現代教条主義、事大主義、セクト主義解党主義の醜悪な結合――売党破壊分子福田、原田一派の二つの声明を批判する

1966年9月4日「赤旗」主張


 福田、原田一派の売党・反党分子の党破壊策動にたいして、これを粉砕する闘争を断固としてすすめている日本共産党由日県委員会は、九月三日、反党活動の中心分子である福田、穴迫、隅岡、大林、古谷の五名にたいする除名処分を決定し、党中央委員会幹部会は、九月五日、この処分を承認しました。これは、山口県の党組織を全国的な反党活動の拠点にかえることをもくろんでいた福顕、原田一派の陰謀に、決定的な打撃をあたえるものでした。

 党から放逐された福田らは、九月六日、「日本共産党山口県委員会(左派)」と名のって「声明」を発表し、あたかも山口県党組織が分裂して二つの山口県委員会がうまれたかのようによそおいつつ、「山口県党の同志」に、かれらの旗のもとに結集して、日本共産党中央を「粉砕」する闘争に決起することをよびかけました。かれらは、反党集団の事実上の機関紙である「長周新聞」などを全国各地の党機関や民主団体に送りつけ、その反党活動を全国的にひろげようとしています。

 また、四中総で中央機関紙編集委員に任命されながら、病気を理由に一日もその任務につかず、山口県で「静養」していた原田長司は、福田らの反党声明に呼応して、国じ日に「現代修正主義に反対し、山口県党の伝統を守ろう」なる「声明」を発表しました。山口県委員会は、党の団結と規律にたいするこの公然たる挑戦にたいして、九月十日、原田の除名を決定しました。

 福田、原田一派は、この二つの反党声明のなかで、しきりに日本共産党指導部の「修正主義への転落」をうんぬんし、わが党にさまざまな中傷、悪罵をあびせかけ、自分たちが、修正主義的堕落から日本共産党を救うために決起した「革命的」共産主義者であるかのように、みせかけようとしています。だが、わが党にどのような篤言を投げつけようと、それによって自分たちの恥ずべき正体をおおいかくすことはできません。この二つの声明は、逆に、福田、原田一派が、一部の外国勢力に盲従してマルクス・レーニン主義の原理的立場をなげすて、党と革命の事業を裏切った売党、反革命の徒にすぎないことを、あますところなく暴露しているのです。

1.反帝国際統一戦線を中傷するための米日ソ「神聖同盟」論

志田一派と同じ分裂主義の議論

 福田、原田一派は、ます、その声明のなかで、反帝国際統一戦線についてのわが党の方針を、アメリカ帝国主義の世界戦略の一翼をにない、その立場を代弁したものだなどと中傷しつつ、これにソ連指導部を排除した「反米国際統一戦線」という「革命的」方針を対置させています。福田一派のこの主張は、反米、反ソ統一戦線という志田一派の主張とまったく属じもので、アメリカ帝国主義のベトナム侵略がいよいよ重大な段階をむかえつつあるまさにそのときに、社会主義陣営および反帝民主勢力を決定的に分裂させることを公然と主張したものです。これが、もっともあからきまなセクト主義、分裂主義の方針であることは明白です。そのことは、わが党が、志田一派の分裂主義的主張を批判した「赤旗」八月八日および八月十日の二つの論文で、すでにあますところなく、解明したとおりです。たとえどんな「革命的」言辞でかざりたでようとも、それが、ベトナム人民をはじめ世界人民の反帝闘争の利益にそむき、アメリカ帝国主義をよろこぱせるだけの、反人民釣な主張であることを、ごまかすことはできません。

 福田、原田一派のただ一つの目あたらしさは、かれらが、一部の外国勢力の主張から輸入したぱかりの米日ソ「神聖同盟」論なるものをもちだすことで、その分裂主義的方針を裏づけようとしていることです。

 たとえば、福田らの声明は、つぎのような議論を農閑しています。

(1)ラスクとグロムイコの相つぐ来日がしめしたものは、「アメリカ帝国主義を主役とするソ米日の反中国『神聖同盟』の形成」である。これは「日本人民を弾圧し、アジア人民の革命闘争の弾圧を主要な目的としたもの」である。

(2)だから、日本共産党中央が主張するように、ソ運修正主義を反米国際統一戦線にひきいれることは、「アメリカ帝国主義の世界戦略、とりわけベトナム侵略戦争の目的達成にとって、いまもっともかれらが重視していることであり、したがって、アメリカ帝国主義に反対する世界各国人民の闘争の発展にとって、もっとも危険なものである」

 一見してあきらかなように、この米目ソ「神聖同盟」論も、二つの論文ですでに徹底的に論破しつくした「米ソ主敵」論をいいかえただけのものにすぎす、志田一派の誤った見地をいっそうきわだたせ、よりこっけいなものにする結果にさえなっています。

