6.外国歌舞団の公演をめぐる党攻撃


六、「中国の天津歌舞団が、労音の招きで、日本を公演したさい、松山では二千人の会場に五百人しかはいりませんでした。松山日中友好協会支部は五百枚の券をひきうけながら、じっさいに売った数は三十枚もありませんでした。日中友好の看板をかかげながら、活動家は、党の司令をまもって、券を売らなかったのです。こういう日中友好協会ならない方がましです。
 また名古屋では逆に、券は売りましたが、客席にすわった党員は指令にしたがって、舞台に毛沢東の像が現われると、ゲラゲラ笑い声を立てて、公演をぶちこわそうとしたのです」。(日中友好協会からの脱走分子の文書)

 卑屈な対外盲従分子が一般の常識さえわからなくなり、すべてを党攻撃に逆用するまでになっていることを、右の文章はひじょうによく物語っています。

 まず、はっきりいっておきますが、松山の日中友好協会支部が党の「指示」で天津歌舞団の入場券を売らなかったというのはまったくのデマで、北京歌舞団にひきつづいて公演がおこなわれたにもかがわらす、会員はけんめいに券売りに努力していたのが、まぎれもない事実です。

 また、わが党は、六六年中国から来日した二つの歌舞団に限らず、いままでにおこなわれた内外のいかなる劇団や歌舞団の公演についても、このような「指令」を出したことはありません。

 そもそも天津歌舞団は、全国労音連絡会議と日中文化交流協会の拍きで来日したものです。それを観客がすくなかったのは、共産党の指令のためだ、観客が笑ったのも共産党の「指令」だというように、何もかも、すべて共産党の責任にするのは、事実に反しているたけでなく、常識からさえだいへんかけはなれた、まったく笑うべきデマだといわなければなりません。さらに、ここでつぎのような事実を指摘しておく必要があります。

 日中友好協会はいままで、いくたびか来日した中国の芸能団体の公演にあたって、いつも精力的に、その成功のために努力してきました。それは、いままで、相互信頼、内部不干渉の原則をお互いに守って、公演がおこなわれてきたからです。ところが、最近の外国歌舞団の公演にあたっては、このような原則が、外来者の側から破壊され、公演にいろいろな困難がもたらされました。

 たとえば、札幌労音の機関誌六六年十二月号では、観客にたいして「欲しくもないプログラムを押しつけた」り、「なまなましい思想のおしつけ」があり、「ある政党を攻撃する新聞が、すごいいきおいで配られていた」ことについて、「主催者にたいして、投書や意見がたくさん寄せられている」などの問題が指摘されています。しかもこのような事態は、「団に随行してきた若干の在日外国人が、労音の活動家にたいし、 "ここで配れ "と命令」したり、「実行委員会の二十回以上におよぶ申入れや抗議はすべて無視され、約束は口先だけになり、実行委の内部にまで立ちいる干渉がなされた」結果、起こっているものです。また日本共産党から寄贈された花かごはロビーにかざられず、実行委員会の意見も無視して「舞台裏の奈落に運ばせ」たということです。

 また、愛媛県の新居浜での外国歌舞団の公演のさいには、「われわれの友人とあわせてほしい」という言い方で、すでに日本共産党から反党分子として除名されている志田一派につながる反党教条主義分子の石村、田坂、京野の三名を指名し、かれらとあわせるように労音活動家に強要してきました。労音活動家が初めに取決めたスケジュールにないといって断わると、「われわれの友人にあわせないとは、中日の友好を妨害する気なのか。どうしてもあわせないというのであれぱ、われわれの手で、街中を歩いてでも探し出す」という態度に出ました。これらの三名には結局、歌舞団団長からわざわざ招待券が届けられ、かれらは例会にも参加し、その夜は十一時すぎまで副団長の部屋で懇談をしました。翌朝、旅館を出発するときも、反党活動で除名されたこれら三名がとくに歌舞団幹部の付近にいて、談笑と堅い握手を交互にかわしていました。

 また高松での公演のさいにも、新居浜と同じ状況がみられました。すなわち日中友好協会高松支部の支部長を通して、高松支部で日中友好運動の妨害者として大衆にも知られている人物二人を、歌舞団側の名ざしの強い要請であわせるようにと迫ってきました。

 このように外国歌舞団の公演をめぐる事実は、わが党による公演の「妨害」などという反党分子の中傷が、他の一連の中傷と同じようにまったく根も葉もないデマであること、そして反対に、歌舞団の公演が、経済貿易展や婦人代表招待などと同じように、わが党と日本の民主運動にたいする破壊、かく乱活動に利用されたというのが事態の真相であることを、はっきりしめしているのです。


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