4.国際共産主義運動の悪質なかく乱者


 毛沢東一派による「毛沢東思想」の絶対化とその内外にわたるおしつけは、世界人民の反帝闘争および社会主義、共産主義の事業に背反する極左日和見主義、分裂主義の路線を、世界の共産主義運動、革命運動の全体におしつけ、国際共産主義運動をも毛沢東一派の専制支配のもとにおこうとする計画とむすびついている。

(1) 世界人民の反帝闘争の利益にそむく「反米反ソ統一戦線」論

 第一に、毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子は、アメリカ帝国主義の侵略に反対する全世界の反帝民主勢力の国際統一行動と統一戦線に反対して、国際共産主義運動が「反米・反ソ統一戦線」の立場、反帝民主勢力の隊列を決定的に分裂させる分裂主義の立場にたつことを、公然と要求している。

 中国共産党指導部は、数年前までは、すべての反帝民主勢力を結集する反帝国際統一戦線の路線、この国際統一戦線の中核として、ソ連をふくむ社会主義陣営と国際共産主義運動の団結を強化する路線を主張し、この路線にたつかどうかが「プロレタリア国際主義の試金石」だとまで主張していた。たとえば、中国共産党は、四年前の一九六三年六月、世界の共産党・労働者党が一致して採択した一九六〇年の声明に事実上かわるべきものとして、「国際共産主義運動の総路線についての提案」を提出した。これは、「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」によれば、毛沢東の「直接の指導のもとで作成された」ものとされているが、このなかでも、この「総路線」の重要な基本的内容のひとつとして、「社会主義陣営と国際プロレタリアートを中核とし、アメリカを先頭とする帝国主義と各国反動派に反対する広範な統一戦線をうちたてる路線」を主張し、同時に、十三の国からなる「社会主義陣営全体を断固まもるかどうか、この陣営を構成するすべての国のマルクス・レーニン主義にもとづく団結をまもるかどうか」を「それぞれの共産党のプロレタリア国際主義をためす試金石」の一つとしてあ げていた。この見地は、フルシチョフらソ連共産党指導部が、米英両国と部分核停条約をむすび、ケネディなどの美化と無原則的な対米協調の政策を公然と追求しはじめたのちにおいても、変更されなかった(たとえば、『人民日報』編集部・『紅旗』編集部「二つの根本的に対立する平和共存政策」、一九六三年十二月)。当時は、中国共産党指導部も、フルシチョフらの修正主義路線を批判するさい、わが党と同じようにアメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義にその批判のほこさきを正しくむけ、これにたいして、すべての反帝民主勢力の反米統一戦線の強化をめざす立場をとっていたのである。

 ところが、毛沢東を中心とする中国共産党の一部指導集団は、一九六五年の秋ごろから、反米統一戦線の問題についての従来の路線を根本的に変更して、ソ連共産党を組織的に排除した「反米・反ソの国際統一戦線」の路線を主張しはじめた。一九六五年十一月十一日、『人民日報』編集部・『紅旗』編集部の論文「ソ連共産党指導部のいわゆる『共同行動』を反ばくする」ではじめて表明されたこの路線は、のちに「プロレタリア文化大革命」の最中にひらかれた一九六六年八月の中国共産党第十一回中央委員会総会の決議のなかで確認され、中国共産党の公認の路線とされた。

 「アメリカ帝国主義を最大限に孤立させ、これに打撃をくわえるためには、アメリカ帝国主義とその手先に反対するもっとも広範な統一戦線をうちたてなければならない。ソ連修正主義指導グループは、ソ米協調による世界支配の政策をおしすすめ、国際共産主義運動と民族解放運動のなかで分裂、破壊、転覆活動をおこない、さかんにアメリカ帝国主義のお先棒をかついでいる。かれらがこの統一戦線にふくまれないのは、もちろんのことである」(「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」)

 毛沢東一派のこの方針は、わが党が、論文「ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化について」(「赤旗」一九六六年八月八日)などで詳細に解明してきたように、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策を、まっこうからふみにじったものである。

 レーニンは、「共産主義内の『左翼主義』小児病」のなかで、プロレタリアートは、主要な敵である帝国主義、反動勢力にうちかつためには、敵の陣営内のあらゆる利害の対立を利用し、また、どんな「一時的な、動揺的な、条件的な同盟者」とでも手をむすぶことを理解しなければならない、と教えている。

 「力のまさっている敵に打ち勝つことは、最大の努力をはらう場合にはじめてできることであり、かならず、もっとも綿密に、注意ぶかく、慎重に、たくみに、たとえどんなに小さなものであろうと敵のあいだのあらゆる『ひび』を利用し、各国のブルジョアジーのあいだや、個々の国内のブルジョアジーのいろいろなグループまたは種類のあいだのあらゆる利害の対立を利用し、また大衆的な同盟者を、よしんば一時的な、動揺的な、ふたしかな、たよりにならない、条件的な同盟者でも、手にいれる可能性を、それがどんなに小さいものであろうと、すべて利用する場合にはじめてできることである。このことを理解しないものは、マルクス主義と科学的な近代社会主義一般をすこしも理解しないものである」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集三十一巻五八ページ、大字はレーニン)

 レーニンは、つづいて、この見地を、日和見主義、修正主義の潮流にたいする態度の問題に適用し、共産主義者は、さまざまな日和見主義、修正主義の勢力と政治的、思想的にはつねに明確に一線を画しながら、組織上は、情勢に応じた柔軟な態度をとり、必要な場合には、広範な人民を結集して敵に効果的な打撃をあたぇるために、これらの勢力との統一行動、統一戦線を積極的に推進する必要があると、教えている。

