労働者は哲学をどう学び連用しているか

天津市第二毛織物工場労働者 李長茂


 わたしは、一九五八年から哲学を学びはじめた。そのころわたしは、哲学などというものは学のある人がやるもので、自分のように教養のない『でくの棒』がやったら、頭が痛くなって何が何だかわがらなくなるくらいがおちだと、ぶつぶついっていた。

 ところが、いざはじめてみると、哲学は別に手のとどかないものではなく、神秘なものでもないと感じるようになった。

 そのわけはどこにあるのか。毛主席の哲学思想は、階級性をもっており、わたしたち労働者階級の哲学である。わたしたちの哲学をわたしたちが学べないとしたら、いったい誰が学べるだろう。哲学の道理は実践のなかからもたらされたものである。わたしたち労働者は、三大革命運動の実践のなかに生活しているのだから、実際と結びつけて学びさえすれば、よく理解し、りっぱに学びとることができるのである。

 一九五八年、わたしたち天津の労働者が、哲学を学ぶ大衆運動をはじめたばかりのとき、毛主席をはじめとするプロレタリア階級司令部に、わたしたち労働者の哲学学習について、ひじょうに心をくばってくれた。指導者がわざわざ天津へきて具体的な指導にあたってくれたので、わたしたちは、毛主席の哲学思想を学ぶことのきわめて大きな意義をさとり、革命のために学ぶ思想をうちたてた。こうして困難をおそれない信念と決心をもつことができた。われわれ労働者階級は、生産の面で天地をくつがえす意気ごみをもち、どんな困難も恐れはしないのだ、哲学の学習がむつかしいといっても、ひるんでなるものか、とわたしは思った。

 そのころわたしは、あれこれ問題をかかえていた。思想的問題もあれば、生産上の問題もあり、仕事の面でどうにも解決できない問題もあるといった具合いで、哲学を学ぶことによってぜひ解決したいと思った。学習にさいして、理論だけをしゃべるのではなく、何事も実際と結びつけた。一つの観点を学べば、すぐにそれを応用すると、たちまち効果があらわれた。そのころわたしは、粗紡現場の主任で、主観的には仕事をりっぱにやろうと思っているのに、なにかをすると、文句をいわれることもあり、いっしょうけんめいやってもその甲斐がないので、ふさぎこんでいたものだった。やらなければならないことが山ほどあって、一つを解決するとまたつぎのが出てきりがない、こんなことなら、自分で手を動かしてやってしまったほうがましだと思ったりした。哲学を学んではじめて、矛盾は客観的に存在するものであることを知った。問題というのはつまり矛盾であって、いやでも存在するのだ。こうしてやっと、仕事がうまくいかないおもな原因は、自分の主観が客観的な必要に適応せず、思想方法が誤っているし、心の底にはまだ私心があることに気がついた。仕事をやるにも、経験にだけたよってはならず、主観に走ってはならないことを知った。それで、問題にぶつかったり、物事を処理するさいに、毛主席の著作のうち関連のある道理と結びつけると、目がひらけ、しっかりした心の支えができた。

 そのときの学習のやり方はやはり、実銭から理論へ、理論からさらに実践へもどるという精神にもとづいて学んだ。だから、学べば道がひらけ、学んだことをすぐに応用して成果をあげることができた。もっともらしく書物をかつぎ出し、言葉をあげつらい、理論は理論、実際は実際と切りはなして考えるのではない。「たとえ、正しい理論があっても、ただそれについておしゃべりするだけで、たな上げになってしまって実行しないならば、その理論がどんなによくてもなんら意義はない」と、偉大な指導者毛主席が教えたとおりである。