ソ連を侵略勢力とみる「神聖同盟」論

 第一に、福田、原田一派がここで主張しているのは、七月の日ソ会談を一つの画期として、世界人民を敵とする米日ソ「神聖同盟」が形成されたということ、いいかえれば、ソ連共産党指導部が、アメリカを盟主とする帝国主義的侵略陣営に完全に移行したということです。かれらは、「長周新間」九月七日号の記者座談会では、フルシチョフの後継者たちは、グロムイコを日本に送りこむことにより「アメリカ帝国主義や日本軍国主義と協力して、中国侵略政策に政治的、経済的、軍事的にものりだした」と事で、いっています。これは、事実の具体的分析などなにひとつおこなわずに、外国からの借りものの図式をふりまわす福田、原田一派の「空論」ぶりを遺憾なく発揮したものでしょう。

 いうまでもなく、アメリカ帝国主義が、ここ数年来、社会主義陣営の不団結を利用して各個撃破的にアジア侵略をおしすすめるために「米ソ協調」政策を追求してきたこと、そして佐藤内閣の最近の「対ソ接近」政策がそれを補強する役割をになってきだことは、かくれもない事実です。第十回党大会にたいする中央委員会の報告案は、そのことを明確に指摘しています。

 「佐藤内閣が最近『極東の平和のため』と称しておしすすめている『対ソ接近』政策も、アメリカの支持のもとに『米ソ協調』政策の補強をねらったものであり、アジア侵略のために社会主義陣営の不団結を利用しようとするアメリカ帝国主義の政策の一翼をになったものである」

 また、わが党がこれまで一貫して指摘してきたように、現在のソ連共産党指導部の政策と行動のうちに、このようなアメリカ帝国主義と日本支配層の策動に無原則的に迎合、追従しようとする日和見主義路線が、依然として根ふかく存在していることも、明白な事実です。わが党は、ソ連共産党指導部による佐藤内閣の反動的外交政策の美化にたいしてきびしい批判をくわえ、また、「赤旗」八月八日付論文などで、本年七月末のグロムイコ訪日のさいにあらわれたソ連共産党指導部の日和見主義的態度にも批判をおこなってきました。

 だが、このことから、福田、原田一派のように、末日反動勢力の陰謀がすでに完全に成功をおさめ、侵略的な米日ソ「神聖同盟」がすでにできあがって、ソ連共産党指導部が、アメリカ帝国主義や日本軍国主義とともに、アジア諸国人民の革命闘争の弾圧や中国侵略をめざす世界人民の敵になったなどという結論をひきだすのは、あまりにも極端な論理の飛躍であり、ソ連共産党指導部の対米追従政策にたいするマルクス・レーニン主義的批判を、社会主義国を帝国主義的侵略勢力と同一視する非科学的デマゴギーにおきかえるものといわなけれぱなりません。

 福田、原田一派のこのような断定の誤りは、今日、帝国主義勢力と反帝民主勢力の国際的対決の焦点となっているベトナム問題で、ソ連共産党指導部が最近どういう態度をとっているかをみれば、さらに明りょうになります。福田、原田一派は、反米・反ソの統一戦線を主張するその議論のつじつまをあわせるために、現在のソ連共産党指導部はアメリカの侵略政策への加担という点で、「フルシチョフさえやらなかったこと」をやるようになり、ベトナム問題でもまったくの「アメリカの手先」に転落したなどとしきりに主張していますが、これは事実に合ったものとはいえません。

 たしかに、フルシチョフ当時のまったくの目和見主義政策とくらべて、ソ連共産党指導部のベトナム政策には一定の変化がおきました。だが、それは、福田、原田一派が主張するように、アメリカのベトナム侵略政策への追従を深める方向での変化ではありません。それが、反対に、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対しベトナム人民の正義の闘争への支持をよりつよめる方向での、一また武器援助をふくめベトナム人民にたいする具体的支援をより強化する方向での一定の変化であったことは、周知の事実です。

 もちろん、ソ連共産党指導部のベトナム政策でのこうした変化は、フルシチョフ以来の公然たる対米追従路線の破たんがだれの目にもあゝきらかになった結果、また断固たる反帝闘争を要求する世界人民の圧力とマルクス・レーニン主義を堅持する諸党の批判におされて、余儀なくされたものであり、修正主義、日和見主義の路線の全面的な放棄を意味するものでないことは、いうまでもありません。しかし、世界人民の圧力のもとで、ソ連共産党指導部が、一方で対米追従の日和見主義、修正主義の路線を根づよくのこしながらも、他方で、この日和見主義路線とは矛盾する一定の反帝政策、反帝行動をとらざるをえなくなった事実、しかも、アメリカ帝国主義の侵略政策の集中点であるベトナム問題で、そうした政策をつよめざるをえなくなったという事実は、ソ連を帝国主義の陣営に全面的に移行した侵略勢力とみなす米日ソ「神聖同盟」論の非科学性、独断性を具体的に暴露するのには十分です。