 レーニンは、この見地から、ロシアの革命運動においても、「社会革命党」、メンシェビキなどの日和見主義的潮流と、思想的、政治的なたたかいを一貫してつづけながら、あれこれの時期に、情勢の必要におうじてこれらの潮流と一定の「政治的ブロック」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」)をむすぶことをこばまなかったし、国際的にも、同じような統一戦線政策を、状況におうじて展開してきた。また、十月革命に勝利し、コミンテルン(第三インタナショナル)が結成されたのちにおいても、レーニンは、国際資本にたいする闘争において、コミンテルンが第二インタナショナルなどに結集した社会民主主義諸党にたいして、国際的にも、各国国内でも、統一戦線の戦術をとることを主張し、コミンテルンの統一戦線活動の直接の指導にあたった。第二インタナショナルは、当時の日和見主義、修正主義の潮流の中心であり、レーニンは、これを「反革命的な世界ブルジョアジーとのブロックの不徹底な動揺的な参加者」とみなしていた。しかし、レーニンはそれにもかかわらず、これらの潮流との統一戦線戦術が、第一に、国際資本にたいする闘争にもっとも広範な労働者を結集するために、 第二に、第二インタナショナルの立場の誤りを広範な大衆に実践をつうじて理解させ、この日和見主義的潮流を真に克服するために、かくことのできない政策だとして、これを追求したのである。

 「統一戦線戦術の目的と趣旨は、資本に反対する闘争を共同で遂行しようという提案を、第二インタナショナルや第二半インタナショナルの指導者にたいしてさえ、くりかえしおこなうことをためらわずに、そういう闘争にますます広範な労働者大衆を引き入れることにある」(レーニン「ロシア共産党(ボ)のコミンテルン派遣代表団の活動報告についての決議案への提案」、全集四十二巻五七一ページ)

 「第二インタナショナルと第二半インタナショナルを、われわれはまさに反革命的な世界ブルジョアジーとのブロックの不徹底な動揺的な参加者とみなしている・・・・、われわれが統一戦線についての協議に応じるのは、大衆の当面の行動における可能な実践的統一を達成するためであり、また第二および第二半インタナショナルの立場全体の政治的な誤りを暴露するためであって、それは後者(第二および第二半インタナショナル)がこの協議に応じるのは、大衆の当面の行動の実践的統一をはかるためであり、またわれわれの立場の誤りを政治的に暴露するためであるのとまったく同様である・・・・」(レーニン「エヌ・イ・ブハーリンおよびゲ・イェ・ジノビエフへの手紙」、全集四十二巻五四三ページ)

 これらが、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策の基本的な立脚点である。これは、修正主義の潮流とは、思想上だけでなく、組織上もつねに一線を画さなければならず、したがって、いっさいの「共同行動」を拒否すべきだなどという毛沢東一派の議論が、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策とは無縁のものであることを、はっきりと物語っている。とくに、今日、毛沢東一派が、「修正主義との闘争」の名のもとに反帝国際統一戦線から排除しようとしているのは、なお国際共産主義運動に席をしめているソ連共産党であり、なお社会主義陣営の一員であるソ連人民である。しかも、今日、フルシチョフ失脚後のソ連共産党指導部は、一面では従来の誤った路線を根本的に転換することを回避して根づよくそれを残しながらも、他面では真のマルクス・レーニン主義党の批判と世界人民の圧力によって、一定の反米的態度とベトナム人民支援の行動の強化を余儀なくされるという、新しい二面的態度をとっており、ソ連をもふくめてすべての反帝民主勢力を結集し、反帝国際統一行動と統一戦線を前進させうる可能性とその必要性は、いよいよつよまっている。こうしたときに、毛沢東一派は、修正 主義との闘争の重要性を口実に、反帝統一戦線の方針を拒否し、さらに、ソ連共産党指導部を、アメリカ帝国主義と同列の世界人民の主敵、統一戦線の敵とみなす立場を固執しているのである。毛沢東一派のこの「反米・反ソ統一戦線」論が、ブルジョアジーの陣営内の対立さえどんな小さなものでも利用し、どんなふたしかな同盟者でも、結集できるかぎりの勢力を結集して、主敵に打撃をあたえることを要求するマルクス・レーニン主義の統一戦線政策にまっこうから背反し、これを公然と否定したものであることは、明白である。

 このような「反米・反ソ統一戦線」の主張が、反修正主義闘争の名のもとに、国際共産主義運動と社会主義陣営の団結、反帝民主勢力の国際的団結の強化に公然と反対するものであり、ベトナム人民をはじめ世界の人民の反帝闘争の利益にそむき、アメリカ帝国主義をよるこばせる分裂主義の主張であることは、明白である。

 それだけではない、毛沢東一派の極左日和見主義分子は、最近では、ソ連共産党指導部の反帝国際統一戦線からの排除を主張するにとどまらず、わが党などかれらの「反米・反ソ統一戦線」論に同調しないすべての勢力を、「ソ連修正主義の新旧の追随者」などとののしって敵視し、かれらの「統一戦線」の敵のなかに数えこむにいたった。すでにのべてきたように、かれらが、日本共産党を、アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、佐藤反動政府とともに「日中両国人民の共同の敵」と規定し、この「四つの敵」に反対する日中両国人民の「共同闘争」をとなえているのは、その典型的なあらわれである。

 このように、いま、毛沢東一派が、国際共産主義運動におしつけようとしている「反米・反ソ統一戦線」の路線は、かつて抗日戦争の時代に蒋介石国民党の二面的態度を正確に分析し、「一面団結、一面闘争」という方針のもとに正しく適用された抗日民族統一戦線という毛沢東と中国共産党自身の理論と経験を投げすてたものであるだけでなく、もはや、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策とは、ひとかけらの共通点もないものとなっている。それは、「毛沢東思想」の旗のもとに毛沢東一派への盲従分子だけを結集し、帝国主義と反動勢力にたいしてでなく、なによりもまず、毛沢東一派に盲従しない反帝勢力に攻撃のほこさきをむけた「統一戦線」であり、統一戦線の方針どころか、反帝民主勢力の国際的な隊列の分裂、破壊、かく乱の方針にほかならないものである。

