福田、原田一派の党攻撃の「論拠」――八問八答


 特定の外国勢力に盲従して党破壊活動に公然とのりだした福田、原田一派は、自分たちの反人民的、反革命的本質をごまかすために、あれこれの「口実」や「論拠」をもちだしています。それらは、ほとんどが外国勢力の主張を口うつしにしたもので、内容的にもまったく低劣です。そして、いずれも、わが党の八月八日、八月十日の「赤旗」論文その他で本質を暴露され、論破されているものです。しかし、かれらが性こりもなくもちだしているため、あらためて、かれらの党攻撃の「論拠」なるものをとりあげ、八問八答のかたちで読者の理解のたすけにしたいと思います。

1.反党修正主義者と教条主義的反党分子が自主独立の立場を攻撃するのは……

〈問い〉日本共産党の自主独立の立場にたいして、志賀義雄ら反党修正主義者は「自主孤立路線」と攻撃し、教条主義的反党分子は民族主義の「ワクをつくって日本人民をとじこめるものだ」とひぼうしています。自主独立の立場とはどういうものでしょうか、また、「左」右の反党分子はなぜこれに反対するのでしょうか。

〈答え〉わが党が堅持している自主独立の立場にたいし、志賀義雄ら反党修正主義分子があらゆる悪罵を投げづけてきていることは、すでによく知られています。そして、かれらが、わが党のこの立場を「自主孤立路線だ」などというのは、ほかでもなく、どこかの大きな社会主義国の党に身をよせていかなければ孤立してしまうという、かれらの救いがたい事大主義をしめすものです。

 福田、原田ら山口県の反党分子も、いま、わが党の自主独立の立場にたいする志賀らのこうした攻撃に呼応して、「ワクをつくって日本人民をとじこめるものだ」「『自主独立』は反中国だ。許しがたい」(いずれもかれら一派の事実上の機関紙「長周新聞」九月七日付掲載の記者座談会での発言)などと、わが党のこの立場を口をきわめてののしっています。

 内外の現代修正主義者にたいしもっとも原則的にたたかってきたわが党を「修正主義」と中傷攻撃している福田、原田一派が、表現はちがっていても、わが党の自主独立について志賀ら修正主義者と同じ結論にゆきつき、攻撃しているのはまことに皮肉なことです。この事実は、福田、原田ら反党教条主義一派が、志賀ら売党修正主義者のあゆんだ道をあゆみ、ともに特定の外国の党の主張や政策に盲従する事大主義におちいっていることをしめしています。

 自主独立の問題は、世界の労勤者党、共産党が一致してきめた一九六○年の声明に明記されているマルクス・レーニン主義党の原期的問題の一つです。つまり、革命は輸出も輸入もできないものであり、その国の革命はその国の人民がおこなう以外にないというマルクス・レーニン主義のイロハの問題です。口をきわめてわが党の自主独立の立場を攻撃する「左」右の反党分子の議論は、自らの反マルクス・レーニン主義と事大主義の立場をさらけだすにすぎません。

 わが党は、すでに第九回党大会や中央委員会の諸決定が疑問の余地なくあきらかにしているように、どこのどのような党にも無批判的に追随せず、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづき、日本の労働者階級と勤労人民に全責任を負って、自主的に日本革命を推進するという立場をまもってきました。また、国際共産主義運動内部の論争問題についても、マルクス・レーニン主義の原理、党綱領、一九五七年の宣言と一九六○年の声明にもとづいて自主的に研究し、対処してきました。これは、日本の革命運動に責任を負うマルクス・レーニン主義党として当然の態度であると同時に、独立と平等の基礎のうえに、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義にもとづく真の団結のために貢献する道でもあります。

 右の日和見主義者である志賀一派にせよ、自分たちの日和見主義の立場を革命的カラ文句でかざろうとしている「左」の福日、原田一派にせよ、かれらがわが党の自主独立の立場を攻撃すればするほど、特定の外国の党に盲従することが「プロレタリア国際主義」だというかれらの売党的立場をはっきりとうかぴ上がらせるだけです。(M)

2.党の路線、基本態度は変わったか

〈問い〉反帝国際統一行動にかんする日本共産党の方針にたいして、反党修正主義者は「路線転換」だといい、教条主義的反党分子は「四中総以後党中央の基本態度が変わった、だからこの変化にはしたがえない」といっています。党の基本態度は果たして変わったのでしょうか。

