1.反マルクス・レーニン主義集団としての毛沢東一派


 中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子は、かれらが国際共産主義運動と社会主義、共産主義の事業をかく乱する反マルクス・レーニン主義集団であることを、かれら自身の内外政策と行動のすべてによって、最近ますます明白に実証しつつある。

 わが党が、〔一九六七年〕八月二十一日付「赤旗」主張「攪乱者への断固とした回答――毛沢東一派の極左日和見主義集団とかれらに盲従する反党裏切り分子の党破壊活動を粉砕しよう」でのべたように、中国共産党の毛沢東一派は、毛沢東を「現代のもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者」と自画自賛しながら、毛沢東の極左日和見主義、分裂主義の路線への無条件追従を国の内外にわたって強要し、そのおしつけにしたがわないすべてのものとすべての党を敵視して不当な攻撃をくわえ、偉大な革命的伝統をもつ中国共産党の破壊と国際共産主義運動の公然たる分裂をめざすきちがいじみた(ママ)策謀をおしすすめている。とくにわが日本共産党にたいしては、かれらは、「宮本修正主義集団」などとひぼうしつつ、かれらに盲従するひとにぎりの反党裏切り分子やトロツキストなどを支持激励して、光栄ある革命的伝統をもつわが党の「打倒」と「転覆」を公然とよびかけるにいたっている。

 わが党は、かれらが昨年〔一九六六年〕春以来、一九六〇年の共産党・労働者党代表者会議の声明に規定された兄弟党間の関係の基準をふみにじり、日中両党間のなが年にわたる友宜と戦闘的連帯にそむいて、わが党にたいする不当な中傷、攻撃、干渉、破壊活動を開始してきた事態にたいして、毅然(きぜん)として、かつ必要な節度をもって対処してきた。

 「反米反ソの国際統一戦線」論や、「人民戦争万能論」などの極左日和見主義、分裂主義路線、「毛沢東思想」の絶対化や「プロレタリア文化大革命」の礼賛などをわが党と日本の民主運動におしつけ、日中友好運動をかれらにたいする追随と礼賛の運動にかえようとしたかれらの大国主義的干渉と攻撃(それらの具体的事実は、八月二十三日付「赤旗」に公表した資料「毛沢東一派のわが党と日本の民主運動にたいする干渉と攻撃の事実」で詳細にあきらかにしてある)にたいしては、わが党は、わが国の革命運動の自主性をまもり、日中両国の党と人民のあいだの自主、平等、相互の内部問題不干渉の原則をまもりぬくために必要な批判と断固たる反撃をおこなってきた。だが同時に、わが党はベトナム侵略をはじめとするアメリカ帝国主義のアジア侵略政策がますます強化されている重大な情勢のもとで、中国革命の成果をまもり、日中両党の正しい団結を回復することがますます重要になっていることを考慮して、最近の毛沢東の路線やいわゆる「プロレタリア文化大革命」そのものの批判は、公表することをひかえつづけてきた。

 すでにこれまで、反党対外盲従分子たちは、西沢隆二らがその反党雑誌を『毛沢東思想研究』と題したことにみられるように、もっぱら最近の毛沢東の言動を武器として党破壊活動に狂奔してきた。また毛沢東自身も天安門上で西沢隆二と握手してもっとも親密な同志あつかいするなど、反党対外盲従分子を公然と支持、激励してきたし、毛沢東らが組織し、指導している「紅衛兵」は、すでにことしの一月以来、わが党や宮本書記長に乱暴、下劣な名ざしの悪罵(あくば)をくわえてきた。それにもかかわらず、わが党はこれまで毛沢東を名ざしで批判することをしなかった。さらに『人民日報』や北京放送、新華社通信などが、一部在日華僑学生らによる日中友好協会本部襲撃事件をとりあげてわが党を「ファシスト暴徒」と悪罵して公然と攻撃し、反党分子のわが党にたいする攻撃や党破壊活動を公然と報道して支持、激励したにもかかわらず、わが党は、それらの公然たる中傷にたいして反論するさいにも「中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子」という表現にとどめてきた。

 また昨年来、「プロレタリア文化大革命」が、わが国の新聞や雑誌で大々的にとりあげられ、その評価が思想、理論闘争の分野における大きな問題となり、これを利用してマルクス・レーニン主義にたいする攻撃が系統的に組織され、とくにことしの総選挙闘争にさいしては、米日反動勢力は、中国の「プロレタリア文化大草命」の事態につけこんで、わが党にたいする大規模な反共宣伝を全国的に展開した。それにもかかわらず、わが党は「プロレタリア文化大革命」そのものにたいする見解の公表を、忍耐づよくさしひかえてきた。

 こうしてわが党は、国内における諸闘争でのさまざまな不利をしのんでも、なお兄弟党間の関係の基準をまもり、必要な反論にさいしても、これらの問題に関連する全面的な批判の公表を可能なかぎり避けてきた。ところがわが党のこのような節度ある態度にたいして、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則から遠く逸脱した中国共産党の極左日和見主義集団は、わが党にたいする攻撃をますます凶暴化することをもって答えたのである。

 すべての事態は、今日、日本の革命運動、民主運動の自主的発展をまもりぬくためにも、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化をかちとるためにも、わが党が、毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義、大国主義集団の理論と実践の反マルクス・レーニン主義的な実態と本質を日本人民のまえにあきらかにし、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則をふみにじった、かれらの極左日和見主義、大国主義、分裂主義の路線と行動にたいして、いっそう全面的で系統的な、公然とした批判を強化することが必要になったことをしめしている。

(1) 日本の革命運動と民主運動の自主性をまもるために

 毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義集団のわが党にたいする計画的な攻撃と破壊活動は、中国共産党中央委員会の招待でわが党代表として北京に駐在していた砂間一良幹部会員候補と、『人民日報』の招待で北京に駐在していた紺野純一「赤旗」特派員にたいする北京空港での前代未聞の集団暴行事件が象徴しているように、最近ますます凶暴化し、まったく手段をえらばない、低劣、悪質なものとなっている。今日、かれらのこうした不当な干渉と破壊活動を粉砕し、この大国主義的干渉の本質を全面的に究明することは、日本の革命運動と民主運動の自主性をまもりぬくために、日本人民の革命闘争に責任を負うわが党のどうしても避けることのできないますます重要な任務となってきた。これが、わが党が毛沢東一派を、名ざしで公然と全面的に批判しなければならない第一の理由である。

