プロレタリア軍事路線とブルジョア軍事路線との根本的相違――修正主義的軍事思想にたいする批判――


 プロレタリア階級が権力を奪取し、権力を強固にし、革命闘争の完全な勝利をかちとるには、「マルクス主義の正しい政治路線を必要としているばかりでなく、マルクス主義の正しい軍事路線を必要としている。」正しい政治路線にみちぴかれなければ、正しい軍事路線はありえず、また、正しい軍事路線がなければ、正しい政治路線をつらぬき、実現させることもできない。

 しかし、「正しい政治路線や軍事路線が、自然に平隠裏に発生し発展するものではなくて、闘争のなかで発生し、発展するものである。一方で、それは『左』翼日和見主義と闘争しなければならないし、他方では、また右翼日和見主義とも闘争しなければならない。革命および革命戦争に危害をあたえるそれらの有害な偏向にたいして闘争し、それらを徹底的に克服しないかぎり、正しい路線の確立も革命戦争の勝利も不可能である。

 数十年このかた、中国革命の発展のそれぞれの歴史的段階において、われわれの党と軍隊内には、根本的に対立する二つの軍事路線がこれまでずっと存在し、先鋭で激烈な闘争をすすめてきた。一つは毛主席に代表されるプロレタリア軍事路線であり、もう一つは「左」翼と右翼の日和見主義者がおしすすめてきたブルジョア軍事路線である。毛主席のプロレタリア軍事路線は、ほかでもなく、ブルジョア軍事路線との闘争のなかで、たえず発展し、より完全なものになってきたのである。

 われわれの偉大な指導者毛主席は、もっとも完全な、もっとも科学的な、もっとも偉大なプロレタリア軍事理論を天才的にうち立てた。毛主席は一九二九年にみずから起草した古田会議の決議やその他一連の軍事論文のなかで、もっとも正しいプロレタリア軍事路線をうち出した。これはマルクス・レーニン主義の軍事思想の最高峰である。これは全世界のプロレタリア階級と革命的人民が帝国主義、現代修正主義およびすべての反動派にうち勝つためのもっとも強大な、もっとも鋭利な武器である。

 中国人民革命戦争の偉大な勝利は、毛主席のプロレタリア軍事路線の偉大な勝利であり、毛沢東思想の偉大な勝利である。

 毛主席のもっとも親密な戦友、われわれの副統師林彪同志は一貫して、毛主席のプロレタリア革命路線とプロレタリア軍事思想を、もっとも忠実に、もっとも断固として、もっとも徹底的に実行してきた。四十年このかた、重大な歴史的瀬戸ぎわにさしかかるたびに、林彪同志はいつも旗幟鮮明に、もっとも確固たる態度で毛主席の正しい路線の側に立ち、毛沢東思想を守り、党と軍隊内の誤った路線と妥協のない闘争をすすめ、すぐれた貢献をしてきた。

 中国のフルシチョフとその代理人彭徳懐、羅瑞卿は一貫して、毛主席のプロレタリア軍事路線に反対し、ブルジョア軍事路線を狂気のようにおしすすめてきた。一九五九年、党の廬山会議が彰徳懐をつまみ出してから、羅瑞卿は反動的なブルジョア軍事路線をおしすすめる急先鋒となった。かは彭真、陸定一、楊尚昆と反党陰謀グループを結成し、中国のフルシチョフの庇護と支持のもとに、必死になって、ブルジョア階級の司令部のために軍事権をのっとろうとした。かれらは文と武をたがいに呼応させ、いったん機が熟せば、反軍令クーデターをおこして、プロレタリア階級独裁をくつがえそうとしたのである。

 社会主義の全時期における二つの軍事路線の闘争は、実質的には、プロレタリア階級とブルジョア階級による兵権争奪の闘争である。これはプロレタリア階級独裁の条件のもとにおける、ブルジョア階級の復活とプロレタリア階級によるそれに反対する闘争の重要な構成部分である。

プロレタリア政治を先行させるかどうかは、わが軍の建設をめぐる毛主席の軍事路線どブルジョア軍事路線どの争点である

 四十年このかた、毛主席の建軍路線とブルジョア階級の建軍路線との闘争はずっと、政治を第一にするかそれとも軍事を第一にするか、政治を先行させるかそれとも軍事を先行させるか、という根本問題に集中していた。