(2) 極左冒険主義をけしかける「人民戦争万能論」

 第二に、毛沢東一派は、中国革命の経験の不当な絶対化にもとづく「人民戦争万能論」をかかげて、各国の革命運動が、挑発的な極左冒険主義の路線を採用することを、要求している。

 数年前までは、中国共産党指導部は、自国の「人民戦争」の経験を、世界各国の革命運動に一律におしつけるようなごう慢な独断的態度はとらず、資本主義諸国のプロレタリア政党が、革命の「二つの手法」を準備すること、つまり、「革命の平和的発展を準備するとともに、革命の平和的でない発展にたいしても十分な準備をする」ことを積極的に主張し、「客観的な条件がまだ熟さないときにかるがるしく革命をおこ」そうとする「左翼」冒険主義にたいしても、必要な警告をおこなっていた(「国際共産主義運動の総路線についての提案」)。

 その後、中国共産党指導部は、この見解に大きく変更をくわえはじめた。すなわち、一九六四年三月の『人民日報』編集部・『紅旗』編集部の論文「プロレタリア革命とフルシチョフ修正主義」では、革命の「二つの手法」を準備するという見地はとりさげられ、プロレタリア政党はどんな場合でも、「革命的武装闘争」による権力獲得の路線を堅持しなければならないという「暴力革命唯一論」によっておきかえられた。しかし、この問題でいっそう重大な転換がおこなわれたのは、一九六五年九月に発表された林彪の論文「人民戦争の勝利万歳」においてである。この論文が一九六七年七月七日付『人民日報』社説「人民戦争は天下無敵である」によってあらためて称賛され、八月一日付『人民日報』に再録されたことは、林彪の論文に毛沢東が全面的承認をあたえていることをしめしている。林彪はこの論文のなかで、「暴力革命」を権力獲得のただ一つの方法として絶対化するにとどまらず、農村に根拠地をうちたて、長期にわたる武装闘争をおこなって、農村から都市を包囲し、最後に都市を奪取するという中国の「人民戦争」の方式を、世界各国の革命運動がかならずたどらなければならない道と して絶対化し、すべての被抑圧民族と被抑圧人民に勇気をもって「人民戦争」にたちあがることをよびかけたのである。

 「農村の革命的根拠地を樹立し、農村によって都市を包囲するという毛沢東同志の理論は、今日の世界におけるすべての被抑圧民族、被抑圧人民の革命闘争、とりわけアジア、アフリカ、ラテンアメリカの被抑圧民族、被抑圧人民の、帝国主義とその手先に反対する革命闘争によって、いっそうきわだった普遍的な現実的意義をもっている」(林彪「人民戦争の勝利万歳」)

 中国革命が長期にわたる革命戦争の形態をとったのは、毛沢東がかつてくりかえし解明したように、広大な半植民地的、半封建的国家で、軍閥が割拠し、武装した革命が武装した反革命とたたかうなど、中国革命特有の一連の特徴にもとづくものであった。

 たとえば、毛沢東は、第六回党大会中央委員会総会(一九三八年)での報告の結論のなかで、長期の合法的闘争をつうじて革命を準備し、革命的情勢の成熟のもとで蜂起(ほうき)や戦争にすすむことが資本主義諸国における共産党の任務であることを指摘したうえで、中国の革命運動の路線についてつぎのようにのべていた。

 「中国はそれとはちがっている。中国の特徴は、半植民地的、半封建的な国であって、独立した民主主義国ではないこと、内部的には封建制度の抑圧をうけていて、民主主義制度がないこと、外部的には帝国主義の抑圧をうけていて、民族の独立がないことである。したがって、利用できる議会もなければ、労働者を組織してストライキをおこなう合法的権利もない。ここでは、共産党の任務は、基本的には、長期の合法的闘争をつうじて蜂起や戦争にすすむことでなく、また、さきに都市を占領し、あとから農村を奪取することでもなく、それとは反対の道をあゆむことである。・・・・
 これらのすべては、中国と資本主義国とのちがいをしめしている。中国では、主要な闘争形態は戦争であり、主要な組織形態は軍隊である」(「戦争と戦略の問題」、『毛沢東選集』二巻上二六九〜二七〇ページ)

 毛沢東が当時、中国での「人民戦争」方式――農村に革命根拠地をつくり、農村によって都市を包囲するという革命戦争の方式を、中国独特の条件にもとづくものとみなし、世界革命の普遍的形態などとは主張していなかったことは、明白である。

 その後、世界の革命運動のなかでは、朝鮮、ベトナム、キューバなどの国ぐにの人民が、多くの点で中国とは異なる諸条件のもとで、またその国独特の形態と戦術によって長期にわたる人民解放戦争をたたかい、人民の解放をかちとった。また、南ベトナム人民をはじめ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの一連の諸国の人民は、今日、人民戦争をたたかっているか、あるいはその任務に直面している。わが党は、これらの国ぐにでの人民解放戦争の積極的意義を否定するものではすこしもなく、世界の被抑圧人民の正義の解放戦争にたいしては、これを支持し、プロレタリア国際主義にもとづく連帯の立場を堅持してきた。

 しかし、このことは、人民戦争が、世界各国のどこにでも、またいつでもあてはまる革命運動の普遍的形態、各国人民の解放闘争がかならずとおらなければならないただ一つの道となったことを意味するものではもちろんないし、ましてや、中国における人民戦争の特殊な方式――農村に革命根拠地を樹立し、農村によって都市を包囲するという方式を、世界革命の普遍的原則にまでまつりあげようとする毛沢東一派の議論を、正当化するものではけっしてない。

 中国革命の経験を不当に絶対化し、各国の具体的情勢の科学的分析を無視して、農村での革命根拠地の建設や長期的な武装闘争などを一律におしつけようとするこの「人民戦争万能論」の反マルクス・レーニン主義的譲りについては、わが党が評論員論文「極左日和見主義者の中傷と挑発」ですでに詳細に批判したところである。それは、評論員論文が指摘しているように、「革命運動の理論と戦術についてのマルクス・レーニン主義の理論的、政治的達成のすべてをなげすてることであり、革命を人民自身の事業とみなすマルクス・レーニン主義の立場から、人民大衆からはなれて『武装闘争』をもてあそぶ極左冒険主義の道に、まっすぐとびうつること」にほかならないのである。

