5.毛沢東一派のかく乱活動を粉砕するために


 共産主義運動が、極左日和見主義の潮流による国際的な規模でのかく乱活動に直面したのは、こんどがはじめてではない。国際共産主義運動は、一世紀をこえる歴史のなかで、たえずさまざまな右翼日和見主義、修正主義の傾向や潮流とたたかうと同時に、あれこれの「左翼」日和見主義の傾向や潮流とたたかい、もっとも戦闘的な「革命家」をよそおった極左日和見主義、分派主義分子の国際的なかく乱活動をいく度となく粉砕してきた。

 当時の労働者階級の運動のさまざまな非マルクス主義的潮流をも結集していた第一インタナショナルの時代に、すでにマルクス、エンゲルスは、右翼日和見主義の諸潮流の克服のために、ねばりづよい、がん強な闘争をおこなうとともに、極端な「左翼」的言辞でその日和見主義的本質をおおいかくしつつ、第一インタナンョナルを内部から瓦解(がかい)させ、その指導権を奪取しようとしたバクーニンら無政府主義者たちの組織的な分裂、破壊策動と、はげしい闘争をおこなった。

 バクーニン主義者たちは、社会主義にみちびく社会発展の法則も、社会主義の実現の原動力としてのプロレタリアートの階級闘争の意義も理解せず、革命運動の理論や戦術の多少とも一貫した体系をなにひとつもたずに、バクーニンが「すでに葬りさられた思想」をあちこちから寄せあつめてつくりあげた無政府主義の「綱領」を無謬(むびゅう)の絶対的信条として、第一インタナショナルにおしつけようとした。この無政府主義の「綱領」とは、第一に、国家の階級的性格を否定し、プロレタリアート独裁をふくめて国家一般を敵視し、革命によってすべての国家を即座に廃絶せよと主張したこと、第二に、労働者の組織化と教育によって革命を系統的に準備することを否定し、革命は農民や激高した都市貧民の「自然発生的反乱」によってのみ遂行されるとしたこと、第三に、ブルジョア国家のもとでの政治活動、とくに議会や選挙への参加を、ブルジョア政治への降伏としていっさい拒否することなどを、主な特徴としていたが、社会発展の法則をも革命に必要な客観的諸条件をもまったく無視して、いついかなるときでも、盲目的に「自然発生的反乱」を扇動すること――この極左的冒険主義こそ、 バクーニン主義者の革命「理論」の最大の特徴をなすものであった。

 バクーニン主義者は、第一インタナショナルの綱領と規約への二心的な忠誠を誓って、これに加盟した(一八六八年)のち、インタナショナルに自分たちのこのような無政府主義的な「綱領」をおしつけるために、あらゆる陰謀的な手段にうったえた。バクーニンは、インタナショナルの内部に「自分個人にたいする絶対的な忠誠」でむすばれた陰謀的な分派組織「社会民主同盟」をつくり、「味方でないものは敵だ」というもっとも極端な分裂主義のスローガンを公然とかかげて、バクーニン主義の支配をうけいれない組織や革命家にあらゆる攻撃をあびせた。

 「同盟は、自分の支配に服さない支部を、ことごとく敵とみなした。ブルジョアジー以上の敵とさえみなした。味方でない者は敵だ、これはロシア語で出した宣言のなかで同盟が公然とみとめている鉄則である」(マルクス、エンゲルス「社会民主同盟と国際労働者協会」、全集十八巻三七六ページ、太字はマルクス、エンゲルス)

 バクーニン主義者は、第一インタナショナルのほとんどすべての各国支部に自分たちの盲目的な信奉者をもぐりこませ、これらの盲従分子を指揮しつつ、マルクスを中心とする総務委員会に挑戦し、あらゆる悪質な陰謀的手段を駆使して、バクーニンを第一インタナショナルの「首領」にし、第一インタナショナルの「幅広い綱領と偉大な願望」を、自分たちの「セクト的な綱領と偏狭な思想」でおきかえ、インタナショナルの「絶対的な指導権」をうばいとろうと策動した。マルクス、エンゲルスは、バクーニン主義者たちの国際的なかく乱策動を特徴づけて、つぎのようにのべている。