 そして、この事実はまた、ソ連共産党指導郡の路線と行動の最近の特徴をあたらしい二面的態度と評価し、世界人民と国際共産主義運動の利益をまもる立場から、これに革命的二面政策をもって対処してきたわが党の方針が、事実の具体的、科学的分析にもとづいた唯一のマルクス・レーニン主義的方針であることをしめしています。

 このように、福田、原田一派がぷりまわしている中国侵略のための末日ソ「神聖同盟」論なるものは、事実の検証にたえないだけでなく、行動の指針となることもできない観念的な図式です。そして、福田、原田一派が情勢を具体的、自主的に分析することなく、ただ一部の外国勢力の主張を日うつしにしてこの観念的な図式をふりまわし、それをもって反帝国際統一戦線についてのわが党の方針を攻撃する最大の「論拠」としていることは、まさにかれらの対外盲従と事大主義、現代教条主義の実態をさらけだしたものです。

「反米反ソ統一戦線」こそアメリカの世界戦略に合致

 第二に、福田、原田一派は、米目ソ「神聖同盟」論から、アメリカ帝国主義が、ソ連をふくむ反帝国際統一戦線の形成をのぞみ、これを「世界戦略」の当面の重点として重視しているという、おどろくべき結論をひきだしています。これもまた、まったく荒唐無けいな議論だといわなければなりません。

 いったい、アメリカ帝国主義は、なにを目的として、「米ソ協調」政策を推進し、佐藤内閣の「日ソ接近」政策を激励してきたのでしょうか。それは、ほかでもなく、現代修正主義の潮流の日和見主義、分裂主義の路線とそれにもとづく社会主義陣営、反帝民主勢力の不団結を利用し、アジアァの民族解放運動と社会主義諸国の各個撃破政策、とくに当面のベトナム侵略戦争を有利におしすすめるためです。アメリカ政府がたえず社会主義諸国の反応を打診しながら、ベトナム侵略戦争を段階的に拡大してきたここ数年来の経過が具体的にじめしているように、アメリカ帝国主義の「世界戦略」は、社会主義陣営の不団結が拡大し、反帝勢力が固結した力でベトナム侵略に効果的に反撃できない状態がいつまでもつづくことをこそ期待し、重視しています。ベトナム人民の闘争を支持する明確な共同細領のもとに反帝国際統一行動、統一戦線が前進し、強化されることは、アメリカ帝国主義がむっともおそれているものにほかなりません。

 ここから出てくる結論は明白です。口をひらけば、中国侵略のための米日ソ「神聖同盟」の反革命的陰謀なるものを強調する福田、原田一派が、もし、アメリカ帝国主義や日本反動勢力の「米ソ協調」「日ソ接近」などの危険なたくらみを本当に重視しているのだったら、いっさいの反帝民主勢力の団結の旗、国際共産主義運動と社会主義陣営の団結の旗をいっそう高くかかげ、これをさまたげるあらゆる日和見主義、分裂主義を批判して、反帝国際統一戦線の拡大、強化のために奪闘する立場にたつべきです。ところが、福田、原田一派は、まったく逆に、ソ連共産党指導部が世界人民の圧力のもとで二面的態度をとることを余儀なくされているとき、またハバナの三大陸人民連帯大会の成果にもみられるように、ベトナム侵略に反対する国際統一行動と統一戦線が一定の前進をしめしはじめたそのときに、ソ連を統一戦線から無条件に排除すべきだと主張して、反帝国際統一行動と統一戦線を破壊し、反帝民主勢力の分裂を決定的なものとすることを、懸命にもとめているのです。これは、まさに、「米ソ協調」政策によってアメリカ帝国主義が追求してきた目標そのものであり、とりわけ「ベトナム侵略戦争の目的達成にとって、いまもっともかれらが重視していること」をたすけることにほかなりません。

 以上にみてきたことから、国際統一戦線の問題をめぐる事態の本質は、きわめて明確です。

 ベトナム人民の闘争を支持するいっさいの反帝民主勢力を国際統一戦線に結集し、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反帝勢力の団結したカで反撃するというわが覚の方針が、社会主義陣営の不団結を利用しでベトナム侵略戦争をはじめアジア侵略政策を強行しようというアメリカ帝国主義の「世界戦略」に、もっとも強力でもっとも効果的な打撃をあたえる方針であり、ベトナム人民や世界人民の反帝闘争の利益に合致したものであることは、すでに疑問の余地はありません。