 毛沢東一派は、「すべてのマルクス・レーニン主義党は、独立した平等な党であり、各国の具体的情勢に応じ、マルクス・レーニン主義の諸原則にしたがってそれぞれの政策をたて」るという一九六〇年の声明の規定に反し、また中国共産党自身もかつては強調していた兄弟党間の団結の基準を無責任にも投げすて、わが党の綱領にもとづく革命路線、政治路線を全面的に攻撃し、「毛沢東思想」の絶対化とその「人民戦争万能論」、「暴力革命唯一論」などの極左日和見主義路線をもっとも乱暴な大国主義的やりかたで日本人民におしつけている。しかも毛沢東一派は、この反マルクス・レーニン主義的な最近の毛沢東路線を日本人民におしつけるために、その最大の障害物にみえるわが日本共産党に、あらゆる破壊的攻撃を集中し、その「打倒」を公然と呼号し、西沢隆二や安斎庫治、「長周新聞」一派などの反党対外盲従分子やトロツキストを日本共産党にとってかわらせようという犯罪的策謀の実行にのり出している。

 たとえば〔一九六七年〕六月十六日付中国共産党中央機関紙『人民日報』は、ひとにぎりの反党対外盲従分子の党破壊活動を報道して支持するとともに、「このむほんはたいへんけっこうだ」と題する「国際評論」なるものをかかげ、つぎのようにのべた。

 「日本共産党のひとにぎりの修正主義分子は反マルクス・レーニン主義、反革命、反人民、反中国の修正主義路線をおしすすめ、日本の広範なマルクス・レーニン主義者や革命的大衆の日ましに高まるはげしい不満と反対をひきおこしている。日本共産党の一部の下部組織は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を武器とし、革命の旗じるしを高くかかげ、つぎつぎと立ちあがってこれらの修正主義分子にたいしさかんにむほんをおこしている。このむほんはたいへんけっこうであり、それは道理にかなっている。
 日本共産党の修正主義分子はマルクス・レーニン主義を裏切る道をますます遠くへつっ走っている。かれらは『階級協調』のデタラメな理論でプロレタリア革命とプロレタリアート独裁の学説を骨ぬきにし、ブルジョアジーの議会政治に浮き身をやつし、階級投降政策を実行し、資本主義制度のもとでの一時的な安逸をむさぼるのに汲々(きゅうきゅう)としている。かれらはショービニズム(排外主義)をもって国際主義にとってかわらせ、すすんでソ連修正主義グループの尻馬(しりうま)にのってきちがいじみた(ママ)反中国をおこない、ほしいままに中日両国人民の友情を破壊し、中国を敵視する佐藤政府の共犯者の役をつとめている。かれらはすでに日本のプロレタリアートと日本人民の革命事業を遠くかなたにほうりすて、日本反動派のまぎれもない下僕に転落してしまった」

 「日本の真のマルクス・レーニン主義者、真のプロレタリア革命戦士は、暴威をおそれず、困難にひるまず、真理をまもりぬき、敢然とむほんをおこし、革命派としての偉大な気迫をしめしている。かれらは日本人民の希望であり、日本の未来をになうものである。日本のマルクス・レーニン主義勢力はかならずプロレタリアートと広範な人民大衆にたより、困苦にみち、複雑でまがりくねったたたかいのなかで成長し、強大になっていくであろう。それとは反対に、例の修正主義分子どもはかならず歴史のごみためにすて去られてしまうであろう」

 毛沢東一派は、ここで、わが党とその指導部にたいして、思いつくかぎりの中傷と非難をならべたてているが、これらはすべて、自分たちの日本共産党にたいする破壊活動の醜悪な本質をごまかすためのものであり、かれら自身の低劣さをさらけだす効果しかもっていない。

 毛沢東一派はわが党を「修正主義路線をおしすすめている」とか「階級投降政策を実行している」とかいってののしっている。しかしこのような非難にはなんの根拠もない。それどころかわが党が、アメリカ帝国主義の圧力に屈し独占資本との協調にかたむいた内外の現代修正主義の潮流にたいして、一貫してもっとも非妥協的な闘争をおしすすめてきたマルクス・レーニン主義党の一つであることはすべての事実がしめしている。すでに一九五〇年代の後半、ソ連共産党第二十回大会(一九五六年二月)などでのスターリン批判やハンガリー反革命事件(一九五六年十月)の影響で国際的現象として修正主義的潮流が発生し、それがわが国の革命運動に波及したさいにも、わが党は断固としてマルクス・レーニン主義の原則をまもる立場にたち、党の内外にあらわれた修正主義的傾向、自由主義、分散主義の傾向にたいする系統的な闘争をおこなった。一九五六年から第七回党大会(一九五八年)をへて第八回党大会(一九六一年)にかけておこなわれた綱領討議のなかで、春日庄次郎、内藤知周らの修正主義分子は、アメリカ帝国主義の侵略性と対日支配を過小評価し、「平和共存」の今後の進展に大きな 幻想をいだいてアメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義路線を主張したが、わが党はこれら反党修正主義者の議論に系統的な科学的批判をくわえて、これを粉砕した。春日らの議論は、一面では現代修正主義の国際的潮流の影響のもとに形成されたものであったが、他面ではユーゴスラビアのチトー一派の現代修正主義とともにフルシチョフらの現代修正主義の先駆的形態の一つをもなすものであった。したがって、かれらにたいするわが党の政治的理論的闘争とその成果も、国際的規模でのマルクス・レーニン主義と現代修正主義とのあいだのたたかいにおいて、重要な先駆的役割の一つをはたしたものであった。わが党は、綱領討議をめぐる思想、理論闘争のなかで、事実上、のちのフルシチョフ修正主義の基本命題のほとんどすべてにわたり、すなわちアメリカ帝国主義にたいする評価、戦争と平和、民族独立闘争と平和運動、平和共存と軍縮、国際および国内の統一戦線、革命の平和的移行と非平和的移行、改良主義的「構造改革」論の批判、分派主義との闘争と民主主義的中央集権制の擁護、修正主義と教条主義の二つの戦線での闘争、大国主義や事大主義の批判など、一連の重要な諸問題にか んしてマルクス・レーニン主義の理論を創造的に発展させた積極的見解を確立し、全党の理論的武装を強化することができた。一九六〇年の八十一ヵ国共産党・労働者党代表者会議で、わが党代表団が、声明の原案を改善し、マルクス・レーニン主義にもとづく革命的原則を定式化することに積極的に貢献したのも、その後、フルシチョフを中心とするソ連共産党指導部の修正主義、大国主義、分裂主義の路線およびそれとむすびついたわが党にたいする干渉と攻撃にたいして、わが党がもっとも非妥協的にたたかったのも、けっして偶然ではない。一九五〇年問題を自主的に総括して党の統一を回復した第七回党大会以後、「左」右の偏向とたたかって日本の現状を全面的に分析して日本革命の正確な展望を確定した綱領を自力でかちとってきた党の前進のなかで、わが党が修正主義、教条主義に反対し、いっさいの対外盲従主義と分裂主義を粉砕する全党の理論的武装と戦闘的団結を、みずからきずきあげていたからこそ、わが党は現代修正主義に反対してマルクス・レーニン主義の原則をまもる国際的闘争でも積極的役割をはたすことができたし、現にはたしつつあるのである。

