2.「反中国大合唱」――干渉と破壊活動をおおいかくすデマ


二、「彼ら(日本共産党のこと―引用者)は、日本の一億人民の九五パーセントまでが心から願っている日中面国人民の友好と固結を破壊して日本人民を反中国大合唱の仲間にひきずりこもうと躍起になっている」。(『長周新間』一九六六年八月二十八日付社説「三百代言では通れない」)

 これこそデマゴギー以外に共産党攻撃の方法がない対外盲従の反党教条主義分子の卑劣な正体をもっとも端的にしめしたもののひとつです。「三百代言」ということばは、かれらにこそ文宇どおりあてはまるものです。

 かれら反党分子のねらいは、日本共産党は「反中国の大合唱……に躍起になっている」というデマ宣伝を流すことによって、日中両国人民の友好を願う日本人民と日本共産党をきりはなし、日本共産党をかく乱しようとすること以外のなにものでもありません。

 あらためて説明するまでもなく、日本共産党は戦前においても、絶対主義的天皇制のきぴしい弾圧のなかで、創立以来一貫して日本帝国主義の中国侵略戦争と中国革命への干渉に反対して勇敢にたたかってきた唯一の党です。そのために、日本共産党員がどれほどの苦難にさらされてきたかは、すこしでも、歴史をひもといてみるならば、だれの目にもあきらかです。そして、現在の日本共産党員のなかには、中国革命に直接参加し、血を流してたたかったものも少なくありません。中国革命戦争のなかで生命をささげた日本人民も少なくありません。

 また、戦後も、わが党が、中国、ベトナム、朝鮮などアジアの社会主義国を各個撃破的に侵略しようとするアメリカ帝国主義の陰謀や、これに追従した自民覚攻府のアジアの社会主義国にたいする敵視攻策に断固として反対し、日本人民の先頭にたってこの陰謀を粉砕するためにたたかかってきたことは、だれ知らぬものもない明白な事実です。

 このプロレタリア国際主義の伝統を誇りとする日本共産党を、アメリカ帝国主義や佐藤内閣に呼応して「反中国の大合唱」とやらに人びとを「引きずりこもうと躍起になっている」などと中傷することは、まさに常軌を逸したものです。

 いったい、かれらは、なぜこのようなデマ宣伝を、執ようにわが党にたいしてあびせかけてくるのでしょうか。それはほかでもありません。かれらは、この「反中国うんぬん」という中傷を、六六年の春ごろから外国の一部勢力がわが党と日本の民主運動にたいしてくわえてきた不法きわまる干渉、かく乱活動と、それに迎合したがれら反党対外盲従分子の党と人民を裏切った破壊活動をおおいかくす「かくれみの」にしているのです。

 すでに(1)でのべたように、六六年四月、五月ごろから、ある社会主義国との国際的な交流活動のなかで、国際交流を利用して、その国の側の特定の主張、とくに日本共産党の方針に反対する見解を日本の民主運動におしつけようとする態度が、その国の幹都をふくめた人ぴとから全面的に示されるようになってきました。しかも、日本共産党員にたいしてだけではなく、自民党、社会党、無党派の人びとからなる代表団や観光団にたいしてまで、国際共産主義運動の問題をもちこみ、そのなかで暗に日本共産党の路線をひぼう、中傷し、日本の政党や団体に分裂をもちこむ発言をおこなってきたのです。

 こうした傾向は、七月にはいると、いっそう露骨なものとなり、ある人たちは「日本共産党は修正主義の立場にあるから、君たちが帰国したらそれをなおすよう奪闘してはしい」「自主独立踏線は修正主義だ」などと、わが党にたいするあからさまな名ざしの攻撃をくりかえしわこなうようになりました。さらに、そのころから、その国をおとずれた人びとのうちから、特別に人をえらんで個別的な工作をおこなう例も生まれてきよした。

