き合い下さり、有り難うございます。

 私は皆さんに、もう一度質問したいと思います。

 読者の皆さんは、「緑の党」という団体を知っていますか?

 もっとも、ヨーロッパの政治情勢に詳しい方でしたら、

「ドイツやフランスの環境保護政党のことだろう?」

とお答えになるかも知れませんが、それとはまた別物です。

 或いは、政治に高い関心をお持ちで、選挙公報や政見放送はすべて目を通すという殊勝な方、或いは彼等が出馬したことのある地域にお住まいの方であれば、

「なんだか分からないが、ミニ政党の一つだ!」

と思い出すかも知れません。

 事実、「緑の党」は参院選や東京都の区議会議員選挙の各種選挙に何度もなんども出馬しています。そして、そのたびに苦杯を喫しています。

 今は 昔、オウム真理教の面々が参院選に出馬し、何を言い出すかと思い、彼等の言動をチェックするために政見放送を見始めた私は、目の前に次々と去来するミニ政 党や泡沫候補の面々の天下のNHKとは思えないブチ切れた演説の前に、すっかりその魅力にとりつかれてしまいました。

 確か、そのときも「緑の党」が比例代表枠で出馬していましたので、記憶の限り再現してみましょう。確か、10年ほど前のことです。因みに、当時は「新風・緑の党」という名称で出馬していました。

 無機質なブルーの背景と白い机に囲まれたやせ形の、一見若く見える中年女性。机のネームプレートには「党首 対馬テツ子」と書いてあります。眼鏡をかけているせいか、生真面目で堅物といった、学校教師などによくいそうなタイプという感じが致します。

 もう10年近く前になりますが、かなり印象に残っております。それ故に私の再現はかなり正確であるはずです。

 アナウンサーが経歴を読み上げ、政見放送が始まるや否や、新学期か何かで張り切っている女教師よろしく、彼女の姿が映りました。彼女は開口一番、

「働く仲間のみなさん、こんにちわぁ!私はぁ、新風ぅ・みぃ〜どりの党、党首、対馬ぁテツ子で〜す。」

という妙に甲高い、子供向けの劇団員のような声。そして、余りの展開に驚く間もなく、

「私たちぃ、新風・緑の党はぁ〜」

などと、「緑の党」の5つの公約なるものを次々と列挙。内容は、わざわざ活字にするまでもない代物であったが、共産党を貶していたことと、

「ファシズム教育はぁ、進行しぃ」

などと月並みなサヨク的言辞を弄しまくっていたことだけは、引用しておかなければなりません。

 政見放 送を一通り見た上で、彼女の印象を一言で述べると、チンケな社会派の劇団員、という一言に尽きるものでした。朗読劇というのがより適当な比喩でしょう。今 でもそうですが、私は日本の左翼の「純粋まっすぐ正義くん」[(C)小林よしのり]然としたところが心底嫌いな人間なので、瞬時に彼等が嫌いになり、彼等 の落選を心から願うに至ったので、ふたを開けたら案の定の結果となっていたことに胸をなで下ろしていたことが、実にきのうのことのように思い出されるので あります。

 実は「緑の党」からは、対馬某の他にも、気持ち悪い連中が各種選挙に出馬しているのですが、その中には、後で分かったことですが、「緑の党」機関紙の「日本新聞」の発行人である、小田切朋子なる人物もおりました。

 政見放送では、彼女の口調はぼそぼそとして、暗い感じが致しました。別に大したことを言っているわけではないのですが、なにぶん聞き取れないので思わず音量を上げてしまいました。

 こんな質問も出来なそうな奴が議員になってどうするのだろう?

 勿論、別に単にこれだけのことならば、それは確かに「特殊な体験」の範疇に属するものでありましょう。だが、政治に関心がなくとも、アングラに興味がなくとも、「緑の党」に遭遇した者の数は、決して少なくはないのであります。

 さて、再び皆さんに同じような質問をぶつけてみましょう。

 皆さんは街に出たときに、あやしげな募金集団に遭遇したことはありませんか?

 署名用紙を抱えた人々が駅の構内或いは周辺を彷徨き、道行く人を一人一人捕まえつつ、

「すいませ〜ん。署名と募金をお願いしまぁすぅ」

などとつきまとっている光景を見たことはありませんか?

 ここまで言えばお分かりでしょう。そう、実は、彼等の正体こそ「緑の党」なのです。

 そう、「日本ボランティア会」とは、「緑の党」とは、ほぼ同一の団体なのです。

 もしも、皆さんが彼等を見たくなったら、新宿、秋葉原、渋谷などに行くことをお薦めします。中でも秋葉原には、ほぼ毎日のようにお目にかかれます。

 もっとも、下手なチョッカイを出して、後で面倒なことになっても知らないよ。

2.驚くべき「日本ボランティア会」会員の実態

 それでは、彼等の様子を詳述しましょう。かれらは道行く人々に近づいてゆきます。そして彼等は、往々にして、なれなれしい口調で、せびってきます。

 ついでに申しますと、彼等は、変で、バカです。

 このこ とを、いくつかの具体例をもって、科学的に証明してみましょう。言うまでもないことですが、これらはすべて実話です。もしも信用頂けないようでしたら、あ らかじめ質問事項などを準備して、実際に彼等に声をかけてみて下さい。彼等がバカで、トンデモであることが、身をもってお分かり頂けることでしょう。

 ある時、私が渋谷で「日本ボランティア会」の地味女に声をかけられたときがありました。貧乏な私は一言、

「金ねぇよ」

と言いました。そうしたら、彼女はなんと

「じゃあ、お金だけでも」

とほざきました。

 あまりにも図々しい反応に対し、怒り心頭に達しつつも、冷静沈着な私は、

「今金がねえと言っただろう」

と言うと、なんと

「だって、”書けねえよ”って聞こえたからぁ」

などと、すっとぼけたのです。

 「金ねぇ」と「書けねぇ」って、そんなに似ているかなあ?