 この「人民戦争万能論」は、また、世界革命の展望についての誤った観念的な図式にまで「発展」させられた。林彪は、その論文のなかで、世界各国の情勢と人民の運動についての最小限必要な科学的研究もおこなうことなく、「農村による都市の包囲」という毛沢東の公式を勝手に世界革命全体にまで拡大してあてはめ、「世界の農村」であるアジア、アフリカ、ラテンアメリカでの革命運動を、もっぱら世界革命の事業の主力とみなす独断的主張を展開した。

 「世界的な視野からこの問題をみた場合、北アメリカ、西ヨーロッパを『世界の都市』としたならば、アジア、アフリカ、ラテンアメリカは『世界の農村』ということになる。第二次大戦後、北アメリカ、西ヨーロッパの資本主義諸国のプロレタリア革命運動は、さまざまな原因によって、一時ひきのばされてきたが、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ人民の革命運動はすばらしい勢いで発展してきた。今日の世界革命も、ある意味では、やはり農村による都市の包囲という形勢にある」

 これは、発達した資本主義国における労働者階級の革命闘争を世界社会主義革命の第二義的、受動的要因とみなす毛沢東一派の反マルクス・レーニン主義的見地をしめしたものである。同時に、ここには「農村による都市の包囲」などといった中国革命の特殊性を反映した命題を、いかなる科学的根拠もなしにどこにでもあてはまる絶対的公式に独断的にしたてあげるにとどまらず、この公式をさらに飛躍させて世界革命全体にあてはめて「世界の農村」による「世界の都市」の包囲などという観念的な図式をこしらえあげるかれらの形而上学的、観念論的思考方法が暴露されている。

 今日、とくに重要なことは、毛沢東一派が、反マルクス・レーニン主義的「人民戦争万能論」を最大の「理論的」根拠として、昨年〔一九六六年〕来、わが国の民主運動にたいして、一九五〇年来の経験のなかですでに破産ずみの極左冒険主義の挑発的方針をおしつけることを公然とくわだてはじめたことである。かれらは、わが党の綱領が、かれらの「人民戦争万能論」をとりいれず、「暴力革命唯一論」の立場をとっていないことを理由として、わが党とその路線にたいして、「フルシチョフ修正主義」だとか「階級投降」政策だとかいった非難をくりかえし投げつけてきたが、中国を訪問した各種の日本側代表団にたいする工作や、いろいろな名目で訪日した中国側代表団の日本側との接触のなかでは、「武装闘争」の路線をいっそうあからさまにおしつけてきた。たとえば、昨年八月二十三日、教育事情視察訪中団の招待宴のあいさつのなかで、中国共産党中央委員である廖承志中日友好協会会長は、つぎのようにのべたが、このような事例は、枚挙にいとまがないほどである。

 「日本の一部の人たちは、中国が日本人民に武装蜂起をおしつけるのでけしからんといっています。日本人民に武装蜂起をすすめるのは、米中戦争で中国を応援してもらうためではありません。日本人民にとって武装蜂起の戦術が唯一の正しい戦術であるとわたしたちは確信しているからです」

 武装闘争のこうしたおしつけは、日本にたいしてだけおこなわれているのではない。最近は、毛沢東一派の極左日和見主義、大国主義分子は、インドなど近隣諸国の革命運動について、『人民日報』などの紙上で、この国の革命は、「毛沢東の道」、「中国革命がたどった道」をたどるべきだ、「これ以外にいかなる道もありえない」(一九六七年七月五日付『人民日報』社説、「インドにとどろく春雷」)などと、公然とその国の名前をあげて主張しはじめた。

 このように、毛沢東一派は各国の革命運動に極左冒険主義の挑発的路線をおしつけるために、外国の革命運動に公然と介入し、北京からあれこれの国の革命運動の「すすむべき道」を公然とさしずすることまで、やりはじめたのである。

 各国の革命運動の詳細な分析にもとづいて革命運動の共通の法則を科学的に分析したレーニンは、同時にそれぞれの国の革命がその国の人民自身の事業であり、それぞれの国の革命運動は、独特の道を独自のテンポですすむこと、その国の革命の特徴や運動のもりあがりのテンポを十分に知らない人びとが外部から干渉することが、革命にどんなに大きな害をあたえるかをよく理解していたので、ロシア革命が歴史的な勝利をおさめ、世界の革命運動の前途をしめすその国際的意義があきらかになったのちにおいても、ロシアの共産主義者が外部からの干渉によって各国の革命運動に損害をあたえることをつよくいましめた。

 「われわれは、われわれの干渉がかれらの革命に害をあたえないように気をつけよう。それぞれの革命の変化と盛りあがりを理解する必要がある。われわれが目で見て、体験してきたことであり、他の人よりもよく知っていることであるが、それぞれの国では、革命は別々の道をたどるものである。そして、この道は非常にさまざまであるから、革命は一年おくれることも、二年おくれることもありうる。世界革命はどこでも、あらゆる国で、同一の道をたどるというようにスムースにやれるものではない――もしそのようであれば、われわれはもうとうの昔、勝利していたであろう。各国は一定の政治的段階をとおらなければならない。・・・・そしていま革命がドイツに近づいたとき・・・・革命のもりあがりのテンポを知らない人びとがこれらの諸事件に干渉することは、自分はなによりもこの過程を意識的なものにすることに注意をむけているといっている自覚した共産主義者たちに、害をあたえる恐れがある」(レーニン「全ロシア中央執行委員会、モスクワ・ソビエト、工場委員会、労働組合の合同会議での報告」、一九一八年十月、全集二十八巻一二四ページ)