 「ここにあるのは、もっとも極端な無政府主義の仮面のもとに、現存の政府ではなく、自分の正統性と指導を受けいれない革命家たちに打撃をくわえようとしている結社である。・・・・この結社はまた、自分の意思に従おうとしない人びとをだれかれかまわず自派の新聞紙上でおおっぴらに攻撃し、われわれの隊列のなかに公然たる戦い――かれら自身がそういっているのだ――をかきたてている。目的を達するためには、どんな手段も、どんな不誠実も辞さない。うそ、中傷、脅迫、やみうち、なんでもかまいはしない」(同前、三二七ページ)

 第一インタナショナルは、マルクス、エンゲルスを先頭に、バクーニン主義者たちのかく乱策動と数年間にわたる徹底した闘争をおこない、一八七二年のハーグ大会でかれらを除名して、その国際的な破壊活動にとどめをさした。

 レーニンが創設した共産主義運動の最初の国際組織である第三インタナショナル(コミンテルン)の時代にも、国際共産主義運動は、トロツキーとその追随者たちの、国際的な分裂、破壊策動との闘争に直面したが、トロツキストもまた、バクーニン主義者と同じく、その反革命的本性を、極左的スローガンや冒険主義的路線でおおいかくそうとした。

 トロツキーは、その反党活動によって一九二七年にソ連共産党から除名され、一九二九年ソ連から追放されたが、その後、トロツキーとその追従者たちは、いよいよ公然と、国際共産主義運動に敵対するかく乱、破壊活動に狂奔した。トロツキストは、世界資本主義の「死の苦悶(くもん)」とか世界革命の客観的条件の「過度」の成熟などについての革命的から文句をならべたてながら、時とところをかまわずにプロレタリア革命のための「決定的な闘争」をよびかけ、ファシズムと侵略戦争に反対するコミンテルンの国際、国内の統一戦線戦術をプロレタリア革命を防止するための「帝国主義の最後の政治手段」だとののしり、極左的言辞で身をかざりつつコミンテルンと各国共産党にあらゆる非難、中傷、攻撃をあびせた。

 トロツキストは、そのかく乱活動の初期の段階では、マルクス・レーニン主義党の民主主義的中央集権制の組織原則に反対し、分派の形成と諸分派間の自由な闘争こそ生命力ある党の「発展の弁証法」だなどと主張して、「分派活動の自由」の旗じるしのもとにその国際的な分裂活動を組織しようとした。しかし、トロツキストは、一九三〇年代にはいって以後は、コミンテルンは「ブルジョア秩序の側へ決定的に移行」したとか、その「反革命的役割」は明白になったとか、国際共産主義運動の組織全体にたいして独断的な糾弾をおこないつつ、「公式の共産党」を打倒して、プロレタリアートを「ふるい指導部」から解放するために、「新しい共産党とインタナショナル」をつくる時期がきたと宣言し、国際共産主義運動と各国共産党の破壊、転覆を公然と呼号する、いっそう露骨な、反革命的策動の道にふみだした。トロツキーが、ソ連における社会主義の「変質」をとなえ、社会主義の勝利を保証するためには、「スターリン主義官僚」の支配を打倒する新しい「人民革命」が必要だと、社会主義国家の「革命的」転覆を主張しはじめたのも、ほぼ同じ時期のことである。

 こうして、トロツキストは、一九三八年には「第四インタナショナル」と称する国際組織をつくり、この旗のもとに、各国の共産党から追放された変節者や腐敗分子、スパイ、破壊分子などをかきあつめて、公然と社会主義国の転覆と各国共産党の隊列の破壊を目的にした反革命的策動にいよいよ熱中し、文字どおり、帝国主義の別動隊、その手中の反共、反革命工作の道具としての恥ずべき役割をはたすまでに堕落したのである。