 更に、こんなこともありました。

 当時、急いでいた私の前に、通行の往来を妨害するような形でニタニタと不気味な笑みを浮かべながら、これ見よがしに署名用紙を私の眼前に突きつけつつ、しつこく且つ馴れ馴れしくつきまとってきた、30代後半くらいの汚らしい野郎がおりました。

 イライラしていた私は、軽犯罪法によって保護されている国民の当然の権利を行使せんとしつつ、

「どけ、バカ」

と言ったら、その募金乞食は急に血相を変え、

「おいテメェ、今なんと言ったんだ!何と言ったんだ!」

と絶叫し、何をトチ狂ったか、私の腕を掴み、

「おい、警察行こうか?」

などと恫喝しました。

 この時 点で、この募金野郎は軽犯罪法、道路交通法、そして刑法に触れることは明白です(家に六法全書がある方は、それぞれの条文をご高覧下さい)し、私の「ど け、バカ」という台詞には、刑法の侮辱罪にはなりようもないという、一片の違法性もないことも、また自明です(実際に、無料法律相談の弁護士に聞いた)の で、彼の低脳ぶりにお灸を据えるべく、彼のお誘いに乗ってもよかったのですが、残念ながらその日は本当に急いでいたので、奴の手を振り払って一目散に改札 口に逃げ込みました。

 このとき、後ろからは

「ふざけんじゃねえぞお!」

という、時代劇の三下悪役さながらのみっともない遠吠えが聞こえてきました。

 もっとも傑作なのは、こんな例です。因みに、このときは私はすでに連中が「緑の党」であることを掴んでいました。

 私は、彼等の正体を彼等の口から聞き出そうと、わざと彼等に捕まりました。

 目の前にはファッションセンスの欠片もないダサダサ系ルックで身を固めたみすぼらしい若い女。顔は若い頃の松崎しげるに似ている。しかし色白。

「あんたら、よく見かけるけど、何者なの?」

と切り出しました。すると、その間抜けぶりをたたえている口からは、

「に、人間ですぅ」

などと、小学生のギャグみたいな返事が上擦った口調で、返ってきました。

 ここでそいつのバカさ加減を思いきりなじってもよかったのですが、周りに仲間が一杯居りますし、この前みたいになると元も子もないので、我慢しつつもさりげなく

「あんたら、宗教とか、政治団体とかではないの?」

と聞くと、

「違います、劇団です」

と言い、さんざん無視される存在にふさわしく、相手をしてもらえたことが嬉しいようで、奴は調子に乗って、

「確か、日共も募金やってますよね、ほら、社会鍋とかいうやつ」

などと、とんでもないことを口にしていました。私はさすがに呆れて、社会鍋が共産党がやっているものではないことということを、まるで母親がガキに諭すような口調で、懇切丁寧に教えてあげました。

 更に私は、彼が「日共」という特殊な用語を用いていることに着目し、その理由を問いただすとともに、共産党にかんする質問を幾らかぶつけてみましたが、バカよろしく、彼女は

「そんなこと言われても、....。私の父が、日共ファンというか、....だからなんですよ。」

などとほざき、言葉に詰まる有様。

 き、聞かなければ良かった....

 政治の知識がないので、世の中のことなど、まるで分かっていないようでした。

 最後に、余り長引くとまずいので、私は彼女にビラをせびりました。

 すると、きゃつは、

「本当は募金した人にだけあげるやつなんですよ〜」

などともったいぶりつつ、私に新聞をくれました。

 そのときにもらったのは、「緑の党」の機関紙「日本新聞」の一部で、「救援ニュース」という題が付いていました。

 連中の活動の成果が書き連ねられており、

「朝鮮共和国(北朝鮮のことを、連中はこう呼ぶ)に***万円を届ける」とか、

「民主カンボジア(ポル・ポトのことですね)に***万円を送る」

などと書かれています。

 ちょっと見ると、「救援ニュース」という題が右上にあるので、それが新聞の題名に見えるのですが、その日よりも前に某所で「日本新聞」を見、彼等の正体をつかんでいた私の目はごまかされませんでした。

 私は、確認の意味で、

「これはあんたらの新聞なの?」

と聞くと、

「はい」という返事が返ってきました。

 もはや明白ではないか!

 かくして、彼等の正体を革命的に掴んだ私は、ウルトラしつこい募金攻撃をかいくぐり、悠々と帰還したのであります。

3.「緑の党」の出自

 当時の私は、新左翼について調べておりました。

 彼等のことに詳しいのは、何といっても共産党です。ついでにいえば、共産党は新左翼以外でも、例えば統一協会など、反社会的な団体の状況にはめっぽう詳しいので、彼等の本を読むと、一目瞭然です。

 案の定、そこには「緑の党」にかんする記述も載っていましたので、少し引用してみましょう。

 共産党は、「緑の党」とは

「供託金も没収される各種選挙に出馬し、日本共産党に対する誹謗を繰り返している、ビラや各種新聞の資金源も不明な、正真正銘の職業的、反共・反革命謀略集団」

だと言っております。

 それだけではありません。民青が出した本所収の「毛沢東盲従集団」の系統図には、彼等「緑の党」が図示されていたのです。

 それを 見れば分かるように、彼等は、組織的には極左暴力集団「日本労働党」、及び後にあの「連合赤軍」の母体となった「京浜安保共闘」に極めて近い集団です。い わば彼等は「中国盲従集団」の範疇に属するもので、事実、彼等の新聞や著作には、毛沢東の引用や、北京放送の広告などが頻繁に掲載されていました。更に、 信じ難いことではありますが、「緑の党」系の劇団「荒野座」はつい最近まで中国大使館の後援をとりつけていたのです。

 このことは、共産党には「中国覇権主義のあらわれ」と映りました。事実、共産党はこのことを激しく非難しました。そのせいか、最近では「荒野座」ポスターなどには「中国大使館後援」の文字は見かけなくなっております。

 彼等の系譜は大体分かったので、彼等の文献にもある程度目を通してみました。それは、具体的には、彼等の機関紙「日本新聞」のバックナンバーのことでした。

 彼等の 機関紙の名称は、何回も変わっており、すべてを調べるのは至難の業でしたが、彼等が北京べったりで、トンデモで、気持ち悪い集団であることが、嫌というほ ど分かりました。事実、彼等が昔を回想しているとき、陰口をたたかれたなどと言っているので、彼等が気持ち悪い集団であるということは、昔から一貫してい ると言えましょう。

 しかし、強度のアングラ文化マニアの私としては、これで満足するはずもありません。

 「荒野座」が見たい!