〈答え〉志賀義雄らの反党修正主義者が、反帝国際統一行動にかんするわが党の方針を「路線転換」だと中傷するのは、かれらが国際盲従分子だからです。二年ほど前、志賀・神山らは、ベトナム支援の国際共同行動の方針にたいして「国際民主運動における行動の統一の問題と混同したもの」だとば倒じていたのに、ソ運共産党指導部が「共同行動」を口にしはじめると、手のひらをかえすように「共同行動」をとなえだしました。そして最近ではおどろいたことに、わが党が「路線を転換」したかのようなデマをとばしながら、わが党を攻撃しているのです。

 国際盲従分子であるかれらは、どこか特定の党の口うらにあわせることだけが「一貫性」のあるものだとでも思っているようです。

 もちろん、わが党は「路線転換」の必要などありませんじ、反帝国際統一行動の旗をますます高くかかげ、この国際的な緊急課題のためにたたかっています。

 志賀一派と一見対照的ですが、本質的にはまったく同じことをいっているのが、福田、原田一派などの教条主義的反党分子です。かれらは、「四中総以後党中央の態度が変わった。この変化には従えない」などといいはじめているのですが、前記のとおり、わが党の反帝国際統一行動の方針は数年来一貫しています。第九回党大会の中央委員会報告も、「第九回党大会の意義と任務」の章で、大会の任務の第二のなかでこれを明記しています。また第二章第二節「わが党の当面する諸任務」でも第四の課題として明記しています。そして、第九回党大会後も、今日まで党中央の方針はまったく一貫しています。

 四中総(本年五月)後変わったのは、わが党中央ではなくて、ほかでもなく福田、原田らです。しかもかれらは、党の正規の会議で意見をのべず、中央委員会にいたるまでのどの機関にたいしても質問もせず、回答ももとめず、突然反党活動をはじめたのです。それは、かれらが特定の国の党に盲従して、公然と態度を変えたからです。

 ところが、自分たちのこの国際盲従、態度ひょう変をごまかし、反党活動をいくらかでも合理化しようとして、「党中央の態度が変わった」などという真っ赤ないつわりをいっているのです。(I)

3.帝国主義は侵略的本性をもっているので "米中対決は必至だという主張の本質は "

〈問い〉帝国主義は侵略的本性をもっているので、ベトナムで追いつめられるほどアメリカ帝国主義は侵略を拡大していく、反帝民主勢力がベトナム侵略反対でたたかっても中国大陸侵入、米中対決は必至だ、という主張がありますが…。

〈答え〉帝国主義の本質が侵略的だというのは、それ自体としては当たりまえのことです。しかし、これだけで現実の情勢の発展を断定するのは、まことに幼稚な非科学的態度です。まして、帝国主義の侵略的本質から「米中戦争必至」を主張することほど乱暴な議論はありませんし、これでは帝国主義が存在するかぎり、いつで
もその侵略に受身で対処する以外にないことになります。

 一九六○年の声明でも指摘しているように、今日の国際情勢の発展は、基本的には帝国主義と侵略と反動の諸勢力にたいする、社会主義と平和と民主主義の諸勢力のたたかいの経過と結果によって規定されています。いいかえると、帝国主義がその本質にもとづいて現実に侵略政策をおしすすめるためには、世界の反帝民主勢力との
闘争に直面せざるを得ないということです。

 アメリカ帝国主義がその侵略と戦争の政策を、ベトナム侵略とその拡大に集中してきた最近の経過は、帝国主義と反帝民主勢力の国際的規模での闘争が焦点となっていることをはっきりとしめじています。

 福田、原田一派は、この現実をまったく無視して、 "帝国主義の本質は侵略的だ、だから米中戦争は必至だ "とまくしたてて、帝国主義と反帝民主勢力の国際的対決点となっている現実のベトナム侵略戦争を軽視し、きたるべき「米中戦争」にそなえるという口実でベトナム侵略反対の国際統一行動の強化を妨害しています。こうした主張は、現実におきている帝国主義の侵略に受身で対処し、事実上帝国主義の侵略拡大をたすける日和見主義です。

