日本列島に風雷激し――三里塚の反米闘争に参加している日本の愛国的青年

1968・3・16 人民日報新華社記者報道


 日本列島に春雷とどろく。日本人民の反米愛国運動には、昨年後半の羽田闘争と今年一月の佐世保闘争につづき、いままた千葉県三里塚の闘争で未曽有のまったく新しい局面があらわれた。米帝国主義のアジア侵略政策に奉仕するための米日反動派による「国際空港」建設に反対する闘争で、毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげる青年・学生の隊列があった。この青年・学生の隊列は、敢然とたたかい、敢然と勝利する精神を発揮して、ファッショ警官と勇敢かつ機敏なたたかいを展開して、日本人民の闘志を大いにふるい立たせた。

▽毛沢東思想万歳

 三月十日、日本の愛国的青年・学生は三里塚の近くにある成田市におもむき、地元の農民とともに力強く盛大な抗議集会とデモ行進を行なって、親米売国の佐藤政府が農民の土地を強制的に取りあげて軍用飛行場を建設することに断固反対した。

 ある革命的青年は、「毛沢東思想万歳」と書いた人目をひく大きな赤旗を高くかかげ、戦友たちに守られて、敵の放水による厳重な封鎖をすばやく突破し、警官の築いた鉄条網やバリケードをつぎつぎに乗り越え、勝利のうちに成田市役所と「空港公団」の中庭に入り、反動当局を大いにあわてさせた。

 この「毛沢東思想万歳」という赤旗は、闘争に参加した農民、労働者、青年、婦人に限りない力をあたえた。かれらはこのへんぽんとひるがえる赤旗のもとで、完全武装の警官と激烈な闘争を行ない、角材や石を自衛の武器として、警官の血なまぐさい弾圧に力強く反撃した。

 その日の夜、警官は成田市で闘争に参加した大衆に対して大ががりな捜索、逮捕を行なった。 こうした状況のもとで、闘争に参加したある活動家は、すぱやくこの「毛沢東思想万歳」の赤旗を近くのまったく見知らぬ農家にあずけた。この農家の人は毛主席に対して限りない熱愛の気持ちを抱いていたので、この光栄ある任務を喜んで引き受け、危険をおかしてこの貴い赤旗を守りぬいた。翌日、この赤旗は無事その活動家の手に戻り、ひきつづき日本の愛国的青年が勝利のうちに前進するのを導いた。

 「毛沢東思想万歳」の赤旗を高くかかげていた青年は中国の記者に次のようにのべた。「わたしは中国のプロレタリア文化大革命の輝かしい勝利に励まされて、毛沢東思想が現代の最高のマルクス・レーニン主義であることをはっきり認識し、毛主席の著作を真剣に学習し、「人民に奉仕する」という著作の学習を通じて、一身を日本革命のためにささげることを決意した。革命のために奮闘すれぱ、自分が犠牲になるかも知れない。だが、まさに毛主席の教えているように、『人はいずれ死ぬものだが、死の意義にはちがいがある』、『人民の利益のために死ぬのは泰山より重い。ファシストのために力をつくし、人民を搾取し人民を抑圧するもののために死ぬのは、鴻毛よりも軽い』。わたしは日本革命のために献身し、たとえ犠牲になっても満足だ」。

▽真向うから対決し、闘争を堅持

 日本人民の反米愛国闘争の烈火はますます燃えさかり、敵は戦々恐々としている。常軌を逸した佐藤反動政府はこのすさまじい烈火をもみ消そうとして野蛮きわまりないファッショ的手段を使った。

 十日、成田市一帯は白色テロの雰囲気に包まれた。反動警察当局は成田市に通じる多くの駅や道路上に幾つもの検問所を設け、通行人や車を強制的に止めて、角材や石を運搬しているかどうかを検査した。反動警察当局はこうすれば素手の愛国的青年・学生が自衛することもできず、血なまぐさい弾圧をほしいままにやれるだろうとたかをくくっていた。だが、警察の期待に反し、闘争に参加したある愛国的青年・学生の隊列は、抗議集会が始まるや、初め素手であった人びとが突然角材をもった隊列に変わった。これらの角材は数日前から会場附近のある小屋に運び込まれ、集会の始まる直前、警察の知らない間に会場内に持ち込まれていたのである。青年たちは弾圧にきた警官にこの角材で教訓をあたえた。

