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毛沢東選集 第四巻

北京 外文出版社

(1968年 初版を電子化)


     電子版凡例(原版の凡例相当部分を適宜変更)

一 本訳書は北京人民出版社一九六四年九月出版の『毛沢東選集』第一巻から第四巻までの完訳である。各論文の解題と注釈もこの版から訳出したものである。
一 注釈は底注と訳注にわかれ、原注は漢数字を〔 〕でかこみ(電子版は漢数字ではなく、半角数字を〔 〕で囲んでいる)、各論文の末尾においた。訳注は訳者がくわえたもので、算用数字を○(電子版では機種依存文字である@などで表現)でかこみ、原注のあとにおいた。
一 度量衡、通貨、行政区画については、一部をのぞいてすべて原文のままの単位を用い、訳注を付した。
一 読み仮名は、《 》で囲まれた範囲で示される。
一 第二水準で表現できない漢字は、基本的に[片+旁]で表現した。それ以外の表現も、適宜[ ]内で記した。
一 本電子版はMS IMEを用いて作成された。
一 傍点のある部分はhtml版では斜字、太字の部分はそのまま太字である。。
一 原文では旧字体などで表現されていても、電子版で表現できないなどの理由により新字体で表現しているところがある。例えば、蒋介石は原文では旧字体だが、電子版では新字体である。


     目次


  第三次国内革命戦争の時期
抗日戦争勝利後の時局とわれわれの方針(一九四五年八月十三日)
蒋介石は内戦を挑発している(一九四五年八月十三日)
第十八集団軍総司会から蒋介石にあてた二通の電報(一九四五年八月)
蒋介石のスポークスマンの談話を評す(一九四五年八月十六日)
国民党と和平交渉をすすめることについての中国共産党中央の通達(一九四五年八月二十六日)
重慶交渉について(一九四五年十月十七日)
国民党進攻の真相(一九四五年十一月五日)
小作料引き下げと生産は解放区をまもる二つの重要な仕事である(一九四五年十一月七日)
一九四六年の解放区活動の方針(一九四五年十二月十五日)
強固な東北根拠地をきずこう(一九四五年十二月二十八日)
当面の国際情勢についてのいくつかの評価(一九四六年四月)
自衛戦争によって蒋介石の進攻を粉砕せよ(一九四六年七月二十日)
アメリカの記者アンナ・ルイズ・ストロングとの談話(一九四六年八月)
優勢な兵力を集中して敵を各個に殲滅せよ(一九四六年九月十六日)
アメリカの「調停」の真相と中国の内戦の前途(一九四六年九月二十九日)
三ヵ月の総括(一九四六年十月一日)
中国革命の新しい高まりを迎えよう(一九四七年二月一日)
延安の一時放棄と陝西・甘粛・寧夏辺区の防衛についての中国共産党中央の二つの文書(一九四六年十一月、一九四七年四月)
西北戦場の作戦方針について(一九四七年四月十五日)
蒋介石政府はいまや全人民の包囲のなかにある(一九四七年五月三十日)
解放戦争第二年目の戦略方針(一九四七年九月一日)
中国人民解放軍宣言(一九四七年十月)
三大規律・八項注意をあらためて公布することについての中国人民解放軍総司令部の訓令(一九四七年十月十日)
当面の情勢とわれわれの任務(一九四七年十二月二十五日)
報告制度の確立について(一九四八年一月七日)
当面の党の政策におけるいくつかの重要問題について(一九四八年一月十八日)
軍隊内の民主運動(一九四八年一月三十日)
異なった地区で土地法を実施するうえでの異なった戦術(一九四八年二月三日)
土地改革の宣伝における「左」翼的な誤りを是正せよ(一九四八年三月十一日)
新解放区における土地改革の要点(一九四八年二月十五日)
商工業政策について(一九四八年二月三十七日)
民族ブルジョア階級と開明紳士の問題について(一九四八年三月一日)
西北地方の大勝利を評し、あわせて解放軍の新しい型の整軍運動を論ず(一九四八年三月七日)
状況についての通報(一九四八年三月二十日)
山西・綏遠解放区幹部会議での演説(一九四八年四月一日)
晉綏日報の編集部の人たちにたいする談話(一九四八年四月二日)
洛陽再攻略ののち洛陽前線指揮本部にあてた電報(一九四八年四月八日)
新解放区における農村活動の戦術問題(一九四八年五月二十四日)
一九四八年の土地改革活動と整党活動(一九四八年五月二十五日)
遼瀋戦役の作戦方針について(一九四八年九月、十月)
党委員会制度の健全化について(一九四八年九月二十日)
九月会議にかんしての中国共産党中央の通達(一九四八年十月十日)
淮海戦役の作戦方針について(一九四八年十月十一日)
全世界の革命勢力は団結して帝国主義の侵略とたたかおう(一九四八年十一月)
中国の軍事情勢の重大な変化(一九四八年十一月十四日)
平津戦役の作戦方針について(一九四八年十二月十一日)
杜聿明らに降伏をうながす書(一九四八年十二月十七日)
革命を最後まで遂行せよ(一九四八年十二月三十日)
戦犯の和を乞うを評す(一九四九年一月五日)
中国共産党中央委員会毛沢東主席の時局にかんする声明(一九四九年一月十四日)
南京行政院の決議についての中国共産党スポークスマンの論評(一九四九年一月三十一日)
元中国侵略日本軍総司令官岡村寧次の再逮捕と国民党内戦犯罪人の逮捕を国民党反動政府に命令することについての中国共産党スポークスマンの談話(一九四九年一月二十八日)
和平条件に日本人戦犯と国民党戦犯の処罰をふくむべきことについての中国共産党スポークスマンの声明(一九四九年二月五日)
軍隊を工作隊に変えよ(一九四九年二月八日)
四分五裂の反動派がなぜまだ「全面的和平」の空念仏をとなえるのか(一九四九年二月十五日)
国民党反動派は「和平のよびかけ」から戦争のよびかけに変わった(一九四九年二月十六日)
戦争責任の問題にたいする国民党のいくつかの答案を評す(一九四九年二月十八日)
中国共産党第七期中央委員会第二回総会での報告(一九四九年三月五日)
党委員会の活動方法(一九四九年三月十三日)
南京政府はどこへいく(一九四九年四月四日)
全国への進軍命令(一九四九年四月二十一日)
中国人民解放軍布告(一九四九年四月二十五日)
中国人民解放軍総司令部スポークスマンがイギリス軍艦の暴虐行為について発表した声明(一九四九年四月三十日)
新政治協商会議準備会での演説(一九四九年六月十五日)
人民民主主義独裁について(一九四九年六月三十日)
幻想をすてて、闘争を準備せよ(一九四九年八月十四日)
さらば、スチュアート(一九四九年八月十八日)
なぜ白書を討論する必要があるのか(一九四九年八月二十八日)
「友情」か侵略か(一九四九年八月三十日)
観念論的歴史観の破産(一九四九年九月十六日)

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