もちろん、中国敵視政策は、朝鮮民主主義人民共和国への敵視政策とともにアメリカ帝国主義のアジア侵略計画の重要な要素であり、アメリカ帝国主義の中国大陸進攻の危険は無視できません。しかし、アメリカの中国侵略の危険は、ベトナムをめぐる帝国主義と反帝民主勢力の国際的対決と別個に存在しているわけではありません。それは、ベトナム侵略戦争の拡大のうちにひそんでいるのです。したがって、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的な反帝民主勢力の結集が大きければ大きいほど、中国、朝鮮への侵略拡大の可能性をもせばめることができます。全力をあげて、現在の帝国主義と反帝民主勢力の対決点であるベトナムで、帝国主義に最大限の打撃をあたえることは、ベトナムでの決定的勝利をはやめ、いっそう確実なものにするだけでなく、他のアジア諸国への侵略のいっそうの拡大を効果的に阻止できる道なのです。

 さらに、福田、原田一派が、なんの科学的根拠もない議論にもとづいて、「米中戦争必至」を主張するのは、特定の社会主義国や党の見解に無条件に従うかれらの事大主義を、これによって正当化しようとする意図から出たものだということを、はっきりと見ぬく必要があります。(N)

4.反帝国際統一行動、統一戦線を「連米」だとする主張

〈問い〉反帝国際統一行動、統一戦線にソ連を加えるのは「通米」だ、なぜならソ連共産党指導部はアメリカ帝国主義とぐるになっているからだ、と福田、原田一派は主張しています。この主張の本質はどこにあるのでしょうか。

〈答え〉これほど粗雑で、恣意的な主張もめずらしいでしょう。

 福田、原田一派はこう主張しながら、ソ連を排除した「革命的な反米国際統一戦線」なるものをもちだしています。それは反米反ソ統一戦線をとなえる挑発分子志田一派の主張とまったく固じもので、それは最悪の分裂主義的主張です。なぜなら、これはアメリカ帝国主義のベトナム侵略がいよいよ重大な段階をむかえたまさにそのときに、社会主義陣営と反帝民主勢力の決定的な分裂を主張し、反帝国際統一行動、統一戦線をさまたげようとするものだからです。

 かれらは、こうした主張をおこなうにあたって、 "ソ連共産党借導部は修正主義であり、修正主義は帝国主義と連合して革命を裏切るものである。だから、ソ連は基本的にアメリカ帝国主義の共犯者である。したがって、ソ連を統一時線にくわえることは「連米」である "とさかんにまくしたてているのですが、こうした議論は、 "指をつめて靴に合わせる "たぐいのもので、現実をなんら具体的に研究せず、修正主義の本質についての「公式」に現実を合わせようとする幼稚な教条主義の見本です。

 たしかに、修正主義は「マルクス主義の内部にあってマルクス主義に敵対する潮流」であり、理論、思想上、政治上の原期的な間子を通じて国際共産主義運動から一掃すべきものであることは議論の余地がありません。しかし、現代修正主義が克服さるべきマルクス・レーニン主義の思想的敵対物だということは、ソ連共産党とソ連人民を反帝国際統一戦線から無条件に組織的に排除すべき世界人民の敵だということと同じではありません。ソ連を統一行動にいれるかどうかという問題を解決するためには、ソ連共産党指導部が修正主義だというだけでなく、その実際の立場と行動を具体的事実にもとづいて評価することが必要です。

 わが党が、八月八日の「赤旗」論文でくわしく分析したように、ソ連共産党指導部は、現代修正主義の国際潮流の一つの中心であるとともに、ソ連共産党および社会主義陣営の一員であるソ連国家の公式の代表であるという、その特殊な立場から、矛盾した一貫性のない態度をとっています。つまり、ソ連共産党指導部は、一方では、核拡散防止条約や佐藤内閣美化の言動にみられるような修正主義、日和見主義の路線、さらに他の共産党に干渉する分裂主義を根づよくのこしています。これにたいしては、依然として原則的な闘争が必要です。他方では、反帝闘争の強化を要求する世界人民の圧力と世界のマルクス・レーニン主義党の批判におされて、ともかくも、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対し、武器援助をふくむベトナム人民の正義の闘争にたいする具体的支援をおこなっています。これは、「修正主義のペテン」ということだけで片づけるわけにはいきません。ベトナム侵略に反対し、ベトナム人民への支援を強化することは世界人民、とりわけベトナム人民の切実な要求です。そして、この支援をもっともっと強めさせることが、修正主義の克服をも容易にしていくのです。