 レーニンのこの遺訓は、今日、きわめて重要な現実的な意義をもっている。そのことは、一九五〇年の党分裂の時期のわが党の経験によっても、外部からの大国主義的干渉やそれとむすびついた戦術上の誤りなどによって、重大な困難や障害に直面したアジアのいくつかの党の戦後の経験によっても、あきらかである。毛沢東一派は、レーニンのこの遺訓をふみにじり、戦後の歴史的教訓をも否認して、外国の革命運動に介入し、極左冒険主義の戦術をおしつけるという、もっとも極端な大国主義的干渉の道に公然とふみだすことによって、無責任な挑発をこととする国際共産主義運動のかく乱者の立場への転落を、この面からもみずから証明してみせているのである。

(3) 社会主義諸国の転覆を説く反社会主義的綱領

 第三に、毛沢東一派は、ソ連などいくつかの社会主義国がすでに資本主義国に変質したと主張して、社会主義国における党と国家の転覆をめざす反社会主義的路線を、社会主義陣営全体におしつけようとしている。

 毛沢東一派の特殊な議論によれば、現在、ソ連をはじめいくつかの社会主義国では、資本主義の復活は基本的に完了し、国家は、ブルジョア独裁の国家に変質してしまっている。

 「国際プロレタリアートの独裁の歴史での最大の教訓は、最初の社会主義国ソ連で、修正主義グループに党と国家の指導部をのっとられ、資本主義の復活がおこなわれたことである。その他のいくつかの社会主義国でも、こうした事態がおこっている」(『紅旗』編集部・『人民日報』編集部「偉大な歴史的文献」、一九六七年五月十八日付『人民日報』)

 「ソ連では、フルシチョフ裏切り者一味が政権の座につき、レーニンがみずからつくりあげたソ連共産党は修正主義の党に変わり、最初の社会主義国家はブルジョアジー独裁の国家に変わった。その他いくつかの社会主義国においても、こうした事態が発生した」(『紅旗』一九六七年第十一号社説「毛沢東思想はわが党の勝利への道を明るく照らしている」)

 これは、まったく、毛沢東一派の非科学性と独断とをむきだしにさらけだした議論である。

 いうまでもなく、今日のソ連の社会主義建設の複雑な事態をみず、すべてを共産主義への移行をめざす順調な発展として美化して、ソ連共産党内部にある修正主義的傾向とその有害な結果を否定することは、大きな誤りである。だが、同時にソ連共産党内部の修正主義的傾向を敵視するあまり、ソ連では、十月革命後、長期にわたる社会主義建設の過程をつうじて確立された工業、農業における社会主義的生産関係が、すでに資本主義の生産関係に変質してしまい、ソ連が社会主義国から資本主義国家、ブルジョアジー独裁の国家に変質してしまったとか、ソ連の支配勢力はアメリカ帝国主義と同じような侵略勢力に転化してしまったなどと主張することは、ソ連の現実に即さないものであり、もっとも極端な主観主義的、非科学的な誤りをおかすものといわなければならない。

 毛沢東一派は、ソ連共産党指導部を国際共産主義運動から排除しようとするその理論を合理化するために、現代修正主義にたいする正当な批判を、「赤色帝国主義」についての反動勢力の反共宣伝や、「スターリン官僚主義国家」なるものについてのトロツキズムのいいふるされた主張と同じ水準のものにおきかえるところまで、つきすすんでしまったのである。

 毛沢東一派は、さらに、最近の『人民日報』などで、ソ連における「ファッショ的独裁」と「階級矛盾」の先鋭化、あらたな政治的「爆発」の不可避性などについて、しきりに論じている。毛沢東一派が、今日のソ連などを「復活した資本主義の国家」、「ブルジョア独裁の国家」と断定する以上、「人民の革命」による社会主義国家の打倒という結論、トロツキズムの立場と寸分かわりない結論に到達せざるをえないのは、当然である。そして、ここでは、中国における「プロレタリア独裁」のもとでの「文化大革命」のなかでいまおこっているような、党組織、国家組織の解体と私物化ともことなって、まさに「ブルジョア独裁」の「粉砕」の名のもとに、すなわち党と国家の中央機関をもふくめて、共産党と社会主義国家の全体が、打倒、粉砕の対象とされるのである。これは、まさに、さきに紹介したトロツキーの「第二の補足的革命」論そのものである。

 毛沢東一派は、ソ連における現代修正主義の潮流の存在を根拠として、社会主義国家を打倒する「人民革命」というトロツキスト的、反社会主義的綱領を国際共産主義運動全体におしつけようとしているのである。

 これが、国際労働者階級の生みの子である社会主義世界体制を解体、崩壊させようとするものであり、まさにアメリカ帝国主義の各個撃破政策と、かれらが夢にまで見ている期待にこたえるもっとも犯罪的な策動であることは、指摘するまでもないであろう。

(4) 「再編分化」論の分裂主義

 第四に、毛沢東一派は、「今日は大変動、大分化、大再編の時代である」などという分裂主義のスローガンをかかげてそのかく乱活動を合理化しつつ、国際共産主義運動全体の公然たる分裂と毛沢東一派の支配の実現をめざしてまっしぐらに進んでいる。

 さきに引用した一九六五年十一月十一日付の『人民日報』編集部・『紅旗』編集部の論文「ソ連共産党新指導部のいわゆる『共同行動』を反ばくする」は、つぎのようにのべている。

 「当面の世界情勢の特徴は、国際的階級闘争が日ましに深まっている状況のもとで、いま大きな変動、大きな分化、大きな再編が進行しているということである。・・・・各種の政治勢力は、いま世界的規模ではげしく分化し、あらためて編成されつつある」

 ここでいわゆる「各種の政治勢力」のなかで、なによりもまず、国際共産主義運動の「世界的規模」での「再編分化」が問題にされていること、そしてこの国際共産主義運動の「再編分化」なるものが、第一に、「ソ連共産党新指導部がまったくアメリカ帝国主義に反対せず、しかもアメリカ帝国主義と同盟をむすび、アメリカ帝国主義と連合して世界を支配しようとしている」こと、つまりいわゆる「米ソ神聖同盟」の結成によるソ連共産党指導部などの敵陣営への移行なるものをさしていることは、いうまでもない。

