国際盲従主義者の組織原則じゅうりんを合理化できる根拠は一つもない――福田一派の恥ずべき主張の意味するもの


1.使い古しの党破壊活動の口実

 「日本共産党山口県委員会革命的左派」をせん称する国際盲従主義者は、党規約をじゅうりんすることを公然と宣言して、党破壊活動に走っていきました。このさい、かれらは、労働者階級の前衛党がひとみのように大切にし、自らの基本的性格の一要素としている最高の組織原則(民主主義的中央集権制。かれらもかつては、細胞の同志たちにそれを強調したことさえある)を否定する理屈をひねりだそうとしました。そのような仕事は、マルクス・レーニン主義の立場をすてないかぎりできないことですが、かれらはそれをあえてやってのけました。

 「党中央は修正主義に転落し反革命の道を歩んでいる。このような党のもとで四中総後の決定には従えない。民主集中の組織原則は、政治路線が正しい時にのみ適用されるのだ。だから民主集中の組織原則には従わない」。これが、かれらの言い分です。

 この理屈は、「党中央が修正主義に転落し」という個所を削除し、現象上の相違を別にすれば、もうひとつの国際盲従主義者で、修正主義者の志賀一派が党破壊、反革命の活動をはじめたときの口実とまったく同じものです。これと基本的に同質の理屈は、日本共産党の歴史においても、国際共産主義運動の歴史においても、党破壊分子がしばしば使ってきたものです。

 同時に、春日(庄)、内藤らや志賀一派は党中央が党内民主主義を破壊したという事実無根のことを口にしながら党破壊活動にのりだしたのにくらべて、山口の国際盲従主義者たちは、"勇敢 "にも自ら民主主義的中央集権制にしたがわないと真っ向から宣言して「日本共産党革命的左派」なる看板をかかげたという表現上の相違についても、われわれはけっして見落とすものではありません。

 しかし、それが意味するところについては別にのべることとして、ここでは、山口の国際盲従主義者が、すでにのべたように、すべての反党・反革命分子が使い古したのと同質の党破壊活動の口実をもう一度もち出してきたのに対応して、われわれもまた、かさねてその欺まんのベールをはぎとってみせないわけにいきません。

2.三重の欺まんと誤り

 かれらの前記のような理屈は、三重に欺まん的であり、誤っています。

第一の誤り 党中央が修正主義に転落し、反軍命の道を歩んでいるなどというのは、とんでもないデマゴギーです。党中央は、マルクス・レーニン主義の原則と日本共産党綱領と規約、一九六○年の八十一ヵ国共産党・労働者党代表者会議の声明を堅持し、現代修正主義と教条主義、セクト主義とたたかい、全力をかたむけて日本革命と国際共産主義運動の真の団結のために貢献しています。

第二の誤り 四中総後の決定が、それ以前の方針からなにか変質をしているでしょうか。これまた、ちがいます。党中央の政治的立場、政策、方針のすべてが一貫しています。

第三の誤り 民主主義的中央集権制の組織原則を破ってよい場合があるでしょうか?けっしてそんなことはありません。修正主義への方向にしろ、教条主義、セクト主義への方向にしろ、かりに党中央の理論的、政治的立場が逸脱をおかした場合には、実際の指導や言動において、民主主義的中央集権制の組織原用を多かれ少なかれわい曲したり、破ったりするものです。そういう場合には、真にマルクス・レーニン主義の立場を堅持する党組識や党員は、断固として民主主義的中央集権制を擁護し、指導部の政治上の逸脱と組織原則わい曲にたいしてたたかわなけれぱなりません。だが、このような事態がいまあるでしょうか?絶対にありません。