 ところが、福田、原田一派は、こうした革命的二面政策をあたかも修正主義との闘争を放棄するものであるかのように描きだし、ついで「通米」だと論理を飛躍させ、そうすることによって国傑統一行動、統一戦線を阻害し、事実上、ベトナム人民を苦しめアメリカ帝国主義をよろこばす役目を果たそうとしているのです。(N)

5.民主主義的な反帝国際統一戦線は「修正主義」だというひぼうの幼稚さ

〈問い〉教条主義的反党分子は、日本共産党が反帝国際統一戦線の性格を民主主義的なものだとしていることにたいして「これは国際革命闘争から革命的性格をぬきとる修正主義的見解だ」とひぼうしています。この点について、どう見るのが正しいでしょうか。

〈答え〉この種のひぼうは、けっきょく、反党分子には理論的な混乱があるだけで、マルクス・レーニン主義の基本的問題がなにもわかってはいない、ということを暴露するものです。

 すなわち、すでにわが党の二月四日の論文(「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化のために」)も明らかにしているように、共産主義連動を中心とする革命的戦線が世界帝国主義の打倒を究極的にめざすこと、各国の共産主義運動の部隊が自国の革命をめざすという性界革命の課題は自明のことです。しかし、今日の反帝・民族解放・平和の勢力が強化しなければならない国際統一戦線は、それ自体として世界帝国主義を地球上から一描するという世界革命の課題を直接の課題とするものではありません。

 いま、ベトナム侵略戦争とその拡大という重大な事態のなかで、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に主要な砲火を集中する国際統一戦線は、アメリカ帝国主義そのものの打倒を直接の課題とする革命戦線ではなくて、民族解放と平和をかちとる民主主義的な性格をもつものです。もし、このことを無視してアメリカ帝国主義の打倒などもし、世界革命の課題を今日の国際統一戦線の任務とすれば、それは先進的な革命勢力の統一戦線とはなっても、もっとも広範な平和、民主勢力を結集した統一戦線ではなくなってしまうでしょう。

 反党分子には、この区別がまったくできないのです。

 だが、反帝国際統一行動、統一戦線が民主主義的性格をもつからといって、それを革命に背を向けるものだとか、修正主義的なものだとかいうのも、とんでもない欺まんです。なぜなら、今日の国際的反帝民主勢力のもっとも重要な主力となるのは労働者階級を中心とする人民の革命闘争であり、民主主義的な国際統一戦線の前進は同時に帝国主義と反動勢力の支配の打倒を促進し、さらには帝国主義と反動勢力そのものの打倒を促進していくものだからです。

 こうして各国の革命勢力は自国における帝国主義と反動勢力の支配に反対じ、それぞれ自国の革命的闘争をおしすすめ、同時に、各国人民の共同の国際的責務である反帝、民族解放、平和のたたかいを連帯しておしすすめるのです。当然のことながら、国際共産主義運動、社会主義陣営は、反帝闘争の先頭にたって行動を統一し、反帝国際統一戦線の中心部隊とならなければなりません。

 反党分子は、こうした弁証法的関係がまったくわからないのです。そして、「革命統一戦線」ということばをおうむ返しにくりかえすことがいかにも "革命的 "であるかのように装いながら、反帝国際統一戦線をまっこうからののしっているのです。

 したがって、民主主義的な性格をもつ国際統一戦線への反党教条主義分子のひぽうは、 "天にむかってつばきをする "ようなもので、かれら自身の小児病的幼稚さをはしなくもさらけだしているわけです。(J)

6.「政治路線がまがっているので規約を守る必要がない」というのは

〈問い〉国際盲従分子たちは「組織路線より政治路線のほうが優先する、だから党中央が政治路線を修正主義の方にまげた以上、規約を守る必要はない」といっています。こうした言動のあやまりはどこにあるのでしょうか。

〈答え〉まず第一に、組織路線と政治路線を機械的にきりはなして問題にすること自体が、共産党の初歩的原則を知らないものの議論です。共産党の真の力が、綱領、政治方針の正しさおよび党の組織原湖の正しさによって発揮されることは、すでに国際的に試練ずみの共産主義運動の常識です。