 毛主席の建軍思想と建軍路線の核心は、とりもなおさず、人民軍隊の建設はプロレタリア政治を先行させなければならず、なによりもまず重点的に政治の面から軍隊を建設しなければならないということである。

 わが軍が創設された当初から、毛主席はみずから起草した、偉大な歴史的意義をもつ古田会議の決議のなかで、「軍事は政治的任務を完遂する道具の一つにすぎない。」「中国の赤軍は革命の政治的任務を遂行する武装集団である」と指摘し、軍事と政治の関係を正しく解明した。これがつまり、軍事はかならず政治にしたがい、政治は軍事を統帥するということである。

 彰徳懐、羅瑞卿などの、党内にまぎれこんだブルジョア階級の代表者は、いつも毛主席の建軍思想と建軍路線に対抗し、プロレタリア政治の先行に反対し、軍事第一、技術第一を主張してきた。

 抗日戦争の時期に、国共合作と統一戦線にいかに正しく対処するかという問題で、根本的に対立する二つの路線が形づくられた。

 毛主席に代表されるプロレタリア革命路線は、「統一戦線における独立自主であづて、統一しているが、独立もしている」ことを主張し、「八路軍は共産党が絶対的に指導するという原則」を堅持している。

 王明や中国のフルシチョフに代表される投降主義路線は、抗日統一戦線の指導権を国民党に引き渡すことを主張した。中国のフルシチョフはまた卑屈にも、蒋介石を「革命の旗じるし」だなどともちあげ、共産党の指導する軍隊を「国民政府」に引き渡して、その指導を受けさせようとした。

 羅瑞卿は投降主義路線の必要にこたえて、『抗日軍隊における政治工作』という著書を出した。かれは同書のなかで、階級闘争にはまったくふれず、プロレタリア階級による権力の奪取にもまったくふれず、逆に国民党の反動政治を極力宣伝した。そればかりでなく、蒋介石の指揮に「部隊が絶対的にしたがうのを保証する」よう政治委員に要求し、プロレタリア階級の鉄砲を蒋介石に引き渡そうとさえした。

 解放戦争の時期に、羅瑞卿は『軍隊の政治工作をいかに強化するか』という撮告のなかで、政治、軍事、後方勤務などの活動を同列視し、政治工作を第一位におくことに反対した。かれは、政治工作を「とくに際立たせて、過度に強調したがる」のは「誤りである」といっている。政治工作を過度に強調してはならないというかれの説は、実際には、プロレタリア政治を解消し、ブルジョア政治でそれにとってかわらせようとするものである。

 われわれの副統帥林彪同志は一貫して、毛沢東思想の棒大な赤旗を高くかかげてきた。軍事委員会の活動を主宰するようになってから、林彪同志は、毛主席の楚軍思想、わが軍の歴史的経験にもとずき、みずから中心となって、『軍隊の政治・思想工作を強化することについての決議』を作成した。

 林彪同志は創造的に四つの第一の思想をうち出し、またプロレタリア政治を大いに先行させ、毛主席の著作を活字活用し、四つの第一を堅持し、三八作風を大いにおこし、三大民主を発揚し、四好運動を展開するなど一連の方針、原則や重大な措置をうち出して、わが軍の建設をまったく新しい段階に突入させた。

 毛主席はつぎのように指摘している。四つの第一はすばらしい。これは創造である。解放軍の思想・政治工作と軍事工作ば、林彪同志が四つの第一、三八作風を提起してから、以前にくらべてひじょうに大きな発展をとげ、いっそう具体化され、またいっそう理論化された。

 政治の先行とは、とりもなおさず、毛沢東思想を先行させ、毛沢東思想で広範な指揮員、戦闘員の頭脳を武装し、毛沢東思想にたいする忠誠心をうち立てることである。偉大な毛沢東思想はわが軍の魂であり、わが軍の建設の根本であり、わが軍が永遠に変質しない根本的な保証である。

 羅瑞卿はその個人的野心と反動階級の本能から、毛沢東思想を極度に恐れ、このうえなく憎み、一貫して、毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげてきた林彪同志に反対し、一貫して、林彪同志が全軍、全党、全国で毛主席著作を活字活用する犬衆運動を積極的に提唱し、指導することに反対してきた。