 山口の反党分子は自ら民主主義的中央集権個には従わないと宣言しましたが、反肉にも、そのことは自体、党中央が組織原用を堅持していることを逆に証明しているではありませんか。党中央が民主主義的中央集権制を堅持しているからこそ、かれらはこれに従わないと、いわなければならなくなっているのです。まじめで冷静な日本共産党員であれば、だれもが、この最高の組織原則を破ろうとしていることの重大な政治上・思想上の誤りを反省するはずです。ところが、かれらは、原則じゅうりんを公言して党破壊行動に突進していきました。

 この恥ずべき裏切り行為を、けっしてわれわれは許すことができません。

3.国際盲従主義者の空論の一例

 反党分子は「党中央が修正主義に転落した」、「党中央は反革命の道を歩んでいる」などと叫ぴたてていますが、そういうだけで、まともな論証はなにもありません。このような「まともな論証」のない議論の一つとして、光岡正史を筆名とする人物の文章があります。

 「長周新聞」八月二十四日号で光岡は、「赤旗」八月八日の論文は「ベトナム解放戦争の問題をとりあげるにあたってまず、修正主義的唯武器論の観点を導入することによって人民大衆をまどわしている」「マルクス・レーニン主義の観点を放棄し……疑いもなく、技術万能論、近代兵器至上論に導くものであって」「それは歴史の創造者は人民大衆であるという史的唯物論の基本命題を唯武器論によって修正することに外ならない」などとのべています。

 わが党が、戦争の決定的要素は人間であること、ベトナム労働党および南ベトナム解放民族戦線の正しい指導のもとでのベトナム人民の英雄的闘争こそ歴史的勝利を力強く約束するもっとも重要な条件であることを一貫して強調していることは、光岡のいう「赤旗」論文自体が明確にしています。わが党が「唯武器論」にわちこんだのか、それとも光岡がウソをついているのかは、「赤旗」と「長周新聞」を読みくらべて見ればすぐわかります。

 われわれと光岡らとのちがいは、どこにあるのでしょうか。

 その一つは、一般に戦争では、ことに現代の戦争では武器の役割をまったく無視してならないとわれわれは考えるのにたいし、かれらは武器などたいした役割はないと言っている点にあります。しかも、光岡は、自説をもっともらしく見せるために、レーニンのことばまでまご引きで引用しています。「あらゆる戦争の勝敗は、結局のところ、戦場で自分の血を流す大衆の精神状態によってきまる」(ロゴシスコ・シーモノフ地区の広範な労働者・赤軍兵士会議での演説)。

 光岡は、ここで問題を解明したつもりでいるようですが、ほかでもなくレーニンは、光岡が引用した演説のすぐあとに、スターリンに送った電報のなかでこうのべています。「ウランゲリの情勢を、きわめて慎重に討議し、貴下の結論をくだすことを乞う。貴下にもっと多くの弾薬、増援部隊、飛行機を提供するよう、総司令官と協定した」(レーニン全集、三一巻、二五八ぺージ)。

 光岡の誤りは、レーニンの命題を条件の違う現代に機械的に逆用しておかしたことからくる誤りではなく、レーニンの命題の一部を切り捨て、わい曲したことによる誤りです。それは「教条主義的」というにも値しないものです。

 光岡の「理論」でいけば、武器の増強を指令したレーニンも「唯武器論者」になり、原水禁運動などは典型的な「唯武器論」者の運動ということにさえなるでしょう。なぜなら、原水禁運動は光岡らがたいしたことはないといっている核兵器の全面禁止を基本的課題の一つとした運動であるからです。さらには、光岡「理論」にしたがえば、中国をふくむ社会主義国が核兵器を開発するのも「唯武器論」で、けしからんということになるでしょう。あわれなことに、光岡らはこのような自分たちの自己矛盾にも気づいていないようです。

