福田一派の「国際主義論」と志賀一派の先例――事大主義、国際盲従のための主張


 山口県の「長周新聞」を足場とする福田一派は、特定の外国勢力に盲従して、公然たる党破壊活動にのりだし、わが党にありとあらゆる中傷、攻撃を外部からくわえています。その場合「長周新聞」は、自分たちの国際盲従、大国主義をいくらかでも合理化しようとして、いくつかの論点をだしています。つぎに、その一、二を見てみましょう。

1.国際盲従分子の主張

 「長周新聞」九月七日号に「当面する内外情勢の特徴について」と題した記者座談会がのっています。この座談会は、特定の外国の主張を借りて全面的に日本共産党の攻撃をめざしたものです。その最後の結論的な部分で、福田一派は、特定の一つの社会主義国が「世界革命運動の根拠地」となっており、そこで「闘われている」ことを「全面的に支持してはじめて自分たちの解放闘争も成功するという真のプロレタリア国際主義を堅持して進むこと」が重要だ、と主張しています。そして、この立場から福田一派は、わが党の自主独立の立場にたいして、「 "自主独立 "のワクをつくって人民をとじこめ」るものであり、「革命を流産させるしろもの」であるとひぼうをくわえています。

 社会主義陣営が世界の革命運動において重要な役割を果たすべきこと、資本主義世界の困難な状況下でたたかっている労働逮動や民族解放運動が社会主義国諸国に大きな役割を期待すること、さらにまた労働運動や民族解放運動が社会主義陣営にたいする帝国主義の侵略政策に反対し、国際主義の立場から社会主義陣営を擁護することは、いうまでもないことです。

 しかし、福田一派がことさら特定の社会主義国だけをとりだして論じようとしているのは、そういうことではありません。

 まず注目しなければならないのは、かれらがここでとりあげているのは、いまアメリカ帝国主義の侵略と英雄的にたたかっている社会主義陣営の前哈たるベトナム民主共和国でもなければ、十三の社会主義国からなる社会主義陣営全体でもなく、そのなかの特定の一つの国であるということです。福田一派は、この一つの社会主義国のみに「世界革命運動の根拠地」という特別の地位をあたえているのです。

 ここから、福田一派は「世界革命運動の根拠地」という地位を見出した特定の一つの社会主義国にかんしては、ここで「闘われている」ことはすべて「全面的に支持」されなければならないという実践的 "任務 "をひきだしています。しかも、この「全面支持」こそが「真のプロレタリア国際主義を堅持して進むこと」だというのです。これは、特定の社会主義国の内部でおこなわれていることへの支持・不支持を国際主義のいわば "試金石 "とするもので、マルクス・レーニン主義の国際主義を特定の国の党の政策の無条件的支持を要求する事大主義にすりかえる暴論にほかなりません。

2.マルクス・レーニン主義の国際主義の見地

 マルクス・レーニン主義のプロレタリア国際主義の精神は、「万国の労働者団結せよ」という『共産党宣言』のよびかけにもっとも具体的にあらわれています。この万国の労働者階級の団結の社会的基礎は、労働者の存在じたいが国際的であること、その敵と利害および解放の条件が共通しており、同じ解放の目標をもっていることにあります。レーニンはつぎのように明言しています。

 「資本の支配は国際的である、まさにそのために、万国の労働者の解放闘争は、労働者が国際資本にたいして共同して闘争するときはじめて成功しうるものである」(『社会民主党綱領草案と解説』、全集第二一巻九一ぺージ)

 このように、労働者階級は国際的に共通の地位と共通の敵をもっているので統一・団結してたたかわなければなりません。ここに国際主義の神ずいがあります。しかも、現代においては、このような団結の基礎は被抑圧民族ももっており、こうしてレーニンは、一九二○年十二月に「万国の労働者、被抑圧民族の団結」をあらためて強調しました。事実、この数十年来、労働者階級と被抑圧人民は団結して、共通の主要な敵――帝国主義ブルジョアジーと反動諸勢力にたいする闘争を発展させてきたのです。

 したがって、われわれの国際主義には、特定の一国の労働者階級や党だけが主力であるとか、その指導下の国だけが「根拠地」であるといった考えをもちこむ余地はまったくないのです。

 しかも、労働者階級の共同の革命事業は、その隊列が各国に別れている以上、また、そのおかれている条件と段階がちがう以上、各国の革命闘争をつうじて発展していかないわけにいきません。レーニンは、つぎのように強調しています。

 「実際の国際主義は一つしかない。すなわち、自国内の革命運動と革命的闘争とを発展させるために献身的に活動すること。例外なくすべての国でこれと同じ闘争、これと同じ方針を支持し、ただそれだけを支持すること(宣伝によって、共感によって、物質的援助によって)である。それ以外のものはすべて欺まんである……」(『わが国の革命におけるプロレタリアートの任務』、全集二四巻五九ぺ−ジ)

 そして、こうした自国の革命運動を発展させる責任と責務は、むろんその国の労働者階級の前衛党こそがもつのです。わが国の革命運動の指導は、自主独立の日本共産党以外におこなえるものはありません。