 私の願いは、さかりのついた男子中学生の性欲の如く、日に日につのるばかりでした。

4.「荒野座」資料の入手

 某月某日、私は渋谷で、「荒野座」のビラを再び拾いました。どうやら、どこかのお人好しが募金した後、捨てたやつのようでした。まだ間も無いようで、状態はすこぶる良いもので、きれいでした。

 捨ててあったのは、「荒野座」のチケットとか、機関誌「太陽の道」等でした。チケットは募金(600円)の領収書も兼ねているようで、林様(仮名)という上書きがありました。

 そう、確かにここにはカモがいたのです。

 恐らく、この林さんは言われるままに600円を払ったのでしょう、しかし、機関誌などを渡されても、その余りの悪趣味さの故か、お荷物になるのかは分かりませんが、読む価値のないものと判断して、ろくに目を通さないで、チケットもろとも、捨てたのではないでしょうか?

 思え ば、この判断は、前半は誤っており、後半は正しいものでした。事実、この600円の行方などは大方、神戸などではなく、「荒野座」団員の食費か何かになる ことは大いに予測できます。しかし、彼等の本などは、本当にくだらないものなので、捨てるという行為は、私のようなアングラ文化マニアを例外とすれば、時 間の無駄以外の何物でもないので、それは当然の行為ではあります。

 しかし、私は胡散臭いものをこよなく愛するアングラ文化マニアである。

 アングラ文化マニアはアングラグッズを好む。

 「荒野座」チケットはアングラグッズである。

 故に!この見事なまでの三段論法の駆使による結論とは、

「こいつは『お宝』だぜ!」

というものでした。

 ついで に言えば、この「荒野座」のイベント、「日本新聞」に案内が掲載されているので、その存在自体は前から知ってはおりました。しかし、連中とは悪意以外に何 も接点をも有さない私。確かに連中に直接申し込めば済むのですが、そんな私が何でそんな不自然なことをしなければならないのでしょうか?

 そう、こんなマイナーな連中のマイナーなイベントに対して、この私が平和裏に関わるためには、何らかの「自然な」きっかけが必要だったのです。

 それが、ようやく手に入った!

 しかも、私がこのイベントを「自然に」知る、という状況、アリバイまでもが。

 このときの私の喜びがどれほどであったか、分かりますか?

5.魅惑の「荒野座」グッズ

 沸き上がる興奮を抑えて、先ずは公演のチラシを開く。

 真っ赤でど派手だ。

 真ん中には恍惚の表情のデュエット写真。

 「天才少女、竜子姫(7歳)」とかいう恍惚とした目つきのガキの写真もあるぞ!

 「チケットぴあ」の文字もある。スゲー。

 案外簡単に手に入るものではある。何しろ「チケットぴあ」だ。しかし、チケットぴあで買うと、住所氏名を書かなければいけないし、おまけに安い前売り券でさえ、4000円もとられるのだ。

 4000円はちときついが、新宿コマ劇場だとか、新宿朝日生命ホールなどというご立派な会場を使って行う公演。客の入りようもどんなものか興味深いぞ。機会があればチェックしてみたいものだ。

 裏も見る。

 踊りのシーンで埋め尽くされている。どれも気持ち悪い。

 真ん中には「エログロナンセンスはもうたくさん」というフレーズも見える。いかにも似非・ヒューマニストにふさわしい。

 だが、驚くにはまだ早い。こんなフレーズがあった。

 「銀河の果てめざし、君も旅立とう−新舞踊・聖闘士星矢」。

 「聖闘士星矢」?

 果たして彼等は集英社や車田正美氏に著作権料を払っているのだろうかなどという疑問よりも前に、すでに最終回を迎えて久しい漫画が「新舞踊」のネタになるとは、ひょっとして万年「新発売」の類ではないか、などという疑問もわいてしまう。

 ましてや「テレビも漫画も読まない」連中が、何故よりによって「聖闘士星矢」(「新舞踊・エヴァンゲリオン」ではない分ましだが)?

 更に、「銀河の果てめざし、君も旅立とう」だと?

 言っておくが、原作、アニメともに、「聖闘士星矢」には、そんなシーンはない。踊りが大好きな連中なので、「新舞踊」はまだしも、原作にもないシーンを、よりによってキャッチフレーズにするとは!

 こんなことで驚いてはいけない。機関誌というか薄っぺらものが2部あった。「銀河EVENT」と「太陽の道」。そのうちの「銀河EVENT」というやつは紙切れ1枚の代物だ。

 「銀河EVENT」の文字の脇には、握手のマーク。そう、「緑の党」のマークだ!

 そう、 このマークは「緑の党」、「荒野座」そして「日本ボランティア会」の3団体が同時に使用しているのだ。統一協会でさえ、ダミー団体は別個のマークを持って いるというのに、何という安易な!或いはこれらが実質的に同一の団体であることを、連中は暗に認めているのかも知れない。

 どうやら、「荒野座」のイベントの案内を羅列したもののようだ。

 意外で はあるが、料金は良心的ではある。それにしても「月例公演」などはまだしも、その醜悪な正体を雄弁に物語っている「労働学校」や「緑フォーラム」などと いった左翼臭いシンポジウム(?)の案内も明記されているあたり、マヌーバー集団特有の頭かくしてなんとやら、というべきか。

 グラビアも豪華である。ナルシシズムと似非・ヒューマニズムとに満ちた目がイッちゃった「荒野座」座員の写真のオンパレード。

 涙ぐましいまでの「普通の劇団」を装ったパンフレットではある。しかし、何度でも言うが、気持ち悪いものは気持ち悪い。

 少しばかり引用してみよう。

「来ると一度に2回楽しめま〜す。」

 どっひゃー!

「月組、桜組、星組公演」

 お前は宝塚か!

 というわけで、妙に草臥れてしまった。

 そしてトドメは、「緑の党」機関誌、「太陽の道」である。サブタイトルは、「愛と緑を育てる荒野座グラフ」である。全編「緑の党」の系列劇団「荒野座」の記事で埋め尽くされている。

 これは親切だ。

 因み に、この「太陽の道」は、バックナンバーを調べてみた限り、「荒野座グラフ」以外にも、月によっては「竜の医学」とか、「民教教育」などのサブタイトルを 持つことがある。要は、「緑の党」には、「荒野座」以外にも、珍妙な教育サークルや、トンデモ医学サークルとしての側面も有しているので、機関誌「太陽の 道」には、それぞれがバランスよく配合されている、と言えばよかろう。

