7.資金源――政治的な「配慮貿易」でボロもうけ


三つの主要なルート

 国民から見離され、内部でも分裂、抗争をかさねて一にぎりの小集団になりながらも、福田一派はいまなお十数人の専従者をおき、小さくても自分の印刷所をもち、四ぺージのものにしても週刊と週二回刊の二つの新聞を発行するなどしています。これらの資金源はどこにあるのでしょうか?

 福田一派の資金源には、三つの主要ルートがあります。第一のルートは、三百数十社もある友好商社をはじめ日中貿易業界からの資金あつめ。第二のルートは、各地の中国物産展にわりこんでその売り上げの一部をとりこむこと。第三のルートは、みずから "友好貿易商社 "を経営し、中国側からいわゆる「配慮物資」を特別に「契約」させてもらって資金をかせぐもの。

 福田一派にかぎらず、盲従集団はおのおの自分で日中貿易の "友好商社 "をもっています。福田一派の長光友好貿易やこの派の津々良渉の五羊貿易、小岩貞義の三元貿易。西沢隆二らの五同産業。大塚有章らの日中物産。西園寺公一らの雪江堂。木村一三・山田幸治郎らの西日本貿易……。

  しかも、これらの「貿易商社」のほとんどは、中国の大国主義グループが日本の革命運動、民主運動にたいする干渉を公然と開始した一九六六年から六七年にかけて、にわかにつくられたといういわくつきのもの。福田一派の長光友好貿易も六六年の十一月十七日に設立されています。

 つまり、盲従分子にとっては、対中盲従はまさに「かせぎロ」でもあるのです。

 反党分子の盲従商社は、中国側から新入り商社としては破格の扱いをうけ、「配慮物資」などうまみのある取り引き契約を優先的に与えられており、この実態を知る貿易関係者たちは、盲従分子を「ピョンピョン、パチパチ、フラフラ屋」と皮肉っています。

ピョンピョン、パチパチ、フラフラ

 「ピョンピョン(うさぎの肉)、パチパチ(甘ぐり)、フラフラ(くらげ)」という利潤の多い「配慮物資」にあずかるために、盲従集団は政治的にピョンピョンはねあがったり、仲間同士でパチパチなぐりあったりするが、結局はフラフラしている連中、という意味です。

 くらげの場合をみてみると、一九六七年でも、現地買入価格(トン当たり)十九万九千円にたいして日本の輸入価格は四十六万円。利幅は二十六万円という法外なものでした。一社当たり最低契約単位の五トンでも百三十万円のあら利益があがる計算。しかも、この利幅は年を追ってはねあがり、六八年にはトン当たり約四十三万円に、六九年になると、現地買入価格六十四万八千円にたいして輸入価格百四十万円と利幅は約七十五万円となっているのです。

 このほかに、 "輸出配慮 "というものもあります。日本から鋼材、化学肥料、機械など(独占資本の生産物)を輸出するぱあい、中国の干渉者たちが日本側の窓口として盲従商社を押し込んでくるのです。すると盲従商社は、すぐに大手商社と第二の商談をおこない、マージンをとって契約書を大手商社に売り渡します。なんのことはない、日本の独占資本と中国側との取引の仲介屋。貿易関係者のあいだでは "ぺーパー(契約書)売り "とか "オファー(引き合い)売り "とさげすまれている手数料かせぎです。 "輸出配慮 "のうちもっともマージンの薄いとされている化学肥料のばあいでさえ、七一年で尿素トン当たり二百十四円、一万トンの "配慮 "をうければ二百十四万円の利益が盲従商社にころがりこむ勘定です。

恥ずべき利潤追求集団

 こうした中国側の "配慮 "によって、当初資本金六百五十万円で発足した福田一派の長光友好貿易は、翌六七年には一千万円、さらに七○年には一干五百万円に増資する "高度成長 "ぶり。また福田一派は、六八年には、中国から輸入した食料品、工芸品などの卸を業務とする「株式会社紅石」を設立、山口県下の萩などに「東紅堂」という中国物産特売店をおくなど、いまや多角経営。

 福田一派は口を開けば「日中友好の発展」とか「日中国交回復」ととなえ、「日中友好」をまるで自分たちの専売特許でもあるかのようにふるまってきました。しかし、その内実は、中国の一部グループの不当な大国主義的干渉に忠勤をはげんで、その "論功行賞 "よろしく日中貿易の利権をあたえられて私腹を肥やす私欲追求集団です。かれらは、これを軍資金にして日本共産党と民主運動にたいする破壊活動をおこなっているのです。


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