7.意見の相違による「弾圧」というデマ


七、「日本共産党の目にあまる破壊活動に、日中友好をねがう多くの共産党員は離党してしまいました。まちがった路線をただそうと努力する党員も多くいますが、こうした党員にたいして、日本共産党は査問、除名といった手段で "弾圧 "を加えている。……党員は、党の決定に服するが、除名覚悟で日中友好をえらぶか、二つに一つの道しかない境地に追いこまれ」ている。(日中友好協会からの脱走分子の文書)

 このハムレットばりのことば使いも、対外盲従のためには党規律をじゅうりんして恥じないかれらのみにくい破壊活動をおおいかくすことはできません。

 まず、国際友好運動にたいする「日本共産党の目にあまる破壊活動」というかれらの非難が、まったくのデマゴギーであることは、すでにくわしく説明してきたとおりです。さらにここでは、かれらは、わが党が「まちがった路線をただそうと努力する党員」に「 "弾圧 "を加えている」「日中友好をねがう多くの党員は離党してしまった」などというもう一つの非難をつけくわえていますが、これまた事実をねじまげ、デマの上にデマをかさねたものでしかありません。

 脱走分子自身がいちばんよく知っているように、対外盲従の立場から、恥ずべき転落をとげた「共産党員」は、かぞえるにもたらないほどの少数にすぎず、文字どおり党史上最大の勢力となっているわが党の「多くの共産党員」は、離党するどころか、ますます党中央のもとに団結し、第十回党大会の決定に確信をもって、総選挙闘争をはじめ当面の諸課題の遂行にとりくんでいます。

 なるほど、ごく少数の分子は、対外盲従を「日中友好」のコロモで包みながら、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場を堅持するわが党の路線に反対し、公然と規律をやぶった分派活動をおこなって、わが党に敵意にみちた攻撃をくわえ、ついに反党分子に転落していきました。これらの反党分子が、わが党から追放されたのは当然のことです。

 そして、ここでとくに指摘してわがなければならないのは、かれらが見せかけようとしているように、かれらは「日中友好」をめぐる意見の相違のために、除名されたのでは全くないということです。そもそも全党員の党生活と党活動の最高の基準である規約は党員が党の方針や攻策と異なった見解や意見をもったというそれだけの理由で、組織的処分をおこなうことを許しておらず、わが党は、反党修正主義分子にたいしても、また教条主義的反党分子にたいしても、かれらが党の方針にたいして異論をもっているからという理由で、除名したりしたことは、けっしてありません。

 わが党が「長周新間」一派や西沢隆二一派など、反党対外盲従分子を除名したのも、かれらが、特定の外部勢力に、盲従する立場から、党規律をじゅうりんして反党分派活動をおこない、さらには公然と党に敵対する党破壊の策動を開始したからです。

 わが党の規約に明記されているように、党規律のじゅうりんと反党分派活動は、マルクス・レーニン主義党にとって、いかなる場合にも許されないものです。

「民主主義的中央集権制にもとづき、党員の自覚と厳格な規律による全党の統一と団結こそは、党の生命であり勝利の保障である。したがって、すべての党員は、いがなる場合にも党の統一をかたく守らなくてはならない。意見がちがうことによって組織的な排除をおこなってはならない。また党規律をみだし、決定を実行せず、統一をやぶり、派閥をつくり、分派清動をおこなうことは、党を破壊する最悪の行為である。党内では、党の政治方針や組織原則をそこなうような行動はゆるされない」(党規約前文の四)

事実をみてみましょう。

 たとえば、山口県の福田、原田一派についていえぱ、かれらは六六年六月ごろから、党にかくれて党を「分裂」させる工作やそのための徒党的な密議をくりかえし、さらに外部勢力のわが党にたいするなかぱ公然とした中傷や内部干渉に呼応して、『長周新聞』などを利用した反党活動を開始しました。そして、この反党分派活動があきらかになり、党からその事実を追及されると「党中央が修正主義になった以上、党規律にしたがう必要はない」と公言し、「革命的左派」などと名のって公然と党破壊の旗をあげたのです。このまぎれもない党規律じゅうりん、党破壊の策動こそ、わが党がかれらを除名した理由です。

 また聴濤、伊佐ら北京の反党暴カグループも、党中央の指導のもとに活動する『赤旗』特派員紺野純一同志にたいし、紺野固志が党の立場を守っていることを口実として、右翼のテロリスト同然の襲撃をおこない、二時間にわたる暴行の末に右眼球内出血、全身打撲の重傷を負わせるという、恥しらずな党攻撃をおこなったために、断固、除名の処断をされたのです。

 西沢隆二の場合は、もっと明白です。かれは六六年八月下旬にひらかれたわが党の第九回大会第六回中央委員会総会で、第十回党大会にたいする中央委員会報告案に反対したとき「意見はちがっても党の決定にはしたがう」ことを中央委員会に約束しました。ところが西沢は、その後党にかくれてひそかに反党的分派活動をおこない、第十回党大会の直前の時期をねらって、党へのデマ攻撃をただ一つの目的とした反党雑誌『毛沢東思想研究』の発行の陰謀をすすめたのです。第七回中央委員会総会が、この卑劣きわまる裏切り者を断固除名し、かれの陰謀に鉄槌をくわえたのは当然なことです。

 日中友好協会からの脱走分子となった一連の人物が党から除名されたのも、かれらがたんに党の方針に意見をもったからではなくて、党の方針に反対し、党規律をじゆうりんして公然と反党活動に走っていったからです。これら一連の反党分子の党破壊の策動にたいして、わが党が断固たる処断をおこなったことは、かえってわが党がマルクス・レーニン主義の原期にしっかと立ち、いっさいの党破壊の策動を絶対に見のがさないという健全な党であることを示すものです。

 わが党のこのような態度をさして、「党員は、党の決定に服するか、除名覚悟で日中友好をえらぶか、二つに一つの道しかない境地に追いこまれ……」などというのは、それこそ当人たちが平気でマルクス・レーニン主義と日本革命の事業を裏切り、外都勢力の大国主義的干渉に盲従して、恥ずべき党破壊を最大の目的とした手合いになり下がっていることをみずから告白するものでしかありません。しかもかれらが、問題を意図的にすりかえ、あたかもわが党が異なる意見をもつ同志にたいして見さかいなく「査間、除名」をおこなっているかのようにゆがめ、さらにそれを「弾圧」などとよび、わが党を反動的国家権力と同格化しようとさえしているのは、絶対にゆるすことができません。

 ついでに指摘しておけば、かれらのこうした党攻撃のやり方は、かつて、フルシチョフに代表される現代修正主義の国際的潮流に盲従して日ソ協会から脱走し、別に「友好」と銘うった組織をでっちあげ、これを党攻撃の足場の一つにしようとしてきた志賀ら反党修正主義者の場合と、まことによく似ています。この修正主義者と似かよった道にそって党破壊活動を追いもとめているところに、かれらの事大主義、解党主義の醜悪な結合を見ることができます。


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