 さらに毛沢東一派は、わが党を「修正主義」とか「ソ連共産党のあたらしい追随者」とかとののしるにとどまらず、「佐藤政府の共犯者」「日本反動派のまぎれもない下僕」と漫罵している。かれらはおどろくべきことに、わが党をアメリカ帝国主義や佐藤内閣と同列において、「中日両国人民の共同の敵」と規定し、公然と敵視する態度をとっている。たとえば六月二十四日の北京放送が放送した中日友好協会が日中友好協会脱走派の「大会」と称する集会に送ったメッセージには、つぎのようにのべられている。

 「アメリカ帝国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義集団と日本共産党修正主義分子は、いま中日友好を破壊しようと陰謀をめぐらしており、かれらは中日両国人民の共同の敵です。中日両国人民は警戒心を高め、断固かれらとたたかいぬかなければなりません」

 毛沢東一派は、わが党を中日両国人民の「四つの敵」の一つに数え入れることをあえてし、公然と「打倒」の対象にすることを宣言したのである。

 毛沢東一派が、わが党にあびせている「佐藤政府の共犯者」「日本反動派のまぎれもない下僕」などという中傷は、わが党を「修正主義」とののしること以上に、さらに輪をかけた低劣なデマであり、日本の事情にすこしでもつうじているひとには、まったく通用しえないこっけいな中傷である。わが党が、自民党佐藤内閣の売国と戦争、軍国主義復活と人民生活破壊の政治と正面から対決し、どんな場合でも自民党に追従して手をよごしたことのない日本のただ一つの政党であること、さらに戦前は、軍事的警察的天皇制の打倒、中国その他にたいする帝国主義的侵略戦争反対の旗を断固としてかかげ、戦後は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の反民族的、反人民的支配を終わらせることをめざして、どんな迫害と弾圧、買収と欺まんの攻撃にもまけないで不屈にたたかっているただ一つの革命政党であることは、わが党創立以来四十五年の日本の歴史が、証明しているところである。だからこそ今日、米日支配層、佐藤内閣は、日本共産党をかれらの反動支配にたいするもっとも危険な敵とみなして、「反共」をその政策の第一の柱とし、独占資本も、あらゆる産業から共産党やその支持者の追放をめざ すアカ攻撃をいっそうつよめるなど、あらゆる手段をつかって、わが党に凶暴で卑劣な攻撃をくわえ、その破壊と圧殺の策謀に狂奔しているのである。自衛隊、警察庁、公安調査庁など、全弾圧機関が主力をかたむけているのは、わが党を弱めることであり、そのためには、トロツキスト、「左」右の反党分子まで利用することさえもためらっていないことは、周知のことである。この日本共産党を「佐藤政府の共犯者」「日本反動派の下僕」などとののしるのは、これこそ、日本の現実をまったく無視した荒唐無稽(こうとうむけい)なたわごとというほかはない。事実、昨年来かれらが、わが党を「佐藤内閣の共犯者」であるとののしるためにもちだしてみせたものは、第十二回原水禁世界大会の劉寧一を団長とする中国代表団や、最近の周培源を団長とする訪日代表団などの入国にたいする佐藤内閣の妨害に、わが党が「背後」で「協力」したとか、わが党が佐藤首相の南ベトナム訪問や台湾訪問に反対しようとしなかったとかいうたぐいの、まったく反証をあげるまでもない事実無根のいいがかりだけである。そして、毛沢東一派こそ、日本共産党を攻撃し、わが国の民主運動をかく乱することによって、 アメリカ帝国主義と日本独占資本の反共攻撃に手をかしているのである。

 さらに毛沢東一派は、中国を訪問した日本人に工作したりするばあいには、新聞や放送のうえでよりもいっそう下劣で、いっそう荒唐無稽なデマ――日本共産党の最高指導部にはスパイが潜入しているとか、それに類するようなデマを、数かぎりなくまきちらしている。

 毛沢東一派は、このように、わが党とその路線について『人民日報』や日本むけ北京放送、新華社通信などで思いつくかぎりの下劣なデマや罵倒を総動員して狂気(ママ)のような中傷と攻撃のカンパニアをおこなっているが、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづくわが党の国内、国際路線がどうして「反革命」であり、「修正主義」であり、「日本反動派の下僕」であり、「日本プロレタリアートの裏切者」であるのかについては、かれらはなんの具体的な論証や分析を提出することもてきない。わが党への攻撃にあてられたかれらの一連の文章には、マルクス・レーニン主義者のあいだの批判や論争に不可欠な科学的な論証や事実にもとづく具体的な分析はなにひとつない。そこにあるのは、ただマルクス・レーニン主義者のあいだの論争とはまったく無縁な悪罵と中傷の低劣野卑なことばの独断的ら列だけである。われわれは、八ヵ月前、北京の一部の「紅衛兵」が、ただ悪罵だけをたよりにして、わが党に不当な攻撃をくわえてきたとき、「政治における悪罵は、悪罵するものの無思想とたよりなさ、無力、いきりたった無力を、しばしばおおいかくすものである」というレーニンの 有名なことばを引いて、「紅衛兵」のこうしたやり方が「かれらの非科学性と理論的な無力との告白でしかない」ことを指摘した。ところが中国共産党の毛沢東ら極左日和見主義、大国主義分子もまた、わが党を攻撃するにあたって、やはり「紅衛兵」たちと同様に、その「根拠」として悪罵以外のなにものももちだせないでいる。それは、「非科学性と理論的な無力」の点で、かれらがその指導下にある「紅衛兵」たちと「兄たりがたく弟たりがたい」水準にあることを、みずから実証してみせたものといわなければならない。

 ところでもっとも重大なことは、毛沢東一派が、このようなこどものたわごとのような悪罵をわが党に投げつけるだけにとどまらず、わが党を「中日両国人民の共同の敵」と規定し、それを口実にして、四十五年の革命的伝統をもつ日本の労働者階級のただ一つの前衛党であるわが日本共産党の「打倒」と「転覆」を公然と呼号し、わが国の反党対外盲従分子を「真のマルクス・レーニン主義者」、「真のプロレタリア革命戦士」として称揚し、かれらにたいして、日本共産党にたいする「むほん」をよびかけていることである。これは、志賀義雄らの党破壊活動を支持、激励したフルシチョフさえあえて公然とは口にだしえなかった、もっとも重大な反革命的犯罪行為である。