 コミンテルンは、トロツキストのかく乱、破壊策動に決定的な打撃をあたえたが、その残党は、今日なお、国際的にもわが国においても、国際共産主義運動と世界人民の解放闘争にたいする挑発、かく乱活動をつづけることによって、帝国主義と反動勢力に奉仕している。

 レーニンは、「共産主義内の『左翼主義』小児病」のなかで、共産党内に発生する極左日和見主義の思想的基盤を「小ブルジョア的革命性」に求め、それが無政府主義と共通の流れに属するものであることを指摘している。

 「この小ブルジョア的革命性は、いくらか無政府主義に似ているか、または、それからなにかを借りてきたものであり、プロレタリアの一貫した階級闘争の条件と要求からは、どの本質的な点でも、それている」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集三十一巻一六ページ)

 毛沢東一派の中国共産党の極左日和見主義集団の思想と実践も、その極左日和見主義の政治路線においても、その国際共産主義運動における解党主義的、かく乱者的活動においても、やはり小ブルジョア的革命性にもとづく無政府主義的傾向をもっており、バクーニン主義やトロツキズムと、多くの共通点をもっている。

 第一に、毛沢東一派が「毛沢東思想」の旗のもとにわが党および国際共産主義運動全体におしつけようとしている路線は、マルクス・レーニン主義の諸原則を「左」からわい曲する「左からの修正主義」(レーニン)として、むしろ、バクーニン主義者やトロツキストの極左的、冒険主義的路線と、きわめて接近した、反マルクス・レーニン主義、極左日和見主義の路線である。実際、各国の具体的条件の科学的分析もなしに、武装闘争、とくにその特殊な形態である中国流の「人民戦争」方式を世界革命の普遍的原則とし、議会闘争や選挙闘争を軽べつする極左冒険主義、「反議会主義」の路線が、無政府主義、トロツキズムの流れをくむものであることは明日である。また、反帝国際統一戦線を「帝国主義と修正主義への投降」として否定する「反米・反ソ統一戦線」論や、「変質」した社会主義国家に反対する「革命」の唱導もまた、トロツキズムの「理論的」武器庫にあるものと共通のものである。そして、マルクス・レーニン主義党の組織原則を根本から否定し、党規律のじゅうりんと反党分派活動、党組織の解体、私物化など、あらゆる反党行為を正当化する「造反有理」論が日和見主義、修正主 義の最悪の形態――反階級的解党主義であることは、いうまでもない。

 第二に、毛沢東一派の大国的排外主義とそれにもとづくかく乱活動もまた、極左的言辞でその日和見主義的、反動的本性をかくした国際的な分裂、破壊策動というかぎりでは、バクーニン主義やトロツキストのそれと、よく似た特徴をもったものである。マルクスがかつてバクーニン主義者のかく乱活動についてのべた一連の特徴づけ――マルクス・レーニン主義を「自分のセクト的な綱領と偏狭な思想」でおきかえ、国際共産主義運動に「自分の正統性と指導を受けいれる」ことを要求し、「味方でないものは敵だ」という鉄則のもとに「自分の支配に服さない」党と革命勢力をすべてブルジョア以上の敵とみなし、特定の指導者にたいする「絶対的な忠誠」をそのかく乱活動の最大の精神的支柱とし、「目的を達するためには、どんな手段も、どんな不誠実も辞さない」など――は、多かれ少なかれ、毛沢東一派のわが党にたいする大国主義的攻撃やかく乱活動のなかに再現している。

 毛沢東一派のトロツキズムの側への政治的、理論的接近はまた、以前は、社会主義陣営と国際共産主義運動全体を敵視していたトロツキストのあいだに、最近では、「文化大革命」を礼賛する潮流が、公然とあらわれてきていることによっても裏書きされている。

 たとえば、トロツキストの「第四インタナショナル」の一分派である「ポサダス派」は、ことし〔一九六七年〕の四月に発表した「第八回世界メーデー宣言――世界の被搾取人民への訴え」なる一文書のなかで、中国の「文化大革命」を「世界革命の中心」とたたえて、つぎのようにのべている。