 この「太陽の道」は少し古く、7月15日発行となっている。因みに同誌は、月2回の発行となっているので、私が入手した10月にはすでに、鮮度は落ちている。

 もっとも、その妙な味わいは例外であり、やはりいつ読んでも、気持ち悪いものには変わりはない。

 私は芸能関係は疎いので、どこの誰が言ったのか知らないが、

「天才の呼び名も高い」

という「6歳竜子姫」も出ている。どうやら、「緑の党」イデオローグの三橋辰雄氏の孫か何からしいが、「不幸の子」としか言いようがない。

 私は、目にすることが出きる範囲で、写真などをチェックしまくった。

 どれもこれもひきつった能面顔をしているが、笑顔の写真だけは、なかなかかわいかったのがあった。

 普段の無愛想な表情と見比べてみると、どんなにいびつな環境に置かれているかが良く分かる。

 話はだいぶ飛ぶが、どんなマイナーな情報でもくまなくチェックしたがる傾向にあるロリコンの人が、こいつにチェックをいれていたら嫌だなと思ってしまった。

 それにしても、彼女が天才ならば、何故チャイドルを目指さないのだろう?「荒野座」よりも「セントラル子供タレント」の方が、どれだけましだか分からない。

 又、「竜子姫」は6歳だそうだが、果たして彼女が中学や高校に進学する頃になっても、「荒野座」の舞台に立ってくれるのだろうか?

 素材は悪くはないので、素直な美少女にでもなってくれればよいのだが、万一、不愛想なまま成長してしまったときのことを考えると、頭が痛くなってしまった。

 読めば読むほど、疑問がわいてくる。

 6.「チャリティ銀河コンサート」

 しかし、この日の最大の掘り出し物は、「チャリティ銀河コンサート」のチケットで あった。もっとも、それは、「銀河EVENT」に明記されているように、たかだか500円の価値しかないものではあるが、見るからに閉鎖的な集団の、ウル トラマイナーなイベントに足を運ぶのに絶好の口実が出来たのである。

 主催は、件の「日本ボランティア会」、協賛は「緑の党」文芸局。そして出演は「荒野座」の連中だ。もっとも、これらはほぼ同一の団体なのだが。

 はっきり言って、彼等はかなり閉鎖的な連中である。初めて見る顔に対して、

「どうしてこのイベントのことを知ったのですか?」

と尋ねる可能性は高い。

 しかも、彼等の知名度は低い上に、そんな彼等の行うマイナーイベントのそれは、いわずもがなである。

 しかし、このチケットを手にした以上、それは彼等への協力の動かぬ証拠なのだから、もしもそう聞かれたら、堂々と

「募金したら、このチケットをもらって、よろしければ是非、と言われたのですよ。」

と言えばいいのだ。

 いままでは、その存在はうっすらと知っていたとはいえ、行く動機も口実も、ましてや日程なども知らなかったのではあるが、今回、遂に知ることが出来た。

 嬉しさと緊張とが交錯する。

 かくして私は足を運ぶ決心をした。

 不測の事態に備えて、チケットは勿論、手元の「お宝」を凝視する。チケットの裏に、会場の地図が印刷されている。場所は青戸の「銀河センター」。

 そこは「緑の党」の拠点である。

 おまけにチケットには、住所氏名を書く欄がある。

 かなり不安だ。恐らくは、「緑の党」の連中に取り囲まれるであろう。

 洗脳されたらどうしよう。

 気付いたときには気持ち悪い募金集団の片割れなどという末路は、嫌すぎる。

 そうだ。わざわざ「銀河センター」などという危険な場所に足を運ばなくても、今度の「荒野座」公演があるではないか。因みに、今度の「荒野座」公演は、新宿の朝日生命ホールだ。彼等の本拠地ではない分安心だが、時間が長い上に高いので後込みしてしまう。

 割高かアジトか、それが問題だ。

 少々悩んだが、結局、彼等の実態を知るには、拠点に乗り込む方がよいと考え、足を運ぶことにした。

 さあ!当日には、いよいよバカのパラダイスに乗り込むぞ!

7.「荒野座」観覧記

 いよいよ某月某日(土曜日)。

 「銀河EVENT」にも、拾ったチケットにも明記されている「チャリティ銀河コンサート」の日だ。

 会場は青戸にある。少し辺鄙な場所である。もっとも、私の場合、常時京成線を利用しているので、私にとっては都合がよい場所ではある。

 とはい え、この日に、それ以外に外出する理由がない私としては、その為だけにわざわざ上京するのはまっぴらなので、ついでに当日行われている展覧会などのイベン トを「ぴあ」でチェックした。調べてみると、案外私好みの展覧会などは、やはりどこかで行われているもので、19世紀末の耽美な絵画を集めた展覧会とか、 左翼系の人にとっては垂涎ものの写真展が行われていたので、先ずはそちらへ。

 これらを見回り、ついでに当地の古本屋を散策しつつ、時間を調整。

 そして午後6時頃、京成線青戸で下車。会場の「銀河センター」は駅から徒歩15分と書いてある。開演は6時半なので、間に合うか不安である。

 チケットの裏に地図が印刷されている。なかなか親切である。それを頼りに、私は足を一歩一歩、馬鹿の巣窟へと進んでゆく。

 案の定、6時20分ごろ、「銀河センター」に着いた。

 地方の映画館ほどの大きさである。

 客席に直結している正面の入り口は、暖房が逃げないようにであろうか、鍵がかかっているので、入場者は建物の左手の小さな入り口から入らなければならない。

 狭い上に、入場料500円をそこで支払わなければならないので、ちょっとした人だかりが出来ている。中には、入り口付近でスタッフとくっちゃべって退こうともしないバカヤローがいる。

 私は人混みをかき分け、受け付けに接近。

 そして得意げに拾った入場券を取り出した。

「すいません、これで良いんですか?」

 前述のようにチケットには、「林様」と書かれている。余白には、住所を書く欄があるが、結局何も書かずにいた。

 もしも書かなければならないとしたら適当な住所をでっち上げるとしよう。

 チケットを見せると、そんな私の気持ちなど知る由もないスタッフは

「ああ、救援活動にご協力頂いた方ですね?」

と頷いた。

 やった!これでただで入れる!と思い込んだのもつかの間、

「すいません、500円です」

と私に言った。

 私は一瞬、

「いま見せた紙には、入場券と書いてあるではないか!何で入場券を提示したのに金を取るんだ?こっちは寄付してやったんだ(うそ。この券は拾った)ぞ、バカタレ!」

とでも言おうと思ったが、たかが500円のために、すったもんだを起こすのも面倒だと思ったし、ましてや、会場が連中の拠点であることを考えると、後がこわいので、止めておいた。

 私が500円を手渡し、奥の会場に入ろうとすると、スタッフが私に

「ねえ、貴方、何クン?」

と名前を聞いてきた。私が券を見せると、

「ああ、林クンね!」

と言って、名簿のような紙に「ハヤシ」と書いて、

「どうぞご入場下さい」

と言った。

 どうやら住所は書かなくても良かったようだ。

 当初は万一のことを考え、架空の住所を捏造するために少々頭を捻ってはいたのだが、そんなことをするとかえってヤバイのではないかと思い戸惑って、そのままにして置いたのだが、それで良かったようである。

 これで何れにせよ、私の自宅などが連中に捕捉されることはない。ほっとした。

 それにしても、いきなり「何クン」ときたもんだ。先程私を悩ませた住所云々はともかく、名前を聞かれるのは覚悟してはいたが、まさか、初対面の人間に、しかも客として入場したときの敬称が「クン」であるとは!

