2.いわゆる「プロレタリア文化大革命」の実態と本質


 まず、中国でおこっている「プロレタリア文化大革命」なるものの問題をとりあげよう。

 この「プロレタリア文化大革命」は、たんに中国の国内問題にとどまるものではない。

 第一に、毛沢東一派の極左日和見主義集団は、この「プロレタリア文化大革命」を、「国際共産主義運動の歴史に新しい紀元をきりひらいた」、「全世界のプロレタリアートに新しい偉大な手本をうちたてるもの」(一九六七年一月一日、『人民日報』・『紅旗』社説「プロレタリア文化大革命を最後までおしすすめよう」)と自画自賛し、この「史上に前例のないプロレタリア文化大革命をおこなったこと」こそ「毛沢東同志の国際プロレタリアートにたいする理論と実践の面からの最大の貢献である」(一九六七年五月十七日、『紅旗』編集部・『人民日報』編集部「偉大な歴史的文献」)などと主張して、その礼賛を当然のものとして国際的におしつけてきた。

 わが国の対外盲従分子も、これに当然のものとして迎合して、「プロレタリア文化大革命」にたいする歯の浮くような賛辞をきそいあっている。

 「文化大革命は、人類の歴史はじまって以来、いちばん大きな意義をもった革命です」(西沢隆二「文化大革命と紅衛兵」、『毛沢東思想研究』一九六七年三月号)

 「中国のプロレタリア文化大革命の勝利的発展は、十月社会主義革命の道の、いまだ誰もきりひらいたことのない新たな発展階段への突入である」「プロレタリア文化大革命の先人未踏の大偉業は、マルクス・レーニン主義の現代における最高の理論の全面的な適用・具体化とその全面的な発展を内容としており、われわれは、この偉大な成果から深く系統的に学ばねばならない」(「長周新聞」一派の機関誌『革命戦士』編集部、一九六七年三月)

 毛沢東一派は、北京在住の反党分子らに「プロレタリア文化大革命」を礼賛してわが党を攻撃した文書を書かせ、これを『人民日報』などに発表して、わが党攻撃の武器としてきた。たとえば、ハノイ駐在の「赤旗」特派員としての任務を放棄してわが党から除名された反党暴力分子井出潤一郎は、『人民日報』一九六七年三月二十日付に掲載された「中国の文化大革命は世界歴史の新しい紀元を切りひらいた」のなかで、「プロレタリア文化大革命」は、第一に、「日本の革命的人民」に「毛沢東思想のみが米日反動派をうち倒し、自己を解放する、ただ一つの思想的武器である」ことを知らせ、第二に、「紅衛兵、小勇将たちの造反精神」によって、「日本の革命的人民」の「日共修正主義分子との闘争」をはげまし、第三に、日本人民に、「毛沢東のさし示す道のみが共産主義における道であること」を知らせた、などと書いて、「日本の革命的人民」に、「毛沢東思想」と「プロレタリア文化大革命」の道なるものを、おしつけようとしている。

 第二に、いっそう重要なことは、この「プロレタリア文化大革命」が、毛沢東一派の極左日和見主義、大国主義の対外路線ときりはなしがたくむすびついて、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的な反帝闘争にも影響をおよぼす、重大な国際問題となっていることである。

 「プロレタリア文化大革命」は、「反米反ソの統一戦線」という国際的な分裂主義の路線と不可分にむすびついている。そのことは、一九六六年八月の中国共産党第十一回中央委員会総会が、その決議で「プロレタリア文化大革命」の目的の一つが、「アメリカ帝国主義とその共犯者の奇襲攻撃」の防止、つまり米ソ両国の奇襲攻撃の危険への反撃にあるとして、ソ連修正主義指導グループを、国際統一戦線から排除する「反米反ソ統一戦線」の方針を、「プロレタリア文化大革命」の対外路線として公式に宣言したことからもあきらかである。(「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」)

 第三に、毛沢東の絶対化を至上命令とする「プロレタリア文化大革命」が、同じ「毛沢東思想」の旗のもとに、毛沢東一派の路線への無条件追従を国際的に強要する極端な大国的排外主義と、一体となってすすめられてきたことは、すでにかくれもない事実である。毛沢東一派の大国的排外主義は、自分たちに無条件で追従しない外国の共産党と民主勢力にたいし、テロとデマ宣伝、転覆活動をはじめ、いかなる下劣な手段もいとわずに、破壊的な攻撃をくわえるという、もっとも凶暴な文字通り常軌を逸した狂態にまで達しているが、このような大国的排外主義の異常な進行は、「プロレタリア文化大革命」の名のもとに展開されてきた中国国内の異常な事態ときりはなすことができないように直接にむすびついている。それは、「プロレタリア文化大革命」なるものをおしすすめる道具として、毛沢東一派が組織し、指導している「紅衛兵」が、同時に、わが党にたいする凶暴な攻撃の道具となり、狂信的な大国的排外主義の先兵となっていることひとつをとっても明白である。

 このように、毛沢東一派とこれに迎合する反党対外盲従分子が、中国の「プロレタリア文化大革命」の礼賛を国際的におしつけ、また、これが日本の革命運動にとっても、世界人民の反帝闘争にとっても重大な否定的影響をおよぼす国際的性格をもって展開されてきている以上、その実態と本質を、マルクス・レーニン主義にもとづいて究明し、日本人民の前にあきらかにすることは、いまや、日本人民の解放闘争と国際共産主義運動に自主的な責任を負っているマルクス・レーニン主義党としての、わが党の当然の責務となっているといわなければならない。

(1) 「プロレタリア文化大革命」は、マルクス・レーニン主義の文化革命とは無縁のものである

 この「プロレタリア文化大革命」なるものの実態はどういうものだろうか。

 中国でおこなわれている「プロレタリア文化大革命」なるもののすべての現実は、さきに指摘したような毛沢東一派や対外盲従分子の絶賛のことばが、なんの科学的な根拠ももたないから文句であり、社会主義中国に重大な損害をあたえつつある「文化大革命」の反マルクス・レーニン主義的な実態をおおいかくすものでしかないことを、証明している。

 いうまでもなく、一般に、社会主義革命と社会主義建設をおしすすめるための闘争において、政治革命、経済革命とともに、文化革命はきわめて重要な意義をもつものである。

 マルクス・レーニン主義は、マルクス・エンゲルス以来、思想、文化の分野での闘争を、政治闘争、経済闘争とならぶ階級闘争の「三つの側面」(エンゲルス)の一つとして、一貫して重視してきた。わが党も、マルクス・レーニン主義のこの見地を堅持して、米日反動勢力の反動的な思想・文化攻勢を打破し、日本文化の民族的、民主的発展とその中核となる労働者階級の革命的民主主義的文化の建設の課題を遂行するために、奮闘している。

 「政治闘争、経済闘争とともに、階級闘争の重要な分野である思想・理論闘争の重要性は、今日とくにきわだっている。われわれは、高度に発達した資本主義国としてのわが国の実情にあった、ますます正確でち密な説得力のある思想・理論闘争を組織し、民族民主統一戦線を結成する思想的、理論的土台を、ひろく大衆のなかにきずきあげなければならない」