 さらに、われわれとかれらとの相違は、「唯武器論者」と「史的唯物論者」とのちがいなどではけっしてありません。戦争の決定的要素は人間であるということと同時に、豊富で強力な武器をもつほど正義の戦争は勝利を早め、武器が劣っているほど正義の戦争が味方の血を多く流し、いくたの曲折を経なければならなかったことは、いくたの民族解放闘争や正義の戦争の経験が実証しているところです。この客観的事実を認識しえないかれらこそが、もともと観念論者なのです。全世界の反帝民主勢力が、アメリカ帝国主義の核戦争準備と核脅迫政策をたたきつぶすためにやむなくおこなわれる社会主義国の核開発に反対していない今日、武器などたいしたことはない、戦場で血を流す大衆の精神状態が重要なのだと極度に一面的な強調をする人たちは、むしろ宗教的妄想に近づいているとさえいってよいでしょう。

4.四中総の前も後も党中央の政治的立場は一貫しており、変わったのは国際盲従主義者である

 福田ら国際盲従主義者は、「四中総後、党中央は変質した」「このような党のもとで田中総後の決定には従えない」などといっていますが、いったい、なにを根拠にして党中央が四中総後変質した、などといえるでしょうか。

 前記の光岡正史が、八月八日の「赤旗」論文「ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化について」と、二月四日の「赤旗」論文「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化のために」とにたいしてあらんかぎりの悪口をあぴせているところをみると、どうやら、反帝国際統一行動と統一戦線の方針が気にくわぬことが、かれらのこうした悪口の "原因 "のようです。だが、実際には、この党の方針は、本年五月の四中総で突如つくりだされたものではなく、すでに一九六四年の第九回党大会の決定でもあきらかにされているものです。

 しかも、この第九回党大会の決定は、かれらがまだ党内にいて、かれらも参加して選ばれた代議員の全員一致で採択されたものではありませんか。

 第九回党大会決定は、「第九回党大会の意義と任務」の章で、大会の任務の第二として、つぎのようにのべています。

 「今日、現代修正主義の国際的潮流は、世界各国の反帝、平和、独立の闘争を阻害する否定的役割をますます明確にしてきた。かれらは、国際共産主義運動の団結を根本から破壊する分裂主義的活動を露骨におしすすめ、わが党にたいする組織的かく乱活動を公然とおこなっている。こうした状況のもとで、現代修正主義に反対して、マルクス・レーニン主義の純潔を守る思想闘争はますます重要となっている。党は、現代修正主義を最終的に克服してマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく国際共産主義運動の真の団結をかちとる過程においても、アメリカ帝国主義を先頭とする戦争と侵略の勢力に反対するたたかいを共同しておしすすめるため、国際共産主義運動、国際民主運動の共同行動をかちとるように、ひきつづき積極的に奪闘する責任をになっている」(『前衛」、日本共産党第九回大会特集号1、一二ぺージ)。

 また、大会決定は、その第二章第二節「わが党の当面する諸任務」のなかで「第四に、われわれは、『アメリカを先頭とする帝国主義に反対する民族解放と平和の国際統一戦線の旗』を高くかかげ、日本人民にアジアと世界の平和にたいする責務を自覚させ、国際的連帯をいっそう発展させて、いっさいの反帝国主義勢力の国際的団結と国際共産主義運動の真の団結をかちとらなければならない」(同左、三八ぺージ)と強調しています。

 この方針は、その後も一貫しており、四中総後今日に至るも堅持されています。だから「四中総後変わった」のは、党中央でなくて、山口の国際盲従主義者なのです。かれらは、第九回党大会で自らも賛成しておきながら、いったいいつから反対意見をもちだしたのでしょうか。かれらが、自分の意見が変わったということを、党の正式の会議でのべたことが一度でもあるでしょうか。わが党の規約第三条(1)「党の会議や機関紙で、党の政策にかんする理論上。実践上の問題について討議することができる」、同条(4)「中央委員会にいたるまでのどの級の指導機関にたいしても質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる」という権利を、かれらが一度でも行使したことがあるでしょうか。