 いきなりの展開に、早くも私はくらくらしてしまった。

8.恐怖の客席

 気を取り直して、会場の一階席に着く。天井が妙に低いのだが、二階席があるのだ。因みに、1階、及び2階とも60人ほどが座れる。

 会場10分前とあって、かなりの席が埋まっている。

 どうやら会場の面々の大部分はお互いに面識があるらしく、奴等は妙にフレンドリーに接している。当たり前だが、そこには私の知り合いはいない。ほっとした。

 私はその中から、そこそこ良い席を見つけ、そこに座った。

 周りを 見回す。建物は意外と綺麗である。後から分かったことだが、つい最近落成したものらしい。一面に壁紙が張られているが、それが綺麗であることは、建物が新 しい何よりの証拠である。因みに、壁紙の柄は、流星をあしらったもの。「銀河」という言葉が大好きな連中にふさわしくメルヘンチックなレイアウト。

 建物を見回した後は、観客をチェック。

 何しろ、このイベントは「チャリティコンサート」だからな、会場が連中の拠点では会っても、私のような外部の者がいてもおかしくはないのだ。果たして、ここには「緑の仲間」(連中は、仲間のことをこう呼ぶ)とそうでない人とでは、どのような割合で、ここにいるのだろう?

 ついでに、ここにはどんな顔をした奴がいるのかも、興味がわく。異論はあるだろうが、人はある程度は用紙で判断することが出来るのは否定すべくもない。事実、華やかな場所と地味な場所とでは、そこに集う人の傾向が異なることは、誰でも一目で分かることでしょう?

 雰囲気というやつは、そうした人々の表情や、容姿などの総体でもあるのだから。

 そう、下劣な「言葉狩り」に警戒している私としては、どうしても回りくどい言い方になってしまうのではあるが、私は雰囲気をチェックしたかったのだ。

 果たして美少女はいるのかな?出来る限り見回してみた。

 まず、 右隣の奴は眼鏡と天然パーマのノッポ。後ろに座っている目の細い奴とずっと話し込んでいる。私が席に着いた後そのすぐとなりに座った奴は、垢抜けない善良 そうな学生風。こいつらは少なくとも外見は意外にも普通で、変な感じはしない。ただし、芸能界にいそうな、「男も惚れるような」ナイスガイは、見あたらな い。

 私が入った1階席を見回したところ、男女比は9:1と言ったところか。「荒野座グラフ」などの機関誌には女性が多く写っているので、女性がもう少し多いと思っていたので、少し意外である。

 それに しても渋谷などに生息してそうな華やかな感じの女性は一人もいない。みんな例外なく垢抜けない地味な連中ばかりだ。もっとも、このあたりは男女とも変わら ない。中には例外的に美人がいるが、きわめて2〜3人いるかいないかだ。ただし、地味でナーバスな感じがする。それ以外は、何というか、草臥れた、肌の肌 理が粗そうな女がやたら目立つ。「緑の仲間」は老化現象がひとより速いのかも知れない。

 もしかして、女性が多い華やかなピンぼけ写真でさえない男を釣っているんじゃ....

 中にはものすごい老けた奴もいる。また、外見で人を判断するのも何だが、ものすごいインパクトの強い奴が何人もいる。

 はげて いる奴が数人いた。彼等は例外なくインパクトの強い顔をしていた。中でも一番キョーレツな奴がいた。そいつは、落ち武者のようにはげ上がったヘアスタイ ル、何日も洗ってなさそうなゴキブリのような光沢をたたえた髪、絵に描いたようなオタクくさい牛乳瓶メガネをかけ、顔はどす黒く、E.T.似でやせ形、老 人のような声と口調。まるで爬虫類のよう。しかし意外にも若そうな奴であった。その他にも短髪で頭のてっぺんだけ髪の密度が低く、ひげそり後が妙に濃い、 「ゴーマニズム宣言」に出てきた顔が妙に濃い弁護士のようなタイプのとっちゃん坊やとか、同様に、やはりはげでギョロ目、しかも視点が虚ろでときどき指を しゃぶっているIQの低そうな奴などがいた。

 又、水木しげるの漫画に出てくる童顔、ギョロ目、出っ歯な妖怪をそのまま実写にしたような顔で、何故かずっとニヤニヤしている奴、楳図かずおの各種漫画の不気味なキャラクターの生き写しのような出っ歯女、等々。

 まるで「猫目小僧」の「妖怪百人会」のようである。さぞやカルマを背負いまくったに違いない。こいつはキョーレツだぜ!

 そうい えば、街頭募金野郎どもは、私の知る限りインパクトが強い容姿をした連中が多いことを、このときになって思い出した。ここにいる妖怪百人会のメンバーは、 もしかしたらそのまま「緑の仲間」なのかも知れない。そうだとすれば、我々部外者は、絶対的な少数であることは確実。

 やばい!もしかしたら、ほんとうに危険なイベントなのかも....

 私は、ほんとうに危険なものならば、一目散に逃げようと思っていたので、出口の場所をしっかり思い出しておいた。

 それはそうと、妖怪どもの外見は良く分かったが、それだけで人を判断することなど、出来るはずもない。

 そう、偏見は禁物である、もしかしたら彼等のエトスはまともかも知れない、とお人好しの私は、何とかして「内なる偏見」と闘おうとしたが、それは開演の時刻を迎えるや否や、無惨に裏切られた。

 文字どおりの驚きに囲まれ、時計が6時半を指し、いよいよ開演だ。

9.「チャリティコンサート」!?

