「労働運動の指導者」か、最大の労働貴族か――中国のフルシチョフの反革命修正主義の労働運動路線を徹底的に批判する


 『人民日報』編集者のことば――労働運動のなかで、反革命経済主義、組合主義をおしすすめたり、「全人民の労働組合」論、労働運動の「自然成長論」を鼓吹したりするのは、ベルンシュタインからフルシチョフの手合にいたる新旧修正主義者がプロレタリア階級の根本的利益を裏切り、労働運動を売りわたすために一貫して用いてきた反軍命の手口である。

 中国のフルシチョフはこの方面でも、かれの大先輩とくらべていささかの遜色もない。かれも、まさにこの反革命修正主義の「理論」によって、労働運動にたいするプロレタリア階級の政党とマルクス・レーニン主義、毛沢東思想の指導に反対し、プロレタリア革命とプロレタリア階級独裁を破壊して、わが国で資本主義の復活を実現させようと夢みている。

 中国のフルシチョフの反革命修正主義路線を徹底的に批判することは、わが国と世界の労働運動が毛主席のさし示すプロレタリア革命路線に治って勝利のうちに前進することを保障するうえで、重大かつ深遠な意義をもつものであり、それはまたわが国労働者階級の光栄ある任務の一つでもある。

 中国のフルシチョフは歴史を転倒させて、「労働運動の指導者」になりすましていたが、大量の事実が立証しているように、かれはもともと「労価運動の指導者」などというものではなくて、徹頭徹尾、労働者階級の利益を売りわたす最大の労働貴族であった。かれが労働運動のなかでおしすすめたのは、反革命修正主義の労働運動路線であった。この反革命修正主義の労働連動路線とは、経済主義、組合主義を中核としたものであって、解放前では極力、帝国主義、封建主義、官僚資本主義の支配を擁護して、武力による国家権力の奪取に反対し、解放後では、資本主義の道を歩むことを固持して、社会主義革命に反対し、プロレタリア階級独裁に反対することであった。

 

 労働者階級が国家権力を獲得する以前では、たんに合法的な経済闘争だけをおこなって、支配階級に、目先のわずかな「福祉」を乞い求めるか、それとも支配階級の反動支配を根底からくつがえして、国家権力を奪取するか――これは従来から、マルクス主義と修正主義、改良主義との闘争の焦点となっていたものである。

 マルクス主義者は、革命の根本問題は国家権力の問題だと考えており、毛主席はわれわれに、「世界中のすべての革命闘争はみな権力を奪取し、権力をうち固めるためである」、「革命の中心任務と最高の形態は、武力による政治権力の奪取であり、戦争による問題の解決である」、「中国共産党の武装闘争とは、プ目レタリア階級に指導された農民闘争である」、「民衆の組織や民衆の闘争などのような……その他のすべてのものも非常に重要であり、どうしても欠くことができず、無視することのできないものではあるが、いずれも戦争のためのものである。……直接または間接に戦争に呼応するものである」と教えている。

 毛主席のこれらの偉大な教えは、労働運動の全般的方向、全般的任務をはっきりとさし示しており、それをいいかえれば、労働者階級を組織し、立ちあがらせ、党の指導する農民革命戦争に直接または間接に呼応して、農村で都市を包囲し、武力で国家権力を奪取するためにたたかうということである。

 中国のフルシチョフは、中国の労働運動においても、また世界の労働運動においても、最大の反革命経済主義者であり、革命が転化するそれぞれの肝心な時点で、かれはたびたびとび出してきて、経済主義をさかんに宣伝し、経済闘争を鼓吹し、政治闘争に反対し、労働運動の武装闘争への呼応に反対し、農村で都市を包囲して国家権力を奪取することに反対した。すでに一九二三年、かれは裏切り者陳独秀と互いに唱和し、労働者階級を「幼稚」だと悪どく中復し、このように幼稚なプロレタリア階級がすぐに「国家権力の奪取を実行する」ことなど、もちろん問題にならぬ、とデタラメをならべたてて、労働運動を経済主義の邪道にひきずりこもうともくろんだ。