 かれらこそ、三月になって突如自分の意見を変えてさわぎだしたのです。なぜか?その理由は、国際盲従主義者自身がよく知っていることです。

 われわれは、かれらと正反対に、第九回党大会の諸決定をますます堅持しています。そして、当然にも、「現代修正主義との闘争で思想的に強化されてきた反面、教条主義とセクト主義の傾向の克服がまだ不十分なことは、思想建設の重要な弱点である」(同書、一○二ぺージ)と指摘されていることを克服するために努力してきました。

 また、国際共産主義運動の状態が複雑になり、教条主義、セクト主義の現われが一部に露骨になればなるほど、一九六○年の「言明」の「依然として主要な危険である修正主義にたいして、また教条主義とセクト主義にたいして、徹底的なたたかいをつづけていかなければならない」という命預をまなんできました。

 山口の国際盲従主義者がこれら一連の課題にどんな態度をとってきたか、それも、かれら自身がよく知っていることです。

 かれらは耳をふさぎたいでしょうが、一九六○年の「声明」から、つぎの一節をここに引用しておきましょう。

 「修正主義すなわち右翼日和見主義は理論面でも実践面でもブルジョア・イデオロギーを反映するものであり、マルクス・レーニン主義をゆがめ、マルクス・レーニン主義の革命的内容を骨抜きにするとともに、労働者階級の革命的決意をまひさせ、帝国主義者と搾取者の抑圧に反対して平和、民主主義、民族解放および社会主義の勝利のためにたたかっている労働者、勤労大衆を武装解除し、動員解除してしまうものである。

 教条主義・セクト主義は理論面でも実践面でも、もしそれと徹底的にたたかわなけれぱ、個々の党のある発展段階ではやはり主要な危険になることがありうる。教条主義とセクト主義は、科学的分析にもとづいてマルクス・レーニン主義を発展させ、それを具体的条件に応じて創造的に適用する力を革命的諸党から奪い、共産主義者を広範な動労者から孤立させ、かれらを革命闘争で、静観主義か極左的・冒険的行為に定らせ、情勢の変化と新しい経験を適時に正しく評価することを妨げ、帝国主義、反動勢力、戦争の危険とたたかう労働者階級および全民主勢力の勝利のためのいっさいの可能性を利用することを妨げ、それによって、各国人民がおこなっている正義のたたかいで勝利をおさめることを妨げる」

5.わが党は、マルクス・レーニン主義党の最高の組織原則を断面擁護している

 福田一派の国際盲従主義者が結果的にみずから認めているとおり、党中央は民主主義的中央集権制を堅持しています。かれらは党破壊活動の一つの理由として、党中央が組織原則を破ったという口実をでっちあげようとこころみてもでっちあげることができず、ついには、党中央が修正主義になったから自分たちの方で民主主義的中央集権制などぶちこわすなどと、まったくでたらめな「口実」をつかわないわけにはいかなくなりました。

 さきにも書いたとおり、春日(庄)、内藤らは数年前、綱領草案に反対する一方、党中央が党内民主主義をおさえつけて民主主義的中央集権制をじゅうりんしたと大声でわめきました。また、党中央委員会が米、英、ソ三国の部分核停条約を礼賛しなかったとき(三年前)、修正主義の国際潮流に盲従する志賀一派は、党中央が政治的に誤ったと攻撃する一方、党内民主主義が保障きれていないときけびました。そして、ともに公然たる反党活動に走っていきました。こんどの反党分子、国際盲従主義者は、特定の外国勢力に見習って、ある意味ではいっそう露骨(単純)に民主主義的中央集権制の原理に挑戦しているのです。

 「組織上の方針は政治上の方針に従属する」とか、「正しい思想的、政治的立場なしには正しい組織論もない」といったことがよくいわれています。山口の国際盲従主義者は、この意味をまったくとりちがえ、わい曲して悪用しているのが特徴です。

 こうしたことはの真の意味は、きわめて簡単明りょうです。政治的、思想的にマルクス・レーニン主義を堅持するものこそ、組識論上でもマルクス・レーニン主義の最高の組織原則――民主主義的中央集権制を堅持する、ということです。政治上、思想上、マルクス・レーニン主義から逸脱するものは、マルクス・レーニン主義の組織原則――民主主義的中央集権制からも逸脱するということです。