 いままで騒がしかった会場がしんと静まり、照明が消され、スライド上映が始まった。

 舞台には、司会のメガネをかけたのび太のママに似た女が、壇上に現れる。

 開口一番、のび太のママが「みなさん、こんにちわあ!」と一声を発すると、観客席から、「こんにちわあ!」と言う声がする。まるで幼児番組の舞台版のようだ。

 私の驚きをよそに、女は、ものを口の中に入れたような、舌足らずの独特の口調で、ノロノロと喋りだした。

「えぇ〜、今回のぉ〜チャリティコンサートはぁ〜、おかげしゃまでぇ、今回で20回目をぉ〜、むかへまひたぁ〜」

「皆はんも〜、ひってひるひょおうにぃ〜、朝鮮共和国(北朝鮮のことを、連中はこう呼ぶ)ではぁ〜」

 リズムやアクセントは東北弁のようでもある。そして、母親がガキに語りかけているようにも聞こえる。まさに幼児番組の「お姉さん」のノリである。

 街頭募金の姿を映したスライドが映ると、舌足らず女は、

「ここにひる、皆ひゃんはぁ〜、じっしゃいに、ご活動されているようでぇ〜」

などと言った。

 何だって?

 そういえば「チャリティコンサート」の割には変である。まるでこのイベントが募金スタッフ内部向けのもののように聞こえる。事実、一般人らしき人の姿はなかなか見あたらない。

 これは 変だ、もしかしたら普通のコンサートではないのではないかという疑問が、私の脳裏を過ぎる。勿論、そこは連中の拠点なので、予想はしてはいたのだが、もし もそうならば、周囲はほとんど「緑の党」の連中、やばい!これはもう、ほんとうに下手な行動をとれないぞ!おとなしくしなければ。

 硬直している私のことなど、つゆ知らず、お人好しの北朝鮮赤十字の感謝状や、神戸市長とのツーショットと続く。

 スライド上映が終わると、拍手が飛ぶ。

 みんな 「新・ゴーマニズム宣言」に出てくる悪役の気持ち悪い連中のように、満面に笑みを浮かべている。こういうのを、「純粋まっすぐ何とか君」とか言うのだろう が、単純にそう言った枠で括れるものではない。確かに、鼻につくだけならばプチブル市民団体などに往々に見られるので、別に珍しくはないのだが、気色悪い のだ。

 スライド上映が終わり、3人の若い女が壇上に立つ。意外にも容姿は標準には達している気がする。ただし、瞳の不気味な輝きは、如何ともしがたい。あらかじめ調べていたのですぐに分かったが、彼女たちは「荒野座」の看板歌手の面々である。

 舞台では何やらコントじみたおしゃべりをしているが、観客どもは幼児のように騒がしいので聞こえない。

 舞台はもう始まっているというのに、ここまでマナーが悪くて良いのか!

10.開演へ!

 コントが終わり、例の三人娘が、曲と歌手の紹介をする。

「まずは『おいらは街のつばくろさ』。歌手は柳崎恵です、どうぞ!」

 声をそろえて言うあたりさぞや練習したのだろう、これ以降も、彼女たちは、曲の紹介をするたびに声を合わせていた。

 それにしても、妙に前置きが長い。少し待ちくたびれてしまった。

 さて、いよいよ曲が聴けるぞ!

 そして、奥の幕が下り、バックミュージックの10数人のオーケストラの姿が現れる。

 驚くのもつかの間、童謡みたいな前奏が始まると、観客の3分の1ほどがどっと席を立つではないか。

 ハレルヤ・コーラスみたいに、立ち上がるのがルールなのかと思ったが、全員ではないのが不思議だ。

 いきなりの展開に、私は少しびびってしまったが、すぐに理由が分かった。

 なんと彼等は、勝手知ったる如く、舞台と観客席との間にあるスペースへおどりだし、曲にあわせて、いきなり変な振り付けで、2人一組で、踊りだしたのだ!

 みんな張り切っている。

 正直、 「我を失って」とか、「夢中」とかいう言葉が、このときの彼等にはほんとうにふさわしい。しかし一生懸命なのは分かるが、みんな異様にへたくそである。し かもみんな目を異様に輝かせているし、先ほど私の目に飛び込んできた例の気持ち悪い奴等も、嬉々として躍っているではないか。これは本当に楽しそうだ。

 いきなりの展開に私は言葉を失った。

 あっと言う間に最初の曲が終わった。次はプログラムを見ると、『心の太陽』という歌である。

 しかし、またもや様子が変だ。

 会場には、入り口で渡されるB6の「アンコール投票券」や、変なチケットを手に、

「アンコール!」と叫んでいる連中がいるではないか。

 普通、アンコールはコンサートの最後に行うものだ。それを、こいつら、早々と、何をアンコールするというのだ?

 謎が謎を呼ぶとは、こうしたことを言うのだろう。

11.「アンコール投票券」

 壇上の女どもが、観客席を見ながら、「リクエストカード」を掲げている連中の数を数えている。

 そして、納得すると、椅子とりゲームのようなノリで、会場に駆け上がっている。

 「リクエストカード」を振り回しているのは20人ほどか。しかし、10人分だけ取ったことを確認すると、彼女たちは壇上へと戻る。

「リクエスト有り難うございましたあ!それでは、今回リクエストしてくれたのは」

「千葉県出身の**君!板橋区出身の**ちゃん!....

 名前が呼ばれるごとに、拍手が飛ぶ。

「青森県出身の??ちゃん!」

 そうなのだ、入場するときに知ったのだが、ここでは男はすべて「くん」で、女はすべて「ちゃん」なのだ。

 まるで小学校のようである。

 思えば 「BAY−FM」の電リクでさえ男女問わず敬称は「さん」だし、クラス会などの例外はあるとしても、それは高校生までの連中に限られることは周知の通り。 幼稚園に類似した構造の老人ホームの場合ですら、「おじいちゃん」などと呼ぶ場合を除いて、「++さん」と呼ぶものである。

 どうやら、本名に由来すると思しき愛称も見受けられるが、中には一昔前の少女漫画のキャラか、場末のピンサロ嬢の源氏名のようなニックネームも見受けられる。或いは、最近のペットにありがちな名前とでも言った方が適当なのかも知れない。

 き、気持ち悪い....