 哲学学習については、わたしも、わき道にふみこんだ苦い経験がある。

 裏切り者、敵のまわし者、労働者階級の奸賊劉少奇の哲学界における代理人、裏切り者の楊献珍は、われわれ労働者が哲学学習の面で成果をあけたのを見ると、さっそく天津にかけつけて打撃をくわえ、われわれ労働者が学んでいるのは、「哲学といえるものではなく」、「メチャクチャだ」などと侮辱した。そのあと、旧市委員会宣伝部は、「系統的な向上」をはかるとやらで、われわれいちぶの労加者を旧市委員会の党学校におくりこんだ。わたしもそこで三ヵ月学習させられた。教えるのははじめから十七、八世紀の哲学とか、ヘーゲル、フォイエルバッハ云々で、一日じゅうものものしい書物をかつぎ出した。生きた哲学がここへくると死んだ条文になってしまい、覚えるにも覚えられなくて、わたしはまったくくさくさして、飯ものどを通らず、夜もよく眠れなかった。もともと神経衰弱などどんなものかも知らなかったが、このときばかりは神経衰弱の苦しみを味あわされ、頭が痛むばかりで何が何だかさっぱりわからなくなった。学べば学ぶほどわけがわからず、何の得るところもなく、ますますやる気をなくしてしまった。

 こうした正否両面による学習の体験をつうじて、わたしは、われわれが哲学を学ぶには、毛主席のかがやかしい哲学の著作を学ぶことが、もっとも根本的な、大切なものであり、もっとも容易に問題を解決するものであることを知った。毛主席の哲学思想は、われわれにもっとも身近なものであり、学んでみるととりわけ親しみを覚えるものである。一言でいうと、哲学を学ぶには、どんなことがあっても毛沢東思想を離れてはならず、一度離れるとたちまちだめになってしまう。

 何を学ぶか、どう学ぶかということは、表面から見れば学習内容、学習方法の問題のように思われるが、本質的には、二つの路線の闘争を反映したものである。

 楊献珍の一味は、われわれ労働者には哲学はわからない、われわれが学んでいるのは「哲学といえるものではない」などと侮辱した。彼らこそまったくの嘘八百をならぺているのだ。彼らは、われわれ労働者が哲学を学ぶのを妨げようとたくらんだのだ。彼らは、理論を実際からかけ離れたものにすることによって、毛沢東思想がわれわれ労働者大衆と結びつくのを、じゃましようとしたのだ。彼らのくだらぬ考えによれば、「理論」というものは、ややこしければややこしいほど、人にわからなければわからないほど、「深い」ということのようだ。こうした彼らの言い分こそメチャクチャだ! 理論の源は実践にあって、何ごとをやるにもくり返し実践してはじめて認識が生まれ、結論をうることができるのである。家に閉じこもって本を読み実際から離れていれば、「結論」は出てこない。やはり偉大な指導者毛主席がもっとも明確に言いあらわしている。「マルクス主義を学習するばあい、たんに書物から学習するだけでなく、主として階級闘争、活動の実践、労農大衆への接近を通じるのでなければ、ほんとうに身につけることはできない」。