 もちろん、いまマルクス・レーニン主義と綱領の旗を高くかかげて、党中央委員会のまわりに全党がかたく団結し、たたかう日本人民の支持のもとに党史上最大の党勢をもって前進しつつある日本共産党を、ほんのひとにぎりの反党対外盲従分子の「むほん」なるものによって「打倒」するなどということは、狂人(ママ)の白昼夢にひとしい。だが、毛沢東一派が昨年来おこなってきたように、米日反動勢力の支配、抑圧のもとで、その権力の攻撃や弾圧とたたかっているわが党にたいする攻撃と破壊活動に、こともあろうに、社会主義国家の権力を悪用し、その打倒を公然と呼号するなどということが、どんな口実をもってしても弁護する余地のない、反階級的な犯罪行為であることは明白である。たとえばかれらは、わが党とわが国の民主運動に破壊的な攻撃をくわえるにあたって、西沢隆二、安斎庫治一派や「長周新聞」一派、日中友好協会からの脱走派などの対外盲従分子に特別の援助をあたえ、日中間の人事交流や日中貿易の活動をすべてわが党への攻撃と民主運動の分裂、かく乱の手段にかえ、実利をエサに、日中友好運動や日中貿易の関係者をその指導下にかきあつめ、「日共修正・手義分子との まっこうからの対決」を貿易団体の「議定書」や「共同声明」のなかにまで明記して、日本の貿易業界に日本共産党との「闘争」に参加することを強要し、「反修闘争」に積極的な商社や貿易団体だけを貿易の相手とするといった、無法行為まで平然とおこなっている。さらにかれらは、新華社通信、日本向け北京放送や『北京周報』、『人民中国』その他の日本向け出版物をつかってデマ宣伝を大量にまきちらし、中国側の関係機関やその日本における出先機関を、分裂策動のために全面的に活用するなど、さまざまな術策に大規模にうったえてきた。これらはすべて、社会主義国の権力を悪用し外交機関などを利用しておこなわれているのが特徴である。毛沢東ら中国共産党の一部集団は、各国人民の解放闘争への正しい援助を当然の任務としている社会主義国家の権力を、まだ解放されていない国の共産党と革命運動への干渉と背信的な攻撃という、社会主義の精神とプロレタリア国際主義に反するもっとも恥ずべき目的のために、あげて利用しているのである。

 かれらのこの策謀の反階級的性格をさらにはっきりとしめす事実は、毛沢東一派の極左日和見主義集団が、わが党を「打倒」するために、西沢隆二ら反党対外盲従分子だけでなく、職業的な反革命反党集団であるトロツキスト暴力分子をも、「真の革命派」として支持、激励していることである。

 毛沢東一派は、〔一九六七年〕六月十八日付『人民日報』に、「中傷で戦士の栄誉を傷つけることはできない」と題する「国際評論」なるものをかかげ、安保闘争で殺された樺美智子の追悼にことよせて、わが国のトロツキストの反革命的挑発行為を最大限の表現でほめたたえた。

 「樺美智子は日本の反動派に殺害されたが、彼女はいまなお日本人民の心のなかに生きている。それにしても憤慨にたえないのは、ひとにぎりの日本共産党修正主義分子が、意識的に事実をねじまげて再三流言ひ語をとばし、恥知らずにもこの民族的英雄を『トロツキスト』であると侮辱したことである」

 「現代修正主義者は、みずから革命をおそれる一方、他人にも革命をゆるさない。かれらは、革命の原則を堅持し、敢然と革命をやるものにはだれでも『トロツキスト』のレッテルをはりつけ、革命者を『反革命』に仕立てる恥知らずな腕前をもっている。フルシチョフ修正主義分子がそうであるが、日本共産党修正主義分子もそうである。しかし、かれらのこうした腕前では、人をだますことはできないし、革命者をおどろかすことなどなおさらできない」

 「日本でひとりの樺美智子が倒れても、何千何万という樺美智子が立ち上がっている。日本共産党修正主義分子が革命の旗を投げすてれば、日本の真の革命派がこの旗をいっそう高くかかげようとする。日本民族の英雄樺美智子は、永遠にそのかがやかしい名をのこすが、それとは反対に、日本共産党修正主義分子の裏切者どもは、永遠にその醜名を残すだけである」

 毛沢東一派が、今日、どのような歴史のわい曲、ねつ造をこころみようと、安保闘争におけるトロツキストの行動とその挑発的役割は、だれもまっ殺することのできない厳然たる歴史的事実である。一九五九―一九六〇年の安保闘争の当時、「全日本学生自治会総連合」(全学連)の指導部を占拠していたのは、反党トロツキスト集団の「共産主義者同盟」(いわゆるブンド(ママ))であった。かれらは、トロツキー以来の反革命的綱領をそのままうけつぎ、国際的には、社会主義国家の転覆――「ソ連邦、中国、朝鮮の官僚支配の打倒」(「共産主義者同盟綱領草案」)――を公然とその綱領にかかげ、国内では、日本共産党の打倒を公然と目的にしてかくさなかった。樺美智子は、このトロツキスト集団の結成当初からの一員であり、その中央事務局員であった。そして、このトロツキストたちが安保闘争を挫折(ざせつ)させるために、自民党や財界から援助をうけ、戦前の日本共産党の裏切り者で戦後はアメリカのCIAとのつながりも問題にされている職業的反共右翼の頭目田中清玄からぼく大な資金援助や「戦術指導」をうけながら、米日反動勢力の弾圧計画に呼応して「国会突入」などの極左的挑 発をくりかえしたことは、すでによく知られている。

 たとえば、一九六三年二月二十六日のTBSラジオ報道番組「ゆがんだ青春――全学連闘士のその後」は、唐牛健太郎(安保闘争当時の全学連委員長)、小島弘(同副委員長)、東原吉伸(同財政部長)、篠原浩一郎(同中執)など、当時のトロツキストの「指導者」たちとのインタビューの内容を放送した。この放送のなかで、トロツキストたちは、かれらが、安保闘争当時、表面では「革命」とか「岸内閣打倒」とかをうんぬんしながら、その裏では、自分たちを「反共の闘士」として売りこんで自民党や財界から資金を集めることに汲々としていたこと、とくに、札つきの反共右翼である田中清玄とは密接なつながりをもち、数百万円にのぼる資金援助をうけるとともに、挑発やかく乱活動の「戦術指導」まで直接うけていたことを、臆面もなく証言していた(「赤旗」一九六七年九月七日付資料)。また東原は、数年前に書いた手記のなかで、かれらが田中清玄をもっとも「強力な後楯」として、その指揮のもとに活動した経過をいっそう詳細にあきらかにするとともに、トロツキストの「代表者」たちが、安保闘争中、警視総監や警察当局としばしばひそかに連絡をとっていたこと、警察当局がそこ で、トロツキストの活動にたいして「なみなみならぬ同情心」をしめしたことを、かさねて証言している(「赤旗」一九六七年九月十三日付資料)。つまり、かれらが、反共右翼の秘密の手先であっただけでなく、秘密警察の魔手に忠実につながっていたスパイ挑発者であった事実を、かれら自身が告白しているのである。

 毛沢東一派は、このような、自民党、財界、右翼、警察とのみにくいつながりのもとに、反共と挑発に狂奔した正真正銘のスパイ挑発者であるトロツキストの反革命的策動を、「革命の原則を堅持し、敢然と革命をやるもの」としてほめたたえ、この反党、反革命の策動から日本人民の闘争をまもるために断固としてたたかった日本共産党にたいして、「みずから革命をおそれる一方、他人にも革命をゆるさない」、「敢然と革命をやるもの」はだれでも『トロツキスト』のレッテルをはりつけ、革命者を『反革命』に仕立てあげる恥知らずな腕前」などとののしっているのである。これが、マルクス・レーニン主義者として断じてゆるすことのできないトロツキストの反革命、スパイ、挑発者としての活動にたいする公然たる礼賛であることは明りょうである。