 周りを 見回したが、「竜子姫」と思しき7歳前後のガキ1名をのぞいて、高校生前後とおぼしき奴が見あたらない。大学生前後の奴等は半分ほどだが、そいつらが 「**くん!」などと言われて喜んでいる姿は、ちょっと不気味である。しかし、中には三十路をとうに過ぎたとおぼしき連中もいるので、不気味さは更に増幅 される。

 名前を一通り読み上げた後、たったいま歌ったばかりの曲名『おいらは街のつばくろさ』が読み上げられる。言っておくが、まだ一曲しか歌われていない。

「『おいらは街のつばくろさ』柳崎恵です。どうぞ!」

 又同じ曲をやるというのだ。因みに、このような事態は、各々の曲が歌われる際に、3、4回続いた。そう、同じ曲を、しかも連続して、3回ほど聞く羽目になったのである。

「いやあ!躍っちゃったよ!」

 満足げにそう呟く若者。そのノリは、まるでカラオケで張り切って歌いまくった後のようである。

 私の右となりの奴は、全身でリズムを取っているが、そのリズムは狂っている。振動が空きっ腹と脳天に響く。後ろの方で歌手に会わせて大声で歌っている奴もいる。音痴なのでたまったものではない。

 勿論、このイベントが「コンサート」である以上、これ一曲であるわけもないので、プログラムが進むにつれて、或いは一曲演奏するにつれて、これと同じ光景が繰り返されるのである。勿論連中がそのたびに客席を離れ、踊り狂うのである。

 因みに、この「リクエストカード」同様に使われている件の変なチケットは、連中の店である「銀河JOY」で売っているらしく、「コンサート」の「リクエストカード」としても使えるほか、これ以外の「緑の党」のイベントでも使えるらしいのだ。

 一体これのどこが「コンサート」なんだ!

12.新舞踊

 妙に草臥れる歌の時間が一通り終わり、件の三人娘によるくだらないお喋りタイムが始まった。どうやら、時間調整と休憩とを兼ねているようで、中にはトイレにかけ込む奴もいる。しかしすぐに終わってしまった。

 すぐに、「プログラム」にある「新舞踊」が始まった。

 プログラムによると、次は「新舞踊『飛鳥再生』」だそうだ。

 飛鳥再生?どこかで聞いたようなタイトルである。

 しばらくして、オーケストラの楽器が取り払われた舞台には、2組の男女が変なポーズを決めている。

 音楽が 流れだし、男女はそれに合わせて躍る。どこかで聞いたような音楽だと思ったら、案の定「エヴァンゲリオン」のそれのように思えた。因みに、これ以外の「新 舞踊『横浜』」は、「荒野座」の看板女優である尾崎某なる女が吉幾三の「横浜」に合わせて躍る代物であった。この「新舞踊」、及び後述する「小劇」のとき は普段は騒がしい連中も、きちんと静かにして座っている。実は、このとき私は、鞄の中のチョコレートの包みを開けようとしたとき、音が漏れてしまい、隣の 奴に注意されてしまった。さすがの私も心臓が止まらんばかりに驚いてしまったが、素直に謝ったので、さして気にも留められなかった。よかった、よかった。

 因みに、この「飛鳥再生」中に、女が、「パタリロ」の「クックロビン音頭」そっくりのポーズをとるシーンがあるのであるが、奴等はそのたびによろけていた。

 下手だなあ。これで金を取る気か?

 それにもかかわらず、やはり

「リクエスト〜!」

という歓声が飛ぶ。うるせえなあ。

 そう、私はこの「新舞踊」も、先程の歌と同様、何回も連続して見る羽目になったのであった。

 それにしても、踊りは単調なので、ほんとうにつらい。それ以外にも幾つかの「新舞踊」があり、歌とは違って、観客は踊りはしないのだが、やはり「リクエスト!」と叫ぶ連中が続出。その中には妖怪百人会のメンバーも多数見受けられる。

 こんなもん、何回も見せるな!アホ!

13.プロパガンダ小劇

  そして、「小劇『教授の頭は化石』」が始まった。連中の間では人気がある、有名なものらしく、周囲には蘊蓄をたれる奴等が続出。映画館では確実につまみ出 される行為そのものだが、そんなことを気にしている奴は、私以外に一人もいない。これでどうして私がチョコを食べたことが問題になるというのだ?

 登場人物は偉い教授とその助手。舞台は後援会かシンポジウムの会場。その偉い教授が、「青森山内丸山遺跡」について公演し、会場の人々の質問に答えるというものである。因みに、助手は公演の司会を行うという設定。

 司会役の助手役の男が、例の如く、

「皆さ〜ん、こんにちわあ!」

と挨拶をすると、客席の連中がやはり

「こんにちわあ!」

と無邪気に答える。やはり幼児番組のようだ。

 タイト ルの通り、教授はガチガチの権威主義者である。そのくせ分からない質問が飛ぶと、分からないので小脇に抱えた事典を見て回答する。そのくせ戦前さながらの 記紀の内容をそのまま信じている右翼反動教授である。今はこんな奴はいない。むしろ左翼系の方にいそうな気がする。

 「緑の党」がトンデモ団体であることが、嫌と言うほど分かる箇所であるので、冗長になるが解説しておく。

 「緑の党」は独特の歴史観を有している。大和朝廷以前の体制を賛美し、それ以降のものを否定するあたりは、東アジア反日武装戦線などと共通してはいるが、「緑の党」は、それをトンデモで補強している点にある。

 彼等の 出身地である青森県は、神武天皇と闘った長髄彦(ながすねびこ)が登場する「東日流外三郡誌」の舞台として知られており、さまざまな遺跡が出土しているこ となどから、トンデモ本の宝庫でもある。更に言えば、「緑の党」はそもそも左翼の成れの果てという出自から、天皇制、及び天皇制イデオロギーに支えられた 支配的歴史観なるものを否定しており、自身の正当性を、彼等独特の歴史観に求めるという性質を有している。

 事実、 反日武装戦線は、かつての太田龍さながら、天孫降臨以前の「国津神」の、いわば縄文人やアイヌの社会、すなわち「原始共産制」を賛美し、その復権を提唱し ているのであるが、その観念性や超時代性の故に、日本赤軍などに批判されている。「緑の党」も又、その論法は大して反日戦線と異なることはない。もっと も、反日武装戦線の場合、そこにはアナクロニズムとノスタルジアが大きく反映しているのであるが、「緑の党」の場合、彼等の論拠であるはずの「歴史観」が トンデモであることが特徴である。