 「われわれは外国の進歩的、革命的な文化をひきつづき自主的に学ぶと同時に、わが国の一部の知識層のあいだにつよい外国崇拝や事大主義の傾向に反対し、日本文化のなかの価値ある遺産を正しくうけつぎ、革命的民主主義的文学、芸術の創造をふくむ新しい人民的な文化の建設に努力しなければならない」(第十回党大会にたいする中央委員会の報告)

 とくに、労働者階級が、ブルジョアジーの権力をたおして、社会主義の権力をうちたてたのちには、この権力を内外の敵から防衛する任務や古い資本主義経済を打破して新しい社会主義経済を建設する経済革命の任務とともに、古い反動的な思想、文化とたたかって新しい社会主義の思想、文化を建設する文化革命が、社会主義、共産主義のための闘争の重要な任務になってくる。レーニンによれば、この文化革命は、「資本主義の蓄積した・・・・文化と知識と技術のたくわえの総体を、資本主義の武器から社会主義の武器に変え」(「国民経済会議第一回大会における演説」、全集二十七巻四二六〜四二七ページ)、人民大衆の教育と文化の水準を飛躍的に高めること、ブルジョアジーの「思想的なもっとも強力な反抗」を克服し、「古い制度から遺産としてわれわれにのこされた古い習慣、古いならわし、大衆のなかに徹頭徹尾しみこんでいる所有者的なならわしと習慣を克服する」こと(「県および郡国民教育部政治教育課全ロシア会議での演説」、全集三十一巻三七三、三六七ページ)、「人類の思想と文化の発展における価値あるもののすべてを摂取し、加工し」、つくりかえることによって、新しい プロレタリア文化を建設すること(「プロレタリア文化について」、全集三十一巻三一六ページ)など、多面的な任務をふくむものであり、それは社会主義の事業の成否を左右するといってもよいほど、きわめて重大な任務をになうものである。

 レーニンは、とくに、文化革命と新しい「プロレタリア文化」についての幼稚な、観念的、極左的傾向をきびしくいましめて、人類が過去においてきずきあげたすべての価値ある文化を批判的に摂取し、それを改造し、合法則的に発展させることを、文化革命の基本的な内容として、一貫して強調した。

 「人類の全発展によってつくりだされた文化についての正確な知識をもたなければ、それをつくりかえなければ、プロレタリア文化の建設は不可能だということを、はっきりと理解しないかぎり、われわれはこの任務を解決することはできない。・・・・プロレタリア文化は、人類が資本主義社会、地主社会、官僚社会の圧制のもとでつくりあげた知識のたくわえを合法則的に発展させたものでなければならない」(レーニン「青年同盟の任務」、全集三十一巻二八三〜二八四ページ)。

 もちろん、文化革命の具体的な内容や形態は、その国の民族的、歴史的な条件によって大きく異なってくるが、その基本的な方向、任務は、社会主義革命を実行するすべての国に共通のものである。

 一九五七年の共産党・労働者党代表者会議の宣言も、「イデオロギーと文化の分野で社会主義革命を実現し、労働者階級、勤労人民、社会主義の事業に献身する多数のインテリゲンチアをつくりだすこと」を、すべての国に共通する社会主義革命と社会主義建設の普遍的原則のひとつとして指摘している。

 しかし、いま、中国で「プロレタリア文化大革命」の名のもとにおこなわれている事態は、マルクス・レーニン主義が、一貫してその重要性を強調してきた右のような文化革命とは、本質的にまったくなんの共通点もない別のものである。

 まず、指摘しなければならないのは、一昨年〔一九六五年〕後半に毛沢東がみずからおこしたというこの「プロレタリア文化大革命」なるものは、けっして思想、文化の分野での社会主義革命を主要な内容とするものではないということである。

 たしかに、この「革命」の初期の段階には、呉ヨの歴史劇の批判など一時的に、思想・文化の問題が前面におしだされたこともあった。また、昨年〔一九六六年〕八月の中国共産党第八期中央委員会十一回総会の「プロレタリア文化大革命についての決定」では、「今回の運動の主要な対象は、資本主義の道を歩む党内の実権派である」とのべながらも、同時に「搾取階級の旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣」とたたかい、「プロレタリアート自身の新思想、新文化、新風俗、新習慣によって社会全体の精神的様相を改め」ることを、この「革命」の、すくなくとも主要な任務のひとつとして規定していた。しかし、今日では、この「文化大革命」なるものが、思想、文化の分野の「革命」を主として意味するものでなく、その主要な内容が、ある政治勢力――毛沢東一派が「資本主義の道を歩む党内の実権派」とよんでいる――を粉砕し、党と国家の機関から追放することをめざす政治的闘争にあり、初期の「文化革命」は、この政治闘争の思想準備にすぎなかったことは、中国側の公式の文献自身がみずから強調していることである。

 「江青同志の直接の指導のもとに、姚文元同志は『新作歴史劇 ”海端の免官”を評す』を書いた。この論文の発表によって、イデオロギーの分野で、呉[日含]やその他の反党・反社会主義のブルジョアジーの代表者にたいする批判がくりひろげられた。わが国のプロレタリア文化大革命の大衆運動はこのときから世論準備の段階にはいったのである」(『紅旗』一九六七年第九号社説、「根本的に対立する二つの文献」)

 「プロレタリア文化大革命は、最初から権力奪取の闘争である。この文化大革命は、幾億万の大衆がみずから立ちあがって、みずからを解放し、資本主義の道を歩む党内のひとにぎりの実権派から権力を奪うことである」(『人民日報』一九六七年一月二十二日付社説、「プロレタリア革命派は大連合して資本主義の道を歩む実権派の権力をうばおう!」)

 さらに重要なことは、この「プロレタリア文化大革命」のなかで、新しい社会主義の思想・文化や習慣がうちたてられるどころか、社会主義とは無縁な反動的反民主主義的な思想、ブルジョア民主主義以前の封建的な要素さえもが復活、再生され、むしろ助長され、広範に再生産されていることである。

 たとえば、「紅衛兵」や「造反派」は、昨年〔一九六六年〕来、毛沢東一派が「反党反社会主義分子」として糾弾する党や政府の幹部にたいして、マルクス・レーニン主義的な批判と自己批判の方法はおろか、最低限の民主主義的な方法はもちろん、社会主義国の法律さえふみにじって三角帽子をかぶせてひきまわしたうえ、集団的なテロと拷問をくわえるなど、さまざまな蛮行をおこなってきた。こうしたやり方は、社会主義やマルクス・レーニン主義と無縁だというだけではなく、まさに、中世的封建的社会あるいは奴隷社会の支配者に固有な蛮行を復活させたものにほかならず、「無知と非文化、野蛮と粗野という遺産を克服する」(レーニン「校外教育第一回全ロシア大会における祝辞」、全集二十九巻三三二ページ)ことを重大な任務のひとつとする文化革命の基本方向に、まっこうから逆行するものである。昨年〔一九六六年〕夏、「紅衛兵」たちが毛沢東一派の指揮のもとにその活動を開始したとき、毛沢東一派は、これを「四旧」(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣)を一掃し、「四新」(新思想、新文化、新風俗、新習慣)をうちたてる「革命的行動」として、大いにほめたたえたが、「紅 衛兵」たちがうちたてた「新文化」とは、中世的、封建的な「野蛮と粗野」の復活と横行であり、社会主義の偉大な理想を乱暴にきずつけるものだったのである。

