5.婦人運動の分野での分裂策動をめぐって


五、「これまで、中国婦人代表団の歓迎は延期すべきだと主張していた日本共産党の指導下にある『新婦人』に積極的にカンパもしましょう、動員をしましょう、と歓迎実行委員会に申し入れさせました。しかしかげでは機関を通じて "中国婦人代表団 "歓迎に積極的にとりくむのは、わが党の正しい路線が勝つか、中国のまちがった踏線をかつぎまわる"盲従主義者 "が勝つかの決戦場だからであるという指令を流し、 "中国婦人代表の長広舌を封じるため、弁の立つ活動家を配置してこちらも長い挨拶や質問で時間をとれ "こちらで組織する交流集会には悪影響をさけるため大衆はなるべく参加させず、活動家でかためようと芸のこまかい対策を下部組織に立てさせている」。(日中友好協会からの脱走分子の文書)

 これは、対外盲従分子が婦人戦線における分製、かく乱活動をおしすすめる道具として、最近新たにもちだしているデマゴギーの一つです。

 対外盲従分子たちは、このたびの中国婦人代表団(楊蘊玉=中国婦女連合会書記=団長以下七名、六六年十二月七目来日して六七年一月六日に離日)の来日を、かれらの日本共産党攻撃、婦人運動の分裂策動のため最大限に利用しようとしてきました。

 これは、中国婦人代表団を迎えるために各層の婦人が参加して自主的、民主的につくった「中国婦人をお招きする会」の中でかれらがとってきた行動をみれば、あきらかです。(くわしくは、『赤旗』六六年十二月十日付に掲載された新日本婦人の会「『中国婦人をお招きする会』の経過について」参照。)

 たとえば、対外盲従分子たちは、六六年十月二十五日の日中友好協会第十三回常任理事会で、いわゆる「日中両国友好協会の共同声明」なるものを日中友好運動のなかに "踏み絵 "としてもちこみ、失敗したとみるや、みずから日中友好協会から脱走しました。そして、かれらは、「中国婦人をお招きする会」のなかにも、この「共同声明」なるものをもちこみ、これを「踏み絵」として、この中国婦人代表歓迎という一点で結集した婦人の統一行動を分裂させる策動に躍起となってきたのです。

 すなわち、日中友好協会からの脱走分子の一人で「お招きする会」の事務局長をしていた斎藤きえは、脱走後、新日本婦人の会(新婦人)、日本婦人団体連合会(婦団連)などに全然知らせずに一方的な会合をひらき、冒頭「『共同声明』を支持しないものはこの席からお引きとりねがいたい」と露骨な発言をおこない、さらに婦団連、新婦人は「共同声明」を支持していない、したがって "非友好の団体 "であると一方的にきめつけ、その代表の退席を追りました。

 こうした言動は、もちろん「お掲きする会」の正式の会議できめられたものではなく、ただ特定の少数の人間がかたらっておこなったものにすぎません。しかも、これらの少数の対外盲従分子たちは、その一人が「お招きする会」の事務局長になってきたという特殊条件を利用して、非礼にも、婦団運と新日本婦人の会がすでに支払っていた分担金までも、「貴団体は真に日中友好を願う団体とはみとめられ」ないから出ていけという文書をつけて、返してきました。また、個人で中国婦人代表歓迎資金として募金していたひとにたいしても、そのひとがかれらの主張に追随しないようだと判断した場合、排他的な文書をつけて送り返すという非常識なことまでおこないました。

 かれらが、このような非礼かつ不法なことまでして、分裂策動を強行したわけは、つぎの事実をみただけでも明らかです。すなわち、かれらは「お招きする会」における前記のような条件を利用して、同会から新婦人や婦同連関係の人びとを排除したと称しながら(実際には、正式の会議できまったものではなく、ただ少数者がかたらって右のような非礼な行動に出、勝手に「お招きする会」の看板をかついでいるだけです)、さっそく中国婦女連合会あてに、つぎのような電報をおくったのです。「すべての妨害分子を排除しました。安心して来日いただけるよう準備をすすめています」と。つまり、かれらは、卑屈な対外盲従分子のいいなりにならず、自主的な態度をとる団体や個人との組織的 "分裂 "(事実上は自分らの脱走)を前提条件として、外国婦人代表団の来日のための「準備」をととのえたのです。

