8.干渉の道具――見すごせぬ干渉の "在日基地 "


中国側からの二つのルート

 福田一派が公然たる反党活動の旗上げをしたのは、中国青年代表団(団長は銭大衛)が一九六六年八月、山口県におもむいたときです。福田一派は、その歓迎レセプションの席上ではじめて「日本共産党山口県委員会(革命左派)」なる名のりをあげたのでした。このとき、団長の銭大衛はこれに拍手を送り、すすんで握手を求めました。

 これは、一九六四年に志賀義雄が、ミコヤン・ソ連副首相の来日を機会に国会で部分核停条約賛成の白票を投じ、売党活動の旗上げをしたのと、まったくウリ二つでした。

 それ以来、日本共産党の転覆をめざす福田一派にたいする中国側の支持・激励は、おもに二つのルートをとっておこなわれています。一つは、「人民日報」や「北京局報」、北京放送など活字と電波による公然たる支持・激励、あいつぐ訪中招待を通じての支持・激励です。もう一つは、中国からあれこれの名目で日本にやってくる人物たちが、福田一派をはじめとする反党盲従分子と密接な関係をもち、かれらに有形無形、隠然公然の支持と激励を直接あたえるというものです。

 大国主義的干渉者は、北京からだけでなく、直接、日本国内においても、かれらを「道具」として干渉をおこなっているのです。

「弁事処」――党を直接攻撃

 この点で悪質な役割をはたしているのが「中日備忘録貿易弁事処」(日中覚書貿易の中国側事務所)。東京都渋谷区恵比寿三丁目三十五番地の豪華なビルにある「弁事処」の現在の陣容は、首席代表趙自瑞、駐在員王作田の二人。ほかに、同ビル内の駐日中国記者事務所に劉徳有(光明日報)、蒋道鼎(文匯報)、耿墨学(北京周報)の三記者と劉徳有の妻顧娟敏がいます。使用人はほとんど在日華僑でかためられているといいます。

 「弁事処」は、一九六四年四月に日本の故松村謙三と中国の廖承志とのあいだで取りかわされた記者交換と貿易連絡事務所の相互設置を骨子とする覚書にもとづき、同年八月日中総合貿易(いわゆるLT貿易)の窓口として設置されたもの。駐在員の公式資格は貿易連絡員ということになっています。ところが、一九六六年、中国の干渉者たちが日本共産党と民主勢力にたいする干渉を開始していらい、「弁事処」など恵比寿の事務所は干渉の「在日基地」「前線司令部」の役目をはたすようになりました。

 はやくも、一九六六年九月三十日、「弁事処」主催の国慶節レセプションには、反党分子が公然と招待され、出席者には福田一派の「長周新聞」さえ帰りがけに配ったのです。

 一九六七年三月四日、当時の首席代表孫平化は、日中友好協会本部を襲撃した盲従分子らの決起集会に直接参加。日本共産党を「国際共産主義運動の裏切り者」と名ざしで攻撃しました。

 このほか、かれらが反党盲従分子の集会、行事へ直接乗りこんで、監督、激励するのはしばしばです。昨年八月三十日に日中脱走派が「連合」大会をひらき、ひきつづき「四つの敵」論をふりかざじて日本共産党をひぼう、攻撃したさいも、中国からわざわざ王国権(中日友好協会副会長)がきて、趙自瑞とともに出席していました。昨年十二月二十三日、福田一派の盲従劇団「はぐるま座」の「訪中歓送会」にも趙自瑞が出席しています。

 また、昨年九月三十日の国慶節「慶祝酒会」では、趙自瑞が社会、公明、民社党とともに福田一派を招き、あいさつでは福田一派の名を第一にあげて、「熱烈に歓迎」してみせました。

泥でつまった「報道」のパイプ

 記者たちも例外ではなく、たとえば、ことし一月十四日の目中脱走派新年旗ぴらきには劉徳有も出席しており、趙自瑞は「弁事処と駐日記者団を代表して」あいさつをおこなっています。かれらのおくる記事も、日本の実情とかけはなれたものが多く、福田一派らの反党分子やトロツキスト暴力集団をしきりと美化、礼賛しています。

 たとえば、昨年十二月二十八日付「人民日報」の記事は、日本人民の闘争を "紹介 "するようなふりで、なんと、「角材、石、手製の火炎ビンなど」によるトロツキスト暴力集団の "闘争 "をもちあげ、福田一派が「日本の労働者、農民、学生と婦人の米日反動派に反対する闘争でひじょうに大きな支持をうけ」ている、などと書いています。「真実報道」のパイプが泥でつまっていることは歴然です。

 その一方で、「弁事処」や記者たちは一般の日本人にはきわめて高圧的。 "友好貿易 "に参加したり、特派員を北京に送ったり、情報をもらうのに、中国側から「友好的である」とのお墨つきをもらいたいため、業者や新聞人が腰をかがめて "恵比寿まいり "などといわれるように、これらの事務所にもかようことになっています。

盲従の徒に未来はない

 そうした状況のもとで、反党盲従分子は虎の威をかりるキツネのように、中国側との「特別のコネ」をみせびらかし、貿易業者や報道機関から金を引き出したり、自分たちの催し物を「後援」させたりしています。一例をあげれば、盲従分子の河原崎長十郎が中国の芝居『屈原』を上演するのを二大新聞社が同時に「後援」するようなことは、日本の興行常識では「異例」のことです。

 福田一派らひとにぎりの反党盲従分子は、こうして中国の大国主義的干渉者からあらゆる形の支持・激励をうけながら、日本共産党の転覆と日本の民主勢力のかく乱をめざして策動しているのです。だが、かれらの策動は決して成功せず、その行く末はみじめなものとなるでしょう。

 われわれは、このような大国主義的干渉の恥ずべき道具である福田一派ら反党盲従集団の正体を国民のあいだにあきらかにし、かれらを孤立させ、その策動を一掃しなければなりません。

(「赤旗」1972年2月25日〜3月6日)

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