 だからわが党の規約は「民主主義的中央集権制にもとづき、党員の自覚と厳格な規律による全党の統一と団結こそは、党の生命であり勝利の保障である。したがって、すべての党員は、いかなる場合にも党の統一をかたく守らなくてはならない」(前文)と規定しています。

 いかなる場合にも党の統一をかたく守ることは、マルクス・レーニン主義のもっとも基本的な不動の原則です。だから規約はまた「統一をやぶり、派閥をつくり、分派活動をおこなうことは、党を破壊する最悪の行為である」(前文)とのべています。

 内藤一派、志賀一派、そしてこんどの福田、原田一派と、反党分子があらわれるたぴに、性こりもなく、こうした議論をとなえていますが、それは、かれらの反党活動をなんとか合理化しようとするあがきにすぎません。かれらは、それによって、いくらかでもその反党活動を合理化できると思っているかもしれませんが、それによってかえって反党分子のみにくさを暴露しているのです。

 第二に、「党中央が政治路線を修正主義の方にまげた…」という攻撃ですが、これまた、でたらめな議論です。共産党の政治路線の正しさは、ここで説明するまでもなく、綱領にもとづく諸活動、そして今日、日本共産党が国際共産主義運動のなかで果たしている重要な役割、また党が党史上最大の党勢力にまで発展している事実によっても明らかです。かれらの党攻撃は、結局、自主独立の立場に立つ日本共産党が、かれらが日本共産党員である自覚も誇りも忘れて事大主義的に仕えようとする外国の党の方針に盲従しないことにたいする非難にすぎません。

 第三に、もちろん党内に政治路線上の意見の相違が生ずることはありえます。問題は、それをどう解決するかです。それを正しく解決するのが党の組織原則です。党の組識原用を守って活動してさえおれば、政治路線上の意見の相違は必ず解決できます。またかりに、政治路線に誤りがある場合でも、それは覚が組織原則を守ってたたかうなかでこそ正されます。共産党は、組織原則を守ってたたかうことによって、その政治方針をたえず正しながら前進して行く生命力をもった党です。

 だから、かりにかれらが真に党を愛する立場から覚の政治路線がまげられたと考えるのなら、党の組織原則にしたがって活動することこそがそれを正す道でもあります。しかるに、それに反して、かれらが「規約を守る必要はない」と公然といって反党活動を開始したことは、ほかでもなく、かれらが日本共産党の破壊だけをねらう分子であることを証明しているのです。(Y)

7.外国の経験を "批判的 "に挙ぶのはまちがいか

〈問い〉「党中央は自主独立の立場で、外国の経験は自主的、批判的に学ぱなけれぱならないといっているが、これはプロレタリア国際主義に反する。外国の経験は国際的な財産であって、これを "批判的に学ぷ "ということ自体がおかしい」というひとがあります。この点、どう考えるべきでしょうか。

〈答え〉もちろん、共産主義運動は、その本質そのものからして、国際的なものです。どの国の共産主義運動も革命も、かならず国際的な刻印をもっています。そして、マルクス・レーニン主義の学説は、社会主義と共産主義を建設する諸国民、資本主義諸国における労働者階級の革命運動、被圧迫諸国民の民族解放闘争の前進のなかで、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化と真の団結の強化をめざすたたかいのなかで発展しています。

 すべて共産主義運動は、いっさいの民族的排外主義とは無縁であるばかりかそのどのような小さなあらわれともたたかわなければなりません。しかし、このことから共産主義運動には、自国も他国の区別もなく、ただ単純に「一体」であるとして、他国の経験を丸うつしにすることはまちがいです。かつてレーニンも、国際的な革命運動の経験を摂取することの重要な意義を力説しながらも、一国の経験にはかならずあれこれの一面性や弱点がふくまれていると指摘し、外国の経験や理論を盲目的にうけいれることをいましめました。