 北伐戦争と土地革命戦争の時期に、かれは革命戦争から離れ、国家権力の奪取という根本問題から離れて、極力、経済主義を宣伝し、経済闘争を鼓吹し、「労働組合運動の方針としては、さまざまな経済闘争をおこなうべきである。労働者というものはどんな時期でも、経済上の利益から離れることができないのであって、経済間題は労働者がかならず争うものである」などとデタラメをいった。以上の理由で、かれは、「経済闘争の発展が、とりもなおさず、中国労働運動の発展である」という公式をうち出し、「経済的要求に政治的スローガンや政治的要求をつけくわえる」のに反対したのである。一九二五年五月三十日、上海の労働者と学生が帝国主義に反対しでおこなったデモ行進や「五・三○」ゼネスト――この世界をゆり動かした事件に、毛主席は高い評価をあたえたが、中国のフルシチョフの目にうつったのは、「七万五千元をかちとった」ということであって、そのためにかれはほくほくしていたのである。

 抗日戦争の時期にはいっても、かれは相変らず、「経済的要求は大衆の目的だ」といいたてたり、「労働組合が経済組織である限り、つねに労働者の経済的利益をまもるためにたたかわなければならない」などといった。また、労働組合が「もっぱら政治的任務のためにたたかって」はならないとも語った。こうして、かれは、人びとが当時の先鋭な民族闘争や階級闘争から離れて、「経済的利益」にのみ関心をもつようにさせようとしたのである。

 抗日戦争の勝利復、かれは一歩すすんで、「合法的な大衆闘争と議会闘争」なるものをおおっびらに鼓吹した。

 かれのこの一連のやり方を一点ににつめるならば、それは「経済闘争がすべてであり、すべては経済闘争のためである」ということになる。かれが鼓吹する「経済闘争」は、実際には、労働者が労働力を売る場合の有利な条件を「法律として制定」させるくらいが関の山で、闘争を国民党反動派の許可する範囲内にとどめ、蒋家王朝には頭から指一本ふれようとはしないものであった。

 マルクス・レーニン主義、毛沢東思想は従来から経済闘争を排除したことはなく、経済闘争を政治闘争に結びつけ、経済闘争を政治闘争にみちびいていって、革命戦争のために奉仕し、武力による国家権力の奪取に呼応することを主張してきた。政治闘争を離れ、武力による権力奪取の闘争を離れ、労働運動に経済闘争、合法闘争のワクをはめては、労働者階級の頭上にのしかかっている三つの大きな山をくつがえし、支配され、奴隷化されている労働者階級の地位を変えることは不可能であり、また「経済的要求」なるものすら根本的に解決することも不可能である。中国のフルシチョフがおしすすめた、「経済闘争がすべてであり、すべては経済闘争のためである」という修正主義の黒いしろものは、まったく反革命的な経済主義、物もらい主義であり、施し物を乞い求めるものである。それはまた、まったく帝国主義とその手先の必要に応じ、反動支配の擁護に奉仕するものでもある。かれのこの一連のやり方は、完全に旧修正主義者、大労働貴族、大裏切り者――ベルンシュタイン、カウツキーおよびロシアのツァーの代理人「経済派」の手合の衣鉢をうけつぐものである。

 中華人民共和国の成立は、わが国の革命が社会主義革命の段階にはいったことを示している。この新しい歴史的段階で、プロレタリア階級独裁を堅持し、社会主義革命を最後までやりぬき、社会主義経済を発展させて、共産主義の実現のためにたたかうか、それとも社会主義革命を解消し、物質的生産にだけ力をそそぎ、プロレタリア権力を強固なものにするという根本的利益をすてさり、労働者に目先きの利益を追求させて、資本主義復活のために道をきりひらくか――これは、労働者階級が権力を獲得した後、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想と、修正主義との労働運動における闘争の一焦点である。

 全国的勝利の前夜、われわれの偉大な指導者毛主席が党の第七期中央委員会第二回総会でおこなった報告、中華人民共和国の成立後、毛主席をはじめとする党中央委員会がうち出した、過渡期における党の総路線と総任務、生産手段所有割の社会主義的改造の基本的完成後、毛主席が発表した『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』、『中国共産党全国宣伝工作会議における講話』などの画期的な輝かしい著作――これらは全党、全国のために、また中国の労働運動のために、全般的方向、全般的路線および最高原則を規定した。

