3.周波数1040kc――深夜、海のかなたから扇動


人気番組と紙一重の周波数

 能敬(二二)=リンチで死亡=、倫教(一九)、元久(一六)=いずれも「あさま山荘」で逮捕=三兄弟の父「加藤益男さんは、事件後に書いた手記のなかで「下のこどもたちが、兄の影響を受けているのを知ったのは昨年の春ごろからだった。深夜、中国の海外向け放送を聞いているのをみて、激しくおこったこともある……」とのべています。

 その「中国の海外向け放送」=「北京放送」は、高校生の手紙などを取りいれた人気番組「ABCヤングリクエスト」(一○一○キロサイクル)と目盛りの針一幅ちがうだけの一○四○キロサイクルで毎夜、強力な電波で日本語の放送をつづけています。

 「こちらは、ペキンホーソーキョクです。日本の同志のみなさん。友人のみなさん。毛主席の語録をお送りします……」こんな調子で毛語録にはじまり、毛語録に終わる放送。加藤兄弟らも『毛沢東語録』や『ゲリラ戦教程』をかたわらにおき、深夜ラジオにかじりついてこの放送に聞き入っていたのです。加藤益男さんがそれに気づいたのは「昨年の春ごろ」といいますが、加藤兄弟らはそれ以前からも聞いていたでしょう。いったい北京放送の内容はどんなものだったのでしょうか。

トロツキスト賛美の数かず

 七○年の十月二十一日、二十三日の北京放送は「佐藤訪米阻止」をかかげて、「革マル」「全共闘」などのトロツキスト暴力集団が東京の青山通りなどで、駐車中の車十数台を焼きはらい、路上にバリケードを築いてあばれまわったのを「機動隊との激しい肉弾戦」「日本人民の英雄的な闘争」と手放しで賛美していました。

 なおその数日前の十八日の放送では、京都の相田某という "進歩的青年 "が「敢然と大学を中退して毛沢東思想を活学活用した経験を紹介する」とのべ、かんだかい扇動的な口調で「宮本集団(注・日本共産党のこと)のまきちらしている議会主義の幻想をあますところなく批判し、毛主席の『鉄砲から国家権力が生まれる』という教えがまったく正しい真理であり、日本革命もかならず鉄砲にたよって成功させることができるということをつかんだのでした」などと放送しました。

訪中団を通じ "毛思想 "強要

 毛沢東一派のトロッキスト暴力集団への支持、激励は、北京放送だけでなく、「人民日報」はじめ多くの出版物でもくりかえされてきました。そればかりではありません。 "人事交流 "を名目に、訪日した中国の代表団や、日本の毛沢東盲従集団が送りだした訪中団を通じて、直接、毛沢東思想の強要がおこなわれています。

 中国で例の紅衛兵が「毎日毛沢東思想を身につけさせ人民戦争の理論を身につけさせ、反帝、反修の火薬のにおいのするものでなければならない」(六六年の壁新聞)とさけべば、訪中団を送り出す日本の毛盲従集団も「プロレタリア文化大革命に対する理解を深め……帰国後は……文化大革命の意義と内容を日本の各界各層の婦人に紹介し、友好連動を発展させる」(一九六七年、日本訪中婦人代表団派遣要綱)といったぐあいです。

 この目的にそって、訪中団は「旅行中、一日五回も毛主席語録宣伝隊の "だしもの "にぶつかる」(毛沢東に盲従して日中友好協会から分裂、脱走した連中の機関紙「日本と中国」六七年一月十六日付)ほど "教育 "されて帰国しています。

"一日入隊 "で鉄砲を訓練

 果実友好代表団の一員として訪中した果実商のYさんは「参加しないと "反中国 "といわれて商売にさしつかえるので行ったのですが、いやはやひどいもんでした。目的の果実栽培はみせてもらえず、一日中、学習と語録の暗唱ばかり。民兵の軍事訓練もみせられましてね。鉄砲をうたせてもらった人もいます。こうした風潮が "連合赤軍 "みたいなのを生みだしたんですよ」と語っています。

 日本からの訪中団にはかならずといってよいほど、人民解放軍や民兵訓練、戦跡を参観する "軍事コース "がふくまれています。

 六七年秋「若い婦人代表団」の一員として訪中した木村喜代子という女性は、北京郊外の人民解放軍 "一日入隊 "で「武器を握る勇気をもたなくてはならないということを痛感した」と、とくとくと書いています。「わたしたちも生まれてはじめて銃を手にしました。握り方さえもわからないのですが、みんなとびつくようにして射撃台のところに行っていました。……二発目からは心も落ちついて射つことができました。参観者がくるたびに実弾演習し、射撃させたらタマがとてもムダではありませんかといいますと、師団長はニコニコして『そう思うのはあなたが銃というものに理解を示しはじめた証拠です』といい……語録の贈物をしますと八六ぺージの一段を読んでくれました」(「日本と中国」一九六七年十二月十一日付)

 毛語録の「八六ページの一段」には「共産党員の一人ひとりは "鉄砲から政権が生まれる "という真理を理解すべきである」とあります。「鉄砲から政権が生まれる」は、いうまでもなく、「連合赤軍」が金科玉条としている文句です。

 こうした海の向こうからの電波、新聞、出版物、 "人事交流 "などによる鼓舞、激励、露骨きわまる干渉と、それに忠誠を誓う毛沢東盲従集団の扇動、教唆が加藤兄弟を育て、「連合赤軍」を生みだし、自滅へとかりたてていったのです。


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