 また、この「文化大革命」のなかでいっそう常軌を逸したところにまで達した毛沢東の神格化と個人崇拝にしても、それは、労働者階級の科学的世界観としてのマルクス・レーニン主義とはまったく無縁な、非科学的な思想であり、奴隷制社会や封建社会からの「くされはてた遺物」を大規模に復活させたものである。個人崇拝のこうした思想的性質は、かつては、中国共産党指導部自身が、基本的に正しく指摘していたところであった。

 「個人崇拝は、これまでながいあいだの人類の歴史がのこした、くされはてた遺物である。個人崇拝は、搾取階級のなかにその基礎があるばかりでなく、小生産者のなかにもその基礎がある。周知のように、家父長制は小生産経済の産物である。プロレタリアート独裁がうちたてられたのち、たとえ搾取階級が絶滅され、小生産経済が集団経済にとってかわられ、社会主義がうちたてられたのちでも、ふるい社会のくされはてた、毒素をふくんだある種の思想の残りかすは、なおも人びとの頭脳のなかでひじょうにながいあいだ生きのびる。『いく百千万の人びとの慣習の力は、もっとも恐ろしい力である』(レーニン)。個人崇拝もいく百千万の人びとの一種の慣習の力である」(人民日報編集部「プロレタリアート独裁の歴史的経験について」、一九五六年四月五日)

 これらの事例がしめすように、「プロレタリア文化大革命」は、たしかに「社会全体の精神的様相を改め」つつあるが、その方向は、新しい社会主義文化の建設とはまったく別個の方向、逆の反動的方向をむいているのである。

 これらの点だけからみても、今日の「プロレタリア文化大革命」なるものが、マルクス・レーニン主義における文化革命の理論や実践とは、まったく異質な、無縁なものであることは、疑問の余地がない。

(2) 「文化大革命」の主要な内容は、毛沢東一派の専制支配の確立にある

 では、これが真の意味での文化革命とは縁がないものだとすれば、毛沢東が一昨年〔一九六五年〕後半に「おこし」、今日「プロレタリア文化大革命」の名のもとに展開されている事態の本質はいったいなんなのか。結論的にいえば、それは、中国の現状が、かれらの思うとおりにならないとして大きな不満をもった毛沢東一派が、非常手段をもちいて、毛沢東神格化にもとづく党と国家にたいするその無制限の専制支配をうちたて、強化しようとし、そのために計画的にひきおこした政治闘争である。そのことは、事実にもとづいて、最近の事態の経過をみれば、きわめて明白である。

 第一に、毛沢東一派は、この「毛主席がみずからおこし指導しているプロレタリア文化大革命」なるものの過程で、中国革命の指導者としての毛沢東にたいする中国人民の従来の愛情と尊敬を悪用して、毛沢東にたいする神格化をおしすすめてきた。

 毛沢東思想の絶対化と毛沢東崇拝は、これまでもとくに林彪が国防部長になって(一九五九年)以来、林彪と解放軍を先頭にして全国的にすすめられ、『人民日報』、『紅旗』などでも、そのカンパニアが広範にくりひろげられてきたが、「プロレタリア文化大革命」のなかで、それはいよいよ途方もない、常軌を逸したものとなり、今日のきちがいじみた(ママ)毛沢東の神格化にまで到達したのである。

 毛沢東は、「現代のもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者」と宣言され、さらに、マルクス、エンゲルス、レーニンをもこえる世界革命の指導者として礼賛された。「毛主席は、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンよりはるかにすぐれており、現在、世界で毛主席にくらべられる水準のものはだれもいない」(林彪)。毛沢東には、「永遠に沈まない赤い太陽」、「人民の偉大な救いの星」など、あらゆる賛辞がささげられ、その名前の前にはかならず「偉大な教師、偉大な指導者、偉大な統帥者、偉大な舵手(だしゅ)」と四つの崇拝の句が公式につけられ、その名をたたえるときには、「万オ、万才、万万才」とかならず「万才」が三回かさねられるようになり、毛沢東の誕生の地までが、「全世界の革命的人民のあこがれの聖地」として、神聖化されるにいたった。

 マルクス・レーニン主義の科学的理論のかわりに、毛沢東の個々の言説が党と人民の最高の指針とされ、「一人ひとりが毛主席の本を読み、毛主席のことばを聞き、毛主席の指示どおりに事をはこび、毛主席のりっぱな戦士になる」(林彪「『毛沢東語録』第二版へのまえがき」)ことが、全党、全軍、全国に命令された。
 『人民日報』紙上では、党の上級機関への服従を「奴隷主義」として非難しながら、毛沢東の指示にたいしては、これへの絶対的な盲従を「最高の規律」とする議論が公然と主張されるようになっている。

 「毛主席のことばは、ひとことひとことがすべて真理である。・・・・したがって、毛主席の指示は、理解していても、理解していなくても実行しなければならない。われわれは毛沢東思想の絶対的権威をうち立てなければならない。これはプロレタリアートの根本的利益の源であり、われわれの最高の規律である」(『人民日報』一九六七年六月十六日付、林傑「奴隷主義を打倒し、プロレタリアートの革命的規律を厳守しよう」)

 そして、毛沢東の片言隻句をあつめた『毛沢東語録』が、だれでも日常不断に身につけ、その一言一句を暗記すべき神聖な経典とされ、スポーツ、商取引、演劇であれ、さらには砂間、紺野両同志にたいするような集団暴行であれ、すべての行事、すべての行為が、この聖なる『語録』の朗読という儀式をもってはじめられるようになっている。『毛沢東語録』への崇拝とその儀式化は、世界のいかなる宗教の経典崇拝をも、はるかに上まわるものとなっている。しかも、この『語録』崇拝は、ホテルや旅客機、列車などのなかで、外国人の旅行者にたいしてまで、無差別に強要されているのである。

 こうして、今日の中国では、中国共産党の大会や中央委員会の決定、党規約にもとづく党の規律のうえに、毛沢東の片言隻句がおかれて、全党員、全人民が絶対服従を誓うべき「最高指示」とされ、その「最高指示」に無条件に忠実であるかどうかが、唯一最高の「規律」として全党員、全人民におしつけられている。毛沢東の片言隻句を、あたかも新興宗教の教祖のお筆先のようにあがめたてまつるこのやり方は、まさに、マルクス・レーニン主義を淫祠(いんし)邪教のたぐいをもっておきかえるものである。

 このような毛沢東の神格化と個人崇拝が、マルクス・レーニン主義の科学的精神の完全な放棄を意味するものであることはいうまでもない。

 マルクス・レーニン主義は、労働者階級の解放闘争における党とその指導部の役割を重視し、「指導者」と「大衆」を対置して党指導部の重要な意義を否認しようとする無政府主義的傾向には、一貫して反対してきた。

 「・・・・階級を指導しているものは、普通、大多数の場合、すくなくとも近代の文明国では、政党であり、通則として、政党を支配しているものはもっとも権威があり、勢力があり、経験に富んでいて、もっとも責任の重い地位にえらばれ、指導者と呼ばれる、多少とも安定したグループである」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集三十一巻二六ページ)

 「経験に富んだ、きわめて有力な党指導者を育てあげることは、――長期の、困難な仕事である。だが、それなしには、プロレタリアートの独裁だの、かれらの『意思の統一』だのはから文句にとどまるであろう」(レーニン「ドイツ共産主義者への手紙」、全集三十二巻五五七ページ)

