1.日中友好運動を混乱させた震源地


一、「日中友好協会は、この春ころから半身不随の状態となり、活動は全国的に停滞しはじめました……。この異変の震源地は意外にも共産党であることがわかってきました……。共産党の宮本書記長が、この春、中国を訪問して帰ってきてから、急に方針が変りました」(日中友好協会からの脱走分子の文書)

 特定の外国勢力に事大主義的に盲従し、日中友好運動に分裂をもちこんできた分子が、自分たちの策動はたなにあげて、わが党を "日中友好連動の妨害者 "としてえがきだすことほど白じらしいいい分はありません。

 わが党は、綱領でも明確にのべているように、「すべての国との国交を正常化し、経済・文化の交流を発展させ、日本人民と世界各国人民の友好親善関係をひろめるために」たたかっており、日中友好運動もその例外ではありません。宮本書記長を団長とする日本共産党代表団の中国訪問の以前も、それ以後も、わが党のこの基本的立場はいささかも変わっておらず、「変わった」というのは勝手につくりだしたおとぎ話にすぎません。わが党は、いかなる社会主義国にたいしても、その国の党とわが党とのあいだに重要な意見の相連がある場合でも、その国に「反対」することを党の基本方針としたり、その国との国際交流の正しい発展を妨害する態度をとったりしたことは一度もありません。

 第十回党大会にたいする中央委員会の報告は、外国の党とのあいだに重要な意見の相違がおきた場合、わが党がとってきた基本的態度について、つぎのようにのべています。

 「われわれは、これまで、いくつかの重要な問題で意見の相遠のある外国の党との関係についても、その党が、わが党および日本の民主違動への干渉と破壊をわが党にたいする基本的態度としているものでないかぎり、共通の敵にたいする闘争課題において正しい一致点を見いだし、それにもとづいてできるかぎり共同するために努力するという基本的態度をとってきた。これは、国際反帝民主運動の切実な当面の大局的利益にこたえる道であり、また、国際共産主義運動の真の団結をめざす大義がわれわれに厳粛に要求している義務である。わが党は、前大会以来、その義務に忠実であったが、今後ともこの義務のために力をつくすだろう」(『前衛・第十回党大会特集T』五四〜五五ぺ−ジ)

 外国を訪問した各種の代表団に参加したわが党の党員も、わが党の一貫した方針にもとづき、不一致点をもちだして論争するのではなく、意見の一致点にもとづいて連帯と友好を発展させる態度をきびしくまもって行動してきたことはいうまでもありません。

 変わったのは、わが党の方針でなく、他の側です。ある特定の方面から、わが党およびわが国の民主運動にたいする大国主義的な内部干渉の策動が開始されそれと結びついて、日中友好運動の分野にも、運動の正しい発展をさまたげる事態があらわれてきたのです。

 このような事態がはじまったのが、まさしく「春ころ」、つまり昨年四、五月ごろであり、これが日中友好運動その他の分野に異常な混乱をもたらした直接の起源です。その意味では、かれらが「この春ころ」をもちだしたのは、 "語るに落ちる "ものだといわなけれぱなりません。

 すなわち、宮本書記長を団長とする日本共産党代表団がベトナム民主共和国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の三国訪間がら四月初旬に帰国した、まさにその直後から、特定の国の一部の人はわが国からの訪問者の面前で、公然とした名ざしは避けながらも、あきらかにそれとわかるかたちでわが党の方針を非難しはじめました。たとえば、ある人は、四月末に、その国を訪問したわが国の民主団体の代表団に、わが党の反帝国際統一戦線強化の方針にからませて、「ソ連と共同行動をとるならば、これはアメリカと共同行動し、日本政府とも共同行動をとることになる」と公言しました。わが党の国際統一行動、統一戦線の方針にたいするこの種の「批判」は、この代表団だけでなく、四、五月以後の時期にわが国からこの国を訪問したほとんどすべての代表団がきかされています。

 また、五月の末に、その国からいくつかの友好代表団が来日しましたが、この代表団は、訪間した先々で、ソ連を国際統一戦線から排除するという「反米、反ソ統一戦線」論の宣伝とわが党の国際統一戦線の方針への批判に最大の力をそそぎ、ある県では、活動家にたいして「正しいことは除名されてもとおすべきだ」と暗に反党活動をそそのかすような発言さえおこないました。また、この代表団は、日本の革命運動の方針についても、自国の特定の指導者の思想を指導理論としてたたかう必要があることをしきりに力説しました。

 もちろん、社会主義国のいろいろな団体と日本の民主団体との交流の活動のなかで、これに参加する人びとが、いろいろな問題について自国の立場や見解を説明することは、自由です。しかし、その国の党と日本共産党のあいだに重要な意見の相違があるときに、日本からの代表団にたいして、ことさらその問題についての自国の党の主張を一方的に強調し、さらには、日本共産党がとっている方針をあからさまに批判したりするのは、日本にきた代表団の同じような行動とともに、両国人民の友好と固結を正しく発展させようとするものの態度ではけっしてありません。こうしたやり方や、さらにまたその国の特定の指導者の思想を日本革命の指導理論にすることを強調したりすることは、自主、平等、相互不干渉という国際交流の原則をやぶって、国際交流を、両国人民の友好と団結の事業とはかけはなれた目的、自国の党の攻治路線を日本の民主違動におしつけることに利用するということにほかなりません。