 毛沢東一派は、そのトロツキスト礼賛をごまかすために、樺美智子の死をしきりに利用しようとしているが、これは、安保闘争当時、トロツキストやその一部の同調者たちが、その挑発、かく乱活動を正当化する手段として、樺美智子の死にたいする一般の哀悼の感情を利用しようとしたのと同じ卑劣な手法である。樺美智子は、米日反動勢力による弾圧の犠牲者であっただけでなく、彼女自身をふくむトロツキストの挑発活動の犠牲者であったことは明白である。うら若い少女の生命が失われたことにたいするいたみは、断じて『人民日報』のように当時のトロツキストの反革命的挑発行為を「真の革命派」とかいって無責任に賛美することにむけられるべきではない。反対にそれは、米日反動勢力にむけられるとともに、これに呼応してもっとも卑劣な策謀によって安保闘争をほうむりさる手段として、一部の純真な学生を扇動して国会に突入させたトロツキスト・スパイ挑発集団にたいする怒りとたたかいにこそむけられなければならない。

 ところが毛沢東は、安保闘争当時、樺美智子を「日本の民族的英雄」とたたえる談話を発表したことがある(一九六〇年六月二十五日『人民日報』)。もちろんわが党は、この誤った評価をおこなった毛沢東談話をアカハタに報道せず、その年の末モスクワでの共産党・労働者党代表者会議の帰途、袴田幹部会員を団長とするわが党代表団が中国に立ちよったさい、中国共産党指導部にトロツキストの挑発的戦術が樺美智子を死にいたらしめた経過を明確に説明し、毛沢東談話の誤りを指摘した。中国側も自分たちは十分事実を知らなかったとのべて、この説明をうけいれ、一九六一年六月、わが党の国会議員代表団が、中国を訪問したさいには、毛沢東自身が、自分が樺美智子を「民族の英雄」とよんだのはあやまりであったと、率直にのべた。さらに、一九六二年の中国共産党中央理論機関誌『紅旗』第二〇号に発表された論文、張香山「日本人民の闘争と日本共産党」は、安保闘争でのトロツキストの挑発的役割を、つぎのように基本的に正しく指摘していた。

 「日本のトロツキストはアメリカ帝国主義にまったく反対しない。かれらは『日米安保条約』反対闘争のなかで、反米のスローガンをうちださず、アメリカにたいする抗議やデモなどの反米行動をとることを拒否すると同時に、『武装ほう起をおこせ』、『岸政府の打倒は社会主義革命を実行する突破口』等々、表面的には極左的なスローガンを口にし、実際上ではアメリカ帝国主義にたいする闘争から大衆をそらして、アメリカ帝国主義のために犬馬の労をとろうとした」

 それにもかかわらず毛沢東一派は、いったん自分たちがその誤りをみとめて訂正したかっての誤った見解を、今日にわかに復活させ、わが党攻撃に利用しているのである。

 しかも毛沢東一派による最近のこのようなトロツキスト礼賛は、たんに過去の安保闘争の問題だけにとどまるものではない。今日でもトロツキスト集団は、「日韓会談」粉砕闘争においても、ベトナム侵略反対闘争においても、砂川基地拡張反対闘争においても、人民の闘争が大きく前進するとき、かならず姿をあらわして行動の統一をかく乱し、例外なく暴力的挑発をおこない、もっとも悪質な反共反革命の暴力集団としての役割をはたしつづけているが、毛沢東ら中国共産党の極左日和見主義集団は、トロツキスト集団の今日の反共、挑発活動をも「真の革命派」の活動としてほめたたえ、さらにかれらと手をむすんで、わが党とわが国の民主運動にたいする破壊活動をおしすすめている。日中友好協会本部にたいする暴力的襲撃は、「社会主義学生同盟マルクス・レーニン主義派」と名のるトロツキスト集団との協力のもとにおこなわれたものであった。砂川基地拡張反対闘争においても、毛沢東一派は、トロツキストを「敵と真に闘争をくりひろげている人びと」として礼賛的に報道した(〔一九六七年〕七月九日、新華社通信)。これらは、毛沢東一派が、反革命挑発集団としてのトロツキストと、 理論的にも実践的にも野合しつつあることをしめしている。

 このように、毛沢東一派が、トロツキスト集団を日本における「真の革命派」としてたたえ、これと手をむすびはじめたことは、西沢隆二らわが党にたいする卑劣な裏切者を「真のマルクス・レーニン主義者」としてたたえてきたこととともに、中国共産党の極左日和見主義集団の政治的本質とわが党への攻撃の反革命的性格をむきだしにあらわしたものにほかならない。

 以上に事実を指摘したように、中国共産党の毛沢東一派は、わが党の綱領の路線に全面的攻撃をくわえ、かれらの「暴力革命唯一論」や「人民戦争万能論」などの極左冒険主義理論と戦術を日本の革命運動におしつけ、それをうけいれないわが日本共産党を「修正主義」「反革命」と規定して、その「転覆」と「打倒」を呼号し、ひとにぎりの西沢隆二ら反党対外盲従集団やトロツキスト挑発集団を「真の革命派」として支持、激励している。一部の人びとにとっては、あの偉大な中国革命のなかで指導的役割をはたした毛沢東が、ついこのあいだまで親密な兄弟党として戦闘的連帯を強化していた日本共産党にたいし、社会主義国家の権力までも悪用してこのような背信的策謀を本気で実行しているとは、とうてい信じられないことであるかもしれない。しかし、これらの人びとがかつての毛沢東にたいしていだいていた信頼がどんなに深いものであっても、それだけで、厳として存在する今日の事実をうち消すことはできないことである。すべての事実は、疑問の余地なく、今日の毛沢東一派がマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義をまっこうから裏切り、日中両党間の長期にわたる友宜をふみ にじって、日本共産党と日本の革命運動、民主運動にたいして、ゆるすことのできないもっとも悪質な攻撃、恥知らずな干渉、凶暴きわまりない破壊活動を組織的、計画的におしすすめていることをしめしている。

 このような攻撃、干渉、破壊活動から、日本の革命運動と民主運動を防衛することは、前衛党としてのわが党が日本人民にたいして負っている重要な責任であり、義務である。わが党は日本の革命運動に責任を負う党として、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場から、毛沢東一派の反革命破壊活動を断固として批判し、粉砕するという厳粛な任務に直面しているのである。