 とくに、六六年七月末〜八月初句の第十二同原水禁世界大会をきっがけに、この攻撃はいよいよ乱暴なものとなってきました。たとえぱ、佐藤内閣が中国代表団の入国を拒否したとき、その国の党機関紙は、これは佐藤内閣と「ソ連修正主義の新旧の追随者」の共謀によるものだと書きました(この「新旧追随者」ということばが、わが党および対外盲従主義を拒否する自覚的民主勢力をさす代名詞であることは、のちに対外盲従分子たちがみずから「解説」してみせているとおりです)。それ以後、その国の新聞や日本向け放送のなかで、またその国のいろいろな団体がら日本の民主団体へのメッセ−ジなどのなかで、「ソ連修正主義の新旧の追随者」ということばをつかって、わが党と自覚由民主勢力にたいするあがらさまな攻撃が、公然とおこなわれるようになりました。また、その国を訪問するわが国からの代表団にたいしても、わが党を「修正主義の党」と非難することがら、さらにすすんで、わが党とわが党の指導者を名ざしでののしり、とても日本人民の常識では者えられぬ荒唐無けいなデマと中傷をあびせるまでになり、働きかけもわが党への反対をそそのかすというまったく卑劣なものにな っていきました。

 さらに重大なことは、これら外国の一部勢力が、党を裏切った反党破壊分子を公然と支持し、それぱかりか、かれらと結びついて、わが党と日本の民主運動にたいする分離、破壊活動を系統的に組織しはじめたことです。

 その国の党の機開紙は、第十二回原水禁世界大会以後から、日本原水協をひぼうした『長周新聞』の記事を転載していましたが(六六年八月十九日)さらに「長周新聞」一派の反党活動があきらかになり、わが党ががれらを除名したのちにも、その中心人物のひとりである隅岡隆春の外国青年代表団歓迎集会での発言をかかげました(一六六年九月五日)。隅岡のこの発言は、「長周新間」一派が、「日本共産党革命的左派」と名のって、公然と反党、党破壊の旗をかかげた最初の発言であり、外国の党機関紙がこの日の隔岡の発言を部分的にもせよ掲載したということは、わが党の内部間題への干渉、党破壊分子への支授として、きわめて重大な意味をもつものでした。

 ある外国の日本向け放送も、わが党の自主独立路線にたいして非難をくわえた福田、原田らの『長周新聞』の記事を、わが党を名ざした部分は避けながらもくりがえし放送し、事実上反党分子にたいする支持と連帯の態度を表明しました(六六年九月十三日目、十月六日)。

 こうした反党・売党分子への支持と激励は、最近では、わが党から除名された西沢隆二や原田、隅岡らをいろいろな名目で公然と招待し、とくに西沢にたいしては国際友人として大衆集会の演壇に登場させ、その国の措導者がかれと握手することまでおこない、機関紙上では西沢隆二を「同志」として報道するところにまで達しています。

 このようなことは、かつてフルシチョフを先頭とするソ運共産党指導部が、わが党を裏切った志賀一派を『プラウダ』において支持、激励したこととほとんど区別のつかない、わが党にたいする不法きわまる攻撃です。

 また、この峙機には、ひとにぎりの対外盲従分子による日本の民主団体、国際友好団体にたいする分裂破壊活動がいっせいに公然と開始されましたが(その内容は(4)を参照)、その国の新聞や放送は、わが党や自覚的民主勢力を「非友好分子」だときめつけ、公然と分裂の旗をかかげて国際友好団体や民主団体から脱走した分裂主義者たちの声明や発言をつぎつぎにとりあげています。そのなかには、党を除名された古谷荘一郎、島田政雄、大塚有章、雨宮礼三、佐藤重雄、福国正義、穴追隆之、板井庄作などの名前がくりかえしでてきます。しかも外国の日本向け放送は、これらの反党分子にたいして、「最大の信頼と断固たる支持を表明する」、「友好に反対するさまざまな現代惨正主義分子とあらゆる往来を断絶し、かれらの仮面を徹底的にはぎとることを、あなたがたに保障する」などとのべ、その分裂破壊活動への熱烈な共感を強調しているのです。