 事実、その社会主義国の日本向けラジオ放送や日本語の出版物も、だいたい同じころから、特定の指導者の思想を「現代におけるマルクス・レーニン主義の最高峰」とたたえ、日本人民にこの指導者とその思想への崇拝をよびかけるといった論調を、第一の基調とするようにかわってきました。

 このように、日本の民主団体との交流を、自国の政治路線を日本の民主運動におしつける手段にかえようとする大国主義的な態度は、四、五月ごろから、貿易関係もふくめてこの国との交流活動のほとんどすべての場合にあらわれ、これが、個々の偶然の現象ではなく、日本との交流にたいする、この国の開係団体の基本方針となっていることを、あきらかにしました。こうした事態に直面して、国際友好運動のこの分野で、双方の自主、平等、相互不干渉という相互交流の基準をあらためて明確にし、この基準をふみはずした誤った大国主義的やり方に事大主義的に盲従する態度を正すことが、切実な問題となってきたのは当然のことです。

 ところが、わが国の反党教条主義分子こそは、こうじた外部の変化に他動的にゆり動かされ、外部勢力の主張と動きに追随、盲従して、わが党のマルクス・レーニン主義的路線への疑義を表明しはじめ、ついには公然と反党活動にふみだしていったのでした。そうした動きが、昨年七月未〜八月初句の第十二回原水禁世界大会をつうじて、また一部外国勢力による「現代修正主義の新旧の追随者」というひぼうの強化にともなって、さらに、平和民主運動、貿易促進運動などへの見さかいのない分嚢・破壊策動の強化とあいまって、急激に表面化していったことは、すべての事実が疑問の余地なく物語っているところです。

 まさにこうして、「この春ころから」、一部の勢力は内外呼応して、わが党と民主的な運動への恥ずべき破壊策動をはじめたのです。日中友好運動を、特定の外国の一部勢力の主張や方針を日本にもちこむ手段にかえようとし、それがいれられないとなると、不法にも日中友好協会を破壊する活動にのりだした一部の対外盲従分子の活動も、その一環にほかなりませんでした。

 そして、これこそ「この春ころ」から日中友好運動におこった「異変」の真相であり、「この異変の震源地」は、日中友好協会からの脱走分子がデマを流しているのとは正反対に、わが党の側にではなくて、まさしく「意外にも」外部勢力の側にあったのです。このことは、指折り数え切れないほどの厳然たる諸事実がはっきり証明しているところです。

 それにたいして、日中友好協会からの脱走分子たちが、自分たちの対外盲従の姿をごまかしながら、いかにも「共産党の宮本書記長が、この春、中国を訪間して帰ってきてから、急に方針が変わり」、それによって日中友好協会の活動が困難におとしいれられたかのようにのべているのは、まったく白を黒といいくるめる奇弁だといわなければなりません。

 いったい、かれらは、わが党の綱領(前出)を思い起こしたことがあるでしょうか。いったい、かれらは六六年八月二十日付『赤旗』主張のつぎの個所を真剣に考えたことがあるでしょうか。

 「もともと、わが国の国際友好団体の運動ぱ、相手がどんな国の人民であろうと、たがいに自主、平等、相互の内部不干渉の立場に立って双方の人民の相互埋解と友好を深め、文化、学術などの交流をおこない、国交未回復の場合には国交を回復して、両国人民の友好的関係の発展と世界平和に貢献することを目的とし、その目的に賛固するすべての人びとを結集してゆく運動です」。

 日中友好協会もこのような基本的性格をもつ自主的団体として組織されていますし、こういう方向を堅持してこそ、日中友好運動の今後の正しい発展が保障されることはあきらかです。協会の規約も「日中両目民の相互の理解と友好をふかめ、国交の画復を促進して、面国の繁栄と世界の平和に貢敵すること」をその目的にかかげ、日本人民でこの目的に賛成する人びとを、思想、信条、政党政派の別をこえて結集しています。

 ところが、脱走分子はあたまからこうした目的に反し、「福互の理解と友好をふかめ」るのでなく、一方の側からだけの特定の方針、理論、思想がもちこまれることに盲目的に追随して、国際友好運動を相手国の美化運動にかえようとしてきました。そして、このような自主性を欠いた傾向が運動の一部にあらわれてきたのにたいして、わが党が、自主、平等、相互不干渉の立場にたつ正しい国際友好、交流の基準の確立を提起したのは、日本人民の解放運動に責任をもつマルクス・レーニン主義党としての当然の責務です。また、わが党にたいする非難、中傷にたいして、わが党が節度ある態度を堅持しながらもそれに正しく毅然として対処することも、自主独立の党としてのわが党の当然の権利です。しかるに、かれらは、わが党のこのような努力を日中友好運動を「妨げる」ものであるとゆがめ、攻撃し、日中友好協会という大衆団体を対外盲従組織に全面的に変質させることをめざしていったのです。

 もちろん、このような策動が成功するはずはありません。かれらは圧倒的多数の日中友好協会会員から非難され、みずから絶対少数者に転落していきました。そのけっが、かれらは日中友好協会にあと足で砂をかけて脱走し、現在は、その外部から、分裂・破壊策動に血道をあげているのです。これがコトの真相です。

 したがって、脱走分子たちがいま、前出のようなデマ、中傷をわが党にあびせるのは、みずから対外盲従による策動の "起源 "を語るものでしかありません。


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