この造反はすばらしい

1967・6・18人民日報国際短評


 日共の一握りの修正主義分子は反マルクス・レーニン主義、反革命、反人民、反中国の修正主義路線を推し進め、日本の広範なマルクス・レーニン主義者や革命的大衆の日ましに高まる激しい不満と反対を引き起こしている。日共の一部の末端組織はマルクス・レーニン主義、毛沢東思想を武器とし、革命の旗印を高くかかげ、つぎつぎと立ち上がってこれらの修正主義分子に対しさかんにむほんを起こしている。この造反は大変けっこうであり、それは道理にかなっている。

 日共の修正主義分子はマルクス・レーニン主義を裏切る道をますます遠くへつっ走っている。かれらは「階級協調」のデタラメな理論でブロレタリア革命とプロレタリア独裁の学説を骨ぬきにし、ブルジョア議会政治にうき身をやつし、階級投降政策を実行し、資本主義制度のもとでの一時的安逸をむさぼっている。かれらはショービニズムを国際主義にとってかわらせ、進んでソ修集団の尻馬にのって狂気じみた反中国を行ない、ほしいままに中日両国人民の友情を破壊し、中国を敵視する佐藤政府の共犯者の役をつとめている。かれらはすでに日本のプロレタリア階級と日本人民の革命事業を遠いかなたに投げ捨て、日本反動派のまぎれもない下僕に成り下がってしまっている。

 日共修正主義分子の堕落はけっして偶然のものではない。帝国主義が全面的な崩壊に向かい、社会主義が全世界的な勝利に向かう新しい時代に、帝国主義、現代修正主義と各国反動派を一方とする反革命勢力と、全世界のマルクス・レーニン主義者と革命的人民を一方とする革命勢力との間に、いま食うか食われるかの一大決戦が行なわれている。すべての政治勢力はみなこの決戦のなかで「態度を表明」しなければならないのであって、革命勢力の側に立つのでなければ、反革命勢力の側に立つようになるのである。日共の修正主義分子は、一方では米帝国主義、ソ修指導集団と国内反動派の圧力に屈し、かれらの反革命の気炎にすっかり肝をつぶしてしまい、他方ではブルジョア階級に懐柔され、むしばまれ、広範な勤労人民から遊離し、ブルジョア化した労働貴族になり下がった。かれらは革命を恐れ、革命など念頭にない。したがって、かれらは必然的に革命に反対する道をつっ走り、日本プロレタリア階級の裏切り者になり下がったのである。

 帝国主義と反動派の暗黒の支配があるところでは、人民はかならず革命に立ち上がる。もし共産主義者が人民の革命的要求から遊離すれば、かれらはかならず人民から見捨てられてしまう。修正主義者のいるところでは、マルクス・レーニン主義者はかならずかれらへの反抗に立ち上がるものである。これは歴史の弁証法である。日本の事情ももちろん例外ではありえない。

 われわれの偉大な指導者毛主席は、「潮流をはばもうとする日和見主義者はほとんどどこにもいるが、潮流はどうしてもはばむことのできないものである。社会主義はいたるところで勝利のうちに前進しており、すべての障害物を自分のうしろに投げすてている。社会はこのように毎日前進しており、人びとの思想も日日改造されているのであって、革命が高まっているときはとくにそうである」とのべている。

 日共の一握りの修正主義分子は自分が革命をやらないばかりでなく、他人が革命を行なうことも許さない。かれらはこともあろうに党内でファッショ的支配を行ない、はては進んで日本の反動派と結託して、真の革命者に打撃を与え、迫害を加えている。かれらのこうした逆コースはただみずからの崩壊をはやめるだけである。

 日本の真のマルクス・レーニン主義者、真のプロレタリア革命戦士は、暴虐を恐れず、困難にひるまず、真理を守りぬき、敢然と造反し、革命派としての偉大な気魄を示している。かれらは日本人民の希望であり、日本の未来をになうものである。日本のマルクス・レーニン主義勢力はかならずプロレタリア階級と広範な人民大衆に頼り、苦難にみち、複雑で曲がりくねったたたかいの中で成長し、強大になっていくであろうし、逆に、例の修正主義分子どもはかならず歴史のごみ箱にすて去られてしまうであろう。


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