 この卑屈な、そして露骨きわまる分裂主義の立場から、かれらは、中央ばかりでなく、各地の「招く会」の中にも同様に「共同声朝」という "踏み絵 "をもちこみ、これを道具にして婦人戦線のかく乱と分裂策動をおこなっています。たとえぱ、六六年十一月七日付で、斎藤きえ名で各地の「招く会」に出した「通達」なるものには、「歓迎準備にあたっての要点」の一つとして、「各交流の場には共同声明に反対の人びとを寄せつけないよう、とくに駅頭での出迎えには注意」せよとしたためています。かれらは、羽田空港での出迎えには赤いリボンを、名古屋では青いリボンを、それぞれ自分たちの周調者につけさせ、このリボンをつけていないものは、「非友好分子」としてよせつけないという、一般の常識ではとても考えられないような行為を平気でおこなっています。

 そして、新婦人を脱走した中島千代、斎藤きえらを中国婦人代表団に随行させ、各地で、個人的知り合いや、訪中の経験があるなどの特定の条件をもつ新婦人府、県本部の代表委員や、母親連絡会の役員などにたいして、「楊団長に特別ひきあわせるから」などとさそいかけたり、共産党や新婦人を一方的にののしった文書を送りつける、などの分裂組織工作をおこなっています。そのやり方は、それこそ「微に入り、細にわたる」ものです。

 そして、これらの対外青従分子のお膳立てで訪日した外国婦人代表団は、来日後はやばやと山口県におもむき、十二月十七日に山口市でひらかれた最後の集会で、代表団長は「今年から日本人民の前に新しい課題がもちだされました。それは、一にぎりではあるが、ソ連現代修正主義の新旧さまざまな追従者、 "反中国 "の隊列に参加したものとのたたかいです」(十二月二十一日付『長周新聞』)と、暗にだれとたたかうかを示唆しながら「日本人民の……新しい課題」なるものを説いたのでした。この日の集会について、一部外国通信は、さらにつぎのように報道しています。

 「十七日、山口県各界人民は山口市で集会を開き、中国婦人代表団を歓迎した。席上……山口県の進歩的な婦人代表板倉澄子(注、日本共産党から除名された反党分子)は、反中国、修正主義の新日本婦人の会と決裂し、民主婦人同盟を結成したことを発表した。楊蘊玉団長は民主婦人同盟の成立を祝うとともに、新日本婦人の会との開係を断絶すると言明した」(六六年十二月十九日)

 問題はきわめて明白です。反党分子が、新日本婦人の会に対抗して「民主婦人固盟」なる分裂小組織を山口県でつくったのにたいして、外国婦人代表団の団長はこれを「祝う」とおおっぴらにのべ、新日本婦人の会とは「関係を断絶する」との態度を表明したのです。

 こうした内外の一部の人びとの言動が自主、平等、相互の内部問題不干渉という国際友好運動の原則をどれほどぶみにじり、両国婦人交流の基礎をどれほど破壊するものであるかは、注釈するまでもないことでしょう。

 対外盲従分子が、こうした一連のみにくい事実をごまかしながら、日本共産党を日中婦人交流の "妨害者 "にしたてあげるためにもちだしているのが、中国婦人代表を迎えるあたっての共産党の「指示」とか「芸のこまかい対策」といったデマゴギーなのです。かれらは、六六年十二月三日、東京での中国婦人歓迎集会でも、この種の根も葉もないデマ宣伝で、事情を知らない人びとをあざむこうとしました。

 なお、この機会に指摘しておけぱ、これらの対外盲従分子は、各層の広範な婦人を結集する新日本婦人の会や婦団連を共産党の「盲従者」ときめつけ、自主的民主的組織と日本共産党と正しい関係に裂け目をいれようと画策し、さらに、「修正主義に転落し」「アメリカ帝国主義と同じになった共産党に盲従している」などと悪口雑言をならべたてて、新日本婦人の会そのものを分裂させようとする策動にやっきになっています。

 これらのことは、対外盲従分子が、自主独立のマルクス・レーニン主義党の反対者であるばかりか、婦人の正しい国際交流と大衆的婦人組織そのものの反対者になりさがっていることを、かさねて示しているといわなければなりません。


もくじ

inserted by FC2 system