 だが党と指導者の役割についての、これらのマルクス・レーニン主義的見地と、特定の指導者を神格化して、その言動を神聖不可侵のものとして絶対化したり、この指導者を党と人民の上においてそれへの絶対服従を誓ったりすることとは、まったく別個のことがらである。このような個人崇拝は、専制君主や宗教的絶対者への奴隷的屈従と盲目的崇拝を復活させたもので、徹頭徹尾、反マルクス・レーニン主義的、非科学的なものである。

 さらに、この個人崇拝は、現行の中国共産党の規約とその精神をも、もっとも乱暴にふみにじったものである。

 中国共産党の現行規約は、一九五六年の第八回党大会第一回会議で改正、成立したものであるが、そのときの重要な改正点の一つは、ソ連共産党第二十回大会などであきらかにされたスターリンの個人崇拝の誤りから教訓をひきだしながら、個人の神格化や個人崇拝の誤りを防止する組織的な保障を、党規約のうちに確立することであった。その見地から、党規約総綱には、「個人を党の集団の上におくような行為の存在はゆるされない」「いかなる政党であれ、またいかなる個人であれ、その活動において、欠陥も誤りもないということはありえない」などの規定があらたに挿入され、さらに、「毛沢東思想」を党の活動の指針とさだめたそれまでの規定(一九四五年の第七回党大会で採択)が、「中国共産党はマルクス・レーニン主義を自己の行動の指針としている」という規定にあらためられた。第八回党大会で、党中央委員会を代表して党規約改正についての報告をおこなったケ小平は、これらの改正の意義についてつぎのようにのべていた。

 「ソビエト共産党第二十回大会の重要な功績の一つは、われわれに、個人を神格化することがどれほど重大な悪い結果をうむかということを教えたことである。わが党はこれまでつねに、どんな党、どんな個人であろうと、その活動にさいしてなんの欠陥も誤りもないということはありえない、と考えてきた。この点は、いま、わが党規約草案の総綱の部分に明記されている。こうして、わが党は、また、個人の神格化についても、これをわれわれと無縁なものにしたのである」

 それ以来、いかなる規約改正もおこなわれていない以上、この党規約は、今日でも、すべての党員が厳格にまもるべき、中国共産党の最高の規律のはずである。ところが、毛沢東一派は、みずから参加して決定したこの党規約とその精神を紙くずのように投げすて、それを敵視し、あらゆる宣伝手段を動員して毛沢東への個人崇拝とその神格化を、かつてのスターリンの個人崇拝をはるかに上まわるところにまでおしすすめてきたのである。

 第二に、毛沢東一派は、昨年〔一九六六年〕八月の第十一回中央委員会総会の「決定」のなかでも、「プロレタリア文化大革命」の「主要な対象」は「資本主義の道を歩む党内の実権派」であると宣言し、林彪がその中枢をにぎっている軍を背景に、「紅衛兵」やいわゆる「造反派」を動員して、毛沢東一派が敵視する中央、地方の多くの党機関や党幹部を打倒し、追放し、粉砕する「闘争」をおしすすめてきた。

 毛沢東一派によれば、かれらは「資本主義の道を歩む党内の実権派」、あるいは「ブルジョア反動路線の代表者」であり、この十数年来、中国に資本主義を復活させるという反革命の計画を一貫して意識的、系統的に追求し、プロレタリア独裁の機構を変質させてブルジョア独裁を実行してきた「反党、反社会主義、反革命」の勢力であるとのことである。しかし、こうした非難が、客観的、科学的な裏づけをもったものでないことは、ただ毛沢東の神格化をはじめとするかれらの言説に無条件に服従しないということだけを理由として、外国の共産党や共産主義者にたいしてさえ、なんの根拠もなしに、「反革命」とか「裏切り者」とかの非難をあびせかける毛沢東一派のやり方をみても、あきらかである。もし、毛沢東一派のこの非難が正しいとしたら、中華人民共和国では、その建国以来十数年間、国家主席、党副主席、政治局、書記局など党と国家の最高指導部をはじめ多くの重要な部署を、反革命ブルジョアジーの代表者がその手ににぎり、資本主義復活の方針をひたすらおしすすめてきたという、中国における社会主義建設の歴史とその成果を事実上否定するきわめて奇怪な結論に到達せざるをえ ないのである。そして、もしこの非難が正しいとしたら、党の最高責任者――中国共産党主席である毛沢東こそが、社会主義の事業にそむくこうした事態をゆるしたその最高の責任を追及されなければならないであろう。事実、今日、毛沢東一派が「実権派」のブルジョア反動路線のあらわれとしている「犯罪」的路線の基本方向は、一九五六年の中国共産党第八回党大会での報告や決定をはじめ、毛沢東自身が参画し、承認してきたことである。

 毛沢東一派は、かれらが、「資本主義の道を歩む党内の実権派」とよんでいる幹部たちにたいして、反革命ブルジョアジーの代表者としてあらゆる非難をあびせ、実権派との矛盾は「革命と反革命との矛盾」「和解できない敵味方の矛盾」(「プロレタリア文化大革命万歳」、『紅旗』一九六六年八号社説)であると断定しながら、その根拠としては、ブルジョアジーとの反革命的つながりをしめす具体的事実を、今日までになにひとつもちだすことができないでいる。しかも、いわゆる「プロレタリア文化大革命」の奇妙な特徴の一つは、みずから「大民主」の発動と自賛しているにかかわらず、劉少奇、ケ小平ら「実権派」とよばれる人びとにこのような重大な非難があびせられながら、かれらの意見も反論もまったく公表されず、内外の路線や政策にかんする見解の真の対立点も、まったくあきらかでないことである。したがって、われわれは、「実権派」として非難されている人びとがどんな見解をもっているかを知ることはできないが、毛沢東一派やその指揮下の「紅衛兵」たちがこれまで発表した資料によれば、けっきょくのところ、その最大の問題は、これらの幹部たちが毛沢東の神格化にたい して多少とも不徹底な態度をとったとか、あれこれの問題で毛沢東一派の見解とは異なる意見をもっていたとかいう問題につきるのである。

 毛沢東一派自身、昨年〔一九六六年〕「党内の実権派」なるものにたいする公然とした攻撃を開始した最初のときから、「実権派」なるものの最大の「罪」が、実は毛沢東の神格化や毛沢東一派の路線に無条件に同調しないことにあり、毛沢東と「毛沢東思想」にたいする態度こそ、「革命」と「反革命」を区別する最高の基準であることを、くりかえし強調してきた。

 「毛沢東思想にたいしてどのような態度をとるか、それをみとめるのか、それとも排斥するのか、それを擁護するのか、それとも反対するのか、それを熱愛するのか、それとも敵視するのか――これは真の革命とニセの革命、革命と反革命・マルクス・レーニン主義と修正主義の分水嶺(ぶんすいれい)であり、試金石である。」(『解放軍報』一九六六年七月七日付社説、「毛沢東思想は、われわれの革命事業の望遠鏡であり、顕微鏡である」)