 山口の国際盲従主義者は、途方もなく混乱してしまいました。かれらにしたがえば、「党中央は、修正主義だ。それだのにマルクス・レーニン主義の最高の組織原則をまもっている。理屈にあわないことだ。自分たちは政治上・思想上、純潔なマルクス・レーニン主義者だ。だから組織論上でも党中央に反対して、マルクス・レーニン主義の最高の組織原則をぶちこわしてしまえ」ということになります。

 政治的、思想的な立場と組織論上の立場の関係については、わが党も世界各国の党もマルクス・レーニン主義の宝庫に貴重な理論的・実践的な寄与をおこなってきました。かれらは、それをまったく見ることができないのです。

 レーニンは、その著『一歩前進、二歩後退』のなかで、理論上、政治上の日和見主義者が、あるいは表面上克服したかにみえるが潜在しているそれが、組織論においても日和見主義に固執して、党の統一をどんなに妨害しているかを詳細にのべ、党の統一のためには綱領上、戦術上の日和見主義を克服することが必要であると同時に、組織上の日和見主義を克服することによってこれが十分になると強調しています。そして、少数派にたいしては、論争と意見の相違が、組織のかく乱に導き、積極的情動をさまたげ、勢力を分散させ、専制と資本にたいする協力一致の闘争を阻害さえしなけれぱ、自らの見解を主張し思想闘争をおこなう権利を認める、といっています。

 さらにレーニンは、つぎのようにものべています。「これらの組織原則を実際に順守すること、この原則の誠意ある一貫した実行に分裂をふせぐ保障があり、また党内の思想闘争と厳重な組織上の統一、共通の大会のすべての決定にたいする服従とが完全に両立するものとなりうるし、またならねばならないことの保障がある」(全集第十巻、三○○ぺージ)。「非常に多くの『自由の時期の社会民主主義者』が、まじめに学習し、マルクス主義を学習し、堅忍不抜のプロレタリア的活動を学習しはじめた。……かれらはいつまでも社会民主主義者に、マルクス主義者にふみとどまるであろう。のこりものは、二、三の暗記した言葉、まる暗記した『めざましい』スローガン、『ボイコット主義』や『武装隊主義』などといった二、三の空文句以外には、プロレタリア党からなにひとつ摂取するひまがなかったか、あるいはそうする能力がなかった。こういう分子が自分の『理論』を、自分の世界観を、すなわち自分の視野の狭さを労働者覚におしつけようと思いついたとき、彼等との分裂は避けられないものとなった」(全集一六巻、五五ぺージ)

 山口の国際盲従主義者は、「第二インターの崩壊」をもちだして「修正主義とマルクス・レーニン主義の間に中間はない、この両者のあいだには組織的分裂あるのみである。」とか「党指導部が日和見主義におちいったとき、これに反対して分派活動をおこなうのは正当であり、真の革命的立場である」などといって、またもやレーニンをひどくわい曲しています。

 レーニンは、第一インターナショナルについては「社会主義内の二つの基本的潮流、すなわち、日和見主義的潮流と革命的流派は、一八八九年〜一九一四年の全時代に見られる」ことを長期にわたって確認しながらも、「だから組織的分裂あるのみだ」などとはいわず、バーゼル大会決議にたいする公然たる裏切りが行なわれた時にはじめて第一インターは「崩壊した」と断じたのです。

 山口の国際盲従分子は、第一インターの右翼日和見主義指導部とわが党中央とが同じだと中傷していますが、わが党は党大会や中央委員会の決定や宣言・声明を、いつ裏切ったことがあるでしょうか。多言を要しないところです。