(2) 中国共産党の私物化をめざす毛沢東一派

 中国共産党の極左日和見主義集団は、このようにわが党にたいして反革命的破壊活動を凶暴におしすすめながら、その反人民的、反階級的本質をごまかすために、反党対外盲従分子西沢隆二らや志田重男一派らが「宮本路線」とか「宮本一派」とかいうことばでわが党を攻撃しているのを口まねして、わが党を「宮本修正主義集団」などとよび、かれらが日本共産党にたいして破壊活動をおこなっているのではなく、ただ特定の個人的な集団や個人的な路線を攻撃しているにすぎないかのようにみせかけようとしている。

 わが党があたかも特定の個人を中心とする集団であるかのようにいうこのような呼称は、作為のみえすいた、なんの根拠もない中傷である。国内問題についての政策にせよ、国際路線の問題にせよ、わが党中央が主張し実行している路線は、党大会や中央委員会で決定された基本方針にもとづくものである。わが党では、第七回党大会(一九五八年)以後、大会、中央委員会は、すべて規約にもとづいて定期的に開催され、民主的に運営されているし、党の路線は、大会、中央委員会で決定され、中央委員会でえらばれた幹部会の集団指導で具体化されている。そして、第八回党大会での綱領の採択をはじめ、第八回、第九回、第十回党大会の諸決定は、すべて全員一致で採択され、全党の活動の指針となっているのである。そこにはいかなる個人の名を冠すべき集団の独裁もなければ、個人崇拝もなく、党大会できめられた党の公式の政策とは別個の「路線」も存在しない。いくら中国共産党の極左日和見主義分子が「ひとにぎりの修正主義分子」や「宮本集団」の「修正主義路線」についてさわぎたてて、日本共産党そのものにたいする正面からの敵対的な攻撃をごまかそうとしても、それはむだなこころ みだといわなければならない。かれらが「宮本集団」の「修正主義路線」などとののしっているものが、実は党綱領にもとづくわが党の路線全体にほかならず、かれらの不当な攻撃と破壊活動の的となっているのが党中央委員会のもとにかたく団結した日本共産党の全隊列であることは、あらためて論証するまでもなく明白である。

 だが党中央を名のってはいても、党の正規な指導機関である大会や中央委員会が、規約を無視して長期にわたってひらかれず、特定の指導者やこれを中心とする一部の「分子」や「集団」の主張や方針が党大会や中央委員会の決定の上におかれ、党の集団指導や民主主義的中央集権制の組織原則か破壊されているようなところでは、その党の名や党中央の名で発表される見解であっても、それが党大会できめられた党の公式の路線にもとづくものであるか、それとも党の公式路線とは区別すべき、一部の「分子」あるいは一部の「集団」の指導や政策にほかならないかを問題にすることができるし、またその必要がある。

 今日の中国共産党におこっているのは、まさに、こうした特定の個人を中心とする一部の集団による党の私物化と支配の典型である。一九五六年の第八回党大会で採択された中国共産党の規約によれば、党の最高機関である党の全国大会は、五年の任期ごとに改選され、任期中は毎年一回会議をひらくことになっている。ところが、一九五六年の第八回党大会以来今日までに十一年もたっており、規約によれば、第八回党大会の任期は六年も前に満了しており、第九回党大会および第十回党大会が招集されていなければならないにもかかわらず、新しい党大会の招集は、この期間にまったくおこなわれなかった。また、第八回党大会の会議にしても、毎年一回招集という規約の規定に反して、一九五六年九月に第一回会議が、一九五八年五月に第二回会議がひらかれて以後は、今日まで九年にわたって一度もひらかれていない。しかも、いまでは、党大会が決定した路線の変更は、大会の決定によらなければならないにもかかわらず、この第八回党大会の報告や決定は、毛沢東一派によって、中央委員会を代表した報告者であった劉少奇、ケ小平らにたいする攻撃のなかで、事実上、「フルシチョフ修正主義の 中国版」、「ブルジョア反動路線」などとされて、ほとんど全面的に否定されるにいたっている。

 また、党大会の閉会期間中の最高の指導機関である党中央委員会は、中国共産党の規約によれば、五年を任期とし、毎年すくなくとも二回ひらかれることになっている。ところが、実際には、この規定がほぼまもられてきたのは、一九五九年八月の第八回中央委員会総会までのことで、それ以後は、中央委員会総会は一九六一年一月第九回総会、一九六二年九月第十回総会、一九六六年八月第十一回総会というように、きわめて露骨に規約が無視され、はなはだしい場合は数年ぶりにしかひらかれず、国内、国際問題のうえでの最高決定は、活動者会議など正規の党中央委員会とは別の会議で、毛沢東を中心としておこなわれることが多くなってきた。とくに、いわゆる「プロレタリア文化大革命」のなかで、四年ぶりにひらかれた昨年〔一九六六年〕八月の第十一回中央委員会総会は、従来の慣例をやぶって、中央委員、中央委員候補が何人参加したかも公表されず、しかも、コミュニケによってもわかるように、中央、地方の党機関の党員ばかりか「首都の大学、高等専門学校の革命的教員・学生の代表」、つまりいわば「紅衛兵」の代表まで列席しておこなわれるという、きわめて不正常な会議であった (「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」)。そして、この中央委員会総会以後は、毛沢東を中心とする一部の集団による、多数の中央委員をふくむ党幹部と党組織への攻撃が全面化し、中央委員会をはじめ規約にもとづく党の集団指導は事実上解体状態におかれ、それは、毛沢東ら一部の集団による「指導」に、事実上おきかえられている。そして、最大限に神格化された毛沢東個人の「思想」や言動が、党の大会や中央委員会の決定のうえにおかれ、かれの片言隻句に忠実であるか、どうかが、唯一の最高の基準とされていることも、すでに周知のことである。さらに、毛沢東らの「指導」集団は、党規律を無条件にまもることを「奴隷(どれい)主義」として否認しながら、同時に毛沢東への無条件的服従を暴力で強制し、こうして、党規律を、毛沢東ら一部の集団への奴隷的「忠誠」におきかえている。そしてかれらは、自分たちへの「造反」はきびしく禁圧しつつ、自分たちに盲従しない党組織を解体し党規律を破壊する「造反」闘争をあおり、これらの党委員会や人民委員会からいっさいの権限をうばう「奪権」闘争なるものを、みずからにぎる解放軍などの軍事力を背景に、新聞、ラジオなど の宣伝機関を私物化しつつ全国的な規模でおしすすめ、党の解体状態を全国的におしひろげるにいたった。これこそまさに、毛沢東らの極左日和見主義集団による党の私物化のくわだて以外のなにものでもない。

 このように、すべての事実は、昨年〔一九六六年〕来の「プロレタリア文化大革命」なるものの過程で、中国共産党の正規の指導体制が破壊され、マルクス・レーニン主義党の組織原則を全面的にふみにじって、神格化された毛沢東を中心とする極左日和見主義集団が、中国共産党の私物化をつよめてきたことをしめしている。わが党とわが国の民主運動にたいする、不当な攻撃と干渉、ゆるすことのできない破壊活動も、主としてこの毛沢東一派がおしすすめてきたものである。

