闘争の実際と結びつけて、毛沢東思想を学習、運用する日本の革命的人民

1969・11・20人民日報新華社記者報道


 ますます多くの日本の革命的人民が、米日反動派、宮本修正主義集団とたたかう中で、革命の具体的実践と結びつけて、マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想の学習と運用につとめている。

 佐世保は在日米軍の重要な海軍基地であり、また日本人民が反米闘争を進めている戦場でもある。佐世保で米軍基地反対闘争に参加している多数の日本各地の革命的人民の中に、石原さんという三池炭鉱労働者がいる。かれの活動ぶりはきわめて勇敢である。

 石原さんは闘争の中で毛主席の著作を真剣に学習している。かれはつねに、どのようにしたら自分が米帝国主義といっそうりっぱにたたかうことができるかということを考えている。石原さんはこの問題をたずさえて、毛主席の著作に教えを請うている。「革命の理論と方法を知りたければ、革命に参加しなければならない」、「戦争によって戦争を学ぶ――これがわれわれの主要な方法である」。毛主席のこうした教えから、石原さんはきわめて大きな教育を受けている。かれは闘争の中で闘争を学び、広範な大衆とともに、闘争を通じて米帝国主義を追い出す決意を固めている。

 毛主席は、「日本民族は偉大な民族である。米帝国主義が長期にわたって頭上に君臨するのを日本民族は絶対に許すはずがない」とのべている。毛主席のこの教えは、石原さんの勝利の信念をうち固めた。佐世保の反米闘争において、石原さんは一貫して闘争の先頭に立っていた。敵の警棒、高圧放水、催涙ガスもみな、かれの前進をはばむことはできなかった。かれは戦友たちとともに、わが身をかえりみず、米軍基地の大橋へ実撃した。同時にかれは、三池炭鉱で労働者を組織して、親米独占資本である三井財閥と力強くたたかってきた。あるとき、闘争のなかで石原さんは日本のファッショ警察に不当逮捕され、監獄に投げこまれたが、かれはいささかも動じなかった。獄中で、かれは自分の服のボタンをとって、壁に「沖縄をかえせ」などの反米スローガンを書いて、断固たる闘争の決意を示した。

 石原さんは次のようにのべている。日本の労働者階級は、米帝国主義を追いだし、反動政府をくつがえし、権力を奪取してこそ、真の勝利をかちとることがでさる。毛沢東思想は革命闘争の最も強大な思想的武器である。わたしは、毛沢東思想を指導原則として、革命を最後までやりぬく決意である。

 日本の農民は、反米愛国闘争のなかで、たえず前進している。貧しい農民家庭出身の青年川上さんは、毛主席著作を真剣に学んだことによって、急連に農民運動の積極分子に成長した。川上さんは、米日反動派の軍事基地建設に反対する千葉県三里塚農民の闘争の実際と結びつけて、毛主席の輝かしい著作「湖南農民運動の視察報害」を学習するとともに、大衆の中に深くはいり、実際と結びつけ、第二次世界大戦後の千葉県の農民運動について調査・研究をすすめている。かれは、毛主席著作の学習と調査研究の中で、三里塚と日本の農民運動全体の意義についての認識を深め、自覚を高めた。こうした思想的基礎のうえに、かれはいっそう勇敢に農民運動に身を投じるとともに、積極的に三里塚の農民を組織して、武装警官の野蛮な弾圧に反撃している。三里塚の農民がたえず闘争を堅持していることによって、いわゆる「新東京国際空港」を三里塚に強行建設しようとする米日反動派の陰謀は、いまだかなえられないでいる。

 川上さんはみずからの切実な体験からつぎのようにのべている。「わたしは理論を実際と結びつけるという毛主席の教えに基づいて、マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想の普適的真理を日本革命の具体的実践と一段と結びつけて日本革命勝利のためにたたかう」。

 多くの日本の進歩的学生は、毛主席の「青年運動の方向」などの輝かしい著作を学んだあと、労働者、農民と結びつく決意をいだいて、工場、農村に深くはいり、労働者、農民とともに、米日反動派に反対する闘争を行なっている。東京の大学生の松岡君とかれの学友は、特にもっとも貧しい農民の家へいって住みこんでいる。はじめ、かれらは農家の食事は「まずく」、家の中も「きたない」と感じていた。だが、かれらはこの問題をもって、毛主席の「延安の文学・芸術座談会における講話」という輝かしい著作の中の関連ある章を学習した。毛主席は、「もっともきれいなのはやはり労働者、農民であり、たとえ、かれらの手がまっ黒で、足に牛のふんがついても、やはりブルジョア階級や小ブルジョア階級の知識人よりきれいだ」とのぺている。毛主席のこの言葉は、かれらを深く教育した。かれらは農民に対する見方を根本的に改めた。かれらは、現地の農民から米日反動派の苛酷な抑圧と搾取を受けている血と涙のにじむ歴史を聞いたあと、貧しい農民とのまじわりをしだいに深め、農民大衆とともに食ぺ、住み、働くようになった。かれらは農民と一体になって、農民運動の発展を促進するうえで、少なからざる活動を行なっている。

 日本の革命的人民は間争の実践のなかで、反米愛国闘争を破壊している宮本修正主義集団のみにくい姿をはっきりと見てとり、帝国主義に反対するには修正主義に反対しなければならない、ということを認識するようになっている。東京のある大出版社の労働者である中島さんは、反米愛国運動の積極分子である。労組の指導権をにぎっている宮本集団の手下どもは、米日反動派にかわって尽力するため、恥知らずにも会社のボスとぐるになって中島さんに迫害を加え、反米愛国運動に参加するのを妨害しようとたくらんだ。中島さんとその戦友は、こうしたやからの挑発に勇敢に反撃した。

 かれらは、闘争の中でぶつかった問題をかかえて毛主席の著作を学習した。かれらは、「敵に反対されることはよいことであって、悪いことではない」という思想で自らを励まし、信念をうち固めた。かれらは、「大衆こそ真の英雄である」という思想で行動を指導し、大衆に依拠し、大衆を立ちあがらせている。かれらは、「敢然とたたかい、敢然と勝利する」という思想でみずからを武装し、勇敢にたたかっている。

 かれらは、労働者大衆の中で多くの思想工作を行ない、宮本集団の反革命の本性を暴露している。労組の召集した集会で、宮本集団の手下どもは、中島さんをヒステリックに攻撃した。しかし、かれらの思惑は完全にはずれ、労働者大衆はかれらを支持しないばかりか、それぞれ立ちあがって宮本集団の罪悪的な陰謀を怒りをこめて非難した。中島さんを迫害する集会は、修正主義を批判する戦場とかわった。この集会は、労働者大衆の階級的自覚を大いに高めた。この反修闘争に勝利したあと、中島さんとこの会社の労働者たちは、米日反動派に反対する闘争にいっそう積極的に参加している。中島さんはつぎのようにのべている。「マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想は、日本革命が勝利する思想的武器である。この思想的武器で武装し、人民と団結し、闘争を堅持しさえすれば、米帝国主義と日本反動派にうち勝つことができる」。


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