 それと同時に、かれは中国のフルシチョフの『修養』をあがめ奉り、全軍がそれを必修課目とするよう、みずから命令を下した。

 かれのねらいは、ほかでもなく、修正主義の『修養』でわが軍の魂を腐食し、われわれが方向を見失い、毛主席のプロレタリア建軍路線から離れるようにし、われわれに階級と階級闘争を忘れさせ、プロレタリア階級独裁を忘れさせ、わが軍のプロレタリア的性格を根本からあらためようとすることにあった。

 羅瑞卿はまた軍事技術をきそいあうことで政治をおし流し、毛主席著作の学習をおし流そうとした。

 林副主席は時をうつさず軍事技術大競演の誤りをただし、ふたたび政治先行の指示をおこなった。ところが、羅瑞卿はなおもかたくなに抵抗し、「軍事訓練はとりもなおさず政治であり、最大の政治である」などとデタラメをならべた。政治と軍事を同等にあつかい、軍事を政治にとってかわらせるこうした説は、徹頭徹尾のブルジョア軍事観点である。

 毛主席は、政治は統帥であり、魂である。政治工作はすべての工作の生命線である、とわれわれに教えている。

 羅瑞卿がその一連の修正主義の謬論をまきちらしたのは、ほかでもなく、政治を軍事にしたがわせ、軍事に政治を指導させ、わが軍の魂をぬきとり、われわれのプロレタリア軍隊をブルジョア軍隊に変えようとするためであった。

 階級と階級闘争の存在する社会において、社会の客分野はいずれも真空状態であるはずがなく、プロレタリア思想の指導を受けいれなければ、ブルジョア思想の指導を受けいれることになる。軍隊は階級闘争の道具であるから、プロレタリア政治に奉仕するのでなければ、ブルジョア政治に奉仕することになり、これまで政治から遊離した軍隊はなかったし、またあるはずもなかった。

 すべてのフルシチョフ式の人物がプロレタリア権力をのっとり、資本主義を復活させるためには、そのひじょうに重要な手段として、まず最初に思想的に軍隊を腐食させ、軍事権をのっとり、鉄砲をその手に握る。したがって、プロレタリア政治を先行させるかどうか、人の思想の革命化をおこなうかどうかは、プロレタリア階級の軍隊が変質するかどうかにかかわる大きな問題であり、鉄砲がプロレタリア階級の手に握られるかそれともブルジョア階級の手に握られるかにかかわる大きな問題である。とどのつまり、それはプロレタリア階級が権力を奪取したのちに、権力をうち固めることができるかどうかにかかわる大きな問題である。

人民戦争を必要とするかどうかは、毛主席の軍事思想とブルジョア軍事思想の分水嶺である

 人民戦争についての毛主席の偉大な理論は、マルクス・レーニン主義を天才的、創造的に発展させた。この偉大な理論は、中国人民のために全国の勝利をたたかいとる唯一の正しい道を切りひらいたばかりでなく、全世界の被抑圧民族と被抑圧階級に完全な解放をめざす広びろとした道をさし示した。

 すべての被抑圧民族と被抑圧階級が自分の解放事業を完遂するにあたって、もっとも重要なことは、ほかでもなく、毛主席の人民戦争についての理論で武装し、鉄砲で古い国家機関をうち砕き、鉄砲で帝国主義とその手先をうち倒し、鉄砲で世界全体を改造することである。

 人民戦争を必要とするかどうか、人民戦争をおこなう勇気があるかどうかは、毛主席の軍事思想とブルジョア軍事思想の分水嶺であり、またマルクス・レーニン主義と修正主義、真の革命とニセの革命を見分ける試金石である。

 毛主席はわれわれに、「革命戦争は大衆の戦争であり、戦争をするには大衆を動員する以外になく、戦争をするには大衆に依拠する以外にない」、「革命政府のまわりに何百何千万の大衆を結集して、われわれの革命戦争を発展させたなら、われわれはすべての反革命を消滅することができる」と教えている。

 毛主席の人民戦争の思想は、あくまで大衆を信頼し、大衆に依拠する思想的基礎のうえにうち立てられたものである。

 すべての日和見主義者と同様に、羅瑞卿の軍事思想は唯武器論の基礎のうえにうち立てられたものである。かれは頭から大衆を信頼せず、大衆に依拠せず、大衆を武装することに反対し、民兵制度に反対し、毛主席の人民戦争の偉大な戦略思想に反対してきた。