 外国の一部勢力によるわが党と日本の民主運動、総じて日本の革命運動にたいするこのような干渉が、「それ自体許すことのできない反マルクス・レーニン主義的行為」であり、「社会主義の精神とプロレタリア国際主義に反するもっとも恥ずべき行為」(第十回党大会にたいする中央委員会の報告、『前衛』六三ぺージ)であることは、いうまでもありません。そして、この種の大国主義的干渉に迎合、盲従して、わが党と日本の艮主運動にたいする破壊、かく乱活動に狂奔している対外盲従分子は、それによって、日本人民の利益をまっこうから裏切っていると固時に、国際友好の事業の基礎をも破壊しようとしているのです。こうした行為を「日中友好」などの名によって合理化することが許されないのは、きわめて明白です。第十回党大会決定が強調しているように、一部外部勢力の干渉やこれに迎合する対外育従分子の破壊活動を粉枠する闘争は、日本の革命運動の強化のための闘争であると固時に、真にプロレタリア国際主義にもとづく国際的な連帯の基準を擁護する正義の闘争にほかなりません。

 ところが、「長周新聞」一派は、一部外国勢力の不当な干渉に卑劣に迎合、盲従する立場から、干渉をけっして容認しないわが党の正当な自明の態度にたいして、「日中両国人民の友好と団結を破壊する」ものだとか、「反中国大合唱」だとかの悪ばをはなっているのです。一事が万事外国の一部勢力のいいなりになることをもって「友好」だとするかれらの立場は、一種の「買弁」的な立場であって相互の自主・平等の立場に立脚する真の友好とはなんのかかわりもありません。「反中国」をうんぬんするかれらの悪ばは、ただ事大主義、対外盲従のあわれな姿をかくす「かくれみの」にすぎません。

 さらに、「長周新聞」一派や西沢隆二一派などは、「相手のない友好運動はない」などといって自分たちの対外盲従と事大主義を「大国の権威」で合理化し、正しい友好運動の原則を堅持している人ぴとにしきりに攻撃をくわえています。だが、国際友好運動はたんなるせまい一時的な人事交流だけに限定されるものではなく、両国人民の真の客観的な共同の利益にもとづいて、長期の展望にたって相手国人民との真の友好をすすめることを基本にして発展させられなければならないものです。自主、平等、内部問題への不干渉などの原則を放棄した盲従主義、事大主義の態度から生まれるものは、両国人民の真の友好や団結とは無縁な命令と服従の関係だけです。そして、わが国における国際友好運動がなによりもまず、日本人民自身の運動であることを忘れさった対外盲従分子たちの「友好運動」は、たとえそれが、相手国の一都勢力の支持と激励のもとに、人事交流などを表面的には一時活発にすることができたとしても、けっきょくは運動を日本人民からきりはなし、固際友好の事業の基礎をほりくずす役割をはたすだけであり、かれら自身、日本人民から見難されてあわれむべき没落と破たんの道を たどるだけです。

 われわれは、第十回党大会決定がのべているような、真の国際友好と団結の放をいっそう高くかがげ、活動をいっそう強化しなければなりません。

 「今日、現代修正主義と教条主義、セクト主義の両翼の誤りと結びついた外国勢力の干渉を排除して、日本の民主運動の自主的な団結を堅持することが、きわめて重要になっている。……大国主義的干渉に反対し、すべての大衆運動のなかから事大主義を一帰するためにたたかうことは、たんに日本共産党の問題であるだけでなく、日本人民自身の運動の自主的統一を守るために絶対に必要な課題である」(『前衛、第十回党大会特集I』三五〜三六ぺ−ジ)

 「われわれは、自主・平等・相互干渉の原則をまもりながら、すべての社会主義国の人民との連帯と友好、すべての社会主義国との国交の正常化と交流の自由、平等互恵の貿易のためにたたかわなくてはならない。とくに英雄的なベトナム人民にたいする支持と連帯の強化、ベトナム民主共和国、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化、『二つの中国』反対と日中国交回復などの運動の先頭に立ち、いっそう積極的に奮闘しなければならない」(固前四二ぺ−ジ)

 これこそ、わが国における国際友好運動を日本人民の運動としていっそうゆるぎない基礎のうえに発展させるただ一つの道です。


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