 ところが、中国のフルシチョフは党をのっとり、政府をのっとる憎むべき野心をいだいて、労働運動の陣地をしっかりとつかんで放さず、またも民主主義革命の時期の「経済闘争の発展がとりもなおさず労働運動の発展である」という公式をもち出してきた。かれはそれに新しい化粧をほどこして、「生産運動がとりもなおさず労働運動である」とか、「労働者の切実な生活のためにたたかう」などというスローガンをうち出し、労働組合が革命にとりくみ、政治にたずさわることに反対し、労働組合が生産や福祉事業にのみ専念することを提唱して、労働運動をわき道にそらせようとはかった。これは中国のフルシチョフが一貫しておしすすめてきた、プロレタリア階級独裁の条件下における反革命経済主義の一つの新たな表現形態であり、かれがそれによって社会主義革命とプロレタリア階級独裁に反対し、毛主席のプロレタリア革命路線に対抗してきた犯罪的陰謀である。

 解散の初期、かれは恥知らずにも、「資本家を安定させる」よう労働者に要求し、また「組合幹部にできるだけ方法を講じ、力をつくし声を大にして、労働者を説得し」、資本家と協力させるよう指図をあたえた。

 生産手段所有制の社会主義的改造の基本的完成後も、この大労働貴族はのべつまくなしに、労働組合の任務は「社会主義競争と先進生産者運動によって、生産性の不断の向上のためにたたかう」ことである、としゃべりまくった。これはフルシチョフがさかんに宣伝した、「経済問題と生産問題は党組織の活動の中心を占めるものであり、党組織の全工作の第一位を占めるものである」ということとまったく八二つである。かれらのねらったのは、プロレタリア階級独裁に反対し、政治戦線と思想戦線で社会主義革命を最後までおしすすめるのに反対することである。

 マルクス主義者は生産を発展させることに反対しないばかりか、生産を発展させることを積極的に主張するものであり、これまで社会主義経済を発展させることがプロレタリア階級独裁の基本的任務の一つである、と考えてきた。しかし、社会主義生産を発展させるには、かならずプロレタリア階級の政治によって統率し、社会主義革命を原動力としなければならない。いいかえれば、「革命にカをいれ、生産を促す」ようにしなければならないのである。

 中国のフルシチョフが生産を発展させる目的は、「個人の所得を増加させ、個人の生活を向上させる」ことだと鼓吹して、物質的刺激をはかり、「生活に力をいれ、生産を促し」、「分配」をその原動力とした。これは労働者階級の根本的利益を売りわたし、革命的な労働運動を葬りさるものである。

 2

 どのような政治路線にも、かならずそれに相応する組織路線があって、それに奉仕するものである。中国のフルシチョフは、労勘組合組織を経済主義、組合主義をおしすすめ、プロレタリア革命に反対し、プロレタリア階級独裁に反対するかれの必要に適応させるため、八方手をつくして労働組合組織の階級性を抹殺し、やっきになって労勘組合を「共通の経済的要求」をもつ「経済組織」にすぎないものに変え、すべてを包含する「全人民の労働組合」に変えようとした。

 はやくも全国的勝利のまえ、かれは極力、労働組合は「一定の共通した経済的要求のうえにうち立てられた経済組織」であり、「政治的信念の相違を問わず」、「およそ共通の経済的要求をもつ者はすべて結集し、組織化される」などといいふらした。

 かれは、「労働組合に加入する者は、政治的条件による制約をうけるべきではない」と主張して、根底から労働組合の階級性を抹殺し、労働組合が階級闘争の道具であることを抹殺した。

 毛主席ははやくもソビエト区において、労働組合を強固な階級的労働組合にすべきであると指摘している。

 レーニンもかつて、「労働者階級の政治的発展と政治的組織化をたすけることは、われわれの主要な基本的任務である」と指摘している。

 中国のフルシチョフはひたすら、労働組合を「経済組織」にしてしまおうとしたが、それはまぎれもなく、経済的改良だけしかやらず、政治闘争に反対し、武力による権力奪取に反対するかれの反革命修正主義路線に奉仕するものである。