 「間接的で小心で不安定なかたちで始まったのではあるが、中国における人民の動員の発展過程は、世界社会主義革命の世界的過程の一部をなしている。・・・・紅衛兵は、弱いながらもこの世界的過程の間接的なあらわれである。・・・・この段階、この歴史的時点で、中国の政治革命は、世界革命を指導し結集する中心であるべきだという必要性に歴史的任務を負っており、負うことができ、負わなければならない中心である。・・・・中国の政治革命は世界革命の抑圧され弾圧されている勢力を解放しようとする中心である。ソ連、ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、キューバの、ソビエト官僚の圧力から解放されんと願う人民は、中国人民の行動のなかに、従うべき模範と、これら各国でこの模範に従うよう激励する中心とを見出している」

 さらに、「ヒーリー派」、「統一書記局派」などのトロツキスト諸分派も、中国の「文化大革命」とこれを推進する毛沢東一派にたいして、「条件付支持」あるいは「批判的支持」の態度をとっており、「第四インタナショナル」のトロツキスト諸分派のなかでは、実に「文化大革命」を支持、礼賛する潮流が多数をしめるにいたっている。

 毛沢東一派とトロツキストのあいだの政治的親近性を証明しているのは、それだけではない。すでに指摘したように、毛沢東一派自身が、わが党を攻撃するにあたって、わが国の札つきのトロツキストと「共同戦術」をくみ、かれらがトロツキスト反革命集団と政治的、思想的に野合する道をすすんでいることを、みずから証明してみせた。毛沢東一派がこのように、わが国のトロツキストと野合し、その反革命的かく乱活動を懸命になって弁護しているのは、けっして偶然ではない。それは、かれらが目的のために手段をえらばないところまで転落したことをしめすと同時に、毛沢東一派と無政府主義者やトロツキストとのあいだの思想だけでなく行動の上での接近と組織的結合を、反映しているのである。

 毛沢東を中心とする中国共産党の一部の集団の極左日和見主義、大国主義の路線とそれにもとづく国際的なかく乱、破壊活動は、それが、すでに権力をにぎった共産党、とくに、七億の人民を指導する社会主義の大国の党にあらわれたものであり、在外諸機関や対外放送をもふくめ、社会主義国家の権力を大規模に悪用しておこなわれているだけに、国際共産主義運動と世界人民の解放闘争におよぼすその危険な影響は、ある意味では、権力をにぎっていなかったバクーニン主義者やトロツキストのそれよりも、はるかに重大である。

 しかし、革命に勝利した国の党の指導部が、社会主義国家の権力をも利用して、他国の革命運動、民主運動に乱暴な干渉をくわえ、共産党の破壊をはかるというような、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則をふみにじる行動は、けっして成功するものではない。四年前にわが党に不当な大国主義的攻撃をくわえてきたフルシチョフの先例もしめしているように、国際共産主義運動のかく乱者たちが、やがて歴史によって、マルクス・レーニン主義によってさばかれることは、まちがいない。すでに、国際的に、毛沢東一派がますます孤立化していることはかくすことのできない事実となっている。

 このさい、とくに強調する必要があるのは、中国共産党の毛沢東一派のわが党にたいする反革命的攻撃に反対する闘争を正しくおしすすめるためにも、わが党が「二つの戦線での闘争」の立場、自主独立の立場を堅持することが、いよいよ重要になっていることである。わが党の第十回党大会の決定も指摘しているように、今日の極左日和見主義の潮流は、「フルシチョフとそれに同調した現代修正主義の国際的潮流にたいする闘争の過程で発生」し、つよまってきたものである。この極左日和見主義の潮流は、その極端な誇張と誤りによって、いまや現代修正主義にその右翼日和見主義、分裂主義の破たんをつくるわせ、その修正主義路線を合理化するかっこうの口実をあたえ、もっとも効果的に現代修正主義をたすけている。それと同時に、現代修正主義の国際的潮流は、フルシチョフ以来の対米追従路線や、大国主義、分裂主義の行動の根本的な清算を回避しつづけることによって、極左日和見主義分子が、「米ソ神聖同盟」論や「反米・反ソ統一戦線」論をこねあげるねがってもない材料をあたえ、その分裂、かく乱活動にいっそう油をそそぎ、これらを助長している。このように、現代修正主義およ び極左日和見主義は、「二つのかたわ(ママ)もの」として「おたがいに補いあい」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」全集三十一巻一七ページ)つよめあいながら、ともに国際共産主義運動の隊列を分裂させ、弱体化させる役割をはたしているのである。

