周恩来総理、一九六八年三月二十七日の重要談話

周恩来


 三月二十七日午後、中央文化革命小組の主催により、北京労働者体育場で十万人集会を開き、"二月逆流" の新しい反攻を徹底的にうちくだき、プロレタリア文化大革命の全面的勝利を迎えた。席上、周総理はわれわれの偉大な領袖毛主席と、かれの親密な戦友林副主席の承認した命令を布告した。周総理、陳伯達、康生、江青同志は極めて重要な講話を行なった。周総埋の講話の中の、江青同志の輝かしい革命闘争史に関する概略の一端を以下のとおりここに摘記する。


 同志のみなさん、戦友のみなさん、わたしはここで、江青同志の平常の闘いについていくつかおはなししようと思います。われわれは江青同志が闘ってきた、とりわけ三十年代の青年党員だったとき、裏切り者、エセ党員、不良分子、国民党反動派の迫害にあったことを知らねばなりません。( "江青同志に学ベ、敬意をおくる" と聴衆叫ぶ)

 江青同志はその時、きわめて若かったが、魯迅のように敢然として追害、圧迫、破壊、誹謗、デマに反撃を加えました。

 彼女が書いた論文は戦闘的な論文で、われわれの学習に値するものであります。ですから当時、江青同志の書いた論文をもし誰かが読むなら、それは立派な赤い論文だとわかります。一部の反動派、誹謗者が江青同志を追害するために、多くの黒い論文、黒い材料を書きましたが、これは江青同志の材料ではなく、あれらの黒いグルーブ、黒い分子が集めたもので、もっばら台湾、香港、アメリカ帝国主義、ソ連修正主義の新聞にのったもので、全然江青同志とは関係ありません。

 こうして集められた材料は、これらの黒いグルーブ、反動派、帝国主義者、スバイの書いた材料であり、江青同志を誹謗するものです。ですから、これら黒いグループをわれわれは追及しなげればなりません。こうした林料は大したものではなく、みな誹謗のためのものなのです。魯迅もこういう目にあいました。まして江青同志はそのころ、ずっと地下工作と文芸工作をやっており、それはきわめて困難なものでした。この点、われわれの敬服するところです。

 抗日戦争初期、江青同志は延安につき、われわれの偉大な領袖毛主席の親密な戦友、勤勉な学生となりました。

 彼女は毛主席にしっかりとつき、毛主席の著作と思想にぴったりとつき、健康を害したときも彼女はまじめに、熱心に毛主席著作を学習し、毛主席の報告をききました。戦争の時期、また解放戦争に参加しました。解放後、これら黒いグルーブ、すなわちさきほど話した、大裏切り者劉少奇から、ケ小平、陶鋳、彭真、羅瑞卿、陸定一、楊尚昆、彭徳懐、賀竜、さらに楊成武、余立金、傅崇碧、また譚震林にいたる一握りの二月逆流の分子がみな江青同志に反対し、迫害を加えました。

 しかし、江青同志はかれらを蔑視し、かれらと勇敢に闘いました。

 ですからプロレタリア文化大革命の準備期、われわれは江青同志が周揚らと闘った現われをここに見ることができます。

 一九六四年の京劇革命ではみずから八編のモデル劇を指導し、今日もこれはさん然と光を放っています。(康生 "江青同志を迫害した反革命分子をつまみ出せ" と口をはさむ)

 一九六六年のはじめ、彭真が起草した「二月の黒い提要」と、林副主席が江青同志に委託して完成した人民解放軍で行なった文芸座談会の記録要綱とは、鮮やかな対比を示しています。

 一つは黒く、一つは赤い、なんとはっきりした対比ではありませんか。

 光り輝く記録要綱はわれわれが学ぶべきものです。みなさんが重ねてこれに学ぶよう提案します。

 プロレタリア文化大革命が新たな歴史的時期に突入したとき、さきほど陳伯達同志が分析し、われわれが述べたいくつかのつばぜり合いの闘争で、江青同志はいつもきわめて重要な役割を果たしました。

 中央文化革命小組では江青同志はきわめて自己に厳格であるとともに、他の同志にもこれを要求し、毛沢東思想で各同志を点検し、敵と味方の区別をはっぎりさせました。同志に対しては彼女はきわめて誠実、熱心に同志を助け、是非のはっきりした悪人に対しては、彼女は勇敢にそれをつまみだしました。こうした精神もわれわれは学ぶべきです。ですからわれわれは江青同志に学ばねばなりません。

 江青同志に敬意を表します。(江青 "周総理に学べ周総理に敬意を表する "と叫ぶ)

 おそれ入ります。わたしが学ぶべきです。(陳伯達 "お互いに学べ "と叫ぶ)

 ですから、われわれはわれわれの偉大な領袖毛主席、林副主席、毛主席を頭とし、林副主席を副とする党中央、中央文化革命小組、江青同志、わが人民解放軍を死を誓って守り、わが広範な革命大衆、わが紅衛兵、プロレタリア独裁の赤色政権を死を誓って守らねばなりません。


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