 われわれ労働者は、三大革命運動のなかで生活しており、いちばん手近に実際と結びつけ、りっぱに哲学を学ぶことができる。実際と結びつけてこそはじめて、よく理解し、よく覚え、運用できるのであって、実際に結びつけなければ、理解できないし、覚えることも連用することもできない。わたしは一九六一年の末に、工場内の保安課の仕事に回されたが、はじめは仕事をどうやったらよいのかわからなかったので、まず毛主席の教え「どんなことをするにも、そのことの状況、その性質、それとそれ以外のこととのつながりがわからないならば、そのことの法則もわからず、ぞれをどういうふうにやればよいかもわからず、また、それをりっばになしとげることもできない」を学んだ。それからまた、調査・研究についての毛主席の教えを学び、課内の仲間たちといっしょに、工場にある一九九台の機械ぜんぶを十分にしらべて、機械の状況をはっきりさせた。一方ではまた、われわれの技術水準と工場製品の質と量を左右するおもな原因について分析をくわえた。それから、おもな矛盾をつかむことについての毛主席の教えにもとづいて、製品の量と質を左右する三つの要になる問題をさがし 出した。そこで三つのたたかいを組織し、兵力を集中して殲滅戦をくりひろげた。一年ほどで、ボイラーポンプや機械の部品の問題を解決し、機械の大修理の任務をやりとげて、受動的な状態を主動的な状態に転じた。このように、実際のなかであらわれた問題をもって毛主席の哲学思想を学べば、たちどころに効果をあげることができる。その後わたしは、農村で社会主義教育運動に参加したり、鉄道で運輸の仕事をやったり、文化大革命のさいには労働者宣伝隊に参加したりしたが、いつでも実際と結びつけて学ぶ態度をつらぬき、主観世界と客観世界の改造のどちらの面でもひじょうに大きな効果をあげた。もしも哲学用語を山ほど覚えこみ、一通りの理論をしゃべることができても、それが見てくれのためであって、実際に結びつけて応用するのでなければ、まったくのムダというものである。毛主席は二つの飛躍を説いている。もしも目先だけにとどまって第二の飛躍の実現、すなわち理論をふたたび実践のなかに応用しないのならば、やはり、「実践論」の道理をほんとうに理解することはできない。

 わたしは、実際と結びつけて哲学を学ぶには、自分をそのなかにあてはめることがひじょうに重要であることを体得した。毛主席の哲学思想は、とりもなおさずわれわれプロレタリア階級の世界観である。したがって、われわれが学ぶには、まず第一に自分の思想と結びつけて、自分の思指心を改造し、自分の思想と毛沢東思想とのちがいをさがし出さなければならない。哲学を学ぶからには、ほかの人だけはマルクス・レーニン主義で対処し、自分にはいい加減にやってはならない。このいい加減にやるというのは、実のところ自分については観念論ですますことである。こんな学び方では、りっぱに学べるわけがない。毛主席はこう指摘している。「文化大革命およびすべての活動のなかで、労働者階級の指導的役割を十分に発揮させなければならない。労働者階級も闘争のなかで自己の政治的自覚をたえず高めていくぺきである」。これこそもっとも徹底した弁証法である。わたしは労働者宣伝隊に参加したときには、私心や不純な気持をいろいろもっていた。哲学を学ぶには、何よりもまず自己をそのなかにあてはめ、毛主席の哲学思想によって、自分の政治的自覚を高めなくてはいけない。 ほかの者にだけ革命を求め、自己革命をやらなくてはいけない。わたしたちは「一つが分かれて二つになる」弁証法的唯物論を学ぶのに、まず第一に自分に対して「一つが分れてニつになる」をやらなくてはいけない。そこでわたしは、私心とたたかい修正主義を批判した。この学習をつうじて、自己をそのなかにあてはめてこそ、新たな案件のもとで、たえず革命をすすめる意気ごみを保つことができると思った。自己をそのたかに投入してはじめて、主観的世界の改造と客観的世界の改造の関係をうまく処理することができる。主観的性界をりっぱに改造してこそはじめて、客観的世界をりっぱに改造できるのである。自己をそのなかに没入してこそはじめて、真に活字活用をやりぬくことができるのである。

 われわれ労働者は文化水準が低く、わからない用語もあるが、それでも哲学がわかるだろうか。

 われわれ労働者が哲学を学ぶのは、用語を学ぶのではなく、その精神的な本質を学ぶのであり、どんな道理を説いてあるのかを知るためである。

 学んでわかるというのはどういうことか。学んで応用できるのがわかったということである。われわれは実際の問題をかかえて哲学を学び、学んだらすぐに実際のなかで応用し、自分の行動の指針とし、問題を解決し、すぐに効果をあげた。これはよくわかったことではないのか。一つの観点を学び、それを応用して実際問題を解決できるならば、その観点はよく学ぴとったということではないか!