 すなわちこの「二つのかたわ(ママ)もの」は、一方は右翼的な、他方は、「左翼」的言辞をろうしながら、反帝民主勢力、国際共産主義運動のアメリカ帝国主義にたいする闘争を弱め、その隊列の分裂をおしすすめる点では、共通の日和見主義的役割をはたしている。

 現代修正主義の国際的潮流が、人類を絶滅させる熱核戦争の回避を口実に、無原則的「平和共存」論をふりまき、アメリカ帝国主義の戦争と侵略に反対する闘争を回避しつづけてきたことは、すでに周知のところである。ところが、毛沢東一派も、他国の革命運動にたいしては情勢を無視した武装闘争や「人民戦争」のおしつけなど、極左冒険主義の挑発的な路線をけしかけながら、自分自身の対外政策においては、世界反動の主柱であるアメリカ帝国主義に反対する闘争で、事実上きわめて受動的な態度をとっている。すなわち、かれらは、「アメリカ帝国主義とその共犯者」が中国に「戦争をおしつけてくる」なら、「毛沢東同志と中国共産党に指導される七億の中国人民は、かならず侵略者の背骨をうちくだき、断固として、徹底的に、きれいさっぱりと、ひとりのこらずかれらを一掃するであろう」(第十一回中央委員会総会の公報)などと宣言して、米ソ両国によるきたるべき中国侵略にそなえることを高言しながら、アメリカ帝国主義が現在実際におしすすめているベトナム侵略戦争にたいしては、すべての社会主義国、国際共産主義運動を先頭にして全反帝民主勢力が団結して、これに全面的効 果的な反撃をくわえることに極力反対しつづけているのである。毛沢東一派は、社会主義世界体制の東南の前哨(ぜんしょう)であるベトナム民主共和国が世界最大の帝国主義軍隊によって、もっとも暴虐な侵略をうけているにもかかわらず、英雄的なべトナム人民とこれを支持する世界の反帝勢力の切望を無視して、「反米・反ソ統一戦線」という分裂主義的路線に固執し、ソ連共産党指導部の側が、共同行動を主張しはじめたにもかかわらず、反帝民主勢力の国際統一戦線からソ連を排除することにあくまで固執している。かれらはソ連などの社会主義国からのベトナム援助を「糖衣を着せた毒」だと非難して、ベトナム人民はこれらの援助をうけるべきでないとし、社会主義体制の団結した力によるベトナム支援への道をみずからとざしている。

 フルシチョフはかつて、ベトナム人民の反米救国の闘争にたいする支援をおこなわず、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際統一戦線の外に身をおくことを望んだ。フルシチョフ失脚後、ともかくもベトナム人民支援をおこない、ベトナム侵略反対での国際共同行動に賛成せざるをえなかったソ連共産党指導部を反米統一戦線から排除せよという毛沢東一派の主張は、実際にはこのフルシチョフの立場と一致する。ここには、毛沢東一派の極左日和見主義の潮流も、ベトナム人民への一定の支援をおこないながらも、ベトナム人民支援の反帝民主勢力の団結を分裂させ弱化させ、そのことによってアメリカ帝国主義のベトナム侵略と各個撃破政策をたすけている点においては、現代修正主義の国際的潮流と同じ日和見主義、同じ分裂主義であることが、かくしようもなく歴然と暴露されている。