 例え ば、摂関家の藤原氏の当主は三井であり(近衛じゃあないの?)、有史以来藤原=三井は一貫して日本の独占支配の頭目であったとか、昔の背が低い日本人と現 在の背が高い日本人の人種が異なるのは、身延山(身長が伸びる寺という意味なんだそうだ)で異民族との交配が組織的に行われたからであるとか、あるいは伊 勢神宮の灯篭の「かごめ」は、皇室がユダヤの手先である証拠であるとか、といったものである。ついでに言えば、かつての東北には、高度な文明が栄えてお り、仮名文字が漢字の変形ではないのだなどと、「古史古伝」の世界の俗流化されたそれ、それもどこかのオカルト雑誌さながらのトンデモな論理が、三橋の著 書では、繰り広げられている。ついでに言うと、平和主義者の平和政策はナンセンスなどと言いつつ、一方ではパンフレットで「平和憲法擁護」などと言った り、選挙公約で「あらゆる差別を許さない」などと言いつつ「ユダヤの陰謀」を信じていたり、はっきり言えば、支離滅裂である。又、内部の人にしか分からな い用語を多用する傾向と、論理的思考力の度し難い脆弱性が大いに見受けられ、一般市民が、彼の著書を読んで素直に感動するなどということは、何冊か実際に 目を通した私としては、容易に信じることが出来ない。機会があれば、実際に彼の著書の引用を交えつつ、科学的な批判をしつつ、その高度なトンデモの世界 を、世間に知らしめたいものである。

 因み に、この劇は、ガチガチの権威主義者の教授が、自身の「虚構」を暴かれたために、「助手」を即刻クビにするというものである。正直、言動が漫画チックと言 えるほどに大げさなことも作用し、トンデモを奉じる観客は、「悪役」の権威を盲信する「教授」に、盛んにヤジを飛ばしている。

 やったあ。連中のプロパガンダ大成功!

 そして、この助手は、例の如く観客に話しかける。

「みなさん、正しいことをいったのに、教授は権威で正論を潰しました。そんな教授の頭こそ、化石だ〜!」

 万雷の拍手。ほんとうにこいつら、「教養文庫」の「奇妙な論理」そのままだ。トンデモ集団の本領発揮。

14.再び歌へ

 再び歌へ。ここまで来ると、もう誰にも止められない。

 この段階になると、私はこの雰囲気にだいぶ慣れることが出来たので、今までのプログラムを思い出してみた。

 彼等は全体的に言えば、「歌のお兄さん、お姉さん」というノリの人が多い。確かに、進行役の3人娘は幼児番組の司会者のようであったし、観客も又、異様なまでに幼児退行性をいかんなく発揮していた。

 確かにそこには、恍惚が存在する。連中は、機関紙「日本新聞」の投稿者よろしく、これを明日への糧として生きてゆくことが出来るのであろう。

 しかし、冷静に振り返ってみると、「荒野座」は下手であることが良く分かった。特にソプラノがひどい。声が小さいか異様に大きいかで、声が裏返り、歌詞が聞き取れないのである。おまけにBGMがオーケストラであり、それとのアンバランスが目立った。

 時折「プァ〜」と、気の抜けた音が耳に障るオマヌケな管楽器の音がボーカルをかき消してしまったことは、1度や2度ではない。

 アルトや男声はその点はクリアしていた。しかし、それを補う欠点があった。どれも同じに聞こえるのである。この点では最近のポップス音楽と変わらない。

 これで夢中になれるのだから連中というのは幸福者である。 

 又、歌に合わせる踊りは、フォークダンスのようにほとんどが男女ペアになる代物であった。後で分かったことだが、連中は、このような「踊り」を、歌に合わせて踊ることを常としているらしい。

 ふと我に返ると、

「ねえ、一緒に躍りましょうよ!」

としきりに声をかけている女がいた。

 最初は 顔見知りに対してだけ声をかけてきたのだが、時間が経過し、気分が高揚するに連れ、片っ端から声をかけまくっている。勿論、踊らないでじっと座っている奴 もいるのではあるが、ついには私にまで声をかけてきたのだからたまらない。第一、私はそんな珍妙な踊りなんぞ知らないぞ。

 腕を引っ張られたらどうしようなどと思ったが、そんなことはなかったので安心した。

 女はま るで乱交パーティーであぶれそうになって焦っているかのように、なおも回りの者を誘いまくっている。キッチュな歌のオンパレードにノリノリになりつつも、 なかなかパートナーが見つからないので少々焦り気味。しかし、案の定パートナーがすぐに見つかり、嬉々として座席を立つ。

 開場から3時間近くも経っているというのに、元気だな〜。

終章.フィナーレ

 いよいよ終わりの言葉を述べる段になったとき、三流漫画のギャグそのままに

「それでは、コンサートももう終わりです。今から、「終わりの言葉」を言います!え〜と、....終わりの言葉です!」

と言う台詞で、遂に終わったかと思うと、フィナーレのやかましい曲が鳴り始めた。プログラムには確かに「フィナーレ」と書いてあるので、この曲がほんとうの最後ということらしい。

 やはり弦楽器はへたくそである。

 さあ、クライマックスだ。会場のほとんどの人が立って、輪になって踊り始めた。まるで「おかあさんといっしょ」のエンディングのようである。

 壇上には、ぼさぼさの白髪混じり髪を振り乱して、「別冊宝島」の「サイコさん」にでも出てきそうな変なジジイがオーケストラの指揮をしている。どうやら荒野座俳優養成機関「芸術学院」長も兼ねている三橋辰雄その人らしい。

 そういえば「緑の党」党首の対馬テツ子も居たような気がする。もっとも、ああいう草臥れた顔をした奴はここでは珍しくないので、もしかしたら勘違いなのかも知れない。

 無我夢中でタクトを振り回す老い耄れ。まさしく酔い痴れている。幸せな老後を過ごせて、良かったね。今日もほら、「緑の仲間」のお陰で無事に楽しい一日が終わったんだからね。楽しい「コンサート」もそろそろお開きだ。

 文字通り、フィナーレの曲が終わったのを確認すると、私は一目散に会場を後にし、京成青戸駅にかけ込んだ。

 思えば、意外とすんなり入場することが出来たし、初顔でも警戒されなかったし、オープンなイベントではあったが、なにぶんそこに集うのは閉鎖的な「緑の仲間」、元過激派という連中。万一、スパイか何かに間違われたら、元も子もないからだ。

 時計は10時を回っている。4時間近くがあっという間に過ぎていたのだ。

身も心もボロボロになり、私は床に就いた。

おわり


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