 これにたいして、ソ連をアメリカ帝国主義や日本軍国主義と同列の侵略勢力とみなし、国際統一戦線から全面的に排除することを主張する福田、原田一派の「反米、反ソ統一戦線」論こそは、反帝民主勢力の隊列を決定的に分裂させることによって、アメリカ帝国主義の各個撃破政策を支援する方針、かれらのことばをかりれば、社会主義陣営を分断して米日ソ「神聖同盟」をつくりあげようとするアメリカ帝国主義の陰謀に直接手をかす議論にほかなりません。これはまさに、アメリカ帝国主義の「世界戦略」の一翼をにない、その立場を代弁する反人民的分裂主義の方針です。

 革命的空文句にかくれたアメリカ帝国主義への奉仕――われわれは、ここに福田、原田一派が一部の外国勢力の見解への盲従にみちびかれて到達した「左翼的」路線の政治的本質があることを、はっきりみぬかなければなりません。

2.大国主義的干渉に迎合する事大主義と党攻撃

「反中国カンパニア」という中傷

 福田、原田一派は、また、わが党にたいしてしきりに、「反中国カンパニア」を組織しているとか、米日反動勢力の中国敵視政策を援助しているとかの非難を投げつけ、二つの声明のなかでもこのことを日をきわめて強調しています。だが、この種の非難は、ただかれらが特定の外国勢力への盲従を原則とする救いがたい事大主義、盲従主義におちこんでいることを、みずから証明するだけのものでしかありません。そのことは、福田、原田一派が、これが「反中国カンパニア」の「証拠」だといってあげている事例をみれば、明りょうです。

 たとえば、原田は、その声明で、「最近の第二回日中青年大交流にたいする民青同盟グループや、第十二回原水禁世界大会日本代表団グループにたいする間違った指導、日中友好協会常任理事会やA・A連帯委員会全国理事会にたいするグループを通じての策動など、反中国カンパニアの数数を組織して」いるといって、わが党を非難しています。

 いったいここにあげられた事例の、どこに「反中国カンパニア」が存在しているのでしょうか。

 まず、原田が第一にあげているのは、民青同盟が、ベトナム侵略反対、小選挙区制粉砕、国会解散と総選挙のたたかいなど、日本の青年運動が当面している闘争課題に全力をあげなけれぱならないという事情から、今年度の日中青年交流について、中国からの招待を辞退した問題です。いうまでもなく、ある外国から招待をうけた場合、それを受けいれるか受けいれないかは、その団体が、活動上の事情や友好運動の現状などを考慮して、自主的に決定すべきことがらです。民青同盟が、こうした見地から、今回の招待を辞退する態度をきめたからといって、そのことがどうして「反中国カンパニア」を組織したことになるのでしょうか。こんな非難を目にする人びとは、相手国や相手団体に無条件に追随することが国際友好運動の原曲であり、相手国から交流計画が提示されたら、日本側の団体は、どんな事情があろうとこれを辞退することは許されないとでも考えているのでしょうか。

 国際友好運動における自主、平等の原則を否認し、友好運動を相手国への追随運動にかえようとするこのような事大主義こそ、日中友好運動の正しい発展を阻害し両国人民間の真の連帯を破壊するものにほかなりません。

 原田は、また、第十二回原水禁世界大会の問題をあげています。周知のように、ことしの第十二回原水禁世界人余では、一部の外国代表が、「ソ連修正主義」の影響下にあるからという理由で、世界民青連の代表を無条件に大会から排除することを要求しました。これは、事実上、もっとも広範な反帝平和勢力を結集すべき原水禁運動に「反米・反ソの統一戦線」というセクト的、分裂的路線をおしつけようとするものであり、日本原水協と世界大会がこのような要求に同調しえないのは、当然のことです。ところが、原田は、原水禁世界大会が、一部の外国勢力がもちだした「反米、反ソ統一戦線」の路線に同調しなかったことをさして、「反中国カンパニア」などとさわぎたてているのです。どうやら原田は、特定の外国勢力がある方針を提示したら、原水禁運動は無条件にこれを支持しなければならず、これに同調しないで伝統的な路線と自主的な立場を堅持したりすることは、許すべからざる「反中国」の罪をおかすことになると思いこんでいるようですが、これこそ、原水禁運動の団結と前進をさまたげる最悪の事大主義だといわなければなりません。

