8.「再編分化」論――むきだしの分派主義と解党主義の議論


八、「いま、日本でも……日中友好の運動を直接のきっかけとして大激動、大分化、大再編が始っています」。「大きな激動、大きな分化、大きな再編という情勢のもとでの闘争のなかで、私たちは少数の地位にあることをおそれず、孤立をおそれず、困難をおそれず、敢然と闘争し身を挺してまえへすすまなければなりません」。(中日友好協会に招待された山口県の反党分子古谷荘一郎の中国での発言。前者は広州でのもので、『長周新聞』六六年十二月十一日付、後者は北京でのもので、同十二月十四日付)

 いままでのところでみてきたように、だれが日中友好運動の破壊者であるか、だれが外部勢力の大国主義的干渉に盲従し、その手先になって、わが国の人民の自主的な運動に露骨な分裂を持ち込んでいるかは、もはや議論の余地なく明らかです。このような、ある特定の外部勢力の大国主義的干渉と、これに盲従するひとにぎりの反党分子の悪らつな分裂、破壊活動のいっさいを合理化するために利用されているのが、ここで古谷がもちだしている、いわゆる「再編分化」論です。

 この「再編分化」論は、外国の党の一部の指導者の主張を口うつしにしたもので、現在はあらゆる運動が「大激動、大分化、大再編」の局面をたどる世界革命のあたらしい時代であり、国際的にも国際共産主義運動や国際民主違動が分裂するのはさけられないし、日本でも「革命的分子」があたらしい「革命的組織」をつくるために、現在の共産党の統一や規律を破壊するのは当然だという議論です。

 今日の情勢を第ニインタナショナルの崩壊の時期と教条主義的に同一視し、それによって国際共産主義運動の全面的分裂の促進を積極的に合理化しようとする「再編分化」論の誤りについては、すでに六六年八月八日付論文などのなかで、くわしくあきらかにされていますが、「再編分化」論の分裂主義的破壊的性格は、それが、わが党および日本の民主運動にたいする破壊、かく乱行動の道具となることによって、いっそう浮きぼりにされてきました。

 西沢(隆)や山口県の福田、原田ら一派などの反党分子は、この「再編分化」論をまもり札にして、わが党にたいする破壊策動に全力をつくし、そのみにくい反党活動の正体が暴露されると、「日本共産党が修正主義の党に転落したのだから、これに反対しでたたかうことは正しいことである」「党中央が修正主義におちいったときには、党規律にしばられる必要はない」と公然とさけんでいます。これら反党分子の策動は、マルクス・レーニン主義党の組織原則をおおっぴらに否定し、公然と党の分裂と破壊を説くもっとも極端な解党主義の実践にほかなりません。

 「再編分化」論なるものは、こうした反党活動を合埋化するためにもちだされているものですが、日本共産党をなんの根拠もなしに「反革命」とののしり、これにたいする破壊策動を当然の「革命的」行為として合理化する「再編分化」論は、もっともむきだしの分派主義、分裂主義の議論であると固時に、これらの反党分子が特定の外部勢力への盲従のために、まさに「反革命的解党主義」(第十回党大会での中央委員会の報告の結語)にまで転落していることをいっそう暴露したものです。

 対外盲従の反党分子は、「日中友好の運動を直接のきっかけとして……」という古谷のことばがはしなくも示しているように、この「再編分化」論を日申友好運動の分野での分裂策動の道具として用い、さらに日本アジア・アフリカ連帯委員会、日本ジャーナリスト会議その他多くの民主的大衆団体にたいする分裂と破壊の工作を合理化するために使い、分裂組織の結成は「正義」の行動であるなどと称しながら、分裂策動を拡大しています。

 しかし「再編分化」論にもとづく対外盲従分子の策動が、日本の民主運動、国際友好運動を日本人民自身の運動として自主的に発展させる立場と縁もゆかりもないことは、一部の外国の通信社が、これらの分裂策動を公然と支持して、最近の日本国内にわける日中友好運動の状況についてつぎのようにのべていることからもあきらかです。

 「日中友好運動には最近、大変動、大分化、大再編の新しい状況があらわれている。……偉大な毛沢東思想の光のもとに、共同の敵米帝国主義に反対することを基礎とする日中友好運動は、急速に前進し、発展しており、逆らうことのできない大きな流れとなり日本列島をまきこんでいる。……この大変動、大分化、大再編の過程のなかで、もっとも目立つ特徴は、日本の友人が毛沢東思想で日中友好運動を指導していることである」。(六六年十二月十二日)

 対外盲従分子も、おうむがえしにこれと同じ主張をくりかえしています。つまり、「再縮分化」論とは、結局、特定の国の一部勢力の方針に盲従するか、しないか、ある指導者の思想を支持するか、支持しないかで、すべてを「味方」と「敵」により分け、また、国際太好運動における自主・平等・内部問題の不干渉の原則を守って真の日中友好の運動を発展させようとする多くの人びとに「反中国」という卑劣なレッテルをはりつける根拠に使われているのです。

 日中友好運動を特定の外国の党の一部の指導者への盲従運動にかえる、これにたいして日中友好運動の自主的統一を守りぬこうとする人びとをすべて「反中国」とひぼうするとともに、組織の分嚢や新たな分裂組織の結成を「歓迎」し、そのための活動に全精力をささげる――これが、現在、日中友好運動にたいして対外盲従分子が持ち込んでいる「再編分化」論の「理論」と実践のありのままの姿です。これが、日本人民の運動にたいするきわめて露骨な分裂主義であり、反人民的なものであることは、もはや多言を要しません。

 日中友好運動にわける対外盲従分子の「再編分化」論にもとづく策動が、いかに反人民的なものであり、米日反動勢力の日本人民にたいする支配を助ける許しがたいものであるかは、かれらが特定の外国に追髄するものとなら、たとえだれであろうと手をにぎろうとしているという一事をみただけで明らかです。このためにかれらは「統一といい、分裂といい、ただそれだけにとどまって評価することはできない。……重妻なことは、原則を堅持し、原則的でない問題では大いに妥協もする、ということである」などといっています。(「長周新聞」一派の反党雑誌『革命戦士』二号、「第一回全県活動者会議の結語」)

 「大いに妥協もする」相手とはだれか。かれらは「保守勢力の中でも、反米・親中国の気運」が拡大しているなどといって、実際には日本独占資本の利益を基本的に代表する自民党の一部勢力を「味方」とみなし、これと無原則的に「連合」する策動さえすすめています。

 たとえば、かれらは露骨に「自民党の左といわれている人たちは、アメリカの支配を破って中国貿易、東西貿易をやろうとしている」のに、日本共産党は「これにくらべて問題にならないほど反動的だ」とまでのべています。(『長周新聞』六六年十月二十六日付)

 この事実は、口先ではしきりに「革命的」言辞をもてあそぴながら、実際行動では、日本共産党に打撃をあたえるためにはどんな勢力と「運合」することもいとわない、かれらの反革命的無原則性を、なによりも雄弁に暴露したものです。

 対外盲従分子は、外国の特定の指導者の思想の旗をかかげた「再編分化」論で、わが党と日本の民主運動にたいする破壊活動の合理化につとめながら、「日本共産党反対」の旗じるしで「一致」できるものとなら、たとえだれであろうと手を結んで、そのかく乱活動をおしすすめようとしているのです。したがって、われわれはかれらのすべての策動にたいして断固たる打撃をくわえ、これを粉砕していかなけれぱなりません。

(『赤旗』1967年1月14日)

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