14.共産党は糾弾する――根源の「毛沢東思想」にメス


一貫して根絶を主張

 これまでみてきたように、「連合赤軍」を名のる毛沢東盲従の暴力集団がひきおこした今回の事件は、毛沢東盲従路線、トロツキストの路線のいきつくところが、まさに "鉄砲プラス虐殺 "であったことを万人の前にしめしました。

 それだけにこの事件は、トロツキストなどの暴力集団を「泳がせ」てきた政府、自民党の重大な責任をはじめ、かれらを甘やかし、あるいはけしかけてきた一部の文化人や政治家の責任、興味本位の扱い、あるいは事件の中心点をさけてきた一般報道機関の姿勢、さらには各政党の態度など、さまざまな問題を国民の前になげかけました。

 デマを職業とする「勝共連合」や自民党の荒船代議士などは、ここぞとぱかり、この事件を日本共産党とむすぴつけようとしています。しかし、日本共産党こそが一貫して暴力集団を糾弾し、それらの根絶をめざしてきた政党であることは、故意に事実をねじまげようとしているもの以外はだれでも認めているものです。

 たとえば、世間では「反共評論家」で通っている細川隆元氏でさえも、三月十九日のTBS「時事放談」で、前総評議長の太田薫氏と対談してつぎのようにのべています。

  細川:この問題(暴力集団への態度)について、共産党はうまい。いままでずっと批判してきた。社会党はもたもたしている。

  太田:(うなずいて)わたしは、すでに東大闘争のときに、かれらにたいする態度をはっきりさせておかねば、将来たいへんなことになると予言した。そのとき江田がかれらを公然と支持したのだ。

  細川:その点、共産党はきぴしい。点数をあげている。

 トロツキスト暴力集団が最初に暴力的妄動をはじめたのは一九五九〜六○年にかけての安保闘争。このときかれらは、共産党など民主勢力を「日和見主義」とひぼうし、自分たちを安保反対勢カのようにみせかけながら、実は裏で警視庁幹部や反共右翼の田中清玄と連絡をとって国会突入などの妄動をくりかえしたのです。

 この最初のときから、日本共産党はかれらの蛮行を糾弾し、その正体をあばいてきました。

 「(トロツキスト暴力集団は)国際共産主義運動と日本共産党の破壊を綱領とする反革命挑発者であり、民主勢力の中に送りこまれた敵の手先である」

 一九六○年一月に開かれた日本共産党中央委員会総会決定はこのようにのべているのです。この共産党の立場は、六七年の羽田事件、六八年の佐世保事件、六九年の大学闘争、七○年の種々の妄動、七一年の沖縄闘争などにさいしても、一貫して堅持されてきました。これは社会党が一時期、トロツキスト暴力集団を「同盟軍」(一九六八年、井岡大治元国民運動局長)と規定したりして動揺したのと対照的です。

終始批判した唯一の政党

 また「鉄砲から政権がうまれる」などという毛沢東の「人民戦争万能」論、「唯武器」論を批判し、毛沢東盲従分子と終始一貫してただかってきたのも、日本の政党のなかでは共産党だけでした。

 「連合赤軍」が、トロッキスト「ML派」から分かれた「京浜安保共闘」と「赤軍派」とが「毛沢東思想」を共通の旗にして合体された毛沢東盲従集団であったことは、かれら自身の語っていること。かれらは梅のむこうの毛沢東一派からの激励のもとに、毛沢東の一言一句を盲信し、毛沢東が指導した紅衛兵運動をサルまねし、鉄砲にかけ、仲間同士の殺し合いをやり、自滅の道をつっ走ってきたのです。

 いまでは、羽仁五郎など一部の無責任な連中をのぞいて、だれもが、「連合赤軍」の蛮行を非難しています。このなかでとくに日本共産党は、かれらの蛮行の背後にある「毛沢東思想」にまで奥深くメスを入れ、政府・自民党の泳がせ政策の糾弾とあわせ、その絶滅の方向をさししめしてきました。

自主独立の立場を堅持し奮闘

 三月十日に発表された日本共産党の榊書記局員談話は、つぎのようにのべています。

 「わが党は、外国勢力の干渉およぴそれへの盲従とたたかい、自主独立の立場を堅持して、国民多数の総意にもとづく政治革新のために全力をつくすものである。わが党は、『連合赤軍』のたぐいの盲従・暴力集団を粉砕し、その妄動と蛮行を根絶するため、ひきつづき国民とともに奮闘する」

(「赤旗」1972年3月26日〜4月8日)

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