 原田は、最後に、日中友好協会やAA連帯委員会などの問題をとりあげていますが、これも福田、原田一派の事大主義、盲従主義をさらにさらけだしているだけです。今日、国際友好運動のなかで、国際友好団体の基本的性格と相互交流の基準をいっそう明確にすることが、あらためて重要となっています。それは、最近、国際友好運動の一部に、双方の自主・平等・相互不干渉という当然の前提を無視して、自国の国際的、国内的立場から生まれた政治的スローガンや特定の見解をもちこみ、これへの同調をしいたり、あるいはそれに無批判的に迎合して友好運動を相手国の美化運動にかえたりする誤った傾向が、つよまっているからです。ところが、原田らは、こうした状況のもとで、国際友好運動の正しい発展のために、相互交流などの基準をあらためて明確にし、一部の誤った傾向を正そうとしているわが党や自覚的な人びとの努力が気にいらず、これに「反中国のカンパニア」などというでたらめな中傷をおこなっているのです。

 このように、原田らが「反中国カンパニアの数数」としてかぞえあげている事例はすべて、わが党や自覚的な民主勢力が、日本の民主運動にたいする大国主義的十渉やこれに呼応する事大主義的追随に反対し、これらの運動が日本人民の自主的な運動として正しく発展するために努力してきたことを、さしているにすぎません。民主運動の自主的発展をめざすわが党のこうした努力は、日本人民の解放闘争に責任をおう自主独立の党として、まったく当然の努力であり、日本人民の闘争になんら責任をおおうとせず、外国勢力の大国主義的干渉に無批判に迎合し、あるいはそれに便乗して自分の反党的、反人民的野心をとげようとする売党分子だけが、「反中国」をうんぬんしてこれを非難することができるのです。

 かつて、志賀、神山一派の売党移行主義者たちは、わが党がフルシチョフらの対米追従路線に追従せず、部分核停条約への礼賛に同調しなかったことをさして「反ソカンパニア」だ「ソ連敵視」だとさわぎたてて、その事大主義、盲従主義をさらけだしました。福田、原田一派の「反中国カンパニア」という中傷は、志賀、神山一派の「反ソカンパニア」という当時の非難とまったく同じ性質のもので、外国勢力に盲従して党と人民を裏切った、これらの中傷者自身のみにくい正体を暴露するものです。

原田の二枚舌つかい

 原田は、他方では、人前で自分たちの姿をすこしでもとりつくろおうとして、同じ声明のなかで、かれらが自主独立の立場を今日の国際共産主義運動の原理として承認しているかのような言明をおこなっています。

 「『自主独立』は、国際共産主義運動をおしすすめるにあたっての各国共産党の正常な関係を規定するものであって、わざわざ大げさに、いまさら持ちだす必要のないことです」

 これはまったく無責任で欺まん的な言明であり、二枚舌つかいとでもいうべきものです。もし、原田らが、自主独立の立場を国際共産主義運動の当然の原則として承認しているのだったら、日本の民主運動の自主的立場をまもるためのわが党や自覚的民主勢力の努力を「反中国」などと中傷することはできなかったはずです。

 さらに、福田、原田一派の事実上の機関紙である「長周新聞」の毎号の論調をみれば、原田のこの言明の欺まん性は、いっそう明白になります。たとえば、八月二十四日付「長周新聞」には「中国青年文化代表団歓迎集会」での「山口県委員会左派代表」という肩書きでおこなった反党分子隅岡のあいさつがのっていますが、隅岡は、ここで、特定の外国の党の指導者の思想を「マルクス・レーニン主義の現代の最高峰」とたたえ、「世界人民のみちびきの星」(これには当然日本人民もふくまれます)と礼賛しています。また九月七日付「長周新聞」の記者座談会では、社会主義陣営のなかの特定の一国だけに「世界革命の公然たる根拠地」「世界革命の延安」としての特別の地位をあたえ、そこでおこなわれていることを「全面的に支持」することがプロレタリア国際主義の最大の基準だと主張されています。

 このような、特定の外国の党の路線やその指導者の思想を世界革命の指導理論として絶対化し、その党の政策や行動への「全面的な支持」をつねに無条件に要求することは、特定の外国の党への思想的従属を公然と主張することです。これが、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場とまったく無縁なものであり、これとまっこうから対立する卑屈な盲従主義、事大主義の立場であることは、これ以上論じるまでもないでしょう。

 そして、自主独立の立場をなげすてたこの反党事大主義者が、「自主独立」は国際共産主義運動の当然の原則であって、「わざわざ大げさに、いまさら持ちだす必要がない」などといい、それで自分の正体をごまかそうとしているのです。その恥知らずな鉄面皮には、あきれるほかありません。

外国勢力への盲従を合理化する「米中対決」論

 福田、原田一派が、自分たちの盲従主義を合理化するためにもちだしている議論の一つに、いわゆる「米中対決」論があります。

 「情勢は、反米闘争の先頭に立っている中国人民とアメリカ帝国主義との間できわめて対立が激化しており、それは世界の革命的人民とアメリカ帝国主義との間の対立という内容をもって、第三次世界大戦の危険をはらみつつ進行している」(福田らの反党声明)