 日本の革命運動の発展のために他国の革命運動の経験を研究し、教訓をまなぶことは大切な理論的任務ですが、これをおこなうのは、その国の民族と人民の解放闘争――革命に責任を負うのはその国の党であり、それには自主独立の立場からの自主的、批判的な態度が必要です。一九六○年の共産党・労働者党代表者会議の「声明」にも、「すべてのマルクス・レーニン主義党は、独立した平等な党であり、各国の具体的情勢に応じ、マルクス・レーニン主義の諸原則にしたがってそれぞれの政策をたてており、しかもたがいに支持しあっている」と述べられています。このように、たがいに独立した平等の党である各国の党が、マルクス・レーニン主義の諸原用を自国の情勢に応じて具体化した「それぞれの政策」――それにもとづく闘争経験を、そのまま無条件にひきうつしにすることが正しいのであって、それを研究し、批判的にそこから学ぴ、教訓をくみとる態度は誤りであると非難する人たちは、実はどのような立場に立っているのでしょうか。それがある特定の外国の党の主張に無条件に追随する自分たちの立場を合理化するためのものであることはあきらかです。

 この人たちの主張によれば、レーニンのつぎのことばも、それこそ大きな誤りをおかしていることになります。「他の国ぐにの経験を…摂取するためには、たんにこの経験に通じていたり、たんに最近の諸決議を書きうつすだけでは、たりない。そのためには、この経験を批判的にとりあつかい、それを自主的に検討する能力が必要である」(「なにをなすべきか」)(N)

8.共産党は「日中友好に反対している」というタメにする宣伝

〈問い〉福田、原田一派などは、日本共産党が「日中友好に反対している」などと宣伝しているものがありますが…。

〈答え〉まったく根拠のない、タメにする宣伝です。

 わが党は綱領でも「すべての国との国交を正常化し、経済・文化の交流を発展させ、日本人民と世界各国人民の友好親善関係をひろめるためにたたかう」とのべています。これにもとづいて、党大会決定や中央委員会の決議もつねに国際友好、親善の発展のために深い配慮をはらい、党はそのために一貫して努力しています。第十回党大会にたいする中央委員会の報告案も、覚の当面の要求として、「すべての国との平和五原則にもとづく友好親善関係を樹立すること」や、「すべての国との自主的な経済、文化、技術、科学の交流を促進すること」を高くかかげています。

 こうした党が、どうして一方的に日中友好に反対したりするでしょうか。

 ただ、党は、どんな場合でも国際的な友好と交流を正しく発展させるためには、当然のこととして、互いに相手国の団体や人民の内部問題に干渉しないこと、互いに相手国の組織や運動の性格を理解し、相手の自主性を尊重すること、思想・信条・政派をこえた広い組織のなかへ、特定の政治的見解をもちこみ、それへの賛同をつよく要求して組織の団結を破壊しないこと、などの基準を厳格にまもらなければならないと主張しています。これは、特定の国との関係だけでいわれているのではなく、すべての社会主義国などとの友好・親善の発展のために守られなけれぱならないものだと考えています。

 それにたいして、反党分子など一部の人びとは、ただ相手国の主張や要請に無条件にしたがうべきだといい、また特定の党の指導者の思想をどこの国の人民へも絶対化しておしつけ、これを友好運動や貿易運動の基礎にすべきだなどといいます。そしてこういう立場をとらないで自主性をしめすものはすべて「非友好」、「非協力」、「妨害者」だときめつけています。この種の圧迫を肯定できるのは、日本人民のなかに根をもたないよほどの事大主義者です。

 党の主張している自主性の立場が道理にかなったものであることは、だれしも否定することはできません。反対者でさえもこれを正面きって否定することはできない事実がなによりの証拠です。かれらは、ここをわざと避けて、党の立場を友好そのものに反対するものとしてえがきだし、党を攻撃し人民をだますほかはなくなっているのです。

 貿易などで自主性を擁護するものが、不当に圧迫されたり、特定の商社が取り引きから排除されるという事態がおこっています。また、資本家団体である貿易団体に、「修正主義」反対や帝国主義の「新旧追随者」反対を貿易促進の基調にさせようとする事態もあらわれています。そして、日本の大多数の業者がこれを正常ではないと考えているのは当然です。

 友好交流にしろ、貿易展にしろ、相互に正しい基準をまもる見地にたたないと、一時的に交流や展覧事業などをすすめることはできても、日本の真の自覚的な人民の信頼を失い、真の友好の発展や、平等、互恵の貿易の正しい発展には大きな傷をのこし、独占資本や米日反動をかえってよろこぱせることになります。(S)

(「赤旗」1966年9月25日)

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