1.ダブルショック――「米帝の頭目」訪中と林彪「失脚」


ニクソン訪中の明暗

 二月二十一日から始まったニクソン米大統領の中国訪問は、日本のテレビ・新聞でもはでに報道されました。ニクソンとがっちり握手する毛沢東の写真も大きく出て、対中国盲従の福田一派などはさぞやニコニコ顔だったろうとひとは思うでしょうが、実は、そうでもなく、むしろ当惑顔。それもそのはずで、毛沢東や周恩来など、これまでニクソンを「アメリカ帝国主義の頭目」とよんできた当人たちが、当のニクソンをにこやかに北京にむかえているので、これをなんといって話のつじつまを合わせようかと苦心さんたんしているのです。

 ことしの一月に福田一派がひらいた「第十五回中央委員会」なるものでも、ニクソン訪中問題には文字どおり一言もふれることができませんでした。

「デマだ」といいはる

 昨年七月十六日、「ニクソン訪中計画発表」のニュースが伝えられたときのこと。福田一派の "拠点 "の一つ山陽電軌(山口県下関市)の職場で、かれらの一人が労働者から「ニクソン訪中をどう思うか」ときかれて、「ブルジョア・ジャーナリズムのデマ報道だ」とむきになって否定し、あとで笑いものにされました。福田一派は中国の干渉グループのいいなりになって、「四つの敵」論(アメリカ帝国主義、日本反動派、ソ連共産党、日本共産党の四つを打倒目標としたもの)をかかげ、ともかくもアメリカ帝国主義はその筆頭の敵だという格好をとってきました。ところが、ニクソン訪中問題は、この「四つの敵」流の算術ではどうしても解くことができません。

 山口県の福田一派のなかには、「なにがなんだかわからなくなった」(「はぐるま座」座員)、「アメ帝打倒を最重要課題にしていたのに、なにを考えているのか」(教師)と、当惑と不信を外部にもらすものまででるありさま。かれらのショックの大きさは、山陽電軌で、それまで多いときには週に二回から三回だしていた「闘いの炎」という「職場闘争報」がぴたりととまったことでもわかります。

深まる動揺

 あわてたのは福田ら「幹部」です。一週間後の七月二十三日に下関市で福田は「『ニクソン訪中』と日本軍国主義」という講演をし、「中米会談」をたいしたことはないというのは「左の偏向」だといってきめつけ、また急きょ「拡大中央委員会」なるものをひらいて、ニクソン訪中は「中国の革命的外交路線の勝利」だというへ理屈で、やっきになって身内の動揺をおさえようとしました。しかし、これは、かえって福田一派の内部の動揺を深める結果になりました。

 福田一派の幹部の一人であった津田浩俊が「脱落」したのも、ニクソン訪中の評価をめぐる意見の対立からだとされています。山陽電軌の職場でも、福田一派のメンバーやその同調者が最近あいついで自信をなくし、会社側のよぴかけにこたえて「希望退職」していっています。この一月には盲従分子の間宮和義と河口正が、二月にはいってからも枌野勉が「希望退職」に応じています。

「林彪ショック」

 このニクソン・ショックにくわえて、もう一つ福田一派を襲ったのが、「林彪失脚」ショック。

 一九六九年の「中国共産党九全大会」で副主席に選ばれ、党規約で「毛沢東同志の親密な戦友であり、継承者である」と、共産主義運動のなかでは、まさに前代未聞の "後継者指名 "までされていた林彪。福田一派はこの規約を「マルクス主義・レーニン主義・毛沢東主義の偉大な文献」(一九六九年「全国協議会」文書)とたてまつり、毛沢東とともに林彪をも神様あつかいし、林彪の「政治報告」の学習運動までやってきたのです。

 「林彪失脚」が報道されたとき、さいしょ福田一派は、ニクソン訪中計画発表のときと同じように、「よく流される毛沢東死亡説と同じだ」「ブル新のデマだ」といってうち消していました。最近では、いよいよ「林彪失脚」説を否定できなくなると、こんどは、ダンマリ戦術にうつり、かれらの仲間うちでもこの問題はタブーになっています。

 こうしてダブルショックに右往左往する福田一派の姿は、中国干渉グループの言動に一喜一憂し、ひたすらそれに盲従する集団のみじめな実態をまざまざとしめしています。


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