 深く学びとったというのはどういうことか。自覚をもって応用し、りっぱに応用し、役立つように応用できるならば、それが深く学びとったことであろう。これが、毛主席の指摘している「マルクス主義の理論については、それに精通し、これを応用できなければならないのであって、精通の目的はまったく応用にある。もしマルクス・レーニン主義の観点響点を応用して、実際の問題を一つでも二つでも説明できたなら、それは称賛されるべきであり、いくらかの成果をえたことになる。説明できたものが多ければ多いほど、広ければ広いほど、深ければ深いほど、その成果はますます大きいことになる」のである。

 したがって、学んだか学ばないかは、応用したかしないかを見なければならない。りっぱに学んだか否かは、よく応用しているか否かを見なければならない。学んだことを理解したか否かは、実践のなかでためされなけれぱならない。

 われわれ労働者の哲学学習は、たえず向上をはからなければならないのは当然である。向上についても、実践を離れてはならない。実践を離れては哲学の源がなくなるのだ!

 毛沢東思想を学び、『老三篇』を学ぶのに、なぜかならず哲学を学ばなければならないのか。

 毛主席の哲学著作は、われわれが世界を認識し世界を改造するもっとも鋭い武器である。『老三篇』と四篇の哲学著作は、いずれもわれわれプロレタリア階級の世界観を説いたものである。『老三篇』にのべられているのは、プロレタリア階級の世界観の核心であり、『公』の精神に貫かれている。心から公のためにつくす思想をうちたててこそ、はじめて弁証法的唯物論の革命的哲学を真に体得できるのである。頭いっぱい「私心」をつめこんだ者には、この革命的哲学は理解できないのである。また、『実践論』や『矛盾論』などの哲学著作を学べば、『老三篇』をいっそう深く理解することができる。『愚公、山を移す』を例にとれば、わたしは学べば学ぶほど毛主席が説いているのは、徹底した唯物論の精神であることを感じている。『愚公、山を移す』は、もともと神話であるが、毛主席はこれを使って唯物論の最良の教材にしている。ここに説かれているのは「山」と「人」という一対の矛盾である。山は物であり、人もまた物である。だが、山は死んだものであり、人は生きているのであって、とくに人は、思想をもち、主観的能動作用をもっている。山はひじょうに大きいが、死んだものであ り、それ以上人きくなることはできない。ところが、われわれ人間は、子々孫々、つきることはないのである。いぜんわれわれの頭上に君臨した三つの山も、現在まだ残っている帝国主義や社会帝国主義も、すべてこれと同じように、一日一日と下り坂をたどるのである。われわれ労働者階級はもっとも先進的な階級であり、毛沢東思想はもっとも先進的な階級の思想である。われわれ労働者階級がその手に毛沢東思想をにぎれば、世界のどのような困難であろうと、克服できないものがあるだろうか。どのような敵であろうと、われわれをおどかすことができるだろうか。

 解放後、毛主席と共産党の指導のもとで、われわれ労働者の積極的意欲はひしょうに高くなった。だが、どうすればこの積極的意欲をいっそうよく発揮できるか。まず第一に、われわれの主観的世界を改造しなければならない。『老三篇』を活字活用すれば、人は何のために生きているのか、なぜ革命をやるのかを知ることができ、そして、万難を排して勝利をかちとるゆるぎない信念をかためることができる。毛主席の哲学思想を活字活用すれば、われわれは大胆に革命をやれるだけでなく、りっぱに革命をやることができ、革命の道理と方法を知ることができる。われわれは困難の前にひるまず、成果をあげてもおごらず、たえず革命をおこない、永遠に革命をやることができる。

 したがって、われわれはかならず、『老三篇』の学習を基礎にして、毛主席の四篇の哲学著作を学び、われわれの認識を高めなければならず、そうすれば、いっそう自覚をもって革命をやることができる。

(「人民日報」1970年1月19日)

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