 毛沢東一派のアメリカ帝国主義にたいする受動的態度は、ベトナム侵略にたいする政策にあらわれているだけではない。

 なぜなら、かれらが声高に叫んでいる「反米・反修」「反米・反ソ」自身が、実際には、「反修・反ソ」を第一義におき、そのことによって「反米」を第二義、第三義として反米闘争を事実上回避するものであるからである。

 たとえば毛沢東一派やその追従者たちは、わが党だけでなくアメリカ帝国主義の侵略政策との闘争の第一線に立ってたたかっている、朝鮮労働党やキューバ共産党などにたいしても、それらの党が毛沢東一派の路線に盲従しないことを理由に「修正主義」あっかいし、さまざまな攻撃をくわえて、アメリカ帝国主義に手をかしている。

 一九六六年二月二十二日付『人民日報』は、「カストロの反中国声明」と題して、キューバ共産党のカストロ同志が、「フルシチョフ修正主義者」の「反中国の大合唱にくわわった」としてはげしく攻撃した。

 一九六七年二月、北京には、朝鮮労働党の金日成同志を「フルシチョフの弟子」などと非難した壁新聞がはりめぐらされた。また、東京では、ことしの四月、朝鮮大学校の塀(へい)に、「中国留日学生造反派の名で、「金日成修正主義者に警告す」と題して、金日成同志を先頭とする朝鮮労働党指導部を、「修正主義実権派」、「反革命分子」とひぼうした壁新聞がはりだされ、さらに、同じ内容の印刷物が郵送で各方面にばらまかれた。このことと関連して、昨年〔一九六六年〕十月来、アメリカ帝国主義が朝鮮の軍事境界線付近で連続的に大規模な軍事挑発をひきおこし、第二の朝鮮侵略戦争の陰謀をつよめている事態にたいして、中国政府当局はもとより『人民日報』などは、ほとんどひとことも報道していないという事実がある。

 さらに、毛沢東一派は、最近では、ベトナム侵略戦争とこれに反対する闘争が、帝国主義勢力と反帝民主勢力の国際的対決のもっともするどい重点となっている明白な現実を否定して、「今日の世界の矛盾の焦点は中国にある」という議論をとなえはじめた。

 「現代の中国は、世界の矛盾の焦点であり、世界革命のあらしの中心である。

 中国はどこへいくのか。社会主義の道を歩むのか。それとも資本主義の道を歩むのか。これは中国の政治の根本問題であり、同時に世界のプロレタリア革命の命運にかかわる問題である」(『紅旗』編集部、『人民日報』編集部「社会主義の道を歩むのか、それとも資本主義の道を歩むのか」、一九六七年八月十五日)

 この主張によれば、今日、世界の革命勢力が力を集中しなければならない最大の問題は、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、とくにベトナム侵略戦争に反対し、ベトナム人民を支援してその勝利をかちとることでも、その他の地域で、帝国主義と反動勢力にうちかつことでもなく、中国の「プロレタリア文化大革命」を支持して、毛沢東一派による専制支配の確立をたすけることであり、中国の内外の「修正主義」を粉砕することだということになる。ここには、「反米・反ソ」とか「反米・反修」とかいいながら、実際には、アメリカ帝国主義との闘争よりも、「反修・反ソ」を第一義においている毛沢東一派のさかだちした見地が、もっともきわだったかたちで定式化されているのである。