 ここには、いわゆる「実権派」打倒の主目的が、資本主義の復活をたくらむ反党反革命分子から社会主義の事業をまもる闘争ではなく、毛沢東の神格化をはじめ毛沢東一派の言説に無条件に同調しない勢力や、なんらかの意味で毛沢東一派の気にいらない勢力を、すべて階級敵、ブルジョア反革命分子とみなして一掃し、毛沢東一派の無制限の専制支配をうちたてることにあることが、あからさまなかたちで告白されているのである。

 第三に、毛沢東一派は、その「プロレタリア文化大革命」なるものの過程で、党規律を乱暴に否認し中国革命の最高の指導部隊である中国共産党の党組織の解体と私物化を大規模に実行してきた。

 マルクス・レーニン主義党の正しい指導と活動こそ、社会主義革命と社会主義建設の歴史的事業を勝利させる最大の保障であることはいうまでもない。そして、レーニンが「共産主義内の『左翼主義』小児病」でつよく指摘しているように、民主主義的中央集権制にもとづくプロレタリアートの規律を無条件に、またもっとも厳格にまもることは、ブルジョアジーの激烈な抵抗をうちやぶって、社会主義の勝利をかちとる基本条件である。中国共産党でも、一九五六年の第八回党大会で採択されたその党規約は、「党規約と国の法律を厳格にまもる」ことを、「その功労や職位のいかんにかかわらず」、例外なくすべての党員に課せられた義務として規定し(第二条)、前文でも、党規律をまもることの重要性を、つぎのように強調していた。

 「党は、すべての党員がまもらなければならない規律によってむすびついたところの統一的な戦闘組織である。規律なしには党は、国家や人民が強大な敵にうちかち、社会主義、共産主義を実現するよう指導することは、けっしてできない」

 ところが、党の主席である毛沢東を中心とする一派は、昨年来、みずから先頭にたってこの党規律を公然とふみにじり、幾多の共産主義者と人民が生命をかけてまもり育ててきた中国共産党を破壊する暴挙をおしすすめてきた。かれらは、林彪がにぎっている一部の軍を党の上におき、党外の「紅衛兵」や「造反団」などを大量に動員し、『人民日報』、『紅旗』などをはじめ、中央、地方の新聞、放送局その他の宣伝手段を私物化し、これを勝手に悪用して、毛沢東一派に無条件で同調しない党組織や党幹部を攻撃し、これらを「革命的」に打倒することを公然とよびかけてきた。これが党の統一と規律を破壊する最悪の行為であることは、マルクス・レーニン主義党の組織原則にてらして、きわめて明白である。しかも、かれらは、「すべての党員がまもらなければならない規律によってむすびついた統一的な戦闘組織」(中国共産党規約)であるべき党組織を、毛沢東一派に忠実な組織と、これに盲従しない組織とに画然と区別し、党規律を無条件にまもることを「奴隷主義」として非難しはじめた。毛沢東一派によれば、かれらがにぎっていないところでは、党組織はすでに「ブルジョアジー独裁の機 構」にかわり、党規律は「反革命的規律」にかわっているのであり、これを徹底的にうちくだくことこそが、「プロレタリア革命戦士」の任務なのである。

 「資本主義の道をあゆむひとにぎりの党内実権派は、もっとも危険な、もっとも主要な敵である。これらの反動的なやからがその反動支配の権力を維持するための重要な武器は、党の名儀を盗用し、党の規律を、大衆をおさえ、革命に反対するブルジョアジーの規律にゆがめることである。このような反革命的な規律は、徹底的にうちくだいてしまわなければならない。
 すべての革命的な幹部は立ち上がり、革命的大衆とともに、資本主義の道をあゆむひとにぎりの党内実権派と断固として闘争すべきであって、かれらの『規律』とやらは問題にしないでよい。かれらはすでに革命の上級ではなくて、反革命的な修正主義分子である」(『紅旗』一九六七年第三号、評論員「プロレタリアートの革命的規律をうちたてよ」)

 毛沢東一派は、こうした主張をふりかざしながら、ことし〔一九六七年〕の一月以降、上海市、北京市、黒竜江、山東、山西、貴州、青海省など各地で、非常手段をもちいて党委員会からいっさいの権限をはく奪し、「造反派」や解放軍の手に権限をうつすいわゆる「奪権闘争」を実行しはじめた。これは、中国共産党の正規の党組織を、党規約に規定されたいかなる正規の手続きもへずに一方的に解体、破壊し、いっさいの権限を毛沢東一派の手に集中しようとすることであり、毛沢東一派が、その専制的な党支配を実現するために、党組織の解体というもっとも乱暴な、むきだしの解党主義にまで到達したことを、しめすものである。

 第四に、毛沢東一派は、党組織の解体ばかりか、中国人民が革命をつうじてみずからうちたてた社会主義国家の諸機構や法秩序まで、乱暴に破壊している。

 「奪権闘争」がおこなわれたところでは、党委員会だけでなく、人民を代表する権力機関である人民委員会もいっさいの権限をうばわれ、毛沢東一派のにぎる解放軍部隊を中心にした臨時的権力機構――「革命委員会」、「造反総指揮部」などが、「党権、政権、財権、文権などすべての権力」をもつと宣言されている。

 毛沢東一派のこの「奪権闘争」が、社会主義国家の正規の国家機構を、不法に解体する破壊行動であることは、明白である。中華人民共和国憲法に明記されているように、各級の人民委員会は、その地方の人民を代表する人民代表大会によって選出されたものであり、人民代表大会だけがこれを解任する権限をもっている。ところが、毛沢東一派は、自分たちの気に入らない幹部が多数をしめる人民委員会にたいして、「ブルジョア独裁の機構」に変質したとの断定を一方的にくだし、人民代表大会もひらかずに、この解体を勝手に宣言し、毛沢東一派に盲従する勢力だけからなる「臨時的権力機構」なるもので、これをおきかえているのである。これは、まったく、毛沢東一派による国家機構私物化の行為以外のなにものでもない。

 しかも、ゆるしがたいことには、毛沢東一派は、国家機構のこの不法な解体と私物化を、国家と革命についての「マルクス・レーニン主義の原則の実行」だと称して、正当化しようとしているのである。

 「資本主義の道を歩む党内のひとにぎりの実権派が長期にわたって盤きょしている腐りきった一部の単位で、かれらが実行しているのはプロレタリアート独裁ではなく、ブルジョアジー独裁である。これらの単位の権力奪取の闘争では、ふるい国家機構をうちくだくというマルクス・レーニン主義の原則が、かならず実行されなければならない」(『紅旗』一九六七年第三号社説「プロレタリア革命派の権力奪取闘争について」)

 ブルジョア国家機構の粉砕についてのマルクス・レーニン主義の革命的学説を、社会主義国家にたいする破壊活動の合理化に利用しようとする毛沢東一派のこうした議論が、マルクス・レーニン主義の途方もないねじまげであることは、これ以上論証の必要もないところであろう。

