二月提綱――「当面の学術討論にかんする文化革命五人小組の報告提綱」

1966年2月11日


 文化革命五人小組は、二月三日、会議を開いた。参加したのは影真、定一、xx、今西および許立群、胡縄、姚湊、xx、范若愚、劉仁、鄭天翔など十一人の同志である。会上で討論した問題および主な意見は以下のとおりである。

@当面の学術批判の形勢と性質。

 呉ヨ同志の「海瑞龍宮」にたいする批判、およびその発展による道徳継承、「清宮」、「譲歩政策」、歴史人物の評価と歴史研究の観点と方法などの問題を討論した。

 すでに思想が活躍し、フタはあけられ、成績はきわめて大きい。

 この大討論の性質は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想と、ブルジョア思想との意識形態領域内での大闘争であり、わが国のプロレタリアートが政権をとり、かつ社会主義革命を実行したのち、学術領域のなかで、ブルジョア反動とあやまった思想を清める闘争であり、プロレタリアをおこし、ブルジョアをほろぼす闘争であり、すなわち社会主義と資本主義との二つの道の闘争のなかでの一部分をなしている。

 この大弁論の勢いは、かならずその他の学術領域のなかに発展する。

 われわれは指導的に、積極的に、慎重にこの闘争をよくやり、ブルジョア思想に打撃を与え、広大なプロレタリア思想の陣地をうち固めなければならない。かつわれわれの幹部、学術工作者、広大な労農大衆が、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を学習し、かれらの政治思想水準を、大きく高めるように大々的におしすすめることである。

 学術領域内のブルジョア思想を徹底的に清めることは、ソ連その他の社会主義国家もまだ解決していない問題である。ここには一つの、誰が誰を指導し、誰が誰に勝つかの問題が存在している。

 われわれはこの闘争を通じて、毛沢東思想のさし示すなかで、この問題を解決する道を切り開き、闘争し、学習しながら、一つひとつ、一方では紅く、一方では専門的な、学術隊伍を鍛練しなければならない。

 われわれは、この闘争と、その他の一系列の仕事(たとえば、労農兵に毛主席の著作の学習、哲学の学習を提唱するなど)を通じて、旧知識分子をうち破る一歩を進めるばかりではなく、実際上、搾取階級が学術文化を独占している地位にたいして、ここから広大な労農兵大衆が、直接、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想の理論的武器と、科学、文化をにぎるあらたな歴央的時期にはいる。

 当然、まっ先にかれらのなかの、相当文化水準のある人から開始し、労農大衆文化の普及と発展を高めていくことである。

 こうしたことから、この聞争の長期性、重大性、困難さが考えられなければならず、戦略上は軽視し、戦術上は重視されなければならない。

 この闘争は、けっして、何ヵ月かたって、幾篇かの結論的な文章で、あるいは批判されたものが、政治的な結論をつくったということで、任務が完成したと考えるべきものではない。われわれは、真剣に、不断に、この闘争を長期に堅持していかなければならない。

A方針。

 毛沢東同志の一九五七年三月、党の全国宣伝工作者会議上で話された、 "放 "の方針を堅持し、各種の異なった意見(マルクス・レーニン主義に反するものもふくむ)をも、みな十分に解き "放 "ち、さけがたい矛盾の闘争のなかで、事実をもとめて道理を説く、という方針を用い、反動や、あやまった思想にたいして分析批判を加え、正しくかれらを反ばくし、うち砕いていかなければならない。

 学術論争の問題は、非常に複雑であり、ある事情を、短時間ではっきりさせることは、容易ではない。われわれは、討論のなかで、大是大非をつかむべきであり、まず二つの階級(ブルジョアジーとプロレタリアート)、二つの主義(マルクス・レーニン主義と反マルクス・レーニン主義)の限界を、はっきりわけるべきであり、学術上の根本的な問題をはっきりさすべきであり、理をもって人を服すべきであり、学閥のような、武断と勢力をもって人を圧すべきではない。