 英雄的な日本人民のたたかいに肝をつぶした反動攻府は、武装警官を繰り出し、青年、学生、労働者、農民に気ちがいのように催涙弾を打ち込み、ガス液を放っただけでなく、さらに大衆より数倍も多い完全武装の警官が、抗議集会に参加した人びとに対して野蛮な包囲攻撃と大量逮捕を行ない、干人余りの大衆を負傷させ、約二百人を不法に逮捕した。この残虐な弾圧の中で、毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげたある青年の隊列は、腕をしっかりと組んで防衛線をつくり、「インター」を高らかに歌い、敵のファッショ的弾圧に抗議した。警官の棍棒で頭を割られた若い女性は、「敵はこのように野蛮な方法でわれわれを弾圧して、恐怖心をあおり、二度と反米闘争に参加させまいとした。だが、かれらは計算ちがいをした。敵は棍棒でわたしの頭を殴ったが、わたしは少しもこわくない。敵に対する憎しみがいっそうつのり、敵がこのようにやれば、わたしの闘志を強めるだけである。わたしはたたかいつづける」とのべた。

 早稲田大学のある学生はかれらの進めている闘争について感想をのベ、「毛主席はわれわれに、『敵は刀を磨いでいる。したがって、われわれも刀を磨がなければならない』と教えている。闘争を通じて、わたしは毛沢東思想は真理であり、毛沢東思想は反米闘争を推し進めるもっとも鋭い武器であることをいっそうはっきりと認識した」と語り、さらに、もし革命の側に立つなら、かならず毛沢東思想で自己を武装しなければならない、毛主席の「決意をかため、犠牲をおそれず、万難を排して、勝利をたたかいとらなければならない」という輝かしい思想が、われわれの闘争を進める決意を一段と強めたのである、と強調した。

▽労農と結びつく

 日本の革命的な青年・学生は闘争の中で、反米愛国闘争をいっそう発展させるには、かならず労働者、農民との結びつきを実行し、労農大衆の中に入らなければならないということをしだいに認識するようになった。

 毛主席は、「青年が革命的かどうかをみるには、なにを基準にするか。なにによってその人を見分けるか。それは、その人が広範な労農大衆と結びつくことを望み、しかも、それを実行するかどうかをみるというたった一つの基準しかない。しかもそれを実行する人は革命的であり、そうでないものは非革命的か、あるいは反革命的である」と教えている。

 米日反動派の三里塚軍用空港建設に反対する闘争の隊列の中で、多くの知識青年が毛主席のこの教えに基づいて、昨年の春から隔週ごとに三里塚に二日泊まり、農民とともに食事をし、ともに住み、ともに労働し、ともに闘争しつづけており、農村に深くはいり活動を通じて勤労人民との戦闘的友誼を大いに強めている。

 ある青年は、「われわれが農村にはいり、農民に毛沢東思想を宣伝すると同時に、農民の闘争から多くのことを学んでいることは、われわれが修正主義的思潮から受けた影響を克服するのに大いに役だっている。われわれは毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげて三里塚の農民と肩を並べてたたかえたことを光栄に思っている」とのべた。これらの革命的青年・学生は、一生、毛主席の話しを聞き、こんどの闘争を基礎として、ひきつづき労働者、農民の中に入る決意をを表明している。

 日本の愛国的な青年・学生、労働者、農民の英雄的な闘争は、広範な日本人民の支持を受けた。十日の日、一万にのぼる人びとが成田市に行ってかれらの闘争を支援した。反動警官が野蛮にも青年・学生を殴ったり逮捕したりすると、多くの人びとが警官に殴られて負傷した青年男女、学生を自分の家につれて行き、親切に世話をし、青年、学生たちはこれに非常に励まされ、教育を受けた。

 偉大な指導者毛主席は、「全世界人民は勇気をもち、敢然とたたかい、困難をおそれず、あとからあとへと身を挺してつき進んでゆくべきであり、そうすれば、全世界はかならず人民のものである。すべての悪魔はのこらず一掃されるであろう」と教えている。

 日本列島に風雷激し。日本人民の前進途上にはあれこれの困難があろう。しかし、偉大な毛沢東思想の光りに照らされてたたかう日本人民は、かならず米日反動派を打倒し、最後の勝利をかちとるであろう。


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