 福田、原田一派は、このように、今日の世界情勢を「米中対決」を中心としてえがきだし、それによって、特定の社会主義国やその党の路線を無条件に「擁護する」ことが「プロレタリア国際主義」の義務だとする事大主義を、正当化しようとしているのです。これは、二重に誤った議論です。

 第一に、今日の世界情勢の中心を「米中対決」の進行にもとめるこの議論は、情勢を一面的にゆがめてえがきだしたものです。

 アメリカ帝国主義が、その侵略と戦争の政策を、ベトナム侵略とその拡大にますます集中してきたこの二年間の経過は、帝国主義と反帝民主勢力の国際的規模での対決が、アメリカのベトナム侵略とこれに反対する闘争を焦点として進行していることを、はっきりしめしています。もちろん、中国敵視政策は、朝鮮民主主義人民共和国への敵視政策と固じく、アメリカ帝国主義のアジア侵略政策のきわめて重要な要素の一つをなしており、アメリカ帝国主義による中国侵略戦争の危険は、現実に存在しています。だが、アメリカの中国侵略の危険は、ベトナムをめぐる国際的対決とはなれて別個に存在しているのではありません。それは現在、ベトナム侵略とその凶暴な拡大のうちにこそ存在しています。したがって、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的な闘争を全力をあげて強化し、この国際的対決の築中点でアメリカ帝国主義にもっとも強力な打撃をあたえることこそ、ベトナムでの勝利をかちとる道であると同時に、中国への侵略をふくめ侵略戦争をいっそう大規模に拡大する危険をもっとも効果的に阻止する当面の中心的任務でもあります。

 福田、原田一派のように今日の情勢のこのもっとも重大な特質を無視して、情勢を「米中対決」の筒からだけとらえ、そこから闘争の課題や方向をひきだそうとすることは、結局のところ、アメリカ帝国主義のベトナム侵略をうちやぷる緊急の任務を過小評価し、人民の闘争の方向をあやまる日和見主義におちこまざるをえないのです。

 第二の、いっそう重要な誤りは、福目、原田一派がここで、社会主義国にたいする帝国主義者の侵略に反対し、侵略の危険から社会主義国を擁護する問題と、その社会主義国やその国の党の路線への盲従が正しいかどうかという問題とを、すりかえていることです。

 いうまでもなく、帝国主義の侵略にたいして社会主義国を擁護することは、マルクス・レーニン主義党のもっとも重要な国際主義的責務の一つです。わが党は、この見地から、ベトナム民主共和国にたいするアメリカ帝国主義の侵略を、社会主義陣営への公然たる侵略としてとくに重視し、ベトナム侵略に反対する国内的、国際的な闘争の強化のために全力をあげるとともに、中国、朝鮮などアジアの他の社会主義国への侵略拡大の危険をもけっして軽視せず、米目反動勢力の中国敵視政策に反対じ、日中国交回復を要求するたたかいを一貫しておしすすめてきました。

 だが、中国侵略の危険を重視し、これを防止する任務を重視することは、福田、原田一派のような盲従主義を正当化する根拠となりうるものではけっしてありません。アメリカ帝国主義による中国侵略の危険にたいして、わが覚がその国際的責務をはたす道は、正しい国際、国内路線をあくまで堅持して、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、とくにその当面の集中点であるベトナム侵略に反対する日本と世界の人民の闘争の前進に、もっとも積極的に貢献すること以外にはありません。いくら口先で「米中戦争」の危険を説き、中国敵視政策に反対する闘争の重要性を強調してみても、福田、原田一派のように、特定の外国の党の路線に盲従して、「反米反ソ統一戦線」論などベトナム侵略に反対する国際的闘争を弱める方針を主張したり、日本の党と人民の闘争をかく乱する破壊活動をおこなったりすることは、反党、反人民の立場に立つことであることはもちろん、実は、アメリカ帝国主義の中国侵略の危険を防止するたたかいをも妨害することでもあり、客観的には中国人民の真の利益をまもることに反対する立場にたつことにほかなりません。

 かれらは、この点でも、米日反動勢力に奉仕する党かく乱者としての正体をさらけだしているのです。

3.党破壊の犯罪行為を弁護する二つの手口

 最後に、マルクス・レーニン主義党の組織原則をじゅうりんした党派回活動を弁護するために、福田、原田一派がどんな手口に訴えているかをみてみましょう。

 二つの反党声明は、この点でかれらが使っている二つめ手口を、典型的なかたちであらわしています。

反対意見者への政治的弾圧というデマ

 その一つの手口は、自分たちのこれまでの反党分派活動の事実を極力おおいかくして、かれらにたいする今回の処分が、「意見の相違による不当な組織処分」、つまり、反対意見者にたいする政治的弾圧であるかのようにみせかけることです。