 アメリカ帝国主義は、毛沢東一派の「革命的」言説のかげに、アメリカ帝国主義にたいする団結した闘争にかんして、実践上の受動的態度がかくされていることをすでに見ぬいている。アメリカ帝国主義は、ケネディ以来、国際共産主義運動と社会主義陣営の不団結につけこみながら、各個撃破的に社会主義国と民族解放運動を侵略し、破壊する「各個撃破政策」を意識的に追求してきたが、この「各個撃破政策」には、昨年はじめごろから、ソ連との「融和」をはかるだけでなく、中国との敵対をも回避し、その侵略政策のほこ先を、いっそう集中的に、ベトナム、朝鮮など大きくない社会主義国にまずむけるという新しい特徴が、きわだってきた。たとえば、ラスク国務長官は、昨年〔一九六六年〕三月十六日の下院外交委員会での証言で、「米国は中国を攻撃する意図がないことを中国に確認させること」の重要性を強調し、「中国との戦争の危険はあるが、戦争は不可避でない。中国は従来、米国との衝突の恐れを感じたときには慎重に行動したし、米国も慎重に行動していた」とのべ(『朝日新聞』一九六六年四月十七日)、ジョンソン大統領も、中国との「和解」の希望(一九六七年一月の年頭教 書)や「北京当局との対話を維持する」方針(一九六七年六月十九日の外交演説)などを、くりかえし表明してきた。アメリカ帝国主義のこの新しい対中国政策に、アメリカ帝国主義に反対する闘争における毛沢東一派の分裂主義と実践上の受動的態度にたいするアメリカ政府の側のそれなりの評価と対応があることは、ラスクなどの発言にてらしても、明白である。世界の革命運動、国際共産主義運動の全体的圧殺をねらうアメリカ帝国主義は、当然最終的には、ソ連、中国をふくむ社会主義陣営全体の打倒を目的としながらも、当面は、ソ連における現代修正主義の潮流や中国における毛沢東一派の極左日和見主義によってひきおこされた事態を最大限に活用して、まず、ベトナム民主共和国、朝鮮民主主義人民共和国などの各個撃破計画を成功させようとしているのである。

 現在、ベトナム問題が、アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義勢力と反帝勢力の国際的対決の焦点となり、ベトナム人民支援の国際統一行動と国際統一戦線の強化が、もっとも緊急の課題として要請されているとき、「反米・反ソの国際統一戦線」論や「中国焦点」論をとなえてこの統一戦線の分断を主張し、反帝民主勢力の団結した反撃を実現するという課題に受動的態度をとり、国際共産主義運動を乱暴にかく乱している毛沢東一派の極左日和見主義が、もっとも大きな障害となっていることはいうまでもない。だがこのことは、けっしてフルシチョフを先頭にしておこなわれてきた現代修正主義の国際的潮流を免罪するものではない。現代修正主義の国際的潮流の反帝闘争回避の無原則的な右翼日和見主義路線こそ、毛沢東一派にその悪質なかく乱活動を合理化させ、一部の善意の共産主義者まで、そのかく乱活動にひきこむことを可能にさせている当のものだからである。

 両翼の日和見主義のこうした関係は、極左日和見主義によっては絶対に現代修正主義を克服することはできないし、また現代修正主義によっては絶対に今日の極左日和見主義を克服することはできないこと、そして、現代修正主義の潮流にたいしても、極左日和見主義の潮流にたいしても、ともに思想上、理論上明確に一線を画し、自主独立の立場にたって「二つの戦線での闘争」を一貫しておしすすめる真のマルクス・レーニン主義の原則を堅持すること、そして、帝国主義とたたかう国際共産主義運動の統一行動と反帝国際統一戦線の拡大、強化のために不屈の努力をつづけることこそが、現代修正主義の潮流の克服はもとより、中国共産党の一部集団の極左日和見主義、大国主義の路線と、それにもとづくかく乱、破壊活動を克服するもっとも積極的な力となりうることを、明白にしめしている。

 われわれは、「二つの戦線での闘争」の路線と、自主独立の立場をあくまで堅持し、ひきつづき現代修正主義の国際的潮流を克服する闘争をつよめながら、マルクス・レーニン主義から遠くはなれてしまい、もっぱら国際共産主義運動を分裂させ米日反動勢力の日本共産党と日本人民にたいする攻撃をたすける役割をはたしている毛沢東一派の中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子を今後とも徹底的に糾弾し、かれらの破壊活動を粉砕するために断固としてたたかうものである。これは、日本の革命運動に責任をおうマルクス・レーニン主義党としてのわが党の重要な責務であると同時に、あらゆる日和見主義、分裂主義を一掃して国際共産主義運動の真の団結をかちとる国際的事業に積極的に貢献するためにも、不可欠の課題である。