 真理の堅持を提唱し、あやまちを改める時間を準備させるべきである。

 うち破ることによって、うち立てなければならない(うち立てることなくては、真に徹底的な破壊に到達することはできない)。

 われわれは、闘争のなかで、まじめに苦労して、毛沢東思想を学習して学術研究をすすめ、大量の資料をつかみ、科学的分析をおこない、学術を推進しなければならない。

 これはつまり、われわれが、政治上で相手を圧倒するばかりでなく、学術上と業務水準上でも、真に大々的に相手を超過、圧倒することである。

 ただこのようにして、はじめて、プロレタリア思想を用いて、一歩一歩旧知識分子を改造し、革命的知識分子を高め、大多数を団結させ、少数に反対し、真の極く少数の、改めないことを堅持し、あやまった反動的観点を死んでもはなさない人間を、孤立させ、一歩一歩反動的学術観点を、うちこわすことができる。

 あやまりを犯した人、学術観点の反動的な人が、自分のあやまりを改正することを許し歓迎すべきである。かれらにたいして、厳粛さと、人を善くするという態度をとるべきであり、あいまいにしたり、 "革命を許さない "ということはいけない。かれらが改めるか改めないか、真に改めたかニセの改めかを問わず、われわれがこのようにすることは、みな比較的有利なことである。

 呉ヨのような、ブルジョア世界観を用いて歴史に対峙し、政治的あやまりを犯した人にたいしては、新聞紙上で討論する場合、政治問題に局限すべきではなく、各種の学術理論にわたる問題を、十分に討論を展開すべきであり、もしも、最後まで異なる意見がある場合は、保留を認めるべきであり、以後にひきつづいて討論すベきである。

 このようにして、容易に各種の意見をみなときはなち、われわれの隊伍をして、闘争し、学習するなかで、壮大に成長させることができる。

 新聞紙上で、会に名ざしで重点批判をするには、慎重でなければならず、人によっては、関係機関の批准をへるべきである。

 過去に、悪い演劇に参加した出演者について、こんどの論争のなかで、新聞紙上で公然と検討すべきではなく、かれらのあやまりは別の場所で解決することができる。

B隊伍。

 五人小組と、各省・市・自治区労委員会はすべて、革命的学術工作隊伍をつかむべきである。断固とした革命左派に依拠し、いっさいの革命的知識分子を団結させ、ごく少数の頑固にして変わらず、改めようとしない人を孤立させなくてはならない。

 われわれは、一方で打ち、一方で立て、少より多きに変え、一歩一歩政治上だけでなく、字間上もブルジョア知識分子をのりこえた革命的で戦闘的で、一面は紅く、一面は専門的な隊伍を、つくり上げなければならない。

C左派は相互に助けあわなければならない。

 大勢の左派学術工作者の "互助組 "、 "合作社 "をつくり、手わけして研究した基礎の上で、集団討論をへて、手わけして執筆し、適当な方法を用いて、相互批判、相互揺動をし、自分だけがよいということに反対することなどを、提唱すべきである。

 左派学術工作者が、ブルジョア専門家、学閥の道を歩むことを警戒すること。闘争のなかであらわれた俊秀な青年作者を重視し、養成し、援助を与えるようにすべきである。

 すなわち断固とした革命左派(長期の言動をみて)でも、旧思想を敏底的に清めず、あるいは問題意識がはっきりしないなどのために、ある時期にあるあやまちをのべたり、ある問題の上で、大小のあやまちを犯したりすることは、まぬかれがたいことであり、適当な時期に、内部の少数の人数で、学習整風の方法で、道理を清め、是非を清め、免疫性、抵抗力を増強しなければならない。

 ただ、あやまちがあり、改正でき、あるいは改正しようと決心しているものは、かれこれつかんで放さず、ブルジョア学術にたいして批判し、自己を前進させることを妨げる、ということはすべきではない。

D論争の問題。

 現在、準備に着手しており、一定時期がきたら、新聞紙上に質の比較的高い文章を発表する。

E五人小組は、学術批判の弁公室をつくる。弁公室は、許立群、胡縄、具冷西、姚湊、xx、范若愚等の同志で構成する。

 許立群同志を主任とし、胡繩同志を学術方面の工作を主持する責任をもたせる。


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