 このような状態のもとでは、たとえ『人民日報』その他に中国共産党中央の名で発表される主張や見解であっても、われわれが、それを中国共産党の正規の中央委員会の主張や見解と同一視することができないのは、当然である。わが党が、中国側からの昨年〔一九六六年〕来の不当な干渉と攻撃に直面して、これを「中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子」あるいは「中国共産党の一部指導集団」の攻撃と特徴づけ、いま「毛沢東一派」の党支配と私物化を問題にするのは、中国共産党内部におこっている、このような異常な反マルクス・レーニン主義的な事態の科学的、具体的な分析にもとづくものである。

 このように、一部の集団による党の支配と私物化をめざして党組織の解体まで強行してきた毛沢東一派が、こっけいにも、民主主義的中央集権制と集団指導を一貫して堅持しているわが党にたいして、「宮本修正主義集団」などといって非難をあえてしているのである。これは、まことに笑止のさたといわなければならない。

(3) マルクス・レーニン主義の原則を擁護し、国際共産主義運動の団結をかちとるために

 わが党が、毛沢東一派を名ざしで公然と批判せざるをえなくなったもう一つの重大な理由は、わが党とわが国の民主運動にたいするかれらの破壊活動が、ますます凶暴化してきたこととともに、毛沢東一派が、毛沢東を途方もなく神格化して、「毛沢東思想はマルクス・レーニン主義の最高峰である」などと称し、マルクス・レーニン主義の原則のゆるすことのできないわい曲と破壊を国際共産主義運動にますます乱暴におしつけるとともに、国際共産主義運動の公然たる分裂をめざしてきたことにある。

 中国共産党は、フルシチョフを中心とする現代修正主義との闘争で、とくにその初期には一定の重要な役割をはたしたが、毛沢東一派はその過程で、アメリカ帝国主義に反対する国際的な反帝闘争、世界人民の解放闘争の大局的利益からきりはなして、「反修正主義闘争」を自己目的化する誤りにおちいり、さらに自分たちの役割にたいする尊大な思いあがりから、ごう慢にも毛沢東をマルクスやレーニンにも匹敵する、ときにはそれ以上の天オと称して、国際共産主義運動の「最高指導者」の座につかせようとし、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義を足げにした、もっとも露骨な極左日和見主義、大国的排外主義、分裂主義の策謀をおしすすめるにいたった。

 かれらは、ソ連共産党をアメリカ帝国主義と同列の敵とみなし、ソ連共産党を組織的に排除した「反米反ソ国際統一戦線」なるものを提唱して、アメリカ帝国主義の凶暴なべトナム侵略に反対する反帝民主勢力の国際共同行動を分裂させ、アメリカ帝国主義をよろこばせている。

 かれらは、中国革命の特殊な経験を不当に一般化した「人民戦争万能論」、「暴力革命唯一論」などの極左冒険主義的戦術を全世界におしひろめようとし、「毛沢東思想」の絶対化とともに、これらを各国の革命運動、民族解放運動に大国主義的におしつけ、各国人民の革命闘争に重大な損害をあたえている。

 かれらは、そのおしつけをうけいれないすべての党を「修正主義」「アメリカ帝国主義の共犯者」と攻撃し、「造反有理」(むほんには道理がある)という無政府主義、解党主義の旗をおしたてて、他国の共産党の内部問題に干渉し、雑多な反党分子、トロツキストの反党活動を支持、激励して、他国の革命運動にたいするかく乱、破壊活動をすすめている。

 かれらは、ソ連をはじめいくつかの社会主義国はすでに資本主義国家に変質したと称して、これら諸国の「ファッショ的独裁」の打倒などという、社会主義国家の打倒を目標とするトロツキスト的、反革命的スローガンをかかげ、これら一連の社会主義国家の党と政府の転覆を公然と唱導している。

 かれらは、「一は分かれて二となる」、「今日は大変動、大分化、大再編の時代である」などという分裂主義のスローガンをかかげて、国際共産主義運動を公然と分裂させ、毛沢東一派の支配下におこうとしている。

 これらすべての毛沢東一派の主張と実践は、毛沢東の最近の路線が「現代のマルクス・レーニン主義の最高峰」であるどころか、反対にマルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもないものであり、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にまっこうから敵対するものであることを、きわめて明白に証明している。

 われわれは、プロレタリア国際主義をまもり、国際共産主義運動の団結をまもる立場から、すでに反マルクス・レーニン主義集団として、国際共産主義運動のもっとも有害なかく乱者になりはてている毛沢東一派の極左日和見主義、大国排外主義、分裂主義の路線と行動にたいして断固として闘争し、これを粉砕して、すべての反帝民主勢力の国際的団結と国際共産主義運動の真の団結をかちとらなければならない。

 この闘争は、「左」右のいっさいの日和見主義、修正主義に反対して、マルクス・レーニン主義の原則を擁護する闘争と、かたく結びついている。

 わが党は、すでにのべたように、この十年間、国際的にはスターリン批判とハンガリー反革命事件などの複雑な事態に正しく対処し、国内的には一九五〇年の党の分裂と分裂した党の一部における極左日和見主義の誤りを克服し、綱領をかちとり、日本人民の解放闘争の先頭にたって奮闘してきた。そして、フルシチョフらの現代修正主義の国際的潮流およびそれに追随する反党修正主義者たちが、マルクス・レーニン主義の諸原則を右から修正し、国際共産主義運動全体をアメリカ帝国主義との闘争を回避する路線にひきこもうとしたことにたいして非妥協的な思想、理論闘争をおこない、世界の人民を解放する唯一の科学的理論としてのマルクス・レーニン主義の学説をまもりぬいてきた。そして、この現代修正主義の潮流とその日和見主義、大国主義、分裂主義の路線がまだ最後的に克服されないうちに、それとの国際的闘争の過程で発生した毛沢東らの教条主義、セクト主義、極左日和見主義の潮流が急速に成長し、いまあらたに「左」からの修正主義にまで成長したこの潮流にたいして、マルクス・レーニン主義の原則をまもりぬく思想、理論闘争がいよいよ重要になってきているのである。

 フルシチョフら現代修正主義の国際的潮流と、それに追随した春日庄次郎、志賀義雄ら反党修正主義分子は、核ミサイル兵器の出現による熱核戦争の脅威や国際情勢の根本的変化など、「マルクスもレーニンも知らなかった」新しい情勢なるものを口実にして、帝国主義、戦争と平和、国家と革命などにかんするマルクス・レーニン主義の基本理論を、右から日和見主義的にわい曲しようとした。これにたいして、毛沢東一派とそれに追随するわが国の反党教条主義分子は、ソ連における「ブルジョア独裁と資本主義の復活」など、「マルクスもレーニンも予測しなかった」事態なるものを口実にして、前衛党の組織原則、革命の戦略戦術、反帝国際統一戦線、プロレタリアートの独裁、社会主義のもとでの階級闘争、マルクス・レーニン主義党の国際的団結などにかんするマルクス・レーニン主義の基本理論を「左」からわい曲してきた。