 中国のフルシチョフは、技術が第一で、技術がすべてを決定するなどと宣伝してきた。羅瑞卿は、新しい技術装備があれば、「侵犯してくるどんな敵でも、済上で、空中で、また敵が攻撃をかけた基地でそれを消滅する」ことができると鼓吹した。かれらは武器で勝利がかちとれるという論点を強調して、人民大衆を武装することに反対し、人民戦争で帝国主義の侵略に対処することに反対し、単純に技術装備にたよって敵にうち勝とうと夢見てきたのである。これは典型的なブルジョア軍事思想である。現代の条件のもとで作戦する場合、人民大衆に依拠する必要がなくなり、人民戦争をおこなう必要がなくなったのかどうか。否、まったくそうではない。「力の対比は軍事力および経済力の対比であるばかりでなく、人力および人心の対比でもある。軍事力と経済力は人間によってにぎられるのである。」近代兵器と技術装備がいかに発達していようと、また近代戦の戦法がいかに複雑であろうと、戦争の勝利は、やはり人民大衆の擁護と支持にかかっており、人民大衆の闘争にかかっているのであって、とどのつまり、やはり人民戦争にたよるべきである。これは敵にうち勝つもっとも重要な、 もっとも確かな保証である。

 われわれの偉大な指導者毛主席は、大衆を武装する重要性についてもっとも完全な、もっとも深くほりさげた解明をおこなった。全国の勝利ののちに、毛主席はわれわれに一再ならずこう教えている。

 「帝国主義者はこのようにわれわれをしいたげているが、これには真剣に対処する必要がある。われわれは強大な正規軍をもたなければならないだけでなく、大々的に民兵師団をつくらなければならない。そうすれば、帝国主義がわが国を侵略したとき、かれちを身動きできないようにすることができる。」「もしも帝国主義があえてわが国にたいして侵略戦争をおこすならば、その時、われわれは全民皆兵を実現し、民兵は人民解放軍と呼応し、いつでも人民解放軍を補充して、侵略者を徹底的にうち負かすであろう。

 林副主席はつぎのように指摘している。民兵工作はわが国の国防建設の根本的問題であり、戦略問題の重要な構成部分であり、党の大衆路線の戦争面における具体的運用である。近代化された革命的軍隊の建設と民兵師団の大規模な創設を結びつけること――これは「二本足で歩く」方針の国防建設の面における具体的運用であり、毛主席の人民戦争の思想の現代の条件下におけるきわめて大きな発展である。

 民兵は従来からわれわれの武装勢力の重要な構成部分であり、われわれのプロレタリア階級独裁の道具である。民兵を必要とするかどうかは、実際には、プロレタリア階級独裁を弱めるかそれとも強化するかにかかわる大きな問題である。

 中国のフルシチョフとその代理人羅瑞卿は、毛沢東思想にもとずいて組織された民兵を、かれらが党をのっとり、軍隊をのっとり、資本主義を復活させるうえでの一大障害物と見なした。かれらは一方では百方手をつくして民兵建設をぶちこわし、人民大衆を武装することに反対し、他方では民兵建設のなかで軍事一点ばりの観点をひろめ、プロレタリア政治の先行に反対し、ブルジョア世界観でわれわれの民兵を改造し、民兵を個人的野心を実現させるかれらの道具にしようとした。

 毛主席は「この軍隊が強力なのは、さらに、それが自己を主力兵団と地方兵団の二つの部分に分けているからであり、前者はいつでも超地方的な作戦任務を遂行することができ、後者の任務は民兵、自衛軍と協同して、その地方の敵を攻撃することに限定されている」とわれわれに教えている。

 全国の勝利ののちにも、毛主席は一再ならず、地方武装力の建設を大いに強化しなければならない。地方武装力は自分自身の建設を強化するほかに、平時は地方と協力して、大衆工作を強化し、民兵をりっばなものにし、戦時は民兵で補充、拡大し、敵にたいして作戦をおこなわなければならない、と指示している。

 中国のフルシチョフとその共犯者羅瑞卿は、民兵制度に反対するとともに、地方武装力の建設にも極力反対してきた。中国のフルシチョフは、地方武装力は「少しつくってはどうか。生産からなかば離れ、農繁期には家に帰れ」といった。これは地方武装力をまったく必要としない謬論である。

 羅瑞卿もかれの主人の意思にもとずいて、地方武装力建設を強化することについての毛主席の指示を、最初は必死になって封鎖し、まる五年間もそれをこばんで実行せず、そののちには、面従腹背、二心派的態度をとり、なん回となくその中身を抜きとり、百方手をつくして、地方武装力の建設を破壊した。