 また彼らは、第一インター崩壊の時期と現代の基本的特徴を同一視していますが、これも誤りです。

 第二インターの諸党では、今日わたしたちがいう意味でのマルクス・レーニン主義を確立していませんでした。一方ではレーニンが社会主義革命を実行するのに必要な理論・戦術をしあげていったのに、他方では日和見主義者は、逆にマルクス・エンゲルスの理論から革命性をとりさっていたことは周知の事実です。そのような第二インターの諸党が、党組織論においても、今日のような民主主義的中央集権制をもちえなかったのは当然です。

 レーニンに指導されたボリシェヴィキとコミンテルンの活動によって、思想上・政治上でマルクス・レーニン主義の立場が確立されてゆき、同時にマルクス・レーニン主義にもとづく党組織論が確立されていったのです。

 したがって第一インター諸党の党組織論と現代のマルクス・レーニン主義党のそれとは異質のものです。

 山口の国際盲従分子は、このような歴史的発展が理解できないし、またニつの時代の党の政治上、理論上、組織論上の立場に揮された歴史の刻印の相違が理解できないのです。

 彼らは弁証法ではなく、形式論理をふりまわしているだけです。

 国際共産主義運動は、長い革命運動のなかで、党の統一と団結のためのいくたの試練を経て、思想上、政治上の立場ときり離せない組織原則―個々の党における民主主義的中央集権制を確立してきたのです。そして、わが党は、一九五○年の不幸な分裂から真剣に教訓を学びました。第七回党大会は、それらをりっぱに概括し、分裂の契機においても、分裂の経過においても、戦略上・戦術上の誤った意見と民主主義的中央集権制、とくに中央委員会内の集団主義のじゅうりんとが相互にからみ合い、相互に促進しあっていたことを明確にしています。また分外後の一方の側の極左冒険主義的、セクト的な政治は、官僚主義・個人中心指導という民主主義的中央案権個の破壊と、まったく不可分に結合していたことを明らかにしています(『前衛』、第七回党大会決定報告集、四八〜五七ページ)。

 そして、この第七回党大会の文書は、戦略上で重要な意見のちがいがあり、国際的批判があったにしても、中央委員会が組織原側を堅持し、相互・自己批判にたより、規律を厳守していたならば、分裂はあれほどにならなかったであろうと反省し、「党の統一と固結をまもりぬくためには、いかなる場合にも規約を厳守し、規定されている大会その他の常会議を定期に開き、民主集中制と集団指導の原則を貫くことが必要である」と強調しています(同上、五七ぺージ)。

 わが党の規約が前文四で、「民主主義的中央集権制にもとづき、党員の自覚と厳格な規律による全党の統一と団結こそは、党の生命であり勝利の保障である。したがって、すべての党員は、いかなる場合にも党の統一をかたく守らなくてはならない。……統一をやぶり、派閥をつくり、分派活動をおこなうことは、党を破壊する最悪の行為である」とのべているのも、国際共産主義運動が歴史的に蓄積している諸教訓を摂取するとともに、とりわけ一九五○年の分裂から重大な教訓をくみとっているからです。

 一九六○年の「声明」も、また、「マルクス=レーニン主義党は、民主主義的中央集権制の原則にもとづく党生活のレーニン的基準をきびしく守り、党の統一をひとみのように守り……」とのべつつ、同時に「すべてのマルクス=レーニン主義党は、独立した平等な党であり、各国の具体的情勢に応じ、マルクス=レーニン主義の諸原制にしたがってそれぞれの政策をたてており、しかもたがいに支持しあっている。それぞれの国の労働者階級の事業を成功させるためには、すべてのマルクス=レーニン主義党の国際的連帯が必要である。それぞれの党は自国の労働者階級と勤労者にたいして、国際的な労働運動、共産主義運動全体にたいして責任をもっている。……もしいずれかの党に他の兄弟党の活動にかんする問題が生じた場合には、その党の指導部は相手の党の指導部に話しをもちかける。もし必要があれば会議をひらき相談をおこなう」と明記しています。コミンテルン解散後、とくに現代の国際共産主義運動における独立・平等の各党間の基準は、これより外にはありえません。