 そして、フルシチョフ修正主義反対の旗をかかげた毛沢東一派の教条主義、セクト主義、極左日和見主義路線のもっとも大きな特徴は、フルシチョフ修正主義がスターリン個人崇拝という重大な誤りの克服の過程をひとつの条件として生まれた右翼日和見主義であったのにたいして、これが毛沢東にたいする常軌を逸した個人崇拝、その神格化とむすびついた極左日和見主義である点にある。

 わが国においては、フルシチョフ修正主義にたいする闘争は、同時に一部のマルクス・レーニン主義者のあいだに存在していたソ連にたいする事大主義的傾向にたいする闘争とむすびついていた。それ以上に、毛沢東一派の極左日和見主義との闘争は、中国にたいする事大主義、なかんずく毛沢東にたいする個人崇拝、その神格化、無条件的盲従の傾向との闘争とむすびついている。日本と中国との歴史的な関係にくわえて、日本帝国主義の犯罪的な中国侵略戦争の敗北ののち、中国共産党の指導のもとで中国人民がかちとった中国革命の偉大な勝利が日本人民に大きな影響をあたえてきたわが国では、一部のマルクス・レーニン主義者や知識人のあいだに、中国共産党の指導者毛沢東の過去の著作にたいするしばしば過大なまでの評価と尊敬がつちかわれてきている。これらのことからいえば、中国、とくに毛沢東にたいする事大主義的崇拝との闘争は、ソ連にたいする事大主義の克服以上の努力が必要とされ、今日の毛沢東の極左日和見主義との思想、理論闘争は、わが国のマルクス・レーニン主義の強化と前進にとって、現代修正主義との闘争に匹敵する、あるいはそれ以上に重要な意義をもつ闘争とな らざるをえないであろう。

 事実、昨年来、「毛沢東思想」と「中国のプロレタリア文化大革命」の研究と評価は、あたかもわが国の思想、理論分野における最大の問題であるかのような位置をあたえられ、商業新聞をはじめ、総合雑誌は膨大な数の記事や論文を掲載しつづけてきたし、すでに「文化大革命」にかんする多くの単行本も出版されている。そして注目すべきことは、わが国のブルジョア・ジャーナリズムに発表されているこれらの記事や論文、著作のなかには、一方で、今日の中国の異常な事態をマルクス・レーニン主義と社会主義の事業の必然的な所産とみなして、これを日本共産党とマルクス・レーニン主義への攻撃の材料とするむきだしの反共主義の論調が展開されているとともに、他方では、毛沢東と「文化大革命」にたいする同調と事大主義的礼賛の態度もまたみられることである。

 これにはいろいろの原因があるが、第一に指摘されることは、中国と中国人民にたいするこれまでの親近感や毛沢東とその思想、理論にたいする過大な評価などをひとつの背景として、毛沢東一派が表看板にかかげている「思想革命」、「人間改造」、「大民主」、「資本主義の復活防止」などのスローガンに幻惑され、「プロレタリア文化大革命」の本質、実態を事実にもとづいてきわめようとしない傾向が一部の知識人のあいだにあることである。

 また、米日反動勢力の中国敵視政策に反対して、日中国交回復をかちとり、日中両国人民の友好を発展させ、中国革命を擁護する課題が重要だということから、中国革命の諸経験や毛沢東の理論と思想にたいする自主的、批判的態度を確立する問題があいまいにされ、逆に中国での事態や毛沢東の言動のすべてを無条件に正当視するような事大主義的傾向が、中国研究をはじめとするわが国の民主的思想、理論戦線の一部に根づよくはびこってきたことも、ひとつの要因として指摘されなければならない。

 さらに資本家団体や貿易関係者の一部にみられる「毛沢東崇拝」や「文化大革命」礼賛への盲従の傾向には、もうけのためには手段をえらばず、無法な大国主義的強要にも迎合する無節操な打算がつよく反映されていることを、見のがすことはできない。

 これらの、「文化大革命」礼賛論が、民主勢力の一部にあるさまざまのブルジョア的、小ブルジョア的反共主義とむすびついていることも重視しなければならない点のひとつである。かれらは最近の毛沢東の路線と「プロレタリア文化大革命」なるものの反マルクス・レーニン主義的本質を敏感にとらえ、とくに毛沢東一派が日本における唯一の前衛党としてのわが日本共産党にたいする攻撃と破壊活動を強化してきたことを歓迎し、「文化大革命」を「マルクス・レーニン主義の破たん」のあらわれとして期待しつつ、毛沢東らにならって、「既成のマルクス・レーニン主義」に疑問と批判を提出し、前衛党にたいする非党員「紅衛兵」の「むほん」に賛成したり、日本共産党が「路線転換」をしたとか「反中国」になったとかいって批判したりするなどなどのかたちで、共通してマルクス・レーニン主義とそれを堅持するわが党にたいする攻撃をおこなっている。最近では、雑誌『現代の理論』などにみるように、一部の反党修正主義者までが「文化大革命」礼賛とそれによるわが党攻撃にくわわっている。

 そして西沢隆二、安斎庫治、岩村三千夫ら反党対外盲従分子や黒田寿男ら日中友好運動内部に発生した盲従分子は、これらの傾向をも利用し、またわが党が、日中両党間の関係の悪化をふせぎ団結の回復をのぞむ立場から、これまで今日の「毛沢東思想」や「文化大革命」そのものにかんするマルクス・レーニン主義的批判を明確に公表することをひかえてきたことにつけこんで、「毛沢東思想」と「文化大革命」にたいする礼賛論を熱心に宣伝してわが党に攻撃を集中してきたのである。

 こうした事態のもとで、毛沢東らにたいする事大主義的崇拝の克服とむすびついた、マルクス・レーニン主義の原則の擁護は、わが党のもっとも重要な思想的、理論的課題の一つとなっている。とくに毛沢東一派が「毛沢東思想」の絶対化と「文化大革命」の礼賛を日本人民におしつけつつ、わが党にたいする敵対的態度をつよめ、その礼賛をうけいれずにマルクス・レーニン主義の原則と自主的、批判的態度を堅持するわが党の「打倒」を公然とよびかけたことは、現代の毛沢東の言動と「プロレタリア文化大革命」の評価が、このマルクス・レーニン主義の原則をまもりぬく思想、理論闘争において、すでに放置することをゆるさない課題となったことを意味している。

 以上あきらかにしたように、毛沢東一派の極左日和見主義の理論と実践にたいして闘争し、反マルクス・レーニン主義集団としての毛沢東一派の本質を日本人民の前に解明することは、第一に、日本の革命運動と民主運動の自主性をまもりぬくためにも、第二に、マルクス・レーニン主義の学説の正しさを擁護するためにも、第三に、すべての反帝民主勢力の国際的団結と国際共産主義運動の真の団結をかちとるためにも、今日、日本共産党がはたさなければならないもっとも切迫した、もっとも重大な任務のひとつなのである。


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