 たとえば、原田は、こんどの処分問題の原因は、反帝国際縮一戦線などについて「政治上の根本路線をめぐる重要な対立が生まれたこと」にあるとして、つぎのようにのべています。

 「日本共産党修正主義指導部は、極度に官僚化し、自己の無謬性を強調し、下級組織の愛党的意見に耳をかたむけようとせず、邪魔になる反対意見者を敵視し、まず教条主義、セクト主義のレッテルを貼り、つぎに、反中央、反党の罪状とかいうものをデッチあげています。その結果、このたびのように信頼できる多くの指導的同志を排除し、権利を停止しているのです」

 これは、まったく恥知らずなデマです。

 福田、原田一派の政治路線の誤りについては、すでにみてきたとおりですが、わが党は、党の路線にたいして反対意見をもっているからといって、そのことを理由にかれらを処分したことは、一度もありません。第八回、第九回党大会の決定や、第十回党大会にたいする中央委員会の報告案にも明記されているように、組織原側をふみにじった反党破壊分子と、党の政治方針をまだ十分理解できず一定の疑問や異論をもっているが、組織原則をかたくまもって活動している善意の同志たちを明確に区別し、前者にたいしては組織処分をふくむ断固とした闘争をおこなうが、後者にたいしては同志的な説得と討論をつうじて問題の解決をはかるということは、わが党がこれまで一貫して堅持してきた原則的態度であるからです。

 わが党が、福田、原田らを除名したのは、かれらが共産党員として許すことのできない反党分派活動をおこない、しかもそれが発覚し、追求されると、これを反省するどころか、党規律をふみにじることを公然と宣言して、党破壊の陰謀をいっそうあからさまにおしすすめはじめたからです。

 原田は、「反党、反中央の罪状をデッチあげ」などといって、この根本問題を口さきでごまかそうとしています。だが、福田、原田一派が、早くから覚にかくれてしぱしぱ分派的会合をもち、山口県党組織内で「党中央は修正主義に転落した、中央幹部はブルジョア化した」などの露骨な反党宣伝を広範におこない、反中央の空気をかきたててきたこと、六月ごろから、「長周新聞」を道具として、覚の方針に反するかれらの分派的主張を大衆的に宣伝してきたこと、七月にはいってから反見分派活動を積極化し、きらに八月にはいると、地区や細胞の一連の同志にたいして山口県党組織を分裂させて「真のマルクス・レーニン主義覚」なるものの旗あげをする計画をあきらかにするなど、反党組織結成の具体的工作を開始したこと、県委員会総会(八月十二日)でその事実が追及されると、「党中央が修正主義に転落し、反革命の道を歩んでいる現在、党の決定には従えない」といって、党の組織原則を否定し、規律をぷみにじることを公然と宣言し、県委員会総会の決定による査問に応じることをも拒否したこと、八月二十二日の中国青年文化代表団歓迎集会に一「日本共産党山口県委員会革命的左派」を 名のって出席、演説し、党に敵対する反党分派組織の旗上げをおこない、これを契機として、「長周新聞」紙上でわが党にたいする名ざしの攻撃を開始したこと――これらは、原田といえども予定するわけにはいかない、明々白々な事実です。これでも、原田は、福田、原田一派の「反党、反中央の罪状」が、デッチあげだなどと強弁するのでしょうか。

 ここにあげた事実は、福田、原田一派の反党分派活動の一部をしめすものにすぎませんが、これらの事実だけ分でも、今回の処分を反対意見者にたいする政治的弾圧としてえがきだだすかれらの卑劣なデマをうちくだくには十分でしょう。

マルクス・レーニン主義党の組織原則の正面からの否定

 福田、原田一派のもう一つの手口は「民主集中の組織原則は、政治路線が正しいときにのみ適用される」、「党中央が修正主義に転落したときには、これとたたかうためにはどのような手段も許される」といった議論です。

 原田は、その声明のなかで、「修正主義路線で団結することは革命にとって有害であり、レーニン主義の路線による固結こそ革命のために必要な団結だ」などという奇弁をろうして、党の団結と規律を正面から否定しています。

 かれらのこの種の議論の根本的な誤りについては、すでに「赤旗」紙上でくりかえし批判されているので(井田誠「国際盲従主義者の組織原則じゅうりんを合理化できる根拠は一つもない」九月十五日付など)、ここでくわしく論じる必要はないでしょう。かれらのこの議論は、けっきょくのところ、民主集中制の組織原則や党規約は、党の政治路線が自分たちの見解と一致するときだけまもればよい、党中央の政治路線が、自分たちの見解と対立する場合には、組織原湖や党規律をまもる必要はないし、党中央に「修正主義」のレッテルをはりさえすれば、どんな分派活動も、どんな党破壊策動も許される――こういうことに帰着します。これが、レーニン以来、国際共産主義運動のなかで不動の原則として確立された、マルクス・レーニン主義の組織原則にたいする、もっとも乱暴な挑戦であり、党内闘争の原則をまっこうからふみにじる解党主義の議論であることは明白です。