 全国的勝利ののち、毛主席はかつて「労働組合は労働者階級の大衆組織である」、「スリに用心し、反動特務分子が組合にまぎれこむのを防がなければならない」と指摘している。

 ところが、中国のフルシチョフは、資本主義を復活させる必要から、相変わらずかたくなに労働組合を「経済組織」に変えようとしたばかりでなく、また、それを「全人民の労働組合」に変えようとしたのである。

 全国解放の初期、かれは「搾取には功労がある」と鼓吹すると同時に、ブルジョア階級の利益を代表する民主党派の成員を労働組合に加入させてもよい、という意見を出した。しかも、かれらは、「選出されれば組合の指導機関にはいって活動する権利をもつ」などともいったのである。三大改造の基本的完成後、かれの「全人民の労働組合」論は極端なところにまで発展した。

 かれは一歩すすんで、資本家の「固定利子がとり消されると、かれらの階線的身分も変わってしまうではないか。かれらを労勘組合に加入させても、赤と黒とは十対一の比率だ」などと主張し、さらに「改造された地主分子、富農分子、反革命分子、悪質分子も労働組合に加入することができる」ともいった。がれはまた、「六億のひとがみな労働者になり」、「労働祖合に統一される」ことをさかんに宣伝した。

 きわめて明らかなように、かれのこの一連の言い草は、まったくかれの階級闘争済械論とつながるものであって、それはまったく階級の区別をかきみだし、労勘組合の階級性を完全に放棄したものである。

 労働組合は階級闘争の産物であり、階級闘争の道具である。社会になお階級と階級闘争が存在するかぎり、労働組合は全人民のものにはなりえない。

 中国のフルシチョフが八方手をつくして労働組合を「全人民の労勘百合」にしようとしたねらいは、独裁の対象を労働者階級のようにみせかけ、労働紺令を地主分子、富農分子、反革命分子、悪質分子、ブルジョア分子の掩護体に変え、労働糾合をかれが党ののっとり、政府ののっとりをたくらみ、資本主義を復活させる道具にしようとしたところにある。

 3

 労働組合は、労働者階級の政党の指導をうけいれなければならないか、どうか――これは労働運動におけるマルクス主義者と修正主義者との根本的な相違の一つである。経済主義者はかならず同時に組合主義者であり、かならず党が労働者階級の最高祖織形態であることを否定し、労働組合にたいする党の指導に反対する。中国のフルシチョフもまったくそのとおりである。

 毛主席はわれわれに、党はプロレタリア階級の前衛であり、プロレタリア階級の組織の最高形態であり、それはその他のすべての組織、たとえば軍隊、政府、大衆団体を指導すべきである、と教えている。ところが、中国のフルシチョフは毛主席の教えとは反対のことをさかんにとなえ労働運動のなかで極力、組合主義をおしすすめた。

 はやくも民主主義革命の時期に、かれは労働組合にたいする党の指導を解消しようと夢みた。

 かれは、党が労働者階級の組織の最高形態であることを否定し、党が全国人民の指導的中核であることを否定して、「労働組合中心論」なるものをデッチあげ、全国総工会は「ますます全国労働者の指導的中核となってきており」、「全国の労働運動が全国総工会の指導のもとに集中してはならないという理由はない」などといった。

 かれは、労働祖合組織は「独立したもの」だと強調した。また、「党は、いかなる自由な大衆組織とも平等の地位におかれるものだ」などと語った。

 かれは社会民主主義政堂の衣鉢をうけつぎ、労働組合は「組織的には、いかなる党派、いかなる方面にも従属しない」、さもなければ「それは御用的なものであり、官制的なものであるにすぎない」などといった。

 かれはさらに、労働組合が党を指揮するようにさせようとたくらんだ。そして、「党にせよ、政府にせよ、軍隊にせよ、大衆団体にせよ、大衆工作をおこなう場合には、すべて大衆団体の指導に服すべきだ」などと語った。

 解放後十七年らい、かれは労働組合を、かれが党ののっとり、政府ののっとりをたくらむ道具に姿え、また隠された方式で組合主義をおしすすめるために、労働祖合を党と政府のうえにおき、ウ勘組合を「独立王国」にし、プロレタリア階級独裁を破壊しようとくわだてた。

 かれは、中国の革命的労働組合が党の指導のもとにつくりあげられたという歴史を書きかえて、「さきに労働組合が生まれ、それから党ができたのだ」などとさかんに宣伝した。

 かれは、党の威信をおとそうとして、労働組合への「信頼」感を育てることを強調し、「労働組合は自身への信頼感を育てるべきであり、それが高ければ高いほどよい」などといった。がれは、労働者「ソビエト」をうち立てて、労働組合を党と政府のうえにおこうとたくらんだ。

 中国のフルシチョフの組合主義が労働運動の分野に流した害毒は、ひじょうに深い。解放後十七年らい、労働組合の内部でこれまで、前後二回にわたり、二つの道、二つの路線の大闘争が展開されてきたが、この誤った路線の大元締は中国のフルシチョフにほかならない。中国のフルシチョフとその追随者は、労働組合が党の指導をうけいれることに反対したが、その本質はほかでもなく、労働組合をブルジョア階級の司令部の指導のもとにおいて、それをかれらが資本主義を復活させる道具にしようとしたことである。

 4

 労働組合が党の指導をうけいれることは、とりもなおさず毛沢東思想の指導をうけいれることである。毛沢東思思は現代におけるマルクス・レーニン主義の最高峰であり、もっとも高い、もっとも生きたマルクス・レーニン主義である。毛沢東思想は帝国主義に反対する強力な思想的武器であり、修正主義と教条主義に反対する強力な思想的武器である。毛沢東思想は、労働運動を勝利のうちに発展させる根本的な保証であり、労働者階級が権力を奪取し、権力をうち固めるうえでの根本的な保証である。

 毛主席ははやくから、つぎのように指摘している。「進歩的な政治精神を軍隊にそそぎこまなければ、それをそそぎこむ進歩的な政治工作がなければ……将兵の最大限の抗戦の熱情を燃えたたせることはできない」と。レーニンも指摘している。「革命的理論がなければ、革命的行動もありえない」、社会主義思想は、「外部からそそぎこまれるほかなく」、「労働者階級が自分自身のカのみにたよれば、組合主義の意識が形づくられる。

 古今東西の経済主義者、組合主義者はみな、「自然成長論」の崇拝者であり、例外なく、労働者に社会主義思想をそそぎこむことに反対し、労働者にマルクス・レーニン主義、毛沢東思想をそそぎこむことに反対する。中国のフルシチョフも一貫してそうであっただけでなく、また全世界における「自然成長論」崇拝の標本でもある。

 中国のフルシチョフは、労動者階級がまだ権力を獲得していなかった民主主義革命の時期に、イギリスの組合主義、ロシアの経済派および旧修正主義分子ベルンシュタインなどの手合の「自然成長性」崇拝のことばをいちどきに中国にもちこんで、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想で労働者を武装させ、労働者を動員、組織して、三つの大きな敵の反動的支配をくつがえすためにたたかわせることに反対した。

 全国的勝利後十七年らい、中国のフルシチョフは無敵の毛沢東思想を、なおさら、かれが党ののっとり、政府ののっとりをたくらみ、中国で資本主義を復活させるうえでの最大の障害とみなしてきた。かれはことあるごとに毛沢東思想に反対し、労働者大衆が毛主席の著作を活字活用することに反対してきた。かれはありとあらゆる悪どいことばで偉大な毛沢東思想を中傷、攻撃して、毛沢東思想が労働者のなかにそそぎこまれることをほしいままに破壊し、反対し、禁止した。

 毛沢東思想は、世界のすべての被抑圧人民の革命にとっての普遍的真理であり、権力を獲得したすべての労働者階級がプロレタリア階級独裁をうも固めるうえでの根本的な保証である。労働連動の根本的任務は、労働者大衆に毛沢東思想をそそぎこみ、無敵の毛沢東思想で労働者大衆の頭脳を武装して、労簡者の隊列を十分にプロレタリア化し、革命化し、戦闘化した産業大軍にきずきあげることである。われわれはかならず労働者に毛沢東思想をそそぎこむという偉大な任務を第一位におき、労働組合を真紅に輝く毛沢東思想の大きな学校とするようにしなければならない。

(『人民日報』1967年9月5日)

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