 林副主席はつぎのように指摘している。「われわれの軍隊は自分の主力車をもっているばかりでなく、自分の地方軍ももっており、しかも民兵組織を大いにつくり、発展させて、主力軍、地方軍、民兵三結合の武装勢力体制を実行している。」

 三結合の武装勢力体制を実行すれば、何億という人民大衆の積極性を発揮させて、戦闘的な統一体をつくり、人民戦争の威力をあますところなく発揮させることができる。帝国主義がわが国を侵略した場合、民兵はわが軍の尽きることのない予備勢力であるばかりでなく、広範な人民大衆を率いて、遊撃戦を幅広く展開することもできる。地方武装力はその地区で敵との闘争を堅持する中核であり、広範な民兵を率い、主力軍と力強く呼応して作戦をおこない、しかもたえず編制を拡大し、発展させて、主力軍を強大にするものである。

 主力軍は、地方武装力と広範な民兵による呼応作戦があれば、余裕をもたせて、強力な「こぶし」を形づくり、有利な戦機をねらい、つくり出して、いつでも機動的、集中的に、殲滅戦をおこなうことができる。

 中国のフルシチョフと羅瑞卿は民兵を解散させ、地方の武装勢力を解散させようとした。かれらは人民大衆を武装することに反対し、人民戦争で帝国主義の侵略戦争に対処することに反対し、国家の運命を技術装備にかけ、人民戦争の思想を頭から否定した。もしわれわれが羅瑞獅の例の説を信じるならぱ、われわれが苦難にみちた戦いを経てかちとった勝利の成果を葬りさり、プロレタリア革命事業全体を葬りさることになるであろう。

積極的防御かそれとも消極的防御かは、戦略指導をめぐる毛主席の軍事路線とブルジョア軍事路線の、根本的に対立する二つの方針である

 積極的防御は毛主席の一貫した戦略思想であり、われわれがこれまで革命戦争の勝利をかちとり、帝国主義の侵略に対処する根本的な指導思想であり、また各国人民が革命戦争の勝利をかちとるための唯一の正しい指導思想でもある。

 毛主席はわれわれに、「積極的防御は、また攻勢防御ともいい、また決戦防御ともいう。消極的防御は専守防御ともいい、また単純防御ともいう。消極的防御は、実際には、にせの防御であって、積極的防御だけがほんとうの防御であり、反攻と進攻のための防御である」と教えている。

 戦略指導のうえで積極的防御の戦略方針をとるか、それとも消極的防御の戦略方針をとるか、これは革命戦争の勝敗にかかわる根本的問題である。

 積極的防御は、プロレタリア階級の徹底的に革命をおこない、徹底的に敵を消滅するという思想的基礎のうえにうち立てられたものであり、その核心は、殲滅戦をおこなうことにほかならない。殲滅戦をおこなってのみ、たえず敵を消耗させ、弱め、自分の勢力を発展させ、強大にし、最後に敵にうち勝つことができるのである。殲滅戦は、われわれの作戦の基本的な指導思想である。遊撃戦を主としようと、あるいは運動戦を主としようと、また戦略指導の面でも、あるいは戦闘行動の面でも、この指導思想をつらぬかなければならない。

 中国人民の革命戦争の歴史が立証しているように、われわれの偉大な統帥毛主席の積極的防御の戦略方針を断固として実行しさえすれば、かならず戦争に勝ち、革命事業を順調に発展さすことができるが、その反対をゆくならば、かならず戦争に負け、革命事業を挫折させる。

 われわれの副統師林彪同志は一貫して、毛主席の積極的防御の正しい方針をもりとも忠実に、もっとも断固として、もっとも徹底的に守り、実行し、消極的防御の誤った方針に反対してきた。林彪同志は、毛主席の偉大な戦略思想を真剣に学び、毛主席の積極的防御の戦略方針の完全な実現を断固として保証するよう、われわれになん回も指示している。