 国際共産主義運動の「再編分化」の第二は、反修正主義闘争からの一部勢力の「落伍(らくご)」である。

 「フルシチョフ修正主義に反対する闘争が先鋭化し、深刻化するにつれて、革命の隊列のなかには、つねに新しい分化が不可避的におこり、どうしても一部の人が革命の隊列から落伍していくものである」(同前)

 「再編分化」の第三は、いわゆる「左派」の「党」、グループの結成である。

 「いま多くの国でマルクス・レーニン主義者が修正主義グループと決別して、マルクス・レーニン主義的な政党や組織をあらためて建設したり、新しく建設したりしているのはソ連共産党指導部が修正主義、大国排外主義、分裂主義を実行した必然的な結果であり、これら諸国のマルクス・レーニン主義者が修正主義者とたたかった必然的な結果であり、国際的階級闘争と国内の階級闘争が日ましに深まっていく状況のもとで革命勢力が再編成された必然的な結果である」(同前)

 こうした「革命勢力の再編成」のうえに立って、論文は、つぎのような任務を提起する。

 「現在、各国のマルクス・レーニン主義政党のまえによこたわっている任務は、アメリカ帝国主義のお先棒をかつぐ修正主義分子と政治的、組織的に一線を画し、フルシチョフ修正主義をとりのぞいて、アメリカ帝国主義とその手先に反対する革命闘争の高まりをむかえることである」(同前)

 毛沢東一派が、アメリカ帝国主義と「神聖同盟」なるものをむすんでいるソ連共産党など、および最近「落伍」してその「新しい追随者」なるものとなったわが日本共産党などと「政治的、組織的に一線を画し」、毛沢東一派の専制的支配下の中国共産党をはじめとし、最近「あらためて建設」されたり、「新しく建設」されたりした「マルクス・レーニン主義政党」を結集しようとしていることはあきらかであろう。これは、事実上、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明の公然たる廃棄の宣言、国際共産主義運動の決定的分裂の宣言、毛沢東一派に追従する「革命」勢力の国際的結集の宣言以外のなにものでもない。

 毛沢東一派は、こうした分裂主義の「哲学的根拠」を、いわゆる「一つが二つに分かれる」という「弁証法」のうちにもとめている。つまり、世界のすべての事物は「一つが二つに分かれる」というのが弁証法の根本法則であり、国際共産主義運動が分裂するのは当然だというのである。

 事物の具体的分析をおこなわずに、哲学的命題から、いきなり政治的持論をひきだしてくる、こうした方法自体が、弁証法的唯物論に反した形而上学的なものであることは、いうまでもない。エンゲルスは、こうした反唯物論的なやり方をかたくいましめて、つぎのとうにのべている。

 「もろもろの原理は研究の出発点ではなくて、それの最後の成果となる。もろもろの原理が自然と歴史とに適用されるものではなくて、後者から前者が抽象されるものである。自然と人間界とがもろもろの原理にのっとるのではなく、もろもろの原理は、それが自然と歴史とに一致するかぎりでだけ、正しいのである。これが、この問題についての唯一の唯物論的な見解である」(エンゲルス「反デューリング論」)

 膨大な政治論文を書いているマルクスもエンゲルスも、レーニンも、具体的な政治的分析なしになんらかの哲学的命題から、政治的結論をひきだしたことは一度もなかった。ここでも毛沢東らの分裂の哲学と政治学が、反マルクス・レーニン主義的なものであることは明白である。

 しかも、なお始末にわるいことには、共産主義運動に形而上学的に「適用される」この原理――「一つが二つに分かれる」という哲学的原理なるものが、マルクス・レーニン主義の弁証法のもっとも極端なねじまげ、つくりかえであることである。「一つが二つに分かれる」論者が、その主張の典拠としているのは、「一つのものを二つに分け、この一つのものの矛盾した二つの部分を認識することは、弁証法の核心である」(「弁証法の問題について」、全集三十八巻三二六ページ)というレーニンのことばである。しかし、これは統一した事物のうちに、「矛盾した、たがいに排除しあう、対立した諸傾向」を発見し、事物を対立物の統一として認識することが、弁証法の根本問題であることを指摘したものであって、毛沢東一派がこじつけているように、「統一した事物がかならず二つの事物に分裂する」などという独断(これではあらゆる事物、あらゆる運動、あらゆる組織が無限の分裂をくりかえさなければならないことになる)を弁証法の根本的普遍的法則としたものではけっしてない。毛沢東一派は、このようなこじつけによって、弁証法を、無限分裂の哲学にまでつくりかえてしまったのであ る。

 毛沢東一派は、こうして国際共産主義運動の分裂を積極的に主張しているだけではない。一九六七年六月十六日付『人民日報』の国際評論「このむほんはたいへんけっこうだ」は、つぎのようにのべている。

 「帝国主義が全面的な崩壊にむかい、社会主義が全世界的な勝利にむかう新しい時代に、帝国主義、現代修正主義と各国反動派を一方とする反革命勢力と、全世界のマルクス・レーニン主義者と革命的人民を一方とする革命勢力との間に、いま食うか食われるかの一大決戦がおこなわれている。すべての政治勢力はみなこの決戦のなかで『態度を表明』しなければならないのであって、革命勢力の側に立つのでなければ、反革命勢力の側に立つようになるのである」

 いまや、毛沢東一派にとっては、自分たちと、それに忠実に盲従する各国のひとにぎりの「左派」をのぞいて、国際共産主義運動はすべて、「毛沢東思想」という新しい発展段階に到達したマルクス・レーニン主義を裏切る「修正主義者」、「反革命の側に立つ勢力」なのであって、これを打倒し、かく乱することが「帝国主義の全面的崩壊」と「社会主義の全世界的勝利」をめざす、もっとも「革命的」な闘争とされているのである。