 今日、毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子が、たとえ一時的、外見的に国内で指導的な地位をしめているようにみえても、それは、共産主義運動の歴史的な屈折の一局面をあらわすにすぎない。現に、毛沢東一派は「毛沢東崇拝」の狂熱的なカンパニアのなかで、毛沢東の「絶対的権威」を最大限に活用し、利用しうるあらゆる手段を駆使してその「文化大革命」をおしすすめながら、毛沢東がこの「革命」をおこして以来二年近くたった今日でも、「実権派」の打倒と毛沢東一派の専制の確立という目的を実現することができないだけでなく、それがつくりだした深刻な混乱そのものによって、中国の労働者と農民の重要な部分のなかに、かれら自身の切実な体験をつうじて、毛沢東神格化と毛沢東の路線の誤りを自覚させる条件をつくりだしつつある。「毛主席がみずからおこし、指導しているプロレタリア文化大革命」が、マルクス・レーニン主義党を解体、破壊することによって中国を突然全国的な混乱にみちびき、人民の生活と生命を以前には予想もしなかった脅威にさらし、その社会主義建設を重大な挫折の危険にさらしているというこの事実は、中国における社会主 義、共産主義の事業にとって、きわめていたましい事態である。しかし、同時に、そのことが、毛沢東一派の極左日和見主義、大国主義の路線、「毛沢東崇拝」を頂点とする反マルクス・レーニン主義の路線が、中国人民の利益に反し、中国の社会主義の事業に反するものであることに、ますます多くの人びとの目をひらかせる結果とならざるをえないことも、確実である。

 今後、事態の発展が、どんなに複雑な、屈曲した過程をたどろうとも、中国においても、最後には、極左日和見主義、大国主義の潮流が克服されて、真のマルクス・レーニン主義が勝利することは、うたがいない。そのことは、これまでの国際共産主義運動のすべての歴史とすべての経験が、力づよく証明しているところである。

 全世界のマルクス・レーニン主義者とマルクス・レーニン主義党は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義を毅然としてまもり、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明の革命的原則の旗を高くかかげて、現代修正主義者にひきつづく毛沢東一派のかく乱活動をゆるさず、国際共産主義運動の団結のために奮闘しなければならない。そのたたかいは、断じて中国共産党や中国人民の利益と対立するものではなく、反対に中国共産党と中国人民の利益をまもるものであり、全世界の労働者階級と人民の利益をまもる歴史的なたたかいにほかならない。

 わが党の第十回大会決定が強調しているように、今日、国際共産主義運動が直面している事態がどんなに複雑で困難にみえても、国際共産主義運動がやがて現在の困難をのりこえ、両翼の日和見主義、大国主義の潮流の誤った路線と行動を克服して、あらたな段階での戦闘的団結をかちとり、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづくあらたな発展の道をきりひらくことは、確実である。わが党は、この光栄ある歴史的任務を達成するために、いっそうの誇りと断固たる決意と確信をもって奮闘しなければならない。

 「マルクス・レーニン主義の科学的学説の不滅の思想的、理論的力と、全世界の反帝勢力、各国人民の解放闘争にかたくむすびついた真の共産主義者の闘争とが、かならずいっさいの困難といっさいの日和見主義を克服して、国際共産主義運動の真のマルクス・レーニン主義的強化とより高い水準の団結をかちとることは確実である。国際共産主義運動は現在の試練をかならずのりこえて、マルクス・レーニン主義の不敗の旗をたかくかかげ、全世界の人民を解放する歴史的事業で、いっそう偉大な役割をはたすことになるであろう」(第十回党大会にたいする中央委員会の報告、『前衛』特集五五ページ)        

(「赤旗」1967年10月10日)

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