 毛沢東一派はまた、中国の労働者階級の最大の階級的大衆組織である労働組合や、二千数百万の青年を組織していた中国共産主義青年団をはじめ、中国のプロレタリアート独裁の重要な支柱をなしてきた一連の大衆組織をも事実上解体してしまった。とくに、労働組合は「党が、この機構によって階級と大衆とに緊密にむすびつき、この機構によって、党の指導のもとに階級の独裁が実現される」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集三十一巻三三ページ)労働者階級の組織として、プロレタリアート独裁の体系のなかで特別に重要な地位をしめる組織である。その「プロレタリア」的性格をことさらに強調するこの「文化大革命」のなかで、プロレタリアートの前衛の組織とともに、その最大の大衆組織――労働組合が解体されたこと、そして「プロレタリア文化大革命」が、労働者階級とその組織に依拠するのでなく、主として学生、生徒からなる「紅衛兵」(しかも、党の指導のもとに二千数百万の青年を結集し、中国共産党の規約で、「党の助手」、「党の政策と決議の積極的宣伝者、実践者」と規定されている中国共産主義青年団は破壊されている)と、人民解放軍の諸部隊などに 主として依拠してすすめられていることは、中国における「プロレタリア文化大革命」の反マルクス・レーニン主義的実態をしめす、重要な指標の一つである。

 さらに、中華人民共和国憲法で定められた法秩序は、今日では、まったく有名無実の状態にある。憲法は、「中華人民共和国の公民の人身の自由はおかされない。いかなる公民も、人民法院の決定または人民検察院の許可をえなければ、逮捕されることはない」(第八十九条)と人身の自由を保障しているが、「プロレタリア文化大革命」がはじまるとともに、これらいっさいの規定は、紙くずのように投げすてられ、「紅衛兵」や「造反派」による幹部の不法な逮捕や暴行がおこなわれたのをはじめ、国家の規律をふみにじったあらゆる不法行為が横行するようになった。

 しかも、毛沢東一派は、「紅衛兵」や「造反派」のこれらの不法行為を「革命的壮挙」として大いに称賛、扇動し、その「行きすぎ」を批判する人びとを「革命の何たるかを理解しないもの」として非難している。

 「革命造反派は、革命とは客を招いてごちそうすることでもなければ、文書をねったりすることでもなく、革命とは暴動であり、一つの階級が他の階級をうち倒す激烈な行動である、ということを心の底から理解している。かれらは毛主席の革命路線をまもるために、多くのいわゆる『脱線』行動をやってのけた。『脱線』とは、とりもなおさず革命である。『脱線』とはとりもなおさず造反である。これらの『脱線』行動ははじめての革命的壮挙である。本当に革命を求める同志はだれでも、これを『たいへんけっこうだ』と歓呼すべきであって、他人のしりにくっついて『むちゃくちゃだ』などというべきではない」(一九六七年一月六日付上海『文匯報』社説、「革命造反有理万歳」。この社説は、造反派の革命行動の意義を理解できない人びとは、この論文を読んではやく目ざめ、自分の頭を切りかえよという趣旨の『紅旗』編集部の前がきとともに、ただちに『紅旗』、『人民日報』に転載された)

 こうして、「プロレタリア文化大革命」の名のもとに、毛沢東一派への忠誠以外、いかなる規律をもみとめない事実上の無法状態がつくりだされたわけであるが、それが、どのような野蛮な暴力やテロを横行させているかは、砂間、紺野両同志にたいする北京空港での集団暴行事件によって、もっとも具体的に暴露された。正規の手続きによって帰国しようとする外国の共産党中央委員会代表にたいしてさえ、数千人の「紅衛兵」を動員して、暴行、テロ、拷問のかぎりをつくして恥じない毛沢東一派が、国内で、どのような組織的テロと暴行をおこなっているかは、想像にあまりあるものがある。

 これらすべての事実は、いま中国におこっている「プロレタリア文化大革命」なるものが、社会主義の勝利をめざす革命的大事業であるどころか、毛沢東の異常な神格化にもとづく毛沢東一派の無制限の専制支配の確立、強化を唯一最大の目的とし、そのために党と国家の組織と規律を乱暴に破壊し、アジアと世界の歴史をかえた偉大な中国革命の成果を掘りくずし、中国共産党と国家機構の解体状態をつくりだしている反社会主義的、反マルクス・レーニン主義的な「事業」でしかないことを、明白に実証している。

 そしてまた、これらの事実は、日中友好協会本部襲撃事件をはじめ、在日華僑学生や対外盲従分子らによるわが党とわが国の民主運動にたいする凶暴な暴力行為が、けっして偶発的なものではなく、「プロレタリア文化大革命」の名のもとに中国でおこなわれている不法行為をわが国に「輸出」したものであることを、はっきりと裏書きしている。

(3) 「文化大革命」弁護論の根本的な誤り

 つぎに、毛沢東一派やこれに迎合する対外盲従分子などが、「プロレタリア文化大革命」を礼賛し、弁護する論拠としてあげている、いくつかの論議を検討してみよう。
 毛沢東一派は、「プロレタリア文化大革命」とは、

 「党が、なにものも恐れることなく、大いに意見をのべるという方式、大字報、大討論、革命大交流などの方式を広範な大衆に運用させ、党と国家の各級の指導機関、各級の指導者を広範な大衆に批判し、監督させること」であり、「プロレタリアート独裁のもとで大民主を発展させるあらたな経験」だとして、この「革命」の民主的性格を大いに強調している。(一九六六年十一月三日、紅衛兵と会見するための集会での林彪のあいさつ)

 わが国の対外盲従分子もこれに追従して「プロレタリア文化大革命」のなかで、党幹部や党機関、政府機関などが「下から」、しかも非党員によって批判されているのは、中国の社会主義の民主化をあらわすものだと主張し、これを「プロレタリア文化大革命」を礼賛する論拠の一つにしている。しかし、これは、事態の表面だけをゆがめてとらえた議論にすぎない。もし、この「文化大革命」のなかで、党と国家のあらゆる指導機関、あらゆる指導者が大衆の批判と監督をうけるのだったら、また、「紅衛兵」や「造反派」の行動が、指導機関や指導者にたいする「下から」の批判や監督にとどまっているのだったら、これらの議論は、ある程度は通用する根拠をもつかもしれない。しかし、事態の真相はまったく異なっている。

 第一に、これらの批判は「下から」の自発的なものではなく、毛沢東一派が、「造反有理」(むほんには道理がある)のスローガンをかかげて、党と国家の規律を無視し、毛沢東一派の敵視する党と国家の指導機関や指導者にたいして「むほん」をおこすことを上からよびかけ組織したものである。しかも第二に、「造反有理」とはいっても、すべての「造反」が道理のあるものとして承認されているわけではない。『人民日報』や『紅旗』などにもくりかえし強調されているように、毛沢東、林彪および「中央文化革命小組」などの特別の集団、つまり毛沢東一派にたいする「造反」行為は、反党反社会主義の行為として、文書による批判まできびしく禁止され、弾圧され、毛沢東一派が、「資本主義の道を歩む実権派」あるいは「ブルジョア反動路線の代表者」と認定した幹部や機関にたいする「造反」行為だけが、「道理」のあるものとして、承認され、激励されてきたのである。

 たとえば、一九六七年一月に発表された「中共中央」、「国務院」の名による「文化大革命における公安活動の強化についての規定」は、毛沢東と林彪にたいするいかなる批判も、「現行の反革命的行為」として処罰することを、つぎのように布告した。

 「反革命のスローガンをはり、偉大な指導者毛主席とその親密な戦友林彪同志を攻撃し、中傷するものは、すべてみな現行の反革命行為であり、法によって処罰されなければならない」

 また、最近の『人民日報』の社説は、毛沢東、林彪、「中央文化革命小組」などに反対するものは、解放軍の軍事力を動員してもこれを粉砕するということを、公然と宣言している。