 こうして毛沢東一派は、かれらの血まよった目にはほとんどが「反革命勢力の側」に立つにいたったとうつる国際共産主義運動にたいし、文字どおり国際共産主義運動史上に前例のない乱暴きわまりないやり方で、その極左日和見主義路線をおしつけ、かれらが以前から「修正主義の党」とみなしていた諸党はもちろん、わが党をはじめ、毛沢東一派の主張や見解に無条件にしたがわない外国の共産党にたいしても、「造反有理」のスローガンをかかげて、その破壊と転覆をよびかけるという大国排外主義的な干渉と破壊活動をおこない、労働者階級の世界観であるマルクス・レーニン主義のかわりに、それと敵対する「毛沢東思想」を行動の指針とした、あたらしい「国際的運動」をつくり出すという、もっとも有害な分裂策動に狂信的に熱中しているのである。

(5) 国際的な専制支配をめざす大国的排外主義

 以上のように国際共産主義運動内部で毛沢東一派の思想的、政治的指導権を要求するかれらの大国的排外主義は、かれらを、外国のマルクス・レーニン主義党と革命運動に破壊的な打撃をくわえて、帝国主義者と反動勢力をよろこばせる、文字どおりの反階級的かく乱者の立場にまでみちびくにいたっている。

 レーニンは、勝利した社会主義の国家に大国的排外主義の傾向がすこしでもうまれた場合、それが世界革命の共同の事業、国際共産主義運動全体に、どんなに重大な損害をあたえるかを、正確に予見していた。だからこそ、レーニンは、外国の革命運動にたいして、「ロシアと同じ行き方」をおしつけようとしたり、赤軍による革命の輸出をとなえたりするブハーリン、トロツキーなどの主張に反対し、そのどんなあらわれにたいしても、断固とした批判をくわえたのである(たとえば、「ロシア共産党第八回大会での党綱領についての報告」、全集二十九巻一五九〜一六四ページ)。そしてまたレーニンは、レーニンの「遺言」として知られている、ロシア共産党第十三回大会へあてた一連の手紙(一九二二年)のなかで、少数民族にたいするスターリンなどの政策と行動のうちにあらわれた大ロシア人的大国主義の傾向をきわめて重視し、このような傾向が放置されるならば、インタナショナル全体、帝国主義に反対する世界革命の事業全体が「はかりしれない」損害をこうむることになるとして、大国主義、排外主義のいかなるあらわれとも、非妥協的な、断固とした闘争をおこなうことを、つよく要求 したのであった(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて」、全集三十六巻七一五〜七二三ページ)。

 このレーニンの遺訓をまもることの重要性、とくに社会主義の大国の共産党にとって、大国主義、排外主義の誤りを警戒することの特別の重要性については、毛沢東をはじめとする中国共産党の指導部自身、数年前までは、国際共産主義運動における原則問題として、大いに強調していたところであった。

 たとえば、一九五六年九月、中国共産党第八回大会第一回会議では、毛沢東自身が、「ごう慢な大国主義」にたいして、つぎのようなつよい警告を発していた。

 「われわれは、ごう慢な大国主義の態度をとってはならない。革命に勝利し、建設にあたっていくらかの成果をあげたからといって、思いあがるようなことは、絶対にあってはならない。国の大小をとわず、いずれの国にも長所もあれば短所もある。たとえわれわれの活動が、きわめて大きな成果をあげたとしても、たかぶったり、思いあがったりする理由はなにひとつない。謙虚は人を進歩させ、ごう慢は人を落伍させる。この真理を、われわれは永久に心にとめておかなければならない」(中国共産党第八回全国大会における開会の辞)

 また、一九五七年十二月、『人民日報』編集部が、中国共産党中央委員会政治局拡大会議の討論にもとづいて発表した論文「ふたたびプロレタリアート独裁の歴史的経験について」は、スターリンの大国主義の傾向を批判しながら、中国共産党自身が大国主義の誤りをおかす危険について、つよい自戒を表明していた。

 「スターリンは、兄弟党と兄弟の国家にたいする関係で、かつてある種の大国主義の傾向をあらわしたことがある。このような傾向の本質は、国際的な連合のなかでの各国の共産主義政党と各社会主義国の独立平等の地位を無視することである。このような傾向には一定の歴史的原因がある。古い時代の大国の小国にたいする因習がもちろんまだある種の影響を残しているであろうが、一つの党あるいは一つの国が革命の事業のなかでえた一連の勝利が、人びとに一種の優越感をおこさせるのも避けがたいことである。
 だからこそ、大国主義の傾向を克服するには、系統的な努力をする必要があるのである。大国主義はけっしてある一つの国の特有の現象ではない。・・・・われわれ中国人が特別心にとめる必要があるのは、わが国が漢、唐、明、清の四代にやはり大帝国であったということである。わが国は、十九世紀のなかば以後の百年のあいだ侵略された半植民地となったし、現在も経済、文化のおくれた国であるけれども、しかし条件が変わったのち、大国主義の傾向は、もしも努力してふせがないなら、かならず重大な危険となるだろう。そして、指摘しなければならないことは、当面このような危険が、われわれの一部の働き手のあいだに、すでに芽ばえはじめていることである。それゆえ、中国共産党第八回全国大会の決議と中華人民共和国政府の十月一日の声明は、どちらもその働き手にたいして、大国主義の傾向に反対するという任務を提起しているのである」
 大国主義に反対するというこの見地は、さきに引用した「国際共産主義運動の総路線についての提案」のなかでも、いっそう具体的な内容をもって、のべられていた。すなわち、この文書は、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明できめられた兄弟党間の関係についての準則を真に堅持することが、「兄弟党間の団結をまもり、つよめる唯一の正しい道」だとのべ、他の兄弟党にたいする大国主義的態度のさまざまなあらわれを具体的に列挙しながら、いかなる大国主義的干渉にも反対する態度を、疑問の余地のないことばで、明確に表明していた。