 とはいえ、このことは、相互の団結と協力、支援がなくてもよいということをいささかも意味しません。一九六○年の八十一ヵ国共産党・労働者党代表者会責の「声明」は、こう強調しています。「すべてのマルクス・レーニン主義党は、独立した平等な党であり、各国の具体的情勢に応じ、マルクス・レーニン主義の諸原則にしたがってそれぞれの政策をたてており、しかもたがいに支持しあっている」

 すなわち、各国共産党の関係は、独立平等の党が相互に支援しあうことであり、一方だけが支援という関係ではけっしてありません。われわれはいま、ベトナム侵略を激化させるアメリカ帝国主義に反対し、ベトナム人民を支援する闘争を最大限に発揮させる責務があります。しかし、この支援でさえも一方的なものではなく、ベトナム人民の闘争はわれわれ自身の闘争をもはげまし、支援しているのです。こうして、労働者階級と被抑圧人民の闘争は、連帯し、支援しあって、共通の敵の支配をつぎつぎに倒し、世界的な勝利をかちとっていくのです。ロシア革命はそのような勝利の一つであり、中国革命もそのような勝利の一つでした。そして、いうまでもなく、このような各国の革命運動は特定の一国を「根拠地」としておこなわれるのではけっしてなく、おもには、自国の人民大衆に依拠し、国際的に連帯しつつ、人民大衆自身の力で推進されていくものです。

3.志賀一派と相呼応した「自主独立」への攻撃

 ところが、福田一派によれば、「世界革命運動」は特定の一国のみを「根拠地」としており、だからこの「根拠地」でやられることを「全面的に支持」することが「真のプロレタリア国際主義」だというのです。まさしくこれは、プロレタリア国際主義の「超」創造的な展開(?)だといわなければなりません。

 福田一派の議論の誤りの若干はさきにみたとおりですが、さらに重大なその実践的帰結は、かれらの右の見地から出てくる自主独立の立場への攻撃にあります。

 すなわち、かれらはわが党の自主独立の立場を「 "自主独立 "のワクをつくって人民をとじこめ」るものであるとか、「革命を流産させるもの」であるとかののしっているのですが、これは、ただ一つの「世界革命運動の根拠地」に依拠しなければ自国の革命はおぼつかないと悲観し、そこの国内政策の支持を「国際主義」のきめ手とする皮相な立場から当然ながれでてくるものです。自国の人民大衆に依拠し、もちろん国際連帯もつよめつつ、革命を主体的にやりぬくというわが党の自主独立の立場が、かれら事大主義者の目には「革命を流産させる」ものであるかのように映るのも「無理からぬ」ことかもしれません。

 特定の一つの社会主義国を特別の地位におき、その政策を「全面的に支持」することを「国際主義」だとし、そこから自主独立の立場を攻撃する見地は、わが国で福田一派がはじめてあきらかにしたものではありません。かれらと現象的には対照的であるかのように見える売見修正主義者の志賀、神山一派も、まさしく福田一派に類似した見地をとってきました。

 志賀義雄は、一昨年わが党を裏切っていったさい、「ソ連を先頭とする」という一語を文献のなかからとくにとりだし、この「先頭」という特殊な唯一の地位をもつソ連に盲従することを「国際主義」であると強弁しました。すなわち「この精神にてらしてみても、私はあくまでもモスクワ条約を支持することこそ、人民と党の利益のために忠実に奉仕する共産主義者の正しい態度である」とのべ、ソ連共産党指導部の政策については、それがどのようなものであれ無条件に支持することが「プロレタリア国際主義」であるとの見地をとっていたのです。

 神山茂夫もまた、『日共指導部に与う』という論文集のなかで「ずばり一言でいえば」「ソ連を先頭とする社会主義諸国の共固体が全世界の平和の確固たる基礎である」といって、ソ連だけに「先頭」という特別の地位を見出し、ここの党指導部の方針に盲従することがあたかも「国際主義」であるかのように主張し、売党的な実際行動に走っていったのでした。

 そして、志賀、神山らはこの売党的、事大主義的盲従の立場から、一貫してわが覚の自主独立の立場を「ブルジョア民族主義」であるなどと攻撃しています。

 二年来の志賀、神山の主張と現在の福田一派の主張は、なんと似かよっているでしょうか。ちがいは、一方がソ連だけを特殊な地位においたのにたいし、他方は別の一国だけを特殊な地位においているというだけであり、国際盲従、事大主義という点では見事な一致をしめしています。

 しかし、自国の党と人民の力を信頼せず、外国の党に依存して何事かをおこなおうとするまったく卑屈な人びとが、どうして自国の人民大衆から支持されるでしょうか。福田一派が、志賀、神山一派と同様に、人民大衆から完全に見放されていくことは目にみえています。

 わが党は、共同の敵にたいする共同の闘争という国際主義の見地を堅持して反帝国際統一行動、統一戦線の強化のために全力をつくし、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場を堅持してたたかい、福田一派や志賀、神山一派の「左」右の売党分子を徹底的に粉砕していくでしょう。(中山誠一)

「赤旗」1966年9月20日

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