6.盲従劇団――珍妙な芝居で中国もうで


日本の小劇団招いて大騒ぎ

 劇団「はぐるま座」――この山口市の一小劇団が、こんど、一九六七年についで二度目の訪中公演をしました。

 一月十五日夜の北京・首都劇場の初日には、周恩来(首相)、朱徳(人民代表大会常務委員会委員長、政治局委員)、李先念(副総理、政治局委員)、李徳生(政冶局委員候補)、姫鵬飛(外相)らの最高幹部がずらり顔をみせ、公演のあと出演者一人ひとりと握手し、花かごまで贈り、テレビでも中継するほどのもてなしぶり。

 地方公演でも、かならず現地の革命委員会が宴会をひらき、「人民日報」も連日のように「はぐるま座」の動向を報道したり、レパートリーの紹介や劇評をのせたりしています。一月二十六日付では四面のほぼ全面を「はぐるま座歓迎」の特集記事でうめたほどです。

 いったい、中国側が、なぜこんなにも一小劇団に大騒ぎするのでしょうか?

明治の芝居に「毛語録」

 中国側がこのような破格のもてなしをして激励するのは、この劇団が「毛沢東思想宣伝隊」と名のる福田一派の「盲従劇団」にほかならないからです。

 この盲従劇団は、前回『野火』という劇をもって訪中したときは、中国人といっしょになって北京空港で、日本共産党の中央委員会代表と「赤旗」特派員に集団リンチをくわえるという、恥しらずな暴挙をおこないました。さらに、芝居そのものも、中国側から「とっくりと批判され」(同年十一月三十日、帰国直後の記者会見)て、芝居の筋もむちゃくちゃに改作してしまいました。

 この芝居は、明治十七年の農民一揆(秩父事件)を題材にしたものなのに、タイトルに「造反有理」「偉大な毛沢東思想の勝利万歳」のスローガンがかかげられ、幕間には毛語録が朗読され、フィナーレでは秩父事件当時まだ生まれてもいなかった毛沢東の後光のさした肖像がでてくるというありさま。およそ国籍不明、歴史超越の珍妙な劇となってしまったのです。

 この珍妙な劇が中国の新聞ではベタほめされ、「大入り」だったといいますが、日本での「帰国公演」は、皮切りの宇部公演でも千六百人の会場にたった三百五十人。各地を回っても失敗つづきで、ついに中途で投げだしてしまいました。

日本共産党ひぼうの夢想劇

 こんどの訪中公演のだし物も、まことに珍妙な劇です。こんどの「目玉商品」は、『波涛』と銘うった劇。この劇は日本ではまだ一度も上演したことがなく、北京が "処女公演 "で、舞台装置までいっさい中国側が準備したというもの。

 かれらの解説によると、その内容は、海上自衛隊の軍艦を建造している造船所で会社側が「労働貴族や修正主義者」(社会党員や共産党員のこと)を使って、二千人の配置転換を押しつけてきたのにたいして、「革命的労働者」(反党盲従分子のこと)たちがこれとたたかって、二十万人の労働者を「軍国主義粉砕の大政治ストライキ」にたちあがらせた、というものです。

 日本人なら誰がみても、「中国向けの夢想劇」であることはすぐわかります。だいたい、ひとにぎりの盲従分子が「二十万の労働者」をストに立ちあがらせたなどという事実は、だれ一人みたこともきいたこともないことです。それどころか、福田一派が実際にやっていることは、『波涛』の筋書きとは正反対。たとえば、山口県の山陽電軌内に十数人いた盲従分子は、「京浜安保共闘」ならぬ「山電安保闘争委」をつくって、労働組合を攻撃し、労働者のあいだで孤立するや、少なくない盲従分子がこんどは第二組合に走って、「合理化」に協力している始末……。

 ところで、芝居そのものに話をもどせば、盲従劇団の「夢想劇」において、「日本共産党とたたかう」ということだけは、ただ一つ "現実性 "をもっています。福田一派のねらいもそこにありますし、中国側が「大歓迎」して激励する理由も、そこにあることは明白です。

地元の人びとにも鼻つまみ

 中国側も、日本共産党攻撃という許しがたい目的をかくしてはいません。

 昨年十二月末の北京での歓迎宴でも、劉賢権という中共中央委員が「宮本修正主義集団(日本共産党にたいするひぼうのことば)と英雄的なねばり強い闘争を進め」ていると「はぐるま座」の「文芸の武器」をたたえ、一月二十五日の宴会でも王国権中日友好協会副会長が同じようなことばで「激励」しています。

 だが、海のこちら側ではどうか?「はぐるま座」の本拠の近所の商店できいてみると、「あの連中は何かあると毛沢東の写真をもち出して、ドラを鳴らしてさわぎたてる。毛沢東のかいらいじゃ。いっそ中国へ行ってしもうたらどうかのう」(男、三十八歳)ということぱが、はねかえってきました。

 これが、盲従分子にたいするきわめて常識的な批判であることはあきらかです。


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