 羅瑞卿は一貫して、毛主席の戦略思想に反対し、消極的防御を主張してきた。はやくも抗日戦争の時期に、羅瑞卿は彭徳懐に追随して、敵の後方で大衆を思うぞんぶん立ちあがらせ、独立自主の遊撃戦を展開し、抗日根拠地をうち立て、人民抗日武装勢力を発展、強化することについての毛主席の正しい方針に反対した。かれらは勝手に八路軍の主力を集中して日本侵略者と消耗戦をおこない、華北抗日根拠地とわが軍の発展に重大な挫折をもたらした。これは実際には、国民党を支持し、国民党に加担したことになる。羅瑞卿はわが軍の重要な職位をかすめとってからのち、中国のフルシチョフの階級的投降主義と民族的投降主義路線の必要にこたえて、消極的防御の誤った方針をおしすすめることを必死になって主張してきた。中国のフルシチョフは「敵をくいとめるべきだ」、「敵が攻めてきたらたいへんなことになる」といった。羅瑞卿もその尻馬にのって、「いま条件は変わった」、「水をせきとめる方法」しかとることができない、といった。かれらのこうした謬論は、なにも目新しいものではなく、毛主席がはやくも三十年代に批判を加えた、「敵を国の門外で防ぐ」という例の消極的防御のガ ラクタにすぎない。

 消極的防御を宝器とあがめ、それにしがみつき、いたるところで防備のかまえをとり、兵を分散させて関所を守るならば、必然的に、いたるところでたたかれるという受身の立場に立たされ、われわれのプロレタリア階級の山河を葬り去ってしまうことになる。これは帝国主義に屈服し、戦争を恐れるフルシチョフ修正主義の後継者どもに共通した心理的特長である。

 中国人民は毛沢東思想で武装された偉大な人民であり、敵を大量に消滅するため、敢然と敵を深く誘いこみ、優勢な兵力を集中し、有利な時期を見計らって敵を懺滅する。敵の兵員を殲滅してのみ、国土を最終的に保つことができるのである。

 かれらは「条件が変わった」とわめき立てている。どのような条件が変わったというのか。帝国主義が原子爆弾、核兵器を擁するようになっただけである。これは、なにも大したことではない。マルクス主義者は従来から、技術装備にどのような変化がおころうと、革命戦争の基本的法則は変わらない、と考えている。

 「武器は戦争の重要な要素ではあるが、決定的な要素ではなく、決定的な要素は物でなくて人間である。」戦争の最終的な勝敗はやはり、地上部隊の連続作戦にたより、人の政治的自覚にたより、人の勇敢さと犠牲的精神にたより、小銃や手榴弾にたより、銃剣にたより、接近戦や夜間戦にたより、数十メートル以内の白兵戦にたよらなければならない。帝国主義の侵略戦争に反対するにあたって、敵がどんな兵器を使おうと、かれらがあえてわが国の領内に深く攻め入りさえすれば、われわれは最大の主動権を握ることになり、われわれの長所と優勢を十分に発揮し、いろいろな方法を用いて敵に打撃をあたえ、人民戦争の神通力を大いに示して、かれらが攻めてきでも帰れないようにすることができる。

 中国のフルシチョフと羅瑞卿が毛主席の積極的防御の戦略方針に気違いのようになって反対し、消極的防御の戦略方針を必死になっておしすすめたのは、まったく帝国主義と現代修正主義の政治的必要にこたえるためであり、それは中国人民と世界人民の根本的利益に完全にそむき、プロレタリア革命事業を完全に裏切るものである。

 毛主席がみずからおこし、指導しているプロレタリア文化大革命の前夜に、毛主席に反対し、毛沢東思想に反対し、毛主席の軍事路線に反対し、軍隊をのっとり、堂に反対した反革命修正主義分子羅瑞卿の陰謀は徹底的に破綻した。かれのおしすすめた反動的なブルジョア軍事路線は、かれもろともに、全軍の広範な指揮員・戦闘員に見捨てられてしまった。

 国をあげて毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげ、革命的大批判の高まりをもりあげ、中国のフルシチョフをかしらとする資本主義の道を歩む党内最大のひとにぎりの実権派を批判によって徹底的にうち倒し、鼻つまみものにするにあたって、われわれはかならずブルジョア軍事路線を大いにうち破り、かれらの流した害毒を完全に一掃し、毛沢東思想にたいする忠誠心を大いに、高々とうち立て、毛主席の軍事路線を大いに、高々とうちたてて、プロレタリア政治を永遠に先行させ、全軍の思想の革命化と組織の革命化をいちだんとうながし、鉄砲を永遠にプロレタリア階級の手に握り、プロレタリア階級独裁を防衛し、われわれのプロレタリア階級の祖国が万代まで変色しないように、しなければならない。

(『人民日報』1967年9月7日)

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