 したがって、一国の自主独立の党の民主主義的中央集権制の組織原則をおかすことはいかなるものといえどもできないのであり、いわんや、特定の外国勢力に盲従して、自国の党の組織原則を破壊することも断じて許されないのです。

6.マルクス・レーニン主義党の組織原則の悪どい破壊者を断固粉砕しよう

 現在、第十回党大会をめざして全党は、一九五○年の分裂、その後の極左冒険主義、セクト主義の原因について、第七回党大会ではなお明確にしえなかったこと(これらの誤りには、兄弟党や国際組織による外部からの公然とした批判やわが党の内部問題への大国主義的な干渉も重要な関連をもっており、わが党も明確な自主的な国際路線を確立しえていませんでした)についても大会報告案によって、真剣な討議をしています。

 ところが、あらたな国際盲従主義者たちは、特定の外国勢力は他国の党に干渉することができるし、それに盲従しておれば自国の党の組織原期を破ることもできると考えているようです。だが、わが党は、いかなる形の組織原用と正しい各党間の基準の破壊も見のがすことはありません。現代修正主義者が党の民主主義的中央集権制をわい曲し同時に兄弟党の内部問題に干渉したのにたいして、わが党はけっしてこれを見のがしたり、同調したりしなかったではありませんか。

 右翼日和見主義的な修正主義者にかぎらず、教条主義者、セクト主義者も、自己をあらためなけれぱ、かならず党の民主主義的中央棄権制をわい曲するようになります。そして、いまや山口県の国際盲従主義者たちは、「修正主義路線を実行する武器に転化した修正主義者の主張する『民主集中制』の組織原則にしたがうことは、修正主義への屈服を合理化することである。真の革命戦士は、『造反有理』(むほんには理由がある)の革命的旗じるしを高くかかげ、自覚的革命的組織原則にしたが」う、と極言するまでになっているのです(「長周新聞」九月四日付、光岡)。

 もちろん、マルクス・レーニン主義の原用を堅持するわが党を「修正主義」などとかれらがののしるのは、わらうべき空文句にすぎないし、それにごまかされるようなひとはそういないので、あえてこのことにふれるのは省略しておきます。それよりも、国際盲従主義者がここでいっている「組織原則」――「『造反有理』の革命的旗じるし」とはいったい何でしょうか。まさしく、日本共産党を破壊しでもよろしい、ということではありませんか。日本共産党を破壊せよ、ということではありませんか(外国語のわからぬわれわれ日本の労働者大衆のために注をつければ、「造反有理」とは「むほんには理由がある」ということだそうである!)。

 かれらの一派はもっとはっきりと、山口県でこうさけんでいます。「世界では特定の一党以外は修正主義だ。この党にしたがうのが真の共産主義者だ。いまや国際的に大分化、大再編成の時だ」と。

 しかし、反党分子たちにはっきりいっておかなければなりません。われわれは、そのような党破壊の主張と反党分子をけっして大目にみることはなく、断固粉砕するであろう、と。

 さいごに、もう一言つけくわえておきましょう。わが党の幹部が何十万円の月給とりだとデマをとばしたり、「赤旗」山口支局の金を盗んで逃亡させたりすることは、はやくも君たちが最低のデマと挑発の集団に転落した証拠であり、君たちの落ち行く先は歴史上の多くの裏切り者がいきついたあわれな袋小路以外にありえない、と。

 わが党は、マルクス=レーニン主義の原則、プロレタリア国際主義と愛国主義を統一した自主独立の立場、党綱領と規約を堅持する中央委員会のまわりにいっそう堅く団結し、党破壊者を粉砕し、第十回党大会を成功させ、数十万の強固な大衆的前衛党の建設をめざしてさらに前進していくでしょう。(井田誠)

「赤旗」1966年9月15日

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