 「国際共産主義運動の経験全体がおしえているように、社会主義革命、社会主義建設と共産主義建設という任務を首尾よく解決するのに欠くことのできない保障は、共産党・労働者党が自分の隊列のマルクス・レーニン主義的統一をまもり、この統一を破壊する分派やグルーブをゆるさないことである」(一九五七年の社会主義国の共産党・労働者党代表者会議の宣言)

 ただここで、とくに指摘しておきたいのは、いま、政治路線がちがえば、党規律はまもる必要がないと公言している原田が、かつては、たとえ党内に政治路線上の重要な意見の相違がうまれ、自分の意見が党中央の方針と対立した場合でも、民主集中制の組織原則をまもることが絶対必要だということを、みずから口をきわめて強調していたことです。

 原田は、一九五八年、第七回党大会の直前に、『団結と前進』誌上に、「五○年問題についての自己点検」と題する論文を発表していますが、そのなかで、五○年間題からくみとるべきもっとも重要な教訓の一つとして、つぎのように書いています。

 「意見の相違は、必ずしも直接的に党の分裂などという問題をひきおこすことはないが、規約をふみにじり、規律を犯し、分派活動が展開されれば、党は分裂し、おそるべき損害を党と人民にもたらし、永いあいだその傷跡をいやすことすら出来ないことを教えている」(『固結と前進』第五集)

 八年前の原田のこの文章は、現在の原田の行動にたいする痛烈な告発となっています。八年前に、原田は、政治的な意見の相違を理由に規律をおかし分派活動を展開することは、党と人民に「おそるべき損害」をあたえる重大な誤りだということを「五○年問題についての自己点検」の重要な結論として指摘し、強調していました。ところが、原田はいま、党がマルクス・レーニン主義と綱領にもとづく正しい政治路線と、民主主義的中央集権制の組織原曲を一貫して堅持し、全党が中央委員会のもとにかたく団結して、日本革命に責任を負う自主独立の党としての歴史的な前進をとげつつあるときに、そして、米日反動勢力が、その侵略と反動の政策の最大の敵として、わが党にたいしてあらゆる反共攻撃を集中しているときに、外国勢力に盲従しつつ手段をえらばない反党分派活動、党破壊活動にのりだしたのです。これが、いかなる弁護の余地もない党と人民にたいする犯罪的裏切り行為であることは、底囲自身が五○年問題からひきだした「教訓」にてらしても、きわめて明白だといわなければなりません。

 以上検討してきたように、二つの反党声明をつらぬいているのは、現代教条主義、事大主義、セクト主義、解党主義の醜悪な結合です。それは、福田、原田一派が、政治路線においても組織路線においてもマルクス・レーニン主義を根本から裏切り、一部の外国勢力の大国主義的干渉に呼応して党破壊の道にふみだし、米日反動勢力へのあらたな奉仕者の役割をになう売党、反革命分子であることを、ふたたび証明したものです。

 今日、山口県党組織の断固とした闘争によって、その売覚的反人民的本質を暴露された福田、原田一派はますます孤立化し、文字どおりひとにぎりの売党分子の徒党に化しつつあります。だが、だからといってかれらの策動を軽視することが正しくないことは、いうまでもありません。第十回党大会にたいする報告案が強調しているように、米日反動勢力の反共攻撃の一翼をにない、外国勢力の大国主義的干渉を背景にしつつ党破壊に狂奔しているいっさいの売党・反党分子と徹底的にたたかい、その党破壊活動を徹底的に粉砕することは、革命党としてのわが党の重要な任務です。

 「われわれは、かれらの口先だけの革命的言辞のかげにある恥ずべき売党破壊分子、あるいは反革命分派主義者としての本質とかれらのデマ、中傷と裏切り行為のいっさいを徹底的に粉砕しなければならない」(第十回党大会にたいする報告案)

 われわれは、志賀、内藤一派や、志田一派、福田、原田一派など、いっさいの売党・反党分子の見破壊活動を粉砕する闘争をさらに強化じ、マルクス・レーニン主義と綱領にもとづく全党の戦闘的団結をいっそう強固なものとし、内外の重大な情勢にこたえる党の歴史的前進をかちとるために、奮闘しなければなりません。(不破哲三)

「赤旗」19669月22日

戻る

inserted by FC2 system