5.盲従集団の内情――「歓心」求め競い合う


盲従分子のたまり場

 福田一派にかぎらず、盲従の徒はすべて自分の利益と運命を外国の大国主義的干渉者に賭けた連中ですから、海のむこうの雲ゆきがどうかで、かれらの動きも内部事情もくるくる変わります。

 そうした離合集散、右往左往の出発点は、もちろん、六年前の一九六六年。このとき対中国盲従分子は、さきをあらそって「中国」向けの功名を競いあいました。

 「日中友好協会(正統)本部」――この仰々しい名前の組織も、日中友好協会を中国のいいなりになる団体に変えようとして失敗し、盲従分子だけが脱走してつくった分裂組織です。ほかに、日本アジア・アフリカ連帯委員会から脱走した盲従分子の「アジア・アフリカ人民連帯日本委員会」、日本ジャーナリスト会議の分裂組織「日本ジャーナリスト同盟」などの分裂組織などがあり、日中文化交流協会、国際貿易促進協会、中国研究所なども、盲従分子のたまり場となっています。

 また、西沢隆二らは「毛沢東思想研究会」をつくり、福田一派は山口県に独自の集団をつくるというように、雑多な盲従組織ができました。

盲従仲間で「武闘」繰返す

 そして、かれらは、中国の「人民戦争」論と紅衛兵の「武闘」をとりいれて、たとえば、日中友好協会本部をくりかえし襲撃。そのとき、国貿促や貿易商社を通じて襲撃要員が動員され、盲従分子がその出欠までとっていたのは有名な話。

 ところが、北京向けの「功名」争いのために、盲従分子の内部ではいがみあいは絶えません。日中脱走派のなかでも、二派にも三派にも分かれて抗争し、血で血をあらう「武闘」を演じて、ついに分裂。あわてた中国側は、福田一派につながる官崎世民、三好一などの派と、黒田寿男(社会党代議士)らの派との「二大流派」を北京によびつけて、昨年八月末やっと形だけの「大連合」にこぎつけました。

 その過程で、福田一派が盲従集団のなかの「本命」と中国側から認められ、福田自身が九月には招かれて訪中。この北京の雲ゆきをみて、盲従分子のあいだで福田一派の「格」が上がり、他の盲従分子も福田のほうになびきはじめたという次第です。

 日中脱走派の「大連合」の成立直後に中国の国慶節に「最高スタッフ」十四名がまねかれたさい、はやくも福田=宮崎派と黒田派とのあいだに飲酒・ロ論のすえ "武闘 "がもちあがりました。

 その後も両派のいがみあいはつづき、黒田派は「大連合」後も「日中友好協会(正統)中央本部」などという名前で事務所を残しています。これらは一月末にひらかれた脱走派の「全国代表者・活動者合同会議」で問題にされているほどです。

 西沢隆二、安斎庫治、大塚有章なども、それぞれ取りまき集団をもち、スキあらば福田一派にかわって中国側から「本命」と認められようと虎視たんたんです。

貿易分野でもおののく

 国貿促内で、対中「土下座貿易」を業者におしつけ、上前をはねてふところに入れてきた福田一派は、いま「国貿促無用」論におののいています。

 最近は中国側が木川田経済同友会代表幹事ら独占資本の首脳を招くなど、国貿促の「頭ごし」による日中貿易拡大の話がすすみ、しかも、ニクソン訪中によって米中貿易拡大の動きがでてきており、そこから盲従とひきかえに日中貿易をくいものにしてきた国貿促のうまみはへってき、「米中接近ほど友好貿易業界に衝撃をあたえた事柄はない」、「国貿促は無用だ」といった議論がおこっているのです。常務理事の田中脩二郎(反党分子)は早くも国貿促に見切りをつけて、新日鉄系の「中国・アジア貿易構造研究センター」に転職。

 福田一派につながる反党・盲従の五羊貿易(津々良渉)、大武貿易(大武旭)、三元貿易(小岩貞義)、呉山貿易商社(長谷川敏三)なども大いにあわてています。

 海のむこうの雲ゆきで右往左往する盲従分子。だがら、いまは「本命」とみられている福田一派も、明日の自分がどうなるかはまったくわかりません。それだけに、かれらのはげしい忠勤競争が、日本共産党と民主勢力にたいする破壊策動をエスカレートさせてゆくのです。


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