 「もし兄弟党の関係のなかの平等と独立の原則をみとめるなら、自分自身を他の兄弟党の上におくことはゆるされず、兄弟党の内部のことに干渉することはゆるされず、兄弟党の関係のなかで家父長制を実施することはゆるされない。
 もし兄弟党の関係のなかに『上級』と『下級』の区別がないことをみとめるなら、自分自身の党の綱領、決定、路線を国際共産主義運動の『共同綱領』として他の兄弟党におしつけることはゆるされない」

 「いま国際共産主義運動の隊列のなかにいくつかの意見の相違が存在する状況のもとでは、『宣言』と『声明』できめられた兄弟党の関係についての準則を厳格にまもることを強調することが、とくに重要である、とわれわれは考える」

 「プロレタリア国際主義は、党が大きいか小さいか、権力をとっているかいないかにかかわりなく、例外なしに要求されるものである。しかし、大きな党、権力をにぎっている党はこの面で、とくに重大な責任をもっている。過去のある時期、社会主義陣営におきた人びとをかなしませる一連の事件は、関係兄弟党の利益に損害をあたえたばかりでなく、関係兄弟国の広範な人民大衆の利益にも損害をあたえている。この事実は、大きな国、大きな党が、かならずレーニンの遺訓を肝に銘じ、けっして大国的排外主義の誤りを犯してはならないことを有力に立証している」

 四年前までの中国共産党中央委員会のこれらの主張は、基本的に正しいものをもっていた。ところが、毛沢東を中心とする中国共産党の一部指導集団は、いま、中国共産党指導部が、第八回党大会以来一貫して主張してきたこの立場を百八十度転換させ、自分を国際共産主義運動の上において他国の共産党の内部問題に乱暴に干渉し、自分たちの特殊な思想や路線を国際共産主義運動の「共同綱領」として他国の共産党に一方的におしつけるなど、みずから「ゆるされない」こととして非難していた大国的排外主義の道にふみだしたばかりか、この大国的排外主義の歩みを、毛沢東一派の指導権、事実上その専制を国際的にうちたてるために他国の共産党の破壊と転覆をたくらむという、もっとも極端なところにまでつきすすめた。「ごう慢は人を落伍させる」とのべた毛沢東は、十一年後の今日、その典型をみずから演じてみせているのである。

 毛沢東一派がいだいている国際共産主義運動の分裂支配の野望は、けっして成功するものではなく、みじめな一場の夢にすぎない。

 なぜなら、これまで列挙してきたような、「反米・反ソ国際統一戦線」や「人民戦争万能論」などの極左日和見主義路線のおしつけ、「造反有理」のスローガンをかかげた各国共産党の破壊活動、ソ連における資本主義復活を口実にした社会主義政権の転覆活動などは、時代錯誤の毛沢東神格化のおしつけと同じように、一世紀以上にわたる国際共産主義運動の実践の試練にたえたマルクス・レーニン主義の理論と戦術とはあまりにも遠くはなれたものであり、各国の情勢と革命運動の現実をまったく無視した極端な空論的主張であり、したがってまた、国際労働者階級と各国の勤労人民の利益にまっこうから反する挑発的、反階級的路線であるからである。したがってまた、毛沢東一派のかく乱活動の政治的本質は、各国のマルクス・レーニン主義者と国際プロレタリアートおよび勤労人民によって、ただちに見ぬかれざるをえず、かれらの極左冒険主義、分裂主義の路線は、日に日に破たんし、失敗し、孤立することは不可避的だからである。だが毛沢東一派は、その分裂活動が破たんし、失敗し、孤立すればするほど、その破たんや孤立を、今日の世界の革命情勢の深刻さの表現として説明し、諸勢力の 激烈な「再編分化」のあらわれであるとして合理化し、いっそう狂信的にそのかく乱活動をおしすすめ、その分裂策動を強化している。

 ここには、どんなに過去の栄光がかがやかしいものであろうと、ひとたびマルクス・レーニン主義の原則をふみはずして誤った道へふみいったものがたどる不可避的な転落の法則が、いやおうなしにはたらいている。

 国際共産主義運動の歴史は、かつては運動のなかで一定の積極的役割をはたした革命家たちが、一たび方向を見失い、マルクス・レーニン主義と国際労働者階級の利益からそれた場合、どんなに急速に反革命にまで転化していったかという無数の実例をふくんでいる。

 毛沢東は、中国革命を指導した過去の業績のうえにあぐらをかき、現代修正主義との闘争のうえではたしたかれの役割に目がくらみ、ごう慢にもみずからをマルクス、レーニンに比肩する人物と思いこんで、レーニンが第二インタナショナルの崩壊のなかから第三インタナショナル(コミンテルン)を創設したように、今日の国際共産主義運動の「修正主義的崩壊」のなかから「毛沢東思想」の崇拝を至上命令とする「国際運動」を創設することをもくろみ、七億の中国人民がかちとった社会主義の権力を私物化し悪用して、国際共産主義運動のもっとも有害なかく乱者となる転落の道をまっしぐらにすすんでいる。

 もちろん、われわれは、中国が、ベトナム人民にたいして社会主義国としての一定の援助をおこなっていることを評価しているし、この援助がいっそう強化されることをつよく期待するものである。

 しかし、このことが、毛沢東一派がおこなっている国際的なかく乱運動、とくにわが党にたいする背信的攻撃に集中的にあらわれている国際共産主義運動の破壊活動を免罪しうるものでないことは、いうまでもない。

 社会主義国家のなかに発生した毛沢東一派の大国的排外主義に反対し、これを克服する系統的な努力をおこなうことは、自国の革命運動と国際共産主義運動に責任をおうすべての共産主義者にとって、マルクス・レーニン主義の原則をまもり、国際共産主義運動の隊列とその事業をまもるために、今日避けることのできない重大な責務となっているのである。


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