 「われわれ全国のプロレタリア革命派と人民解放軍三軍の指揮員、戦闘員は、命にかけても毛主席をまもり、林副主席をまもり、党中央をまもり、中央文化革命小組をまもるものである。毛主席に反対するもの、林副主席に反対するもの、党中央に反対するもの、中央文化革命小組に反対するものは、それがだれであろうとわれわれは打倒する!」(『人民日報』一九六七年七月二十六日付社説、「石をもちあげて自分の足をうつ」)

 このように、毛沢東一派やこれに迎合する対外盲従分子が礼賛する「大民主」とは、毛沢東とその一派にたいして、「造反」どころか、いっさいの批判を禁圧し、無条件の絶対服従をもとめることであり、毛沢東神格化に賛成でないものやそれをためらうものにたいしては、「批判」や「監督」にとどまるどころか、あらゆる暴行と迫害を正当化し、軍事力を動員しても毛沢東神格化を全党員、全人民におしつけることである。この「大民主」なるものは、社会主義の「民主化」をあらわすものではけっしてなく、社会主義的民主主義のもっとも乱暴な破壊であるところの毛沢東一派の専制支配そのものにほかならない。

 また、毛沢東一派は、「プロレタリア文化大革命」のなかで、党と国家の組織の解体などの異常な事態がうまれたとしても、それは資本主義復活の防止という「党と国家の運命にかかわる」(周恩来)難事業をやりとげるためには、避けることのできない非常手段であり、そこに、ソ連における現代修正主義の発展と成長、資本主義復活という深刻な経験からの重要な教訓があるなどと主張して、この「革命」を正当化しようとしているが、これも、まったく非科学的、独断的な議論である。

 もちろん、社会主義の完全な勝利をめざす過渡期において、資本主義か社会主義かをめぐるプロレタリアートとブルジョアジーのあいだの階級闘争が長期にわたってつづけられること、十月革命直後の内乱がしめすように、帝国主義の干渉とむすびつくブルジョアジーの反乱もありうること、この階級闘争は、共産党や社会主義国家内部にも多かれ少なかれ反映すること、資本主義の復活を防止し、社会主義の完全な勝利を保障するためには、政治、軍事、経済、思想のあらゆる分野におけるブルジョアジーの抵抗やその影響をうちやぶると同時に、「左」右の日和見主義に反対してマルクス・レーニン主義の路線を堅持する闘争をおこなわなければならないこと――これらは、ソ連における現代修正主義の成長の経験をもふくめて、十月革命以来半世紀にわたる社会主義革命と社会主義建設の歴史的経験によって確証された真理である。だが、資本主義復活の危険やこれを防止する闘争の重要性をいくら強調しても、それによって、毛沢東一派の「プロレタリア文化大革命」をひとかけらでも正当化することはできない。

 レーニンが、十月革命後の一連の論文や演説のなかで強調しているように、労働者階級が、搾取階級の国家権力をたおしてプロレタリアート独裁をうちたて、基本的な生産手段をその手ににぎり、ブルジョアジーの軍事的反抗をも最終的にうちくだいたのちには、ひきつづきさまざまな手段で資本主義の再興を望み、くわだてる搾取者の反抗をうちくだくこととともに、都市と農村の広範な小ブルジョア大衆、とくに農民を社会主義建設の事業にひきいれ、労働者階級の同盟者として獲得する闘争が、資本主義の復活を阻止し社会主義の勝利をかちとる階級闘争の主要な内容となってくる。そして、この闘争の、もっとも中心の問題は、「ブルジョア的=無政府主義的自然発生性にたいする社会主義的意識性の闘争」(レーニン「ソビエト権力の当面の任務」、全集二十七巻二五六ページ)、「プロレタリア的規律と組織性が勝つか、それとも・・・・小ブルジョア所有者の自然成長力が勝つか」の闘争(レーニン「ソビエト権力の当面の任務についての報告」、同前二八五〜二八六ページ)である。そして、レーニンは、これらの闘争で、労働者階級が依拠すべき主要な手段は、組織と教育の手段であって、この 闘争で、暴力や軍事的手段を乱用することを、社会主義建設の事業を挫折させる有害な極左日和見主義の誤りとして、きびしくいましめた。

 「プロレタリア革命の主要な任務は、ほかならぬ組織的任務である。・・・・ここでは、長期の教育と再教育をおこなわずには、われわれはなに一つやれないであろう。この分野で革命的暴力、独裁を行使することは、それを乱用することである。そして、わたしはあえて諸君にこの権力乱用におちいらないよう警告しておく。革命的暴力と独裁は、しかるべきときに、またしかるべき相手にたいして行使されるなら、よいものである。しかし組織の分野では、それを行使してはならない」(「ロシア共産党(ボ)第八回大会での中央委員会の報告」全集二十九巻一四九ページ)

 「経済的課題では、軍事的課題の場合のようなやり方で勝利することは、不可能である。熱情と自己犠牲心とによって自由商業に打ち勝つことは不可能である。ここでは長期の活動が必要である。ここでは一寸一寸と地歩を獲得していくことが必要である。ここではプロレタリアートの組織者的力量が必要である」(労働組合第三回全ロシア大会での演説」全集三十巻五二七ページ)

 「文化的任務は、政治的任務や軍事的任務のように急速に解決することはできない。・・・・危機が、激化している時期には、数週間で政治的に勝利をおさめることもできる。戦争では数ヵ月で勝利をおさめることもできる。だが、文化の面では、このような短期間に、勝利することはできない。実際には、ここではもっと長い期間が必要である。そして、このいっそう長い期間に適応し、自分の活動を考量し、最大のがん強さ、ねばり強さ、系統性を発揮することが必要である」(「新経済政策と政治教育部の任務」、全集三十三巻六八ページ)

 これにたいして、毛沢東一派が、いま、資本主義の復活を阻止する「階級闘争」という名目で、実行していることは、いったいなにか。それは、第一に、闘争のほこ先を、資本主義復活の傾向をうみだす真の根源――今日の中国社会にまだ実際に存在している各種のブルジョア的諸要素や小ブルジョア的自然成長性などの社会主義の真の敵にむけず、もっぱら毛沢東一派が敵視する党と国家の指導機関にむけられている点でも、第二に、この闘争のなかで、組織と教育の方向によらず、暴力、テロ、拷問、組織破壊など、暴力的=軍事的手段に広範にうったえている点でも、第三に、「資本主義復活防止」、「ブルジョア反革命との闘争」を口実に社会主義の勝利のための基本的な力である「プロレタリア的規律と組織性」を全国的に破壊している点でも、レーニンが教えたプロレタリアート独裁のもとでの階級闘争の方向とは、まったく別個の、まったく異質なものなのである。

 なかでも、決定的に重要な意味をもっているのは、毛沢東一派が「プロレタリア文化大革命」の名のもとに、資本主義か社会主義かをめぐる階級闘争で、資本主義の復活の防止とプロレタリアートの勝利とを保障する最大の基本条件である前衛党を破壊しつつあることである。

 かつてレーニンは、ドイツ共産党内の「左翼」日和見主義者が、党指導部を「日和見主義」として攻撃し、党指導部の打倒をめざす分派活動を開始したとき、その解党主義を、「ブルジョアジーのためにプロレタリアートを完全に武装解除する」ものとして、痛烈に批判し、とくにプロレタリアート独裁の時期には、このような解党主義はブルジョアジーの復活をたすける結果となることをつよく指摘した。

 「党精神と党規律を否定すること、――まさにこれが、反対派のおちつくところであった。ところが、これは、ブルジョアジーのために、プロレタリアートを完全に武装解除することにひとしい。これは、まさに小ブルジョア的な分散性であり、動揺性であり、がまんし、団結し、整然たる行動をとる能力のないことである。それを放任すれば、どんなプロレタリア革命運動も、かならず破壊されるであろう。・・・・
 プロレタリアートの独裁は、旧社会の諸勢力と伝統にたいするがん強な闘争であり、流血のものもそうでないものも、暴力的なものも平和的なものも、教育的なものも行政的なものもある。幾百万人、幾千万人の習慣の力は、もっともおそるべき力である。闘争のなかできたえられた鉄のような党がなく、その階級のすべての誠実な人から信頼されている党がなく、大衆の気分を注視し、大衆に影響をおよぼすことのできる党がなければ、このような闘争をして成功することはできない。集中化された大ブルジョアジーに打ち勝つことは、何百万もの小経営者に『打ち勝つ』ことよりも、千分の一も容易である。小経営主は、日常的に、日ごとに、気づかない、とらえどころのない腐敗作用をおよぼす活動によって、ブルジョアジーに必要な結果、ブルジョアジーを復活させる結果そのものを実現している。いくらかでも、プロレタリアートの党の鉄の規律をよわめようとする(とくにプロレタリアートの独裁の時期に)ものは、事実上プロレタリアートにそむいてブルジョアジーをたすけるものである」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病)、全集三十一巻二九〜三〇ページ、大字はレーニン)

 レーニンのこの批判は、四十数年をへてそのまま、毛沢東一派の今日の解党主義の反社会主義、反階級的役割をえぐりだすもっとも痛烈な糾弾となっている。毛沢東一派は、資本主義復活の危険との闘争を口実にして、プロレタリアートの党の規律と統一をもっとも乱暴に破壊し、党組織を解体、私物化してきたが、これはまさに「ブルジョアジーのために、プロレタリアートを完全に武装解除する」ことであり、レーニンが警告したように、逆に中国におけるブルジョアジーの復活の危険を助長することにほかならないのである。

 たしかに、レーニンも指摘しているように、労働者階級がプロレタリアート独裁の権力をうちたて、基本的な生産手段をその手ににぎったのちにおいても、政治、経済、文化、思想の分野における階級闘争は、ひきつづき長期にわたってさけられないものである。しかし、そうであればあるほど、労働者階級と人民を指導して、長期にわたるこの闘争を勝利にみちびく共産党の役割は、いっそう決定的な重要性をもってくる。したがって、中国共産党の規律と統一を破壊し、それを解体した毛沢東一派の解党主義の犯罪的、反社会主義的役割は、いよいよ重大なものとなってくるのである。社会主義革命と社会主義建設の指導力としての共産党の組織と、階級闘争のいかなる困難にもたえうるその規律は、革命運動の長期の試練をつうじてつくりあげられ、きたえられたものであって、いったんこれを破壊したら、毛沢東の一片の指示で再建できるようなものではけっしてないし、解放軍であれ、「紅衛兵」や「造反派」の諸組織であれ、他のいかなる組織によっても、その役割を一時的にさえも代行しうるものではない。この中国共産党を解体、破壊することは、文字どおり、中国におけるプロレタリアート 独裁の背骨をうちくだき、資本主義か社会主義かの闘争のさなかで労働者階級と人民を武装解除し、中国人民が解放闘争と社会主義建設の闘争のなかでかちとった偉大な革命的成果を失う危険さえつくりだすことである。そしてそれは、毛沢東一派の主張に反して、実際には中国における資本主義復活の現実的危険さえ生み出しかねないものである。

 毛沢東一派は、「プロレタリア文化大革命」を、しばしば「史上前例のない革命」、「前人未踏の壮挙」などといって賛美しているが、社会主義建設の途上でプロレタリアートの前衛党を解体するという毛沢東一派の暴挙が、まさに国際共産主義運動の歴史、世界社会主義の歴史にかつて前例のないものであることだけは、まちがいない事実である。

 現に、「ブロレタリ文化大革命」下の中国では、この「革命」が公然と開始されて以来すでに一年あまりたち、毛沢東一派が『人民日報』や『紅旗』などで、くりかえし「革命の情勢がきわめて良好である」ことを強調しているにもかかわらず、政治的な混乱と無政府状態は、全国の多くの地方で大小の軍事的衝突がくりかえされてすくなくない死傷者まで出すにいたり、その影響は、経済の分野におよびつつある。こうした混乱は、『人民日報』が「無政府主義を打倒しよう」(一九六七年四月二十六日)、「ただちに武闘をやめよ」(一九六七年五月二十二日)などの警告をひんぱんに発しつづけてきたにもかかわらず、「革命派内部の無原則的な内戦」の存在(六月二十七日)や「保守派大衆」と「革命派」との「武闘の存在」(六月二十九日)を指摘して、その「かく乱性と破壊性が非常に大きい」(八月三日新華社電)とのべざるをえず、周恩来、陳伯達をはじめとする「最高指導者」たちが、「ほかの地方で経験交流をしているすべての学生、革命大衆はただちに自分の地区、単位にかえれ」「米蒋の特務、ソ修の特務、地主、富農、反革命、悪質・右派分子の反革命破壊活動を断固として鎮圧せ よ」(一九六七年九月三日『人民日報』)とよびかけていることにも、反映されている。このように「毛主席がみずからおこし、指導しているプロレタリア文化大革命」なるものが、中国を全国的な混乱にみちびき、それを拡大していることは、毛沢東一派の解党主義が、中国をいまどこにみちびきつつあるかを、具体的にしめすものである。

 わが党が、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義に忠実な党として、中国共産党の指導のもとに中国の革命的人民がかちとった社会主義中国の貴重な成果を破壊し、ひいては社会主義体制を弱めることになるこのような「プロレタリア文化大革命」なるものをけっして礼賛せず、逆にふかい憂慮をもって見まもり、自主的批判的態度を堅持してきたのは、きわめて当然のことである。

 しかも、はじめにあきらかにしたように、「プロレタリア文化大革命」は、たんに中国の国内問題にとどまらない問題である。それは、社会主義陣営のもっとも大きな国の一つである中国で、社会主義建設の事業に重大な混乱と困難をもたらし、それによって、国際的な民族解放と平和、社会主義、共産主義の事業に大きな否定的影響をおよぼすとともに、「反米反ソ統一戦線」の対外政策や、毛沢東崇拝の国際的おしつけなどと不可分にむすびついて、国際共産主義運動と社会主義陣営の団結に正面から挑戦し、世界の反帝民主勢力の戦列をかく乱する役割をはたしている。

 このような「プロレタリア文化大革命」を礼賛することは、まさに、毛沢東に追従して、国際的なかく乱者、破壊者の道にふみだすことであり、それが、自国人民の解放闘争に責任を負い、国際共産主義運動と世界の反帝民主勢力の共同事業の成功のために真剣に奮闘しているマルクス・レーニン主義党のえらぶべき態度でないことは、まったく明白である。


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