毛主席はわたしたちの心の中の真紅の太陽



「大海をゆく船は舵手にたよる」

「父が親しい、母が親しいといっても毛主席への親しみにはおよばない」

………

 人民大会堂の接見大広間には、日本の劇団<はぐるま座>の革命的文芸戦士たちの心の底からの歌声がひびきわたっている。<はぐるま座>の革命的文 芸戦士たちは、毛主席がかれらを接見するという知らせを聞いた時、よろこびに胸をおどらせた。ある人は、感きわまっておどりあがり、「毛主席がわたしたち に会ってくださるのだ!」「毛主席がわたしたちに会ってくださるのだ!」と叫びつづけた。ホテルを出るまえに、かれらは皆、あふれる感激をこめて、いちば ん大きな、いちばん光っている毛主席のバッチを選んで胸につけた。それから、手に手に真っ赤な『毛主席語録』をもって、すばやく玄関に集まり「北京には金 色の太陽がある」をくりかえしうたった。米日反動派と日共修正主義分子の数かずの圧迫を突き破ってとび出したこの日本の革命的文芸戦士たちは偉大な指導者 毛主席への限りない熱愛、限りない敬慕、限りない尊敬の気持ちをいだいて、はるばる海をこえ、中国にやってきた。かれらは、昼となく夜となく毛主席のこ とを思い、毛主席にちょくせつ会って毛主席の長寿を祝う自分たちの気持ちを伝えたいと久しく待ちのぞんでいた。毛主席のことを思うあまり、かれらは時には 寝ようともせずに持ち続けた。かれらは、「わたしたちは眠くありません。毛主席がもしも、すぐにわたしたちに会ってくださることになって、わたしたちが 眠っていたとしたら、それこそ大変です」

 まもなく毛主席が接見してくださるのだ。生涯でもっとも大きな、もっとも大きな願いがかなえられようとしているのだ。この革命的文芸戦士たちが無 限に感激し、思う存分によろこびの歌をうたわずに、いられるわけがない。

 日本の革命的文芸戦士たちは、このうえないよろこびの気持ちをいだいて、人民大会堂の接見大広間にやってきた。接見がはじまる前、彼らは、革命の 宝の本を手にして、声をそろえて、毛主席の教えをくりかえし朗読した。かれらは、林彪同志が『毛主席語録』の再版のために書いたまえがきをひらいて、「毛 沢東同志は、現代におけるもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者である。毛沢東同志は、天才的、創造的、全面的にマルクス・レーニン主義をうけつぎ、守 り、発展させてマルクス・レーニン主義をまったく新しい段階に高めた」といっせいに朗読した。

 このうえなく仕合せな時がやってきた。一九六七年十月二十三日昼一二時一五分、われわれの偉大な指導者毛主席が、その親密な戦友林彪副主席、およ び、周恩来、陳伯達、康生、李富春、江青、張春橋、戚本禹、姚文元らの諸同志とともに接見大広間に姿を見せたのだ。大広間はわきかえった。日本の革命的文 芸戦士たちは『毛主席語録』をふり、「毛主席万歳! 万歳! 万万歳!」「毛主席のご長寿をおいのりします! ご長寿をおいのりします!」と、心の底から 歓呼した。真紅の太陽を迎えた日本の革命的文芸戦士たちは目になみだを浮かべ、胸を高鳴らせて「大会をゆく船は舵手たよる」を高らかにうたった。敬愛する 毛主席は、日本の革命的人民の気持ちをもっとも深く理解している。毛主席と、林彪同志および他の同志は、日本の革命的文芸戦士たちと記念撮影をして、かれ らに拍手してあいさつをおくった。

 偉大な指導者毛主席は、ひびきわたる歓呼の声をあとにして、接見大広間からでてゆかれたが、日本の革命的文芸戦士たちは、なおも感激にひたって、 なか なかその場を離れようとしなかった。かれらはみなよろこびにこおどりし、たがいに手をとりあい、抱きあった。かれらは、「偉大な指導者毛主席が、こんなに 健康でいらっしゃることは 中国人民、日本人民、全世界の革命的人民にとっての最大の幸福です」と語った。多くの人が熱い涙をぬぐいながら、『毛主席語録』を開き、そのとびらに、忘 れる ことのできない仕合せな会見の時刻をきちょうめんに記した。

「毛主席よ、毛主席、あなたはわたしたちに会ってくださいました。これは日本人民の革命闘争に対する最大の支持であり、はげましです!」

「毛主席よ、毛主席、今後どんな困難に出あおうと、わたしたちはいつまでもあなたのあとにしたがい、いつまでもあなたのさししめす革命の方向にした がって、勝利から勝利へとすすんで いきます!」

 さて、接見大広間から出てきた<はぐるま座>の革命的文芸戦士たちは胸をふるわせ、内心の感激をおさえることができなかった。かれらは真っ赤な 『毛主席語録』をしっかりとにぎりしめ、この日のことをいつまでも心に刻みつけ、生涯を日本人民の解放事業にささげようと決意した。

 毛主席と握手した五十六歳の藤川夏子団長は、その日はまるで青年のようであった。かの女は、同志たちとかたい握手をして、みんなとこの最大の仕合 せを分かちあった。 かの女は、感動をこめて、「<はぐるま座>が光明にみちた道を歩むようになったのは、偉大な指導者毛主席のおかげです。わたしたちが修正主義に反逆し、新 しく生まれ変わることができたのは、毛沢東思想のみちびきのおかげです」と語った。

 藤川夏子さんは、<はぐるま座>の革命的文芸戦士たちが心のなかで思っていることをいいあらわしたのだ。みんなは過去の有様を思い浮かべた。成立 後十五年になる劇団<はぐるま座>はかつて日共修正主義に支配されていたために、長い間、労働者、農民、に奉仕するという革命的な方向から離れ、いわゆ る「だれもが興味を持つ」大型劇、西洋劇、古典劇を演じていた。働く人びとはそんな劇団をこのまなかった。<はぐるま座>は壁にぶつかった。

 <はぐるま座>をゆさぶり、革命的文芸戦士たちに反逆の勇気を与えたのは、偉大な毛沢東思想であり、毛主席がみずからおこし、指導している中国の プロレタリア文化大革命であった。かれらは日共修正主義集団ときっぱり一線を画した。劇団の若者たちは大字報を書いて、劇団内の修正主義分子に猛烈な砲火 をあびせ、劇団から追い出した。

 一九六七年の元旦の朝、劇団内の革命的な戦士たちはけいこ場に集まり、毛主席の肖像を高くかかげ、偉大な指導者毛主席の肖像の前で、毛沢東思想の 偉大な赤旗を高くかかげ、あくまで毛主席の立派な学生になること、毛主席の「延安の文学・芸術座談会における講話」を今後の指導指針とすることを誓った。

 それ以後、<はぐるま座>の革命的文芸戦士たちは、「わが文学・芸術活動家 は、……かならず立脚点をうつしかえねばならず、また、労働者、農民、兵士大衆の中に深くはいり、実際闘 争に深くはいる過程で、マルクス主義を学習し、社会を学習する過程で、この立脚点を労働者、農民、兵士の側、プロレタリア階級の側にしだいにうつしかえな ければならない。このようにしてこそ、われわれは、真の労働者、農民、兵士のための文学・芸術、真にプロレタリア階級の文学・芸術を持つことができるので ある」という 偉大な指導者毛主席の教えにしたがって、日本の農村や鉱山に深くはいり、生産労働に参加し、労働者や農民の援助を受けながら、労働者、農民のたたかいを反 映した 脚本をつくった。貧苦の農民たちは、「あんたらが農村にかえってくることを歓迎する」といい。労働者たちは、「あなたたちの劇団はわれわれの劇団になっ た」といった。 多くの労働者・農民の大衆は、「あなたたちが歩んでいる道は正しい」とかれらをはげました。

 毛沢東思想の陽光がかれらを照らし、毛沢東思想の雨露がかれらをうるおしている。<はぐるま座>は革命の広びろろした道を勢いよく前進している。

 藤川夏子団長は、感動をこめて語った。今日は、わたしの五十六年の生涯でもっとも有意義な、もっとも貴重な日でした。<はぐるま座>の同志たち は、毛沢東思想も偉大 な赤旗をさらに高くかかげ、毛主席の著作をさらによく活学活用して、日本人民の解放事業のために、一生奮闘する決意です。

 佐原元子さんは、劇団のなかでまっさきに大字報をはりだし、日共修正主義に、大いに反逆した若い勇将のひとりである。毛主席に会って、ホテ ルにもどると、かの女は『毛主席語録』をひらいて、とびらの毛主席の写真を長い間しみじみと見つめながら、つぶやいた。毛主席よ、毛主席、米日反動派とた たかう無限の力 をわたしにあたえてくれたのは、あなたです。日共修正主義分子に反逆する無限の知恵をわたしにあたえてくれたのもあなたです。敬愛する毛主席、わたしたち は、いつまでもあなた のあとにしっかりとしたがって、革命をやりぬきます。どんな困難や危険にぶつかっても、わたしたちは「決意をかため、犠牲をおそれず、万難を排して、勝利をたたかいとろう」という あなたの教えを胸にきざみつけています。

 篠田勝之さん――この若い俳優も、偉大な指導者毛主席に限りない敬慕の気持ちをよせ、毛主席の著作を限りなく熱愛している。かれは心から愛してい う毛主 席の肖像を自分のまくらもとにはりつけ、毎日毛主席の姿を見ることができるようにしている。かれはまた、自分の生きた思想に対応する毛主席の語録を紙に書 いて 自分のまくらもとにはりつけ、いつでも毛主席の教えをきくことができるようにしている。かれは、毛主席の「老三篇」を座右銘として学び、真剣にたくさんの ノートをとっ ている。かれは深い感慨をこめて語った。ぼくたちは、自分自身の実際の闘争を通じて、毛主席こそわれわれ日本人民の救いの星である、日本人民がが革命をや るには、 どうしても毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげなければならない、ということを知りました。毛主席の教えを守り、毛主席の著書を読みさえすれ ばぼくたちは物事がはっきりと見えるようになり、全身に力がみなぎり、勝利の確信がわいてきます。日本革命の勝利のために、ぼくたちは毛主席の立派な学生 となり、 毛沢東思想のすぐれた宣伝員になるという決意を固めています。

 脚色担当の福島久嘉さんは、ホテルにかえると幸福感にひたりながら、いましがた毛主席に会った情景を思い浮かべた。福島久嘉さんは中国に来てか ら、<野火>や<嵐も吹雪もどんとこい>の脚本を書きかえる中で、なんど『毛主席語録』を開き、そのなかから教えと力をくみとったか分からない。そして、 ついに同志たちとともに、この二 つの脚本を毛沢東思想の光に輝くものにした。いま、かれは、大切にしている『毛主席語録』を手にとって、とびらの毛主席の写真の下に一九六七年十月二十三 日一二時一五 分、もっとも忘れ難い時刻をきちんと書きつけた。福島久嘉さんは真っ赤な『毛主席語録』を手にしながら、感激をこめて、どんな時にでも『毛主席語録』をと り出して このページを見れば、無限の力と勇気がわいてくるでしょう、と語った。

 若い音楽活動家の津田勝治さんは中国に来てから、偉大な指導者毛主席への限りない熱愛の気持ちをこめて、毛主席のいくらかの語録のために作曲し、 それを日本にもちかえって、日本で毛沢東思想を宣伝し、日本人民の闘争をはげましみちびくうえに役立てようと決意している。

 かれは、作曲の過程で譜を書きながら、関係ある毛主席の著作を読んだ。かれが作曲した毛主席語録の歌――「勝利を闘いとろう」「勇気を奮い起こそ う」「血の跡をふんで前 進しよう」は、勇壮な力強いメロディーに、戦闘の息吹がみなぎっている。津田さんは、一生毛主席の立派な戦士となり、一生毛沢東思想を宣伝します、と語っ ている。

 このうえなく仕合せなひととき――毛主席が日本の革命的文芸戦士たちに拍手をしてあいさつをおくったとき、劇団の若い俳優山本卓さんは幸福の涙を 目にうかべ、真っ赤な革命の宝の書『毛主席語録』を高くかかげ、みんなの先頭に立って、「毛主席万歳! 毛主席万万歳!」をくりかえし叫んだ。かれはいっ た。ぼくたちは一億日本人民を代 表して毛主席に会いにきたのです。日本の革命的人民は、毛主席がぼくたちに会ってくださったことを知ったら、きっとぼくたちと同じように、このうえなく喜 び、思う存 分、「毛主席万歳! 毛主席万万歳!」と叫ぶことでしょう。

 日本の革命的文芸戦士たちの毛主席にたいする限りない熱愛は語りつくせない。日本の革命的文芸戦士の毛主席にたいする限りない敬慕の気持ちはうた いつくせない。数限りないことばを一句につづめると、毛主席よ、あなたはわれわれの心のなかの真紅の太陽です、あなたの輝かしい思想に照らされて、日本の 革命的人民の新しい日本が、かならず世界の東方にあらわれることでしょう。……

 『人民中国』(1968/01)


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