日本列島に燃えさかる反米の烈火

1969・1・27人民日報新華社記者報道


 われわれの偉大な指導者毛主席は、一九六四年一月二十七日に発表した、日本人民の反米愛国正義の闘争を支持する談話の中で、「日本民族は偉大な民族である。米帝国主義が長期にわたって頭上に君臨するのを日本民族は絶対に許すはずがない」と指摘した。五年来、日本人民の反米愛国闘争は勢いよく発展し、大きく高まって、米日反動派の反動支配に強力な打撃をあたえている。このことは、毛主席の英明な論断のこのうえない正しさを十分に証明している。

▽米帝国主義は日本民族のもっとも凶悪な敵

 米帝国主義は、日本売国政府との間に締結した日米「安保条約」を利用し、日本を半占領の状態においている。ここ数年、米帝国主義は日本への支配を強め、日本をアジア侵略の核基地と戦略基地に変えた。これと同時に、米日反動派は結託して、日本の労働者、農民、学生および各階層の人民を残酷に抑圧、搾取している。これらすべてが、米帝国主義に対する日本人民の大きな憎しみをつのらせている。日本人民は闘争の中から、米帝国主義が日本人民のもっとも凶悪な敵であることをいっそうはっきりと認識している。こうして五年来、日本人民は米日反動派につぎからつぎへと猛烈な攻撃をかけ、日本人民の反米愛国運動の歴史に勇壮な詩をかきしるしたのである。

▽団結して、共同で敵にあたろう

 五年来、日本人民の反米愛国闘争は一波ごとに高まってきた。広範な日本人民が参加し、日米「安保条約」粉砕と在日米軍基地撤去を中心とする反米愛国運動は、北海道から九州まで、つぎからつぎへとすさまじい勢いで起こってきた。

 一九六七年の冬、日本の労働者、学生、青年および各界の人びとは連合し、東京羽田空港で連続して意気盛んなデモを繰りひろげ、米帝の手先である日本の首相佐藤栄作の東南アジア、米国訪問に抗議した。日本人民のこの勇敢でねばり強い闘争は、日本人民の士気を大いに高め、米日反動派に大打撃をあたえた。昨年、福岡地区の労働者、学生、市民が五月から繰りひろげた米軍基地反対闘争は、四ヵ月もの長い間つづいた。その後、全国的規模で行なわれた鉄道労働者の大ストライキは、農民と学生の幅広い支持のもとに、米帝国主義の侵略政策と戦争政策に強大な打撃をあたえた。このほか、米軍用船の弾葉荷揚げを拒否する門司港湾労働者の闘争、米日反動派の「新東京国際空港」建設に反対する千葉県三里塚農民の闘争、射撃場設置に反対する北富士山麓農民の闘争、米軍王子野戦病院設置に反対する東京の大学生の闘争は、どれも互いに呼応し、支持しあって、共同の敵米帝国主義に猛烈な打撃をあたえた。

 日本人民は闘争の中で、団結して反米愛国統一戦線を発展、拡大させることの重大な意義を深く理解するとともに、千葉県三里塚農民の反米闘争の中から、広範な愛国的大衆を結集し共同で敵にあたることの大さな威力をまのあたりにみた。こうして、ますます多くの日本の広範な人民大衆が反米闘争の隊列に身を投じている。三里塚は戸数わずか数百の農村にすぎないが、ここの農民は各地からきた労働者、学生、青年、帰人の力強い支援を受けて、ファッショ警官の野蛮な弾圧をつぎからつぎへと撃退し、米日反動派が米帝のアジア侵略に奉仕するいわゆる「新東京国際空港」をここに建設するのを長い間阻止している。三里塚闘争の成果は、すでに日本の愛国的大衆の中に広く反響をよびおこしている。かれらはたえず反米闘争を起こす中で、反米愛国統一戦線を発展、拡大させることをいっそう重視している。

▽米日反動派に猛烈な攻撃をかける

 五年来、広範な日本人民は反米闘争の中で、勇敢でねばり強い戦闘精神を発揮した。かれらは、反動警官のファッショ的弾圧を前に、いささかもひるまず、勇敢に反撃し、反動警官をひどく狼狽させ、米日反動派を恐れおののかせた。日本人民が米日反動派にかけた猛烈な攻撃は、日共宮本修正主義集団にも大きな打撃となった。日本人民は、宮本集団が進めている例の「秩序整然たるデモ」、「規律ある集会」の悪どい陰謀を実際行動で暴露した。日本人民は、真向うから対決する闘争によって、宮本集団の吹聴する「合法主義」のワクを実き破った。かれらは闘争の中で、修正主義の「議会の道」をたたきつぶし、暴力革命の道を断固歩まなけれぱならないということをいっそう深く認識するようになっている。

 昨年十月二十一日、英雄的な日本人民は、米軍用機の燃料を輸送するうえでの交通の要衝、東京の新宿駅を戦場にした。労働者と学生からなるデモの一隊は、日本の反動当局が鉄板をはりめぐらして作ったかこいを突きくずして新宿駅に実入し、米軍用機燃料の輪送を阻止し、デモ大衆を弾圧しにきたファッショ警宮と肉薄戦をまじえ、さらに、鉄道労働者と合流して駅全体を制圧した。労働者、青年・学生たちはバリケードを築き、勇敢に奮戦し、石で何度も警官の野蛮な攻撃を撃退した。この闘争は、翌朝二時までつづけられ、新宿駅経由の交通は完全にマヒ状態におちいった。

 今年になってすぐ、日本の進歩的大学生は一九六九年の闘争のために、きわめてすばらしい局面を切り開いた。一月十八日、佐藤反動政府は武装警官一万人を動員し、東京大学に乱入させた。ファッショ警官は、ヘリコプターと装甲車の援護のもとに、空と地上から安田講堂と校舎を占拠している進歩的学生に攻撃を加え、大量の催涙弾と高圧放水で残酷に学生を弾圧した。しかし、進歩的学生は暴圧を恐れることなく断固としてたたかった。学生たちは、建物の入口に中国人民の偉大な指導者毛主席の肖像画をかけ、赤い宝の本「毛主席語録」をもち、「毛主席万歳!」と高らかに叫んだ。かれらは、安田講堂のうえに赤旗をひるがえらせ、石、角材、火炎びんで反動警官を厳しくこらしめた。かれらの闘争は他の各大学の学生や広範な労働者、市民の強力な支持をえた。警察が東京大学の進歩的学生を弾圧していたとき、他の大学の多数の学生は決起して、お茶の水付近の二つの交番をうち壊わし、敵をけん制した。反動当局が東京大学に武装警官を増派するや、他の大学の学生と労働者はたちまちこれをさえぎり、敵の「増援」を不可能にした。東京大学の学生運動を「鎮圧」したと佐藤政府がみなしていたときには、東京大学の進歩的学生の主力はすでにすばやく移動していて、他の大学の学生や労働者、市民と合流して神田地区に新たな戦場を切り開き、ひきつづき米日反動派とたたかっていた。このような勇敢でねばり強い戦闘精神は、偉大な民族たる日本民族の気概をはっきりと示している。それは、米帝国主義が長期にわたって頭上に君臨するのを日本民族は絶対に許ずはずがない、ということを全世界人民に告げている。

▽さらに光栄あるたたかいを迎えよう

 一九六九年は、日本人民の反米愛国闘争にとって、きわめて重要な年である。米支配集団の新頭目ニクソンは、昨年の大統領選挙における演説の中で露骨にも、米国は日本が急速に軍国主義を復活させ、「アジア・太平洋閣僚会議(ASPAC)」を侵略的な軍事同盟に変え、日本反動派がさらに努力して、米帝国主義の侵略政策に犬馬の労をとるよう要求する、とのべた。米国はまた、来年、日米「安保条約」の期限を延長することによって、日本の核基地化を強め、日本を米帝国主義の戦車にいっそう固く縛りつけようと計画している。佐藤反動政府は、その主人米国の意図をよく心得て、日本の外相愛知揆一を五月に訪米させることを決め、佐藤自身も今秋ワシントンに「参内」し、ニクソンと反革命の結託を深めようとしている。

 かってないまでに目覚めた日本人民は、日本列島で闘争に立ちあがり、米帝国主義にまきつけたナワをしめつけることが、日本民族の独立をかちとるうえで必要であるだけでなく、アジア人民、世界人民に対する強力な支持でもあり、かれらの反米闘争が国際反米統一戦線の重要な一環であることを認識している。いまや、日本人民はさらに猛烈で持久的な反米運動をまき起こし、より光栄あるたたかいを迎えようとしている。

 日本人民の反米愛国正義の闘争は、中国人民、アジア人民、全世界人民の強力な支持をえている。米帝国主義と佐藤反動政府がどのように結託して日本人民の反米闘争を弾圧しようとも、さらにまた、ソ修裏切り者集団と日共宮本修正主義集団がどのように米日反動派と呼応して、日本人民の革命事業を破壊しようとも、日本人民の前途は光明にみちている。われわれの偉大な指導者毛主席が五年前に指摘したように、「日本人民はかならず米帝国主義を自国の領土から追い出すことができるし、独立・民主・平和・中立を求める日本人民の願いがかならず